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お久しぶりです。とっても久しぶりに楽天ブログを覗いてみました。よく書いていた頃がとても懐かしいです。あれからいろいろなことがありました。またいろいろなことを書き綴っていこうと思います。生きる事は奥深いなぁと痛感しています。毎日元気に生かされていることに感謝しながら。
September 18, 2023
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久しぶりに楽天ブログを覗きました。私は元気です。
October 13, 2020
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久しぶりに楽天のブログを覗いてみました。私は元気です。ここのブログを書いていた頃がとても懐かしい。
July 13, 2016
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久しぶりに楽天ブログを覗きました。お気に入りに入れていた人たちも更新も少なくなり久々に覗き皆それぞれの人生頑張っているんだなあと。私も頑張ろう。覗いたので更新していきます。
January 28, 2015
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久々にここのブログを覗いてみた。まだたくさんの人がブログを続けてみえてなんか嬉しかった。私は元気にしていました。いろいろなことがたくさんありました。生きることは大変。今まで親の存在で守られていたことを痛感しました。今まで苦しかった。今も状況は変わらないけれど生きている実感を味わいながら生きています。心をやっと取り戻せました。
December 11, 2013
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人から見たらとても幸せそうな子に見えただろう。。 ちぃっとも幸せではなかった。でも今は幸せ。 それは自分の意志で生きられるようになったから。 なんで私は怪我したときに親の望む道を生きようとしてしまったのだろうか。 それは自由に生きていて自分のしたことで親にとても迷惑をかけてしまったから。 そんな親の心からのぞむ道を生きるのは苦しかった。 全てを与えてもらった。 でも自分で欲しいものは掴みにいったことはなかったから。 今は親の温情にはすがりたくないから欲しいものは自分で掴みに行っている。 抵抗、非難、という社会の荒波はある。 そんな荒波は私を大きく成長させてくれている気がする。 今まで私は親に守られていたことにも気付いた。 守られていたから成長もなく子供のまま止まっていた私か居たんだ。 楽しんでいこう。
April 24, 2012
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最近思うこと。 なんで私の親は私を守ることに必死なんだろうと。 守るから私は何も出来なくしたのは事実なこと。 今回入院したときもそうだった。 私を守った。 お願い。 もう守らないで。 私は親が過干渉にしなければ出来ないなりに自分で考えてもがほきながらやっていくのに。 今回の手術も自分で決めた。 決めたからこそ親にはすがりたくなかった。 なのに親は入れ替わり私に付き添った。 苦痛だった。 苦痛だったから腎盂腎炎になったときもう帰ってもらった。 とても天国だった。 困ることはある。 でも自分で考えられる。 その考えることが自分で自分を守ることになるんだと思うけれどね。 自由になりたいよ。 もう17年我慢したんだから。 お願い。 自由に生きさせて。 親には感謝している。 いろいろなもの与えてくれて困らない生活させてもらえたことは。 でも私と親の意見は違い過ぎるから。
April 19, 2012
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この4月からの挑戦は「抵抗」だった。 非難されたし抵抗されたなあ。 でも打たれ強くなったかもしれない。 叩く人は何をしても叩く。 叩かれるのなら人目気にせずに行動した方がいいよね。 強くならなきゃ、自分を守って生きていけない。 私は箱入り娘でここまできた。 だから周りに心配されることも知った。 心配されるのは可愛がられている証拠。 これは親のおかげだということも分かった。 これからは親に感謝の意を示して親に私のことを悔いの無いように過ごしてもらわなきゃ。 そーすることが、親は私の意志を尊重して見守ってくれるようになるはず。
March 23, 2012
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私はずっと自分の心に我慢して生きてきた。 心の無いお人形さんのように。 でもそんなお人形さんではなくひとりの人間として生きようと思ったのが今年の2月だったと思う。 人の心から望む生き方はやめて自分が心から望む道を生きようと決心。 そんな抵抗は周りが嫌う世界に入ることだった。 そんな世界は過酷だった。 でもここで挫けたら抵抗する意味もなくなると思い必死で耐えた。 この1年抵抗の意味で自分の意志を示すためにしてきた行動。 でも今から思うとそんな抵抗の挑戦は楽しかった。 誰も与えてはくれない。 たから自分で自分の道を創っていかなければいけなかった。 今までは至れり尽くせりの環境でそれが当たり前と感じて必死になれなかったけれど、この挑戦ははじめて必死に取り組めたと思う。 そんな経験は私を人として強くさせてくれた。 たくさん傷付いた。 でも傷付いたからこそ自分で守ることも知れた。 愚かだった自分も1つ1つ乗り越えてこられた。 今度の課題は弱い自分を受け入れるということ。 私は入られたくない領海は守り続けて来た。 それはある意味人を信じていないから。 人を信じて本当の自分を知っていきたい。
March 18, 2012
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昨日は弱気になっていた私。 ひとりで麻酔科の診察で麻酔のリスク聞いたら怖くなり弱気になってしまった。 でも先生もリスクを少なくするためにいろいろと対応をしてもらえていたことに気付いた。 だったら、私もオペに勝つキモチで望まないといけないことに気付いた。 身体にストレスを与えるのは不安。 不安を抑えられる強い心を持てばいいんだと思った。 あと1週間ちょっとでオペ。 それまでに出来る限りの最善をしてベストな状態でオペをしよう。 負けない。
March 14, 2012
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私には膀胱に石がたくさんある。悪さをしなかったから放置していた。でも石は成長しているためこのまま放置すると石の除去に大変ということで思い切ってオペすることにした。しかし私は首から下が麻痺している。身体を丸めることも不可能だから局部麻酔は出来ない。となると全身麻酔。今日オペする日にちも決まり麻酔科へ受診。麻酔のリスクを聞いたら怖くなった私。でも石はこのまま放置出来ないしやるしかない。クヨクヨ考えたもしかた無いから先生を信じるしかない。オペはしたことはある。そのときは意識がなく最悪の状況だった。でも今回は最悪ではなく安定しているときのオペたから不安も出てくるんだろう。人は欲があるからな。欲望が私を苦しめているんだろうな。今回オペをしてもらえる先生とは信頼関係はある。先生を信じて欲は捨てよう。そうしたら不安なんかはない。どんな状況になろうとも…。
March 13, 2012
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やっと昔の私に戻れた気がする。 それは昔のと自分を取り戻せたから。 昔の自分を取り戻すのに17年という時間がかかった。 昔の自分に戻るのが怖かった。 なんで? それは同じ間違いを繰り返してしまうようで。 でも17年の間違いを見つめそんな間違いを克服できたから。 もう大丈夫。 17年の間違いはしないから。 間違いをしそうになってもそんな弱い自分を自分で跳ね返すことが出来るから。 さあ、これから必要なアイテムを掴むとっていくぞ。
January 24, 2012
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私が工学系の研究室へ行くようになり早2年が過ぎた。 この2年で学んだことは、自分の意志を示すこと、だった。 2年前の私は自分の意志すら示せなかった。 相手がしてくれるがままだった。 研究室は男の世界。 1年目は女性と過ごすこと。 2年目は男子学生と過ごすことだった。 誰もが2年目は心配したと思う。 男性に私か自分の意志を示せるかどうか。 でも私は2年目の不安は全くなかった。 それは自分の意志を持ちそれを示すことが生きるチカラを創り出すということに気付いたから。 でも母と離れて誰も守ってくれない。 自分を自分で守ることは自分の意志を示して行動すること。 だから自分が努力しても出来ないことはきちんと意志を示してやってもらった。 そんな学生くんたちは嫌な顔をせずにしてくれた。 食事してこぼしたものもきちんと取ってくれたり。 私の意志を示すことは嫌がらずしてくれた。 嫌がるのは私が意志を示さないとき。 それをこの10ヶ月したことで私はかなり成長出来た。 自分の意志を示すことは生きるチカラを創り出すことを立証してくれた。 ときには大きな抵抗やバッシングにもあった。 でも負けなかった。 負けなかったのは自分の意志で動き生きるチカラを創り出していたからだ。 人を強くするのは自分の意志。 そんな意志は辛抱強さも創り出し人の心をも動かしてしまうパワーもあるんだね。
