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雨の朝の筈が雨がない。 何か得したように感じる。食前に散歩に出かけよう。今日は買い物の予定。 相当の仕事が片付いたので 新しい計画、 方針を練りたい。
再生核研究所声明
585 (2020.9.24): ゼロ除算 - 無くせ、先入観、偏見、差別、思い込み、古い考え、固定観念、タブー、囚われた考え; 拓け、新世界、新数学、新
思想
人種問題について、無くせ、先入観、偏見、差別 などと大きな問題になっている。 数学で ゼロで割る問題も 通じるところがあると感じて 直感が湧いた。そこで、表題のような観点から ゼロ除算について述べたいと思う。
まず、ゼロで割る問題 と言われて、初めから それなーに などの感じを抱く方は 結構多い。 人種問題でも同じように、問題自身を認識しない 言わば 理想的、あるいは幸せな環境に置かれている人々がそうである。 しかしながら、問題の重要性を意識している人たちにとっては、両方とも 深刻な問題であると考えられる。 ゼロ除算、ゼロで割る問題は、アリストテレスやアインシュタインなどが深くかかわっている基本的な問題で、沢山の素人が どうしてゼロで割れないのか と発想して、今でもインターネット上で 広く議論され、問題にされ、中には 長い論文を生涯書いているような人たちさえいる。
ゼロ除算は ゼロで割ってはいけない、考えてはならない、ゼロ除算は 不可能であるとの 考えに 凝り固まっているような状態と考えられる。
実際、数学10戒の 第1に 汝ゼロで割ってはいけない がある。
大きな理由は ゼロで割れないことが 簡単に証明されてしまうこと にある。第2の理由が結構本質的で、不連続性の 次のことがどうしても受け入れられないことにある と考えられる: 高校生の教科書でも 大事な関数として載っている 基本的な関数
y=1/x の 原点での値がゼロであること。
実際、正、負方向から原点に近づくと その関数が 正の無限大や負の無限大に発散していて、 原点でゼロは とても信じられない と多くの人は思ってしまう。 数学者で、特に教養のある方が それは、アリストテレスの世界観、連続性に反するので、数学の理論を越えて受け入れられない、考えられない と言明されたのには 驚かされた。 急激に無限からゼロに飛んでいる不連続性が 受け入れられないという感性であるが、それは多くの人が抱かれる自然な感性と思われる。
ギリシャ文化は 欧米の文化に 甚大な影響を与えているから、ギリシャ哲学の基本に、ゼロを嫌ってきた文化の影響は 驚くほどに深いことに驚かされる。数学の議論には思えない、感情丸出しで ゼロ除算を公然と否定した多くの事例が思い出される。数学ではなく、宗教論争のように感じられるような形相と感じられることも多い。
ゼロ除算は、できない、考えてはならない、ダメの 相当な感情で今なお世界は満ちていると考えられる。 数学以前に 感情に支配されていると考えられる。
ゼロ除算は嫌い、興味も、関心もない、耳にしたくもない、そのような言わば負の大きな文化に支配されているように見える。我々から見ると 未だ先史の暗黒時代とも言える。我々は明るい、楽しい、より完全な美しい 新しい世界を見ている。
さて、事実はどうであろうか。 ゼロ除算は気づいてみれば、実は簡単であった。 実際、数学では できないこと、不可能なことを どんどん可能にしてきた 面白い歴史が 沢山存在する。 できないと述べている考え方を 変えて、できるような理論体系を考えてきた。できるようにした理論体系が できないとしてきた理論体系を越えて 自然に数学を発展させ、世界の解釈を豊かにして 世の中を大きく変えてきた。 例えば、二次方程式
x^2 = -1 は 決して解けないとずっと考えられてきた。 2乗すると ゼロ以上の 数だからである。 そこで 方程式が解けるように 想像上の数、虚数 i を導入し、複素数 z の体系を作り、数学の基礎を作っている。 それで、方程式はいつでも解をもつことが導かれてきた。不可能が可能になった。できるようになった。
現今、数とは複素数のことであり、複素数が無ければ、数学にならないと言っても 過言ではない。ー ここのところで、
2点が回想される。不可能を可能にして来た数学の歴史を回想して、ゼロ除算はやがて可能になるだろう と予言していた者がいた。 虚数の導入の大きな成功に倣って、1/0に対して想像上の無限大のようなものを考えた人たちが結構多く存在した。
