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2007.10.28
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カテゴリ: カテゴリ未分類
私のある古代

50年前、祖母が祖母の50年前を話していた事は 私のある意味で古代と言えると思います。
まず、小学校3年生の頃まで、当時はテレビがありませんでしたから、私にとって世界とは西は西山まで、東は田所山まで、北は高原山、南は鬼怒川までで、そこより先は 今で言えば丁度月の裏側の世界のような感じでした。祖母は10代でその鬼怒川を渡って隣の村からお嫁に来ましたが、その川を渡るとき、この川を渡って戻ってくるな、 そのときはこの川に飛び込めと兄に言われたということです。燃料は薪ですから、木小屋が母屋から30メートルくらいのところの竹やぶにあって、その先は高原高原まで、林が続いていたようです。その木小屋に薪を取りに行く時、狐が出て怖かったと何度も言っていました。私の屋敷には15坪くらいの池があり、また泉が湧き、1つの川の源流になっていましたから、その地区では最も古く良い場所を屋敷としていました。勿論水道などは私の時代にもなく、井戸水を使っていました。祖母は9人の子を産みましたが、出産前日まで働いていたといっていました。

祖母の時代には用水路が完備していませんでしたから、水争いがあり、小さな村は2つの派に分かれて、組合なども2つに分かれて、相当に長く2つの派関係が尾を引いていました。用水路が完備したのは戦後間もなくで、父の時代です。用水路が完備しましたら、その泉は地下水が下がって今は枯れてしまいました。私の子供の頃は夏だけ川になって流れていましたが。

今でも写真が残っていると思いますが、村中から見える村1番のケヤキが屋敷の竹藪にあって何処からでも見えたので、印になったということです。戦争の為に 供出するため切るときに 記念写真を撮ったのです。祖母は 夫が今ではなんでも無い盲腸の手遅れで亡くしましたので、残念がっていましたが、夫はいろいろ器用で魚とりが上手かったなどいろいろ自慢していました。 鬼怒川と荒川に囲まれていますが、ダムと用水路の為に川には水が少なくなり、鬼怒川には水が流れていますが、荒川は普通は元気が無くなっています。当時は奉公人と呼ばれる人が山形などから来ていましたから、家族は12人くらいで暮らしていました。

祖母の長女が優秀で、親族の知恵者で源氏物語を読め、父をはじめ親族から頼られていました。次男が先生で、兄を大変慕っていました。妹思いで、よく話していました。実家は以前庄屋様で甥が先生で、厳しい先生で結構有名でした。切れやすい性格で、その血統が続いているのは祖母の血統からと思います。





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Last updated  2007.10.28 22:46:45


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