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2012年12月13日 23:17
何も残せなかったならみんな同じ、その人が生まれた必要性がない
必要性がないのならばその人が生まれなくても同じ、何かしても何ものこらないならしないのと同じ
こういう考えの哲学者を紹介してください
残したい、は 本能ですが、 それは間違った考えだと 知りました。 楽しく、感動するが もっとも 大事では ないでしょうか。 残しても何にもなりませんね。 お釈迦様の考えは、素晴らしいですね。 変わって行く、移ろい行くということですね。
再生核研究所声明 57(2011.04.08): 人生とは何か、人生如何に生きるべきか
人生とは何か、人生如何に生きるべきか と 問えば、まず人間が動物や生物の1種であることを しっかりと捉える必要がある。 しからば 生物とは何か。 高等生物を見れば、食べて生きること、子を設けて、子を育てること、それで大体つきていると言える。 従って、人生においてもまず、これらが基本である; すなわち、食べて、恋をして、育児をして 大体終わりである。人生とはそのようなものである。大局を見れば 元祖生命体の大きな営みの一環で、実際、生物とは 遺伝子の乗り物であり、人間もその役割を果たす一存在に他ならない。したがって精々160年くらいの生存しかできないのは 道理である。
食べて生きるためには、人間は 社会の一員として、社会の役割を果たし、その報酬によって生計を立てて、生活をする。 それが働くことの意味に繋がる。現在はこの基本を果たすことすら困難な状況が 広く見られる。
命を繋いでいく、 恋をして子を設けるは 人生の大事で、 実際、再生核研究所声明 36: 恋の原理と心得 でその本質を論じている。 しかしながら、恋ができなくとも、人生において大した問題ではない。 それは 個人は 生態の細胞のように 一部分のような存在だからである。 その分だけ 補完する形で、自由と楽しみを 味わうことができるだろう。
ゲーテは 恋の本質を深く捉えていたが、このように断言できなかったのは明らかである。そのため、恋についての誤解を広めているように考えられる。 実際、晩年においても 恋や 男女の愛を問題にしているのは 人間として高貴なこととは言えない。お釈迦様が 人生、世界の本質を深く理解され、悟られていたのは明らかである。しかしながら、人生の目標をきちんと差し示されなかったために、人生の方向性について、多くの本質的な誤解が 世に広められることになったと考えられる。そのことは 多くの仏教徒の生活を見れば、理解できるだろう。
さて、自由意志を有する人間について さらに 何が人生で 問題であろうか。 すなわち、人間をその内なる世界から見れば、どのようになるであろうか。それは究極、人生の基本定理 人生の意義は感動することにある(再生核研究所声明12: 人生、世界の存在していることの意味について)ということになるだろう。 これは要するに、良い感動ができるように、好きなように生きればよいと言うことである。しかしながら、これが意外に難しく、実際、自分が 何が好きで、何を求めているかをきちんと捉えるのは そう簡単ではなくて、 実際、汝 自らを知れと 諭されてしまう。 いわんや、厳しい社会の中で、そのように考える余裕さえ持てず、社会生活を営むのに窮窮としているのが 多くの場合と言える。 実際、何も知らずに 人生終わってしまったは 世に多い。要するに人の一生も、例えば燕の一生もそう変わらないということである。 燕の方が自由で良いとも言える。
感動に満ちた人生、それは 岡本太郎氏の言うように 芸術は爆発だ、どんどん爆発を続け、感動し、人生を送れれば、それは 充実した、素晴らしい人生とも言える。しかしながら、元祖生命体の雄大な営みから見れば、 所詮は儚い夢であるということを悟れば、 人生 そんなに 大したものではないと言える(再生核研究所声明 19 : 超越への道、悟りへの道)。
されば、人生において確かなことと言えば、生きて存在しなければ何も始まらない (生命の基本定理) こと、人類の生存は 最も大事な事(再生核研究所声明 13: 第1原理 - 最も大事なこと)ということであり、それらに生きることこそ、大義に生きることに他ならない。(母なる地球が在って、豊かな生態系が在って、はじめて人類の生存の基礎ができるのである。 それらの持続可能な在りようを追求するのが、元祖生命体の代表である人類の 真に崇高な使命である。大義である。再生核研究所声明56)。
それらを承知した上で、人間は自己の心によく、心を傾け、真に満足できるような 生き方を 社会との調和を図りながら(公正の原則、再生核研究所声明1)、 生きるべきである。
以 上