January 14, 2012
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あけましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 昨年は自分の心から望む道の環境を自分の手で無力ながらも築いた年でした。 今年は望む環境が整えることが出来たから必要なアイテムを掴みに行く。 堅実に生きて行こうと思います。 人って出来ないことはないんですよね。 やる気になれば。 心が動き出せば。 出来ないと思うから前を向いて歩けなくなってしまうだけで。 出来ないと思う前に挑戦です。 今年は皆様にとりよい年になりますように。
January 2, 2012
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あと今年もあとわすが。 迷走して苦しかった1年前。 年末は。 今年はそんな迷走から答えが出せて1年いろいろな挑戦が出来た。 今年は変身の年だった。 あまりにも変わりすぎて皆に心配されるし。(笑) でも、迷走して自分の心から望む道と望むためのプロセスを自分で苦しんで出せたから今の自分が居る。 来年のするべきブロセスも今は明確。 でも、こーして歩いて来れたのは多くの人達の出会いとそんな出会いに支えられていたからです。 また両親の愛があったからこそ。 今年もありがとうございました。 よいお年をお迎え下さい。
December 31, 2011
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お久しぶりです。 いろいろなことがありました。 でもたくさんのことがあったからこそ、自分の力で乗り越えようとしたからいろいろな成長があったかもしれない。 同じ障害の人からバッシングされたり。 女性から嫉妬されたり。 でも、ある人に叩かれれば叩かれる程強くなれるのよ、と言われた。 確かにそんなバッシングを糧に生きるのもいいかも。 その背景には、私があまりにも変わりすぎた。 成長したから。 自分の意志で生きられるようになり、自分で考えるということを与えられて大きな成長が出来たのかもしれない。 やはり、成長にいろいろな困難は大切かも。 自分の力で乗り越えようとする心が大きなエネルギーを創り出すのかもしれない。 バッシングには負けない。 悪口を言う人は自分に余裕がないんだろう。 焦っている証拠なんだと思う。 でもそんな悪口は一切無視して、ただ自分のすることを精一杯するのみ。
December 5, 2011
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いろいろな壁にぶつかりながら前に進もうとしている私。 心を取り戻す前までは何も動けなかった。怖かったんだよね。 心を取り戻したら怖くなくなった。 心って眼には見えないけれど人を動かすすごいパワーなんだね。 いろいろな壁にぶつかりながら知りたくないことも知って行く現実。 心があるから辛くても前に進める。 心がなかったら私は前には進めなくしていたと思う。 知りたくない現実だろうが知らないと前には進めなかった。 誰が悪いとか悪くないとかではなく、それが現実であり逃れられない事実。 ただ1つ。 自分の信じられる道に進むのみ。 進じられる道こそが自分の本当の心の答え。 そんな答えが見つかったからこそ心も取り戻せたんだよ。 ありがとう。 昨日はアーチの虹を7年ぶりに見た。 そんな虹が私に教えてくれたことだった。。。。。。
November 25, 2011
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お久ぶりです。いろいろなことがありました。4月からの私なりの挑戦はやっとここまで辿りつけた感じです。自分の意思で決断したことも周りの意思で反対されたり。笑怪我して失われていた成長を今、やっとしているのかもしれません。17年、私は心を失くし続けていました。心失くして生きた方が楽だと思っていました。しかし苦しかった。いまはそんな失くし続けた心も蘇り心が動くからこそ、いろいろなことに挑戦出来ていく自分がいます。心が動いたら出来ないことはないのかもしれません。努力と挑戦する心があれば。どこまで辿りつけるのか分かりませんが出来るところまで自分の力で自分の道を切り拓いていきたい。
November 10, 2011
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またまた迷走していた私。 今年の2月に心から望む道がやっと分かり、そんな道を生きるために挑戦をはじめた私。 いろいろな経験をしている。 怪我して失われた経験と成長をするために。 時には逃げたくなることも。 でも、確実に成長している自分を感じる。 前の私なら全て人任せたせった。今は人任せにはせず自分で考えて答えを引き寄せている。 時には間違った答えを出すこともある。 しかしそんなときは周りからのアドバイスで修正出来ている。 これからまた新しい挑戦をする私。 どんな旅でどんなことが知れるんだろうか。 楽しみと不安が交差する。 私の心から望む道のプロセスには怪我して失った自由を再び取り戻し失った信頼を勝ち取るためのものでもあることも知った。 失った自由と信頼なんて簡単には取り戻せないことは分かっている。 だからこそ、飾った言葉ではなく行動をして私の心は本物なんだと示していかなければいけない。 あ~。 することばかり。 焦らず欲を出さず確実に前進することが大切。 焦り欲を出すことは自分を自爆させることに繋がる。 いろいろなアイテムは揃った。 さあ、旅を続けていこう。
October 2, 2011
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またまた迷走している私。 去年の迷走は自分の心から望む道を探す迷走。 今回の迷走は自分の心から望む道を生きるための環境をどう自分の手で創り出して行くかの迷走。 私はやっと気付いた。 事故してからこの17年私は母を強く意識していきてきたことを。 意識しすぎていつしか母の望む道を知らず知らずに生きていたことに。 そんな自分を断ち切りたいために、私はオペすることを決めた。 しかしそれは愚かだった自分に気が付いた。 今私は自分の心から望む道を生きるために自分の手でその生き方が出来る環境を創り出そうとしているとき。 今まで出来なかったことが出来ている現実。 そんな姿を喜んでいる人達が居る。 そんな中でオペをすることは無謀すぎると。 もしものことを考えるとここまで創り出した環境をも失う可能生がある。 失ってしまったら、私の挑戦も終わりを迎える可能生だってある。 私が心から望む道は8年間ずっと思い続けた思い。 8年という年月が経ち、やっと行動に移せるようになれた自分。 やはりここで終わりを迎えたくない。 終わりを迎えなければいつかは心から望む道が生きられる。 私の選択した道は私を応援してくれる人達とは違う道かもしれない。 でも、自分の人生は自分が決めるもの。 気付いた。 ここでオペすることは17年前と同じ失敗を繰り返してしまうことに。 きっと心からの望む道を歩むプロセスは17年前の愚かな自分と戦うためのプロセスでもあり、自分で心から望む道の環境を創り出すプロセスでもあるんだと。
September 15, 2011
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私がオペをしようとしたら周りにいろいろと惑わすこと言われなければいけないの? 私は1人の人間。 自分が選ぶ権利だってある。 なのに私が決断したことを周りにいろいろ惑わされて沮止されようとしなけければいけないのか納得がいかない。 おかしい。 私は怪我をしてずっと人の望む道を生き続けて心を無くさざるおえなかった。 心が蘇り自分の人生なんだから自分で決断したのに決断したらその決断を沮止しようとされる。 こんなことされるのなら、私は一生自分の心から望む道が生きられないということ? きっとこんな状況だと、私が心から望んだ道を手に入れたとき、周りから沮止されそうで怖い。 沮止するということは、私に自由に生きるなと言われ続けられている気がする。 納得いかない。 私は自分の愚かさでこんな怪我をして車椅子になった。 その延長で私を1人の人間と見ようとしてくれないのはなんで? 私が愚かだから信用してらえないのは分かる。 が、全て駄目と言われ続けられるのは私は何?
