全3044件 (3044件中 1-50件目)
題名雨の日だから生まれた「快輪(かいわ)」⁇―道の駅常総、コロッケキッチンカーで感じたこと―雨の日には、雨の日の商いがある9月6日、日曜日。12時30分ごろ、私は道の駅常総のコロッケキッチンカーに向かいました。この日は雨。時折、かなり強く降ってきました。私はお帰りになるお客様に、「雨が強くなっています。足元に気をつけてお帰りください♪」と声をかけました。考えてみれば、この一言は商品を売るための言葉ではありません。コロッケを買っていただけるかどうかも関係ありません。ただ、「無事に帰っていただきたい」という気持ちから出てきた言葉です。私は、こういう何気ない一言も、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道では大切だと思っています。晴れの日と雨の日では、お客様の気持ちも行動も違います。マニュアル通りではなく、その日、その時、その人に合わせて「今、自分に何ができるだろう」と考える。雨の日には、雨の日の最適解があるのです。高校生にいじられるのも商いの楽しさ午後になると、群馬県から高校ハンドボールの選抜チームが立ち寄ってくださいました。茨城県内で練習試合を終え、帰る途中で道の駅常総に寄られたそうです。監督さん、コーチさん、親御さん、そして女子高校生が15人ほど。約40分間の休憩でした。すると女子高校生たちが、年寄りの私を、いじる、いじる(笑)。私も一緒になって楽しませてもらいました。そして記念写真の撮影までお手伝いしました。監督さんから、「近いうちに茨城県内で本試合があります。また寄らせていただきます」とうれしい言葉をいただきました。私はここに、商いの原点があるように感じます。「売った、買った」で終わるのではなく、「また会いたい」「また寄りたい」と思っていただく。商品をきっかけに、人と人とのご縁がつながっていくことも立派な商いではないでしょうか。負けた時こそ「次はカツゾー!」その後、中学生のサッカーチームもご来場くださいました。雨の中で試合をして、「今日は負けちゃったんです」と話してくれました。そこで私は、「それならメンチカツ、コロッケを食べて、次回はカツゾー!」と声をかけました。ほんの小さなダジャレです。しかし、監督さんからお礼を言っていただきました。勝った時だけがスポーツではありません。負けた時に、次へ向かう気持ちを持てることも大切です。コロッケ一個で試合に勝てるわけではありません。それでも、コロッケ一個と一言の会話で、少しでも笑顔になってもらえるなら、それも私たちにできる「おもてなし」だと思います。笑い、お客様から教えていただく商いこの日は、30歳代のご夫婦、50歳代のご家族、70歳代のご夫婦など、本当に幅広い世代の方々と談笑しました。近くの温浴施設から帰る途中に立ち寄られた30歳代半ばくらいのご夫婦とは、特に笑いました。最後には、「笑いすぎて、腹が減ってきました。おじさん、もう笑わせないで〜」と言われました(笑)。私は思わず、「笑って、お腹が減って、コロッケを食べる。最高じゃないですか」そんな気持ちになりました。さらに、ご夫婦ともに理学療法士をされている4人家族とも出会いました。千葉県生まれで、現在は埼玉県にお住まいとのこと。今度は私がお客様から、健康な体づくりについてお知恵を拝借しました。ここが、私は大切だと思っています。お店側が一方的に「教える」「売る」「サービスする」のがおもてなしではありません。時には、お客様から教えていただく。笑わせるつもりが、こちらが笑わせてもらう。元気にするつもりが、こちらが元気をいただく。そこに上下関係はありません。だから私は「会話」を、あえて「快輪(かいわ)」と考えています。人と人との心が快く回り、その輪が次の人へつながっていく。これこそ、私が考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道です。売上げも大切です。利益も出さなければ商売は続きません。しかし、数字だけを追いかけていたら見えなくなるものがあります。「また来るね」「楽しかったよ」「次は勝つよ」そんな言葉は、決算書には載りません。けれど、その積み重ねが、やがてお店の信用やファンづくりにつながっていくのではないでしょうか。雨が降った9月6日の日曜日。決して商売に適した天気とは言えなかったかもしれません。しかし、雨だったからこそ生まれた会話があり、笑顔があり、ご縁がありました。晴れの日には晴れの日の商いがある。雨の日には雨の日の商いがある。その日の「最適解」を、お客様と一緒につくっていく。やっぱり商いは、面白い。そう感じさせていただいた、雨の日の道の駅常総でした。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.09.06