ゼロ除算も 発想を変えると 殆ど当たり前で、ゼロで割ることは 実は、ゼロを掛けることだった と 奥村 博氏が 言明されたように、驚くべき発想の転換であった。 上記原点での値ゼロは、グラフの中心に位置し、美しい結果であると、直感した人々は 多いが、地動説のように言われて初めて気づいた ということである。永い間 実に多くの人に親しまれてきた その関数に対して、 原点でゼロであることは、我々の発見で、宣言されて初めて世に現れた結果である と言える。
それで、その新しい世界を探検すべき研究を 既に
6年を超えて続けているが基本的な 世界が拓かれていると言える:
超古典的な結果、原点を中心とする円の 原点の鏡像は無限遠点と考えられているが、我々は原点の鏡像は 原点自身であると述べている。 それはゼロ除算
1/0 の解釈から 無限遠点とされきた。 ところが、基本関数W=1/z は z が ゼロに近づく時、無限に発散するは 適当であるが、z がゼロ自身の時には 不連続的に ゼロの値を取るというのが、ゼロ除算である。 無限と考えられていたのが、実はゼロだった!! それで、原点の鏡像がゼロであることが導かれる。 - これには大きな意味があって、古典的な世界、リーマン球面のモデルは ホーントーラス上で考えるべきで、そこで考えれば 基本関数W=1/zは 全複素平面を連続的に、等角写像で 美しく写っていることになる。--
ゼロ除算の位置づけについて:
そもそも数学とは何かに関して、数学の元は、ユークリッド幾何学と 四則演算の算術 の法則にあると考えられる。 この算術は インドの
ブラ
―マグプタによって ゼロの導入と共に西暦628年に確立された。 図形、そして 算術の法則 である。重要で、面白いことには これらは、デカルトの座標系の導入で、統一される。これらの基礎の上に、幾何学、代数学、解析学が発展している と考えられる。 ところが驚くべきことに、両方の基礎には 初めから欠陥が存在していた と考えられる。 無限遠点の考えと、ゼロ除算である。 空間の認識では無限の彼方は どうなっているかという観点が欠けていた。 四則演算においては、割り算における ゼロで割る問題 ゼロ除算問題 である。ブラ―マグプタ自身は 初めから0/0=0 と きちんと定義していたが、一般のゼロ除算は 考えなかった。- これは 不可能である と考えたと思われる。 ゼロ除算の歴史は、もっと古く、物理的な意味から、アリストテレスが ゼロ除算は考えるべきではなく、かつ不可能である と述べていて、欧米の文化に大きな影響を与えてきたという。 ギリシャ文化は、ゼロや空、無を嫌う 強い文化を有してきた。他方、インドでは 相当に深い思想をもってきた。
ゼロ除算の結果は
(以下略)。
以上
2020.9.23.06:30 昨日、NHKの人種差別問題の放映から、思いついた。 今朝、一気に書いた。台風が近づいているので、
2,3日天気が崩れる。
2020.9.23.09:42 台風相当ずれたためか、急に晴れ間も出る。大体形になった。明朝までに完成できるだろう。
2017.
9.23.21:50 良い。
1日で完成できたと言える。明朝 完成できるだろう。長袖シヤツツだけでは寒い感じ。
2020.9.24.05:50 良い、力が湧いてきた。 散歩後完成、公表。
2020.9.24.06:40 散歩、曇り、銀杏の実を拾い始めよう。 完成、公表。
再生核研究所声明
587 (2020.10.22): 日本数学会 数学基礎論および歴史 関係の皆様 - 新しい研究課題
うすうす ゼロ除算関係の情報は 皆様にも伝わっているかと思います。しかしながら、余りにも永い伝統と 強い思い込みに支配されていて、真相ではなく、誤解や忌避の感情に支配されているようにも 感じられる面があるのではないか と危惧しています。
何と畏れ多くも 現代数学には基本的な欠陥があり、我々の空間の認識はアリストテレス、ユークリッド以来、数学的にはおかしいと 公言しています。 理由は、有名なゼロ除算、ゼロで割ることを考え、それを不可能であるとしてきたことに由来しています。
実は、多くの不可能であった数学的な事実が、概念を拡張するなどして、可能にしてきた数学の歴史があります。それと同様に 自然な割り算、ゼロ除算を考えれば 可能に成り、何とその意味で
1/0=0 が帰結されます。 超古典的な結果、無限遠点が実はゼロで表されるとなって、古典的なリーマン球面のモデルは ゼロと無限遠点が一致する ホーントーラスに変えるべきであると 大きな世界観の変更が要求され