September 15, 2011
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なんで私はこんなに愚かなんだと思う。 同じ失敗ばかり繰り返す。 言葉はストレートだから誤解を招く。 人は1つ出来るようになれば1つ失う。 欲を出していけないということだよね? 出来ることが増えれば知らないうちに何かを失っている。 何かを掴みにいくことは得られれば失うことなのかな? 人生って難しい。 きっと一生愚かな自分との戦いなのかな?
September 15, 2011
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あなたを傷付けるかと思っていた。 動揺させてしまうのではないかと思い悩んだ。 でも逃げ続けて欲しくなかった。 逃げることは逃避すること。 あなたの心も殺してしまう。 あなたの心は生き続けてほしかった。 あなたとは違う意志をとってごめんね。 でも、本当に自分の心から望む道を生きて欲しかった。 あなたの夢を現実として欲しかったから。 あなたはわたしが全てを話して相談したとき本気でわたしの心とぶつかってくれた。 ぶつかってくれたからわたしは答えが出せた。 だから今のわたしが居る。 これからもずっと今の関係で居ようね。 約束。 あなたと出会えてよかった。。。。。 心と心を本気でぶつかり合おうね。
September 9, 2011
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君と出会えたのは、ここのブログだったよね? 私の書いたブログにコメントしてくれたのが出会いのはじまりだったことを覚えている。 コメントを読んで君の心にだんだんと惹かれていった私。 私のことをあのブログの言葉から全てを理解してくれていてとても嬉しかったことを覚えている。 ブログだけの付き合いで何も知らない者同士。 いつもブログを更新して君からのコメントがあるのか楽しみになっていった私がいたんだよ。 いつこのコメント欄から君の名前が消えてしまわないか心配だった。 でも君はいつも自分からの意見を率直に書き綴ってくれていた。 嬉しかったよ。 君のことを次第に知っていくと多くの共通点があった。 私も人には決して心をみせなかったこと。 人から逃げ続けていたこと。 多くの共通点が見つかっていけばいくほど大切な存在になっていったこと覚えている。 私が苦しんだとき全てを話したのは君だった。 君の率直な言葉から私に強い力にしてくれたことを覚えている。 あのときの君の言葉がなれば、こんなに強い信念も持てなかったし、今の自分は存在していないと思う。 それくらい君は私の大切な心友になっていったんだよ。 私がツイで今まで君に見せなかった心を見せたとき君は私をツイから外したね。 嫌われたと思った。 でも私の全ての心を見て欲しかったから。 それくらい君と現実と過去を真っ正面から向き合いたかった。 偽った自分で居たくなかった。 全てをありのまま見て欲しかったんだよ。 ずっと心のそばにいるよ。 共に前を向いて歩いていこうよ。ねぇ。 辛い時は言えばいいんだよ。 負担なんて感じないよ。 お願いだから、もう心を閉ざさないでよ。 心があるから強く生きていけるんだから。
September 4, 2011
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ツイッターは自分を見つめ直させてくれる。 多くの気づき、発見が出来る場所。 いろいろと厳しいことも言われる。 が、厳しいことを言ってくれるということは心と心の会話が出来ている証拠。 認め許すこと。 これは口では簡単だが行動するとなると頭では分かっていても心は簡単にそうさせちゃくれない。 こんな言葉を言われて自分を見つめてみた。 私は今まで家族を許せなかったことに気づいた。 両親、兄弟。 事故したとき親がとった行動は私を守ることだった。 それはして欲しく無かったこと。 でも止めて欲しい、とは言えず。 あのときやめて、と言えなかったのがこの17年間ずっとされ続けた。 苦痛だった。 あと、姉と兄。 私に親を押し付けて自分達は心の望む生き方をしていたのが許せなかったこと。 なんで私だけが親の心から望む道を生き続けなければいけないのか? しかし、こんな許せない気持ちを持ち続けて生きても辛いだけ。 いっそ、苦しいけれどそんな事実を認めて許せたら、自然と家族に対する感謝の心も生まれて家族に対する気持ちも変わってくるはずだと。 心の望める環境も自分の力で創り出して行けると思う。 認め許すことは、つまり、全てを受け入れるということなんだと思う。 いつまでも子どものままではいけない。 私が大人にならないと。 ツイ仲間の皆 ありがとう。
August 14, 2011
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今まで心を無くし続けていたわたし。 生きる意味すら見失い・・・・ そんなときあなたと出会った。 あなたと出会ったのは8年前。 あなたは言ってくれたね? 誰にもまけないものは何か一緒に考えてみようかって。 そんなものやっと見つけられたよ。 でも、それは私が自立しない限り出来ないもの。 そんなものを見つけてしまい母を悲しませるかもしれない。 母の望む道ではないから。 でも、これだけは理解して欲しい。 4月から私は大学の研究室に通っている。 そこは男の世界。 だから男性しかいない環境。 つまり誰の温情にもすがれない場所。 そこへ私は飛び込んだ。 その環境で4ヶ月が経った。 今まで出来なかったことが少しずつ出来ていく。 それはなんで? 分かるよね? 今まで母は私を守っていたから何も出来なくしていたこと。 守られてそれに甘えていたから出来ることすら出来なくしていたということ。 その結論から もうそろそろ私を守り続ける役割から、遠くから見守ることが役割だということに気づいて欲しい。 意識転換して欲しい。 母は私を一生守り続けられる? そんなこと到底無理。 無理だったらそろそろ私に自分で自分を守ること、母に頼らないで生きていいく方法を修得させていくべきだと思う。 分かっているよね? そんなこと。母自体。 手放すのが怖い? 私は母が死んで1人で行きていくことすら出来なかったら私はもっと怖いよ。 そろそろ自分の好きなことを謳歌して怪我する前の優しい母に戻って。 分かるよ。 私が怪我して責められたり自分を責め続けたこと。 もう責めなくてもいいよ。 償うこともしなくてもいい。 今の母の役割は私を遠くで見守り続けること。 それだけでいいから。 お互い大人の親子になり楽しく会話しようよ。 お互い人生という時間を犠牲し合うのではなく。 それが出来たとき廻りにもたくさんの幸せを与えられるし誰にも負けないものも生かされるとき。
August 5, 2011
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私は怪我をしてから多くの人達の出会いがあった。 本当出会う人達によくしてもらっている。 その心が温情というギフトだったこと今、気づけた。 時にはそんな温情を拒んだ時期もあった。 拒んだのは、その温情に恩返し出来ない自分が居たから。 でも、今は拒む自分はいない。 だって、前を向いて歩き始められたから。 その温情は、私に正しい生き方を導かせるための温情だったことにも気づけた。 これからはそんなギフトを大切にしながら、自分の心から望む道を生きるから。 そんな心から望む道が生きられたとき、そんな温情を与え続けてくれた人達に恩返しが出来るときだろう。 温情というギフトをありがとう。