コメント(0)
題名負けても、私は中日ドラゴンズファンです。気がつけば60年以上私は、中日ドラゴンズファンです。子どもの頃から応援していますので、気がつけば60年以上になります。これだけ長く応援していますと、単に「好きなプロ野球チーム」という存在ではなくなってきます。勝てば嬉しい。負ければ悔しい。連勝すれば、「今年はいけるぞ!」と期待する。ところが連敗すると、「どうしてなんだろうなぁ〜」と考えてしまう。それでも翌日になれば、また試合の結果が気になっています。優勝した時代も知っています。強かったドラゴンズも知っています。だからこそ、現在の長い低迷は、やはり寂しく感じます。もう一度、優勝争いをしてほしい。そして日本一になってほしい。これは60年以上応援してきた、一人のファンとしての素直な願いです。強い時だけ応援するのがファンなのか?しかし最近、ふと思いました。「勝つから応援する。それだけがファンなのだろうか?」強い時には応援して、弱くなったら離れていく。もちろん、それも一つの楽しみ方でしょう。でも私は、負けてもドラゴンズファンでいたいと思っています。考えてみれば、人生も商いも同じではないでしょうか。毎日、勝ち続けることなどありません。商いをしていても、売れる日もあれば売れない日もある。一生懸命考えた企画が、お客様にフィットしないこともある。失敗することもあります。そんな時に大切なのは、「なぜダメだったのか」と誰かを責めることではなく、「では、どうすれば良かったのか?」と次の最適解を探すことだと思っています。ドラゴンズについても同じです。負けたから見放すのではない。負けたからこそ、「次はどうすれば勝てるのだろう?」と考える。それもファンの楽しみ方なのです。私は次期監督に工藤公康氏を希望します。名古屋出身の工藤氏を!好きだからこそ、厳しくなるただし、「負けても応援する」ということは、「負けても構わない」という意味ではありません。ここは大きく違います。ファンだからこそ、勝ってほしい。時には、「もっと工夫できるでしょう」「なぜ、そこで一本が出ないの?」「もっと若い選手を育ててほしい」と言いたくなることもあります。でも、それは嫌いだからではありません。好きだから、悔しいのです。私は商いでも同じだと思っています。会社やスタッフを大切に思っているからこそ、改善してほしいところは伝える。お客様を大切に思っているからこそ、昨日と同じ接客で満足しない。「もっと喜んでいただくには、どうすればよいか?」と考える。長く続く関係とは、何でも褒めることではありません。良い時は一緒に喜び、悪い時には一緒に考える。それが本当の意味での「愛着」なのかもしれません。弱い時代も応援したからこそ60年以上を振り返ると、ドラゴンズは私の人生の横を一緒に歩いてきた存在のようにも感じます。強い時代もあった。苦しい時代もあった。そして今も、私は応援しています。人生も商いも、ずっと順風満帆ではありません。調子の悪い時、結果が出ない時、思うようにならない時があります。でも、そこで投げ出さない。顔晴る。そして次の一手を考える。だから私は、これからもドラゴンズファンでいたいと思います。勝っても、負けても。ただし、負けて満足はしません。いつの日か再び優勝し、日本一になった時、「待っていたぞ、ドラゴンズ!」と心から言いたい。その喜びは、強い時だけを見てきた人より、苦しい時代も応援し続けた人のほうが、きっと大きいでしょう。勝つから応援するのではない。応援しているから、勝ってほしい。これからも一喜一憂しながら、顔晴れ!中日ドラゴンズ。そんな気持ちで、私は応援を続けていきたいと思います。羽富 都史彰
2026.09.04
コメント(0)
題名商いの世界は、バランス感覚を磨く道場⁇学校で学ぶ「答え」と「型」から学びます。私は最近、学校と商いの違いについて考えることがあります。学校は、先生から多くのことを教えていただく場所です。国語には言葉の意味があり、算数には計算の答えがあり、