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再生核研究所声明 702(2023.1.20): 真理を求めようとしない、愛そうとしない数学者たち、人々。 - 教育の弊害か?
(検討中)
再生核研究所は、ゼロ除算、ゼロ除算算法の理解を求めて、努力している。特に、現代数学の基礎には基本的な欠陥が 有史以来存在し、 数学の教育の在りようも可笑しいとの存念を表明している。 もちろん、説得できない者には 相当の力量不足、力不足を省察する必要がある。
内省は当然として、世間の在りよう、教育の在り様について危惧される観点があるので、 表現して置きたい。
事実として、ゼロ除算不可能と言っていることは、 当然なこととして理解でき、そう述べているのは 誠、全くの当たり前の周知の事実である。 ところが毎日のように ユーチューブ等で解説されているのだが、 新しい考え方が現われて 新しい世界が拓かれていると述べても 殆どの人は 興味、関心を擁かず、従来の当たり前の事を繰り返している。 天才的に 優秀な河野玄斗氏などでもそうである。新しい考えから、新しい世界が開かれ 小学校以降の数学が変更されると言われても 興味、 関心が湧かいないとなれば、 真理を求める心があるのかと 考えてしまう。 全然信用されない、相手にされない哀しさ。 ところが学会や、研究会で 発表して、論文を、著書を発表して居るにもかかわらず、 興味、関心を擁かいないということを どのように考えれば良いだろうか。このことを何年も、何年も反芻してきている。
成程、アリストテレス、ユークリッド以来の変更、 天才オイラーや、アインシュタインの解明できなかったゼロ除算の解明が出来たと言われれば、 その重大な歴史的な重さに ずっしりとした、拒否反応が湧くのは理解できる面もある。 相当な数学者たちが 新しい結果に血相を変えたことを まざまざと回想される。
学校の先生方の反応としては、 既に決まっている数学の変更など はじめから興味も関心も無くて 従来数学の運用、 活用、 問題解きの技術のみに関心があるようである。 世相もそうだと言える。
ところがである、数学の研究者や 教授たちにもそのような精神が強く、従来数学の枠から出られないような 言わばちょうどマインドコントロール下にある 盲目集団にさえ見える。 優秀な人ほど良く教育されて 従来の枠に強く拘り、新しい世界に興味や関心を擁かない。 新しい結果に驚嘆して 別世界のように感じているようである。
その様に変な数学は、 数学的に正しくとも 興味も感心もないと公言された相当な数学者が 回想される。
ここから余りにも受験勉強のやり過ぎで、 型にはまった数学の問題解答テクニックにたけて、 条件反射的な体質を身につけてしまい、 自由な発想や、真に未知の世界を開拓する真智への愛など 育っていないように感じられる。 ただ与えられた、方向の研究だけを盲目的に進める姿勢、 権威に従って既成の、規定の方向を盲目的に進む姿勢。
ここで大いに気になる。 日本は世界で経済競争力をどんどん落とし、日本国としての国力が落ちているという。 この原因であるが、教育者の立場から見れば、教育の在りようがおかしいことが主因では無いだろうか。
この意味は、先ずは国家として初等教育におカネの掛け過ぎ、しかも無駄な教育に時間と金をかけすぎでは無いだろうか。 勉強、勉強、型にはまった空しい訓練に時間と資金をかけすぎで、 生徒たちの瑞々しい感性と能力を意図的に駄目にしている現状があらわれていると考えられる。 真理を愛することも教えず、人生の意味も考えず、ただ空しい知識とテクニックだけを有する変な人種の出現である。 ー 幼少の頃は 豊かな自然の中で のびのび遊ばせて置けばよい と言う 教育原理も 大事ではないだろうか。小さな限られた 人工的なものや文化ではなく 大きな自然から学ばせたい。ー 自然に帰れ の言葉が回想される。 そう言えば この有名な言葉 久しく聞いていないように感じる。 死語か。教育原理なのに。
更に 世に子を儲けて育てたくない、人口減少を招いているという。 その原因に 変な教育に押し込め、 魅力のない人生を子供たちに与えたくない心情が広がっている状況も反映していると考える。 少し前までは 沢山の子供を儲け、子は子だからと表現されてきた。 自然性が失われている世相。
まず、 元気がない、 意欲がない、 自由な発想ができないとなれば、大きな社会では 活力ある活動はできず、 経済活動、創造活動は停滞するだろう。学問、研究でも 元気で、 意欲がなく、自由な発想ができなければ ただ盲目的な追随型の研究にはまってしまうことになるのではないだろうか。
教育においては 人物の育成に意を用いるべきではないだろうか。 所謂人物たる人物を 教育界は輩出しているだろうか。 世に人物たる人物がどれほどいるかと問いたい。
それに理解が進まない大きな理由として、忙し過ぎる。自分の仕事、研究に忙し過ぎて 他に心が周らない。興味、感心が行かない。 近代数学、科学が余りにも進化して、細分化して 深く、細かくなって、お互いの交流が難しい状況が広範に起きて居る。
それで 他の研究に興味、関心を擁く余裕がない現状が広く見られる。
特に コロナ禍で そのような様子は 異常な状態に感じられる。 それ以前に見られたのは 大学法人化後の雑用の異常な増大と組織運営の複雑さからくる、大学の混乱である。研究、教育の時間がとれ無い との声が 聞こえてくる。
改善の原理は、 その様なことが 何の意味があるか と問い、無駄なことを減少させ、 時間や心の余裕を取り戻すことでは無いだろうか。 経営や防衛などでも 活かせる精神では無いだろうか。 大学で 沢山の無駄をさせているような事は無いだろうか。
上記は書きなぐりの記述だが、 表現しようとした意味は 理解されるのではないだろうか。
以 上
1.20.20:00 幾つか声明の案のうち つを一気に表現しみた。
文を整えて行こう。
2023.1.20.21:48 めちゃくちゃの筈が、しっかり既にできていた。
2023.1.21.07:07 文と内容を追加。 内容、表現検討の余地がある。
2023.1.21.10:48 山を巡って、美しい日、子宝の節を入れる。
2023.1.21.14:10 青空の美しい日、アヴェイイロの美しい青空と美しい花を思い出す。