August 5, 2011
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「自分の親でも子どもでもない、ただの他人を大切に思い、愛することは奇跡だと思う。そして愛の本質は、奇跡の時間の過去と未来にまで及ぶ。相手の変えられない過去をも愛せるのか。どうしようもない運命を受け入れられるのか」女優 中江有里 この一文が目に留まった。 あなたが与え続けてくれた愛の意味がやっと理解出来たよ。 8年という年月、あなたは愛を与え続けてくれていた。 気付かなかった。 心を無くしていたから。 でもあなたは決して私に何も求めなかった。 愛に気付くまでずっと待ち続けてくれていた。 どれだけ歯がゆい気持ちになったことだろろうか。 あなたの愛は、無償の愛、を与え続けていたことを。 あなたは私の変えることの消すことの出来ない過去も、私のどうしようもない環境、全てを受け止めてくれた。 自分の与える愛に気付いた時、、私は前を向いて歩き続けられることをちゃんと知っていたんだね。 だから連絡も絶ち私に気付かせるために苦しませた。 それは愛がなけければ出来なかったこと。愛を押し付けたくなかったんだね。 私にあなたの愛がなければ私たちはそのときに終わりを告げていたいただろう。 成就するだけが恋愛ではない。 人の心を前のように輝かせるための恋愛もあってもいいよね? 例え、自分が辿り着く場所が自分の思いの場所でないかもしれない。 でも心から望む道を一生懸命生きていれば 例え叶わなくても最期死ぬとき、「幸せだった」と思える、最期に笑って死ねることを確信した。 なんでそう思ったかって? それはあなたの無償の愛を知ることが出来たからだよ。
July 31, 2011
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あなたと出会ったのは8年前。8年という年月をかけて私の心を蘇らせてくれたあなた。8年不安ばかりだった。しかし私はあなたを信じ続けた。そんな心を蘇らせてくれたのはちょうど1年前ある提案をされたことがはじまりだった。。。提案をされて迷走。迷走して7ヶ月後に答えが出た。そんな答えが教えてくれたのはあなたの深い愛。そんな深い愛を知ることで私の心は蘇った。提案でこんなことを導き出させてくれた。私の生きる役割怪我をして失ったもの怪我をして犠牲にしたものこの3つを導き出し、私は心から望む道も知ることが出来た。また心から望む道を生きるためのプロセスも導け。私に夢というギフトを与えてくれた。そんなギフトは彼だからこそ私に与えられたもの。彼でなければ与えられることもなかったもの。いや、私の苦しみを分かち合ってくれたからこそ、そんな答えが導けたのかもしれない。そんなプロセスは決して平坦なモノではない。いや、試練かもしれない。しかしそんなプロセスをすることでいろいろな気づきを知ることが出来る。そんな気づきを知ることで一歩一歩成長出来ている自分が居る。しんかし苦しみばかり。そんな苦しみや成長や気づきは、私の生きる糧になりそんな糧はいつしか自分を守る盾となると確信した。そんな糧は彼を守り続けることになりそんな糧はいつしか強さになる。あなたは言ったよね?出会ったときに。永遠の別れを訪れないようにしようと。そんな意味がわかったよ。私が、1人の人間として自立し共に尊敬し合える男と女になれた時がその時だと。そんな関係になれれば別れは永遠に訪れない。試練ばかりだけれど自分のチカラで乗り越えるからね。私にあなただからだからこそ与えることが出来るギフトをありがとう。私を探してくれてありがとう。
July 29, 2011
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私は怪我する前から自分を消したかった。 だから怪我する前は自分で自分を痛みつけていた。 痛みつけてどんどん自分の心は空っぽになっていた。 もう後戻り出来ないと思った時、事故をし、四肢麻痺という身体に。 なったとき、ショックはなかったと思う。 しかしそこから私は心を無くして生きた。 心が感じなければ生きるのは楽と思ったから。 心を無くしていたから、絶望ばかり。 希望なんてなかった。 希望もなく、動かなくなった身体を動かそうとする気持ちも生まれなかった。 ただ、過ぎていく時間を過ぎていくままに生きていた。 そんなとき、1人の人と出会った。 あなたは、私にこんな言葉掛けてくれたよね? 私が怪我する前出会えれば怪我することもなかったっていうと、怪我していなかったら出会えても知らないまま通り過ぎていたと思う。怪我した梨花だから気が付いたんだよっと。 そんな言葉を掛けてくれたあなた。 そこから私は少しずつ変われていった。 8年という月日をかけて私の心を蘇らせてくれたあなた。 眠り続けた心が目覚め、私は夢という希望が持てた。 今、辛いことばかり。 でも、そんな辛さを乗り越えられるのは夢があるから。 夢を持たせてくれたあなたが居るから乗り越えられる。 また前に進めなくなったら背中を押してくれる心友が居るから。 これはきっと神様が私に与えてくれた最高のギフト。 こんなに素晴らしいギフトを与えられたんだから必ず夢に近づいていかないと。 きっと私とあなたが出会えた意味があるとするのなら、必ず夢は実現出来ると確信している。 夢が実現したとき、出会った意味の答えも出るんだと思う。 だから自分を消そうとはしない。 楽しみはそれまで大切にとっておこう。 あなたと出会った意味探しに行く旅を楽しもう。
July 24, 2011
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私が再び夢を持ちはじめて、夢を実現するために動き始めて半年が過ぎようとしている。 再び夢を持つまでには迷走して苦しんだ。 迷走して自分を失いかけたときもあった。 今ではあんなに苦しんだ自分が懐かしくも感じる。 夢に確実に近づいているのかは分からないけれど、半年前より、いや、怪我した頃と比べるとかなり自分なりに成長出来た自分が居る。 怪我した頃は、人を拒否し続けた。 自分の心を許す相手しか私は心を開こうとしかしなかった私。 しかし今は多くの人達に心を傾けるようになれた。 私は怪我し、男性を拒否し続けた。 今は男性を拒否しない自分が居る。 これは成長。 今は大学へ行き男子学生に頼むことも平気になり、病院に行き男の先生だとすごく嫌で。今は先生も平気。 リハビリも男の先生だが、平気。 これは、事故した心の傷から乗り越えようと心が動いている証拠なんだ。 本当に心から望む道も探せてそれが今は夢となり夢を実現するために前を向いて進んでいる。 心から望む道を探すことが出来たのは、あなたのおかげ。 あなたは私を迷走させて苦しませた。 苦しませたおかげで、事故からの苦しみも乗り越えられた私が居る。 あなたに近づけるように成長して自分の手であなたの元に行くから待っててね。
July 23, 2011
