再生核研究所

再生核研究所

PR

×

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

再生核研究所

再生核研究所

Calendar

Favorite Blog

小西美帆 ブログ「g… 小西美帆さん
楽天ペットニュース… 楽天ペットスタッフさん

Comments

bugindiceBludge@ Clouptslots mzhrm generic cialis tadalafil https://tadal…
Afferiinfomia@ Clouptslots eolql tadalafil daily online cialis tadalafi…
Bolaimmormgiree@ Clouptslots kwefv https://cttadalafil.com/ cialis tadala…
cyclomune@ cyclosporineopthalmicemulsion buy cyclomune <a href="https://…
cyclomune@ cyclosporineopthalmicemulsion cyclosporine eye drops <a href=&quot…

Freepage List

2015.04.30
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
2015年4月30日 8:22  < kbdmm360@yahoo.co.jp > :
「私という謎」

「私」とは誰か。
この問題を考えるとき、 大きな足かせとなっているものがあります。
それは、人称と自我の問題です。
つまり、ある哲学者(仮にAとする)が、「私」とは誰か、
という問題を考えた場合、これは当然、Aについての問題です。
しかし、受け手は、 この哲学者が問題としている人物はAであって、
「私ではない」。
この問題は「私」ではなく、
「あなた」または「彼」「彼女」の問題にすり替わってしまう。
ここに、「私という謎」 を考えるにあたっての大きな齟齬があります。
隘路があります。

難点は2つ。
「私」は本来「私ひとり」であるはずなのに、
この世界には「わたし」と認識する主体が複数存在する。
そうすると、ほかの主体の「わたし」はすべて「私」 の僭称ということになる。
つまり、独我論的な他者の自我の否定、という問題。

(2)(1)は一見すると、奇妙な詭弁です。
このアンチロジックの原因は、むしろ問題の本質ではなく、
人称をめぐる言葉の問題と置き換えたほうがよいのかもしれない。
自我の問題を考える場合、取りあえず、
「私」という言葉を遣わないようにすればよいのではないか。
だから、「私」を「僕」や「俺」に代える、ということではない。
でも、それだけで、本当にこの問題を回避できるか?
(1)の視点は、問題の本質とどうかかわっているのか?

整理して質問を出します。
「私とは誰か」という問題について、他者と考える場合、
人称をめぐる混乱が常に根底にある。
これは技術的に解決できるのか?
そして、また、「私とは誰か」という哲学的問題は
これを他者と共有したり、 結論を正しく他者に伝えることができるのか? http:// detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/ qa/question_detail/ q11144972701
簡単に触れられないですね?





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2015.04.30 11:23:53


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: