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: 2007年3月21日(水)夜
前編: 1) 映像で説明 紹介された学校が、現在の学校を代表しているかということに先ず疑問を持ちます。 紹介された学校は、相当に上手くいっている所の紹介に思います。
2) 紹介された学校の先生方、今野先生、山出先生、佐藤先生それぞれに素晴らしい先生たちです。 印象としては、もっとも素晴らしい理想的な先生と言えるのではないでしょうか? 3) 佐藤先生の所でやっておられた ゆとり教育、考える力をつけさせる授業は、本来大変素晴らしい企画だと思います。 また、今野先生の クラスを大事にするという取り組みも理想的な教育といえると思います。それぞれに素晴らしいのですが、問題は、それらの取り組みや教育効果が、現在の社会の評価システムの中では、生かせるようになっていないという事です。山出先生の基礎学力は、おちこぼれを出さないようにとの丁寧なご指導は、少年時教育としては全く素晴らしい考え方だと思います。同様の問題として現在の社会の評価システムでは、評価されないようになっている事が大変気になります。 4) 3)で述べた評価というのは、現在数字に表れやすい学力や進学率や良いところへの進学という客観的な評価をする場合 そのような理想的な教育が、評価されにくくなり 場合によっては、マイナスに働く状況が出てくるからです。 5) 本来は、理想的な教育の方がもっと高く評価され、学力中心・進学中心の評価の方が改めるべきと思いますが、現在の長い伝統を持つ社会のあり方は簡単には変えられませんから 此処は難しい点だと思います。 端的にいえば、理想的な教育をやれば 現実の社会では高い評価が得られず、知識中心の詰め込み教育が良い評価が得られるような皮肉な状態になることです。
•6) 3人の教育者を思えば、教員を増やして先生方にもっと余裕をもっていただきたく考えます。しかし、例えば郡山市の 実験の評価で詳しい検討をなされ 生徒の点数の配分などをされていましたが、その辺はもっと大雑把に考えて良いのではないでしょうか? 評価を厳密にしようとすれば、哲学的な問題に発展してきりがないからです。 往々にしてみられがちなのは、いろいろな雑務を作って忙しくなっている状況です。印刷物、授業計画、指導報告、評価、規則等等 大雑把な考え方と省力化には、大いに配慮すべきではないでしょうか? 7) 江戸川区の学校選択制については、非常に難しい問題を抱えている事が分かりました。先ず大都市特有の私立学校の出現です。それで基本的に私立学校と公立学校の比較が先ず問題になっています。私立学校は、公立学校と違って 設立の理念 目的が、明瞭にできるので、公立学校より優位に立てる基盤があることになります。 現状の悪い方向を推し進めると、裕福な家の人が特定の有名私立学校に入り、特殊な教育を受けて、良い大学に入り、良い所へ就職するという傾向が強まっていきます。この方向の悪いところは勿論、有能な人が裕福な家のものであるとは限らず、貧しい環境におかれている多くの人材を世に生かせなくなり、また狭い階層的な社会ができあがる事です。 そこで、私立学校には大幅な自由を認めるのが当然ですから 公立学校のあるべき姿をどの様にするかということが問題になります。 そこで、地方の公立高校で行われているように 入試を通して、幾つかの類、多くの場合には一定のある順位が決まってきますが、複数の選択ができる可能性を認めるかどうかという所が焦点になってくるのではないでしょうか? すなわち、入試によって小学校や中学校も幾つかの選択ができる可能性を検討するかという事です。 これに対する反対の見方は、地域によって入るべき学校を定めてしまう学区制を維持していく事です。これは検討課題として残しておきたいと思います。さらにそのような選択性にした場合には、どのようにして学校が選ばれ、どのような状況が生まれるかを公立高校の場合から考察を深めておく必要があるのではないでしょうか。
•7) 入試を小、中学校に導入となれば、いわゆる受験勉強、競争が早い段階から行われるようになり、心の余裕や、本来の全人教育を行うことを難しくする事にはならないでしょうか。学校教育に大きな影響を与える受験勉強の弊害について、大学入試のありようについて検討する必要があるのではないでしょうか。
•8) 教育についての再生核研究所声明4と古代中国の教育に触れた声明2を参照していただければ幸いです。(2007/3/22)