私は怪我して依存してしまった。
依存は私を駄目にしていった。
挙げ句の果てには自分で解決すら出来ない人間になっていた。
自分で考え自分の意志を示して生きることすら出来なくさせていた。
周りは私に与えるばかりで自分で掴みに行くことすら出来なくさせていき、私は次第に与えられることが当たり前となり次第に傲慢になっていった。
そのままでは私も駄目になり周りも駄目にさせていくと立ち上がってくれた人がいた。
その人は私に厳しさを与えて周りの依存を私自身で気付かせてくれた。
その気付きに出会え、私は決意した。
今まで廻りに依存していた手から離れようと。
依存は次第に支配に変わっていき、支配から私を前に歩かせなくさせていたと。
しかしそれをするのは辛い時もある。
それは母。
母は私のことが心配でいつも私の傍に居て監視していたいという心が強い人。
いや、私が依存してしまったから母もそうさせてしまっていた。
そんな手から離れるために自分で考えて自分の意志を示すようにしている。
そのためには母と離れること、もう母の言いなりになってはいけない。
自分の意志を示さないと。
今まで一緒にいたのに離れていくのは母にしたらさぞかし辛いだろう。
しかしそれは私がしないといけない。
周りはそう思っていても言えることではない。
本人だから強く言える。
私の信念が強ければ強いほどいつかは母は私の気持ちを理解してくれると信じている。
依存も無償の愛の1つ。
そんな愛はいしつか消える。
消えるからこそ、今しなければいけない。
消える愛だからこそ、そんな支配からの卒業は無償の愛に返す愛だと思っている。
依存は、いつしか支配に変わり私を自由に生きられなくしていたことに気付いた。
依存したのは私だから私が招いた孤独だった。
でも、私は気付けた。
自由は支配からの卒業であり、そんな支配されず生きることが自由を手に入れることだと。
母も自由に生きて私を一生守り続けることではなく1人の人間として謳歌することだと。
お互い1人の人間として生きること。
それは己も活かして周りも活かすことだと確信している。
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