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気付いてほしくて母を攻撃していた私。 そんなことをしていても溝は深まるだけ。 私の再び持つことの出来た夢もだんだん遠退いていってしまう。 まずは、母を安心させて私と離れて幸せな気分になってもらうことだと。 口では簡単なこと。 いざそれを実行に移すの今の私は難しい。 怪我して今までずっと何もかも親任せにいきてきた。 だから親にはいつまもでも私は子供のまま。 お金の管理も全て親が私のことをしてしまう。 親がいつも私より前にきてやりはじめる始末。 もう1人でも大丈夫なんだということからはじめないと。 安心させながら自分で少しずつ自分のことはしていかないと。 母が私と離れて幸せな気分になり安心させれば、もう私を手放すことも出来るし自分の残りの人生を謳歌しようと気付いてくれる。 たくさんクリアしていかなければ行けないことだらけだけれど、トライしていこう。 苦しいけれど。。 もう母を攻撃するのではなく仲良くしていこう。 それを気付かせてくれたのは8年思いを寄せ続けている彼。 ありがとう。 好きな曲。 http://www.youtube.com/watch?v=_l-3aGwv2v0
June 29, 2011
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私は今まで怪我をしてから多くの人達の温情に守られながらいきてきた。だから本当苦労知らずに生きてきた。今ある生きるための大きな壁は自分の力で乗り越えなければいけないんだ。そう言い聞かせていてもいろいろなことに挑戦していくといつも同じ壁にぶつかる。そんなに壁は私が今まで頼りきって生きてきたモノ。そんなモノを攻撃している自分が今居る。攻撃したらますます自分の達成しなければいけないものに遠退くことは分かっている。しかし攻撃している自分が今居る。そんな攻撃してしまうもの。それはその人にしてみれば今まで生きるための武器であり生きる支えだったもの。そんなモノを攻撃してしまう。その人にしたら悲しいことは分かっている。しかし気付いて欲しい。自分の力で。これからの人生は今までのものを手放していきていかないことを。あなたの人生を謳歌することが周りも幸せにすることを。もうひとりで背負い込まなくてもいいということも。必死になるからこと攻撃してしまうんだよね。しかし相手はそう受け止めていない。自分はもう必要の無い人間と思い込む始末。難しい。。。。。
June 25, 2011
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最近いろいろなことが重なり自分を見失っていた。 本当に心から望む道が知ることが出来てその道を進んでいた私。 しかし生きていればいろいろなことがある。 人間関係に苦しんだりどう進めばいいのか分からず私は次第に自分を見失っていった。 自分を見失っていることも分からなかった。 大事な心友に言われた。 今の梨花は自分を見失っているよと。 言われてハッとした。 見失っていたから苦しみ自分の心か弱っていたことに。 だからどう進めはいいのか分からず母を攻撃していた自分に気づいた。 8年好きで居る人も今の私に見兼ねて4ヶ月ぶりに声が聞けた。 その声にはいろいろなヒントをくれてこれからどう進むべきかも知ることが出来た。 迷走しそうかなと思っていたけれど自分を取り戻せて再び私は歩き出すことが出来た。 心から望む道をまた歩み出します。 人はひとりぢゃないから人にいろいなことを気づかせて人共に生きていくんだね。 ありがとう。 あなたに。
June 11, 2011
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怪我をしたのは17年前。 怪我をして身体の自由を無くしてしまった私。 身体が動かない現実を受け止めるのには長い時間がかかった。 うーん。 受け止めていると思っていたが心は全然受け入れていなかった自分に気付いた。 受け止めることが出来ず、いや、周りの人達が望む生き方をしなければいけないと思っていたからなんだろうか。 事故をして怪我をした記憶もなければ、気が付いたら知らない間に動かない身体になったことを言われて、頭では理解していても心は受け止めていなかったのだろう。 そんな心と向き合うのが怖くて、逃げていた自分にやっと気付けた私。 向き合えたことで全て間違って生き方をして周りも間違った生き方をさせていたことにも気付けた。 そんな気付きに出会えたことに感謝。 今まで心を無くして生き続けた人生。 これからは心を無くしていた時間を取り戻して自分の人生と言う道を自分の足で切り拓いていく。 それを気付かせるために私を突き放してくれたあなた。 この気付きに出会えてあなたの愛にも気付けた。 ひとりで歩いていく私を遠くから見ていてね。
May 25, 2011
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私は怪我してから人を拒否していた。 人を拒否していたのはきっと弱い自分を見られるのが怖くて、また何も出来ない自分を認めるのが怖くて辛い現実から逃げていた。 その逃げがいつしか人を拒否していってしまった。 また事故をしたことの心の傷もあったと思う。 事故のことは誰にも触れられたく無いことだったから自然と人を遠ざかることに繋がっていった。 好きな人はいいけれど嫌いな人はとことん受け付けないという行為になっていった私。 次第に仲間すらも心を閉ざしてしまい、人と距離を置くようになっていた。 でも、迷走して、眠り続けていた心が目覚め心を蘇らせることが出来たとき、次第に変わっていった自分が居た。 母から離れて自分の意志を示さない限り誰の温情にすかれない場所に入れられた時自分で必死でしても出来ないことは人にお願いする、ということが分かったときだった。 仲間が居るから失敗が出来る。 仲間がいるからこそ支え合える。 仲間がいるから笑い合える。 仲間が居るから悩める。 仲間がいるから乗り越えられる。 仲間だから頼れる。 人は決して1人では生きられない。 親はいつまでも居てくれるとは限らない。 やはり周りの人達、仲間に頼りながら生きていかなければいけないんだよね。 この歌で教えられた私。 ケツメイシ 仲間 http://www.youtube.com/watch?v=Dv5t5UXOUuA
May 18, 2011
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迷走してからの自分のブログを読み返していた。 私がこんなにわがままで生意気なことが言えるのは、それは守られている環境にいるからだということに気づいた。 守られているから失敗も出来る。 いろいろな挑戦も出来る。 挑戦が出来るのは例え失敗してもそれをフォローしてもらえる人に囲まれているからだということに気づけた。 そんな挑戦か出来る環境に居られることも幸せだと思う。 きっと怪我して車椅子にならなければこんな気づきにも出会うこともなかったと思う。 私の親は決して素晴らしい親ではない。 でも、1つだけ言えること。 それは怪我をして私を守り続けてくれたことは感謝している。 またたくさんの愛を注いでくれたことは感謝している。 自由ということから私から奪い、親を憎んだときもあった。 でも、そんな環境を創り出してくれたのは、両親だということにも気づけた。 面と向かって言えないけれど、 いつも生意気なことばかり言っているけれど、そんな私を愛し続けて支えてくれてありがとう。 お父さん、お母さん。 これからもよろしくね。照
May 15, 2011
