―― 伎芸(ぎげい)型おもてなしの原点は、あの売場にあった。
昭和 57 年 4 月。私は東京スタイルに入社し、
百貨店アパレルの黄金期を全身で経験した。
東京スタイルの売場は、ただ商品を並べる場所ではない。
「お客様の感性を見抜き、即興で演じる舞台」
が繰り広げられていた。
営業マンとして、試行錯誤していた時代でした。
インショップという “ 自分たちの小さな劇場 ” 。
ブランドの世界観を一つの舞として表現し、
照明・陳列・会話・姿勢、そのすべてを使って
お客様を “ 物語の主役 ” に導く。
私が後に名付けた 伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道 ――
その原点は、まさにここにあった。
―― 礼儀と緊張感が、人を美しくする。
東京スタイルは「軍隊」と呼ばれたほどの厳しい社風だった。
売上は絶対。支店長も新人も、数字から逃げられない。
朝礼の空気、報告の言葉、姿勢の角度に至るまで、
プロとしての矜持を問われた。
けれどその厳しさは、単なるしごきではなかった。
そこには、
「売場に立つ者は、人の心の温度を下げるな」
という無言の哲学があったのだ。
● 靴を揃える
● 胸元の名札を整える
● 立ち姿の “ 軸 ”
● お客様が来た瞬間の目線の上げ方
これらは、後に私が体系化した
伎芸= “ 技(わざ)と芸(こころ)で相手を晴れやかにする力 ”
そのものだった。
技だけでも冷たい。
心だけでも届かない。
技と心が溶け合った瞬間に、お客様の表情は明るくなる。
昭和の厳しい現場は、その真理を教えてくれた。
―― 伎芸型の「変化を恐れない精神」を持てなかった会社
昭和の東京スタイルは、百貨店アパレルを支える巨大な力となった。
だが平成に入り、環境は大きく変わった。
ユニクロ、 SPA 型、低価格化、多様化 …… 。
東京スタイルは、
「完璧な勝ち方を覚えすぎた組織」
だった。
成功体験は企業を支えるが、同時に縛りにもなる。
一方、伎芸型おもてなし商売道は
**“ 変化に応じて自分を調律し続ける ”** 哲学である。
同じ環境、同じ言葉、同じ売り方に固執しない。
相手の感性に寄り添い、空気を読み、
その場その瞬間に合わせて表現を変える ―― 。
東京スタイルが変われなくなった頃、
私はロコレディへと舵を切った。
あの時私はまだ言語化していなかったが、
心の奥ではすでに
**
伎芸型の “
しなやかな商い ”**
が芽を出し始めていたのだと思う。
―― 昭和の学びが、令和の笑倍(しょうばい)へ進化する。
東京スタイルで過ごした 5 年半は、
まさしく私の “ 商人人生の修行 ” だった。
・売場を舞台とする演出力
・お客様の心の温度を読む洞察力
・礼儀作法を徹底する所作の美学
・数字に向き合う覚悟と責任
・仲間を守る “ 商人の矜持 ”
これらはすべて、
ロコレディが掲げる 伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道 の
大切な柱となった。
伎芸型は、豪華さでも派手さでもない。
** 人の感性に寄り添う “ 静かな美しさ ”** である。
昭和の厳しい現場で叩き込まれた「礼節」と「現場力」が、
今では地域の笑顔を増やす “ 笑倍(しょうばい) ” のエネルギーとなった。
東京スタイルで流れ始めた “ 商人の血 ” は、
ロコレディの現場を通して、より温かく、より優しく、
令和の時代にふさわしい形へと進化し続けている。
―― 厳しさの中にあったあの美しさは、
今も私の中で息づいている。
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