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私は怪我して依存してしまった。 依存は私を駄目にしていった。 挙げ句の果てには自分で解決すら出来ない人間になっていた。 自分で考え自分の意志を示して生きることすら出来なくさせていた。 周りは私に与えるばかりで自分で掴みに行くことすら出来なくさせていき、私は次第に与えられることが当たり前となり次第に傲慢になっていった。 そのままでは私も駄目になり周りも駄目にさせていくと立ち上がってくれた人がいた。 その人は私に厳しさを与えて周りの依存を私自身で気付かせてくれた。 その気付きに出会え、私は決意した。 今まで廻りに依存していた手から離れようと。 依存は次第に支配に変わっていき、支配から私を前に歩かせなくさせていたと。 しかしそれをするのは辛い時もある。 それは母。 母は私のことが心配でいつも私の傍に居て監視していたいという心が強い人。 いや、私が依存してしまったから母もそうさせてしまっていた。 そんな手から離れるために自分で考えて自分の意志を示すようにしている。 そのためには母と離れること、もう母の言いなりになってはいけない。 自分の意志を示さないと。 今まで一緒にいたのに離れていくのは母にしたらさぞかし辛いだろう。 しかしそれは私がしないといけない。 周りはそう思っていても言えることではない。 本人だから強く言える。 私の信念が強ければ強いほどいつかは母は私の気持ちを理解してくれると信じている。 依存も無償の愛の1つ。 そんな愛はいしつか消える。 消えるからこそ、今しなければいけない。 消える愛だからこそ、そんな支配からの卒業は無償の愛に返す愛だと思っている。 依存は、いつしか支配に変わり私を自由に生きられなくしていたことに気付いた。 依存したのは私だから私が招いた孤独だった。 でも、私は気付けた。 自由は支配からの卒業であり、そんな支配されず生きることが自由を手に入れることだと。 母も自由に生きて私を一生守り続けることではなく1人の人間として謳歌することだと。 お互い1人の人間として生きること。 それは己も活かして周りも活かすことだと確信している。
May 13, 2011
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やっと気づけた私。 それは、8年思い続けている人が私に何年も言い続けてきていてくれたことにやっと気づけた。 それは母との依存。 怪我をして何も出来ないという心から私は母に依存してしまった。 依存は私に何もしないという無気力を招いてしまいいつしか母がいないと生きていけないという思う気持ちから母の望む道を生きることを自然に選択しながら生きていた自分に気づいた。 母の望む道を生きなければいけなかったから心も無くして生きていた。 そんな心を無くしていたから自分が間違って生き続けていることも気づかずこれが正しいと思い込んで生きていた。 だから何年も言い続けられても気づこうとしなかったんだと。 そんな間違いに気づくことになったのは、迷走からだった。。。 迷走している時は本当苦しんだ。 しかしそんな苦しみから逃げなかった私。 逃げなかったからこそ、今、心から望む道が見つけられたと思う。 そんな心から望む道が見つけられたことで眠り続けていた心が目覚め心を蘇らせれることが出来た。 心って凄いパワーだと改めて思う。 心を無くしている時は生きること自体苦しかった。 心の凄さを感じられるのは心を無くして生きていたから感じられることであり、心を無くさなければ心のパワーも知ること無く生きていたと思う。 今、私は心から望む道を歩み始めた。 頑張っているつもりはない。 心から望む道だから心が動いているだけ。 心が勝手に動いていく。 きっと今まで人が成し遂げられないことを実現して来た人は心から望む道だったからこそ、苦しくても苦しみとは感じず成し遂げようという一心から成し遂げられないことを1つ1つ掴み取りにいけたんだと思う。 それは奇跡ではなくその人の努力の結晶。 奇跡なんていう言葉を使うことは成し遂げないことを実現させた人に大変失礼な言葉だと思う。 奇跡ではなく努力の結晶なんだから…。
May 12, 2011
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私はやっとあの苦しみから抜け出し前に進めた。 あの苦しみとは、事故をした心の傷から。 苦しみから抜け出せたのはやはり眠り続けた心が目覚め心を蘇らせてくれたから。 頭では理解していても心が歩き出せなかった。 心を無くしていたから依存して生きていた自分にも気付かずこれが正しいと思い続けて生きていた。 周りの温情にも気付かず。 私は今、一歩一歩自分の足で歩き出そうとしている。 自分の意志を示して生きている実感を味わうために。 不思議だけれど、私が自分の足で踏み出したとき、自然と周りも協力してくれる。 きっと周りも私に自分の足で踏み出してほしくてあれこと私に与え続けてくれていた。 それが私にはプレッシャーに感じて苦しいときもあった。 私は今まで人を拒否し続けて生きてきた。 だから心を開くこともなく、自分の殻に閉じこもり続けた。 でも、これからはいろいろな人達に心を開いて今まで見ることの出来なかった景色をたくさん見ていろいろなものを吸収していきたい。 そーすることによって自分らしく輝くことが出来、今まで温情を与え続けてくれた人達に恩返しが出来、好きな人にも近づける。 失敗も怖れることなくいろいろなことに挑戦出来る。 今まで犠牲にして生きてきた時間も取り戻り戻せるはず。
May 1, 2011
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半年以上、迷走した私。しかし迷走して教えてくれたことがある。それは最期に辿り着く場所を。最期に辿り着くところを気付かせるために迷走したんだと思う。最期に辿り着く場所を教えてくれたからこそ、今、自分がしなければいけないことも気付かせ本当に心が望む道も教えてくれた。今まで間違った生き方をしていて周りをも間違わせた生き方をさせていたことも気付けた。迷走は、いろいろな気付きに出会わすために与えられるもので無駄には与えられない。そう確信した。迷走したおかげで心から望む道が出来たからこそ、心も取り戻せた。また生きる術も教えてくれた。彼は、私に言った言葉がある。迷走する前、君の人生を変える提案をすることになるって。はじめはそんなことを理解出来なかった。今、理解出来た。私の心から望む道を知ることで最期に辿り着く場所を知ることになることを。今、そんな心から望む道を歩み始めた。不思議だけれど、前までは生きるのが辛かった。今は生きることが楽しい。それは心を取り戻して自分の意志で生きることを蘇らせたから。これから私は1人の人間として自分の心から望む道を歩むことで最期に辿り着くところに辿り着ける、そう、確信している。そう生きることが周りも笑顔にさせて、己も生かせ、周りも活かす。
April 24, 2011
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迷走はしたけれど、本当に心から望む道が出来た。また自分が心から望む道を歩むブロセスも思い描けた。あとは行動するのみ。私がそんな心から望む道が歩めなかったのは、私は周りが喜ぶことばかり考えて生きて心を無くしていたから。だから自分が本当に心から望む生き方が出来ず苦しかった。私が生きていた道は周りをも間違った生き方をさせてしまっていたことに気付いた。それに気付かせてくれたのは、8年間思い続ける彼が私に提案してくれたことからら導くことか出来た。彼には全てを話していた。だから出会ったときからそんな内容は言い続けてくれていた。しかし私は心を無くしていたから気付くことも出来なかった。私は母はたくさんの愛を捧がれた。しかしそれは次第にお互いを依存というカタチを招いていまい、お互い1人の人間として生きられなくしてしまい、依存しているから全て母に頼りきり母が居ないと生きていけないということを植え付けてしまった。出来ること出来なくしてしまい、何1つ自分のチカラでは解決すら出来なくさせていた。依存も無償の愛の1つのカタチ。しかしそんな愛はいつまでも与えられない愛。いつかは消えてしまう。いつかは消えてしまうからこそ、消えても1人で前を向いて生きることが母の無償の愛の返す愛だと知った。それを知ったことで本当に心から望む道も分かった。これからはそんな自分が心から望んだ道が本当に心から望むことなのか確かめる旅かもしれない。心から望むことならば、苦痛も迷いもないはず。苦痛を感じたのならそれは進むべき道ではないのかもしれない。今、心から望むことなのか確かめる旅をしています。
April 15, 2011
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この8ヶ月迷走し続けたわたし。 迷走してわかったこと。 それは、迷走は決して無駄には与えられないということ。 気付かせるために与えられるもので、その気づきに出会えたとき、人は今まで前に進めずいた自分を前に進ませてくれることを教えてくれた。 迷走してココロもカラダもずズタズタだった。 しかしこの痛みを感じたことで、本当に自分は何がしたいのかが明確となった。 私は怪我をしてから自分の意志で生きるというより、自分が何をすることで周りが喜ぶかを考えて生きていたためココロもずっと無くしたままだった。 迷走して愛に気づけて私は無くしていたココロも蘇らせてくれた。 また怪我してずっと持ち続けていたココロの傷とも向き合う自分も居た。 向き合うことで自分の弱さも知ることが出来た。 今、そんなココロの傷と向き合えたことで言えること。 それは自分の弱さを克服したとき、2度と同じ間違いを繰り返すことはない、ということ。 生きていればいろいろな誘惑がある。 しかしそんな欲望をコントロールすることで決して誘惑に負けることはない。 夢は与えられるものではなく、自分で掴み取りにいくもの。 夢を掴み取りにいくことでいろいろな人生の糧を得て、自分の成長を果たしていく。 そうすることで夢は必ず自分で引き寄せて掴み取りにいける。 もう迷わない。
April 9, 2011
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今回の東北大平沖地震は私に衝撃か走った。 誰もがそうだろう。 ニュースで見る映像、ネットで見る画像、新聞記事で目にする地震の様子は大きな悲しみに包まれた。 自分が何が出来るのか考えてみた。 私は17年前事故をして車いすになった。 しかし今日こーして生きて来られたのは周りのいろいろな支えがあったからだ。 支えられる側から支える側になることだと。 今回の地震は津波が多くの命、多くの大切なモノを奪い流された。。 しかし流されなかったものもある。 それは愛、絆、思いやり。 これらを最大限生かす支援こそが真の支援であり、支える側の役割だと思う。 自分の出来ることを考えて行動行動。 日本は必ず゛立ち直れる。
March 31, 2011
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やっと17年が経ち私は事故からの苦しみ、要は心の傷から解放されたのかもしれない。 私はずっと17年間事故の苦しみと背中合わせで生きてきた。 事故で受けた心の傷は癒えることはなくずっと自分に持ち続けて生きてきた。 苦しかった。 苦しかったからこそ、心を無くして生きなければいけなかった。 償いと感じてお人形さんとしか生きられなかった。 しかしそれは償いではなく母をも間違って生きさせていたことに気付いた。 母は私が事故をしてこんな身体になり母も心の傷を負った。 母は私が事故をしたのは自分の責任もあると感じいつしか私を守って生きていくことが母の役割と強く思わせ干渉も強くなりいつしか私は心を無くしていたため自分で考えるということも無くなり生きるチカラもなくなり無気力にしか生きらなくなっていた。 それを痛感した周りの人達は私に温情を与え続けた。 しかし私はそんな温情にも気付くことも無く生きていた。 その温情は私に心を無くさず1人の人間として生きて欲しいことに気付いて欲しかったからこそ周りは私に温情を与え続けてくれたことを知り心を取り戻せた。 またある人はそんなことを何年も言い続けてくれたけれどそれを愛とは気付かず生きていたからこそ気付かず生きていた。 しかしそれは愛と知った時いろいろな気付きに出会えた。 愛と知った時、今まで逃げていた事故をする前の自分とも向き合えた。 向き合えたことで私は事故をした最大限の過ちにやっと気付けた。 それは欲望が強すぎたこと。 欲望が強くてコントロール出来ず私はどんどん見失っていった。 だから事故をしたという過ちに気付けた。 あのとき欲望をコントロール出来ていたら間違いは無かっただろうと。 そんな自分を見られるのが嫌で私はずっと心を無くしてたことにも気付けた。 人間というのは、天使と悪魔の心が居る。 表面は天使の心を見せて内面は悪魔の心。 そんな悪魔の心は毒がある。 そんな毒と向き合ってこそ、本当の自分が見えてくると思う。 そんな毒と戦うことが自分との戦いなんだと思う。 そんなことに気付けたら、これと決めたことをやり通さなければ。 そんな姿が生きるチカラを創り出し人が輝く瞬間であり、人が精一杯生きられるとき。 人間ってもろい。 もろいからこそ、いろいろな経験を積みながら生きるチカラとともに自分の手で掴みにいくことが希望を創り出すんだと思う。 そういうチカラが人を救え生きる原動力を与えるんだと。 それをすることで日常を取り戻していけると思う。
March 25, 2011
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私は怪我をして親、周りの人達の温情を与えられながら、そんな温情に守られながら生きてきた。 そんな温情にいしつか依存してしまい、温情を与えられるのか当たり前となり、いつしか不満ばかりを持つようになっていた。 そんな姿を見かねた8年思いを寄せる彼にこんなコトバを突きつけられた。 「1人の人間として、誰の温情にすがらない方法を掴み取ってほしい」を残し私と連絡を絶たれてしまった。 ショックだった。 考えた末、全ての温情を絶つこと、が必要と感じ、絶っても与えられる温情に苦しんだ。 そんなときある気づきに出会えた。 周りの人達は私に温情を与えることで、私に心を開いてほしかった、心を取り戻してほしかった、依存する心に気付いてほしかったのだと。 それを知り,温情はニコッと笑い受け取るべきものだと知った。 温情 愛の表現の1つ。 私は温情に守られながら生きてきた。 すなわち、愛をたくさんの人達に与えられながら生きてきたんだと痛感させられた。 それは愛と気付かず。 人生は自分のもののためと思っていた。 が、それは違うと。 私は多くの人達にいろいろなことを託されながら生きてきた。 そんな託されたことを実現していかねばいけないと強く思った。 この言葉が心に響いた。この人はツイッターで私の背中を押し続けてもらえた人の言葉。 「私には何も与えるものがない、といった人に、そんなことないよ。人からの温情に対して、「ありがとう」と笑顔で答えることも、立派に与えることになるんだよ。って答えた。すると、ニコッと彼女は微笑んで「ありがとう」といって、嬉しそうにその言葉をかみしめていた。 」 ありがとう。
March 6, 2011
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私は17年前17歳の時に事故が原因で四肢麻痺になった。 事故原因は自らが犯した過ちから。 これから心を無くして生きることが全ての償いと思い心を無くしながら生きた。 しかしそれは間違いと気付いた。 そんな間違いに気付かせてくれたのは、周りの人達が私に与える温情からだった。 その温情をはじめは拒み続けた。 それは間違いに気付くのが怖くてごまかしながら生きていた。 いつしかそんな温情に依存していた自分に気が付いた。 心を無くして生きていた方がラクだと思い込んでいた。 しかし心を無くして生きれば生きる程生きるのが辛くなって来た。 いつしか自分で自分を苦しめて前に進めなくなっている自分がいた。 あげくの果てには、母に依存して母に操られる人生を歩むことしか出来ない自分になっていた。 それらの気付きに出会えたのは、8年好きな彼の深い愛を知ったときだった。 迷走して苦しんだ。 しかし愛を知り1つ1つパズルが解けていった瞬間でもあり、そのとき心を取り戻すことが出来た瞬間だった。 これからはそんな母に依存するのではなく1人の人間として生きて行くこと、それが私の心を取り戻すこれからはじまるトレーニング。 それらをしていけばいろいろな困難が伴うだろう。 しかし私の進むべき道は定まった。 そんな定まったゴールだけを見つめていくこと、それが夢を実現出来、温情を与え続けてくれた人達の恩返しと思う。 しかしそれらをすることで忘れて行けないことがある。 それはとらわれず、こだわらず、かたよらない、欲を出さないこと。 欲を出したらそれに囚われて自分を見失ってしまう。 怪我する前と同じ間違いを犯してしまう。 だからこそ、心をなくしていけないのだ。 きちんと心の眼でみること、それがカギになりそうだ。 謙虚に前向きに楽しく掴み取りたい。。。
March 4, 2011
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迷走した。 迷走のはじまりはある人の提案から。 ある人とは私の好きな彼。 そんな彼との出会いは8年前。 そんな彼が与えてくれた提案は私に気付きを与えるためだった。 それは、自分の役割、事故して失った物を気付かせてくれたこと、私が怪我をして犠牲にして生きていたものを気付かせてくれた。 それらは彼だからこそ、私に与えて気付かせてくれたことが出来たもの。 彼には心から感謝している。 彼は、最後の決断、として提案してくれたこと。 これ以上失って欲しくないため、1人の人間として自立してほしいためにに彼は1つの勝負に出てくれた。 迷走したのは、提案されたことが出来なかったことではない。 彼の意図が読めなくて迷走がはじまった。 彼の意図が分かりそんな迷走は終止符。 これからは自分が正しいと思った道にただひたすら進むだけ。 頑張らなくてもいい。引き寄せられるままに進めばきっといつかは夢は実現する。 頑張るって言葉は一見前向きに聞こえる。 が、実は寂しい言葉ということを知った。 頑張って苦しませるということは、誰も望んでいない。 笑顔を取り戻してほしいだけ。無くした心を取り戻してほしいだけ。 これからは頑張るという表現から楽しみます、という表現を使いたい。 彼が与えてくれたギフト。 それは私の全て、苦しみや悲しみをを知るからこそ、苦しみから救ってくれたことだった。 この不自由になった身体と、彼との出会いは、私の財産。 やっとそんな言葉が言えるようになれた。 ありがとう。
February 27, 2011
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6年前、ネットでひとりの女の子と知り合った。 当時21歳の大学生の子。 夢に花嫁になること、と書かれていた。 なんで大学へ行っているのにそんな夢なんだろうと不思議に思ったが出会いのはじまりだった。 話していくとお互い共通の男性知り合いがいることが判明。 仲良くなるのには時間はかからなかった。 話していくと生まれつきの心臓病という病気を持っていた。 あるとき、話していて、自分の命があと数ヶ月しかないと告白された。 意味を理解するのには時間がかかったと思う。 しかしだから、花嫁さんになりたかったんだと、理解出来た。 そんな彼女は好きな人と結婚。 そんな新婚生活を1ヶ月過ごして背中に2枚の羽を付けて天国へ旅立った。 彼女は残された時間を1度は好きな人と連絡を絶った。 それは少ししか生きられない自分が傍にが居ることは彼を苦しめると考え彼女は彼の前から姿を消した。 消えたものの彼のことは忘れず、再び彼女は探すことを決断した。 彼を探すことで彼女は生きるチカラを掴んだ。 再会して彼女は彼の深い愛を知った。 それは彼は彼女に残された時間を自分の人生を捧げる覚悟はしていた。 それを彼女も1度は拒んだ。 が、彼の心が本物の愛と知り受け入れて夢であった花嫁になることを実現して、天に旅立った。 彼女が彼と連絡を絶った後、彼女は昏睡状態に陥った。 そのとき彼女は意識がない中ずっと彼のことを思い続けていたと話してくれた。 そのとき、彼女は、怒り→焦り→不安という心の葛藤を乗り越えていた。 死の恐怖心も乗り越え、1つの悟りを得たからこそ、彼を探す決断が出来たんだと思う。 彼女は今死んでもおかしくない状況だった。 そんな彼女が生きようとしていた原動力は生きるチカラ、愛、夢だったと。 生きるチカラ、夢、愛が彼女の心に宿った時、彼女は最高の幸せを掴み取った。 そのことを理解するのに、私は彼女の死から6年という月日を要した。 それは彼女が必死に生きた姿を私は見たからこそ、また何かを自分の手で掴み取りに行く覚悟が私にも出来たからこそ理解出来たのかもしれない。 最後に彼女は亡くなる時、彼にこんな言葉を残してこの世を去った。 「あなたと出会えて私は最高に幸せでした」と。。
February 25, 2011
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ここ半年本当に迷走した。 迷走したのはある人からの提案。 迷走したけれど迷走したからこそ、自分で考える、ということを再び思い出せた。 きっと提案してくれた人も、私は怪我して自分で考えるということ失っていたため、取り戻すために提案してくれたと今は確信している。 それが分からず迷走し、簡単なことなのに出来ない情けなさ。。 迷走から確信へと変わったのは、苦しんでもがいたけれど、最後の最後まで自分で考えるということを諦めずに出した答えだったからそれが確信へと変わった。 自分で最後まで考え抜いたからこそ、そんな信念は強く簡単に崩れず壊れにくいもものに築き上げられたからそれはいつしか確信へと変わった。 人に流された答えならそれはもろく崩れやすく確信へとは引き寄せられなかったと思う。 だからある人は1人で考えさせるという道を私に与えたと思う。 考えるということは、この自然界では人間にしか与えられない技。 そんな人間にしか与えられない技を生かして生きること、それが生かされている自分に近づくと思う。 私が出した答えは決してブレることはないだろう。
February 22, 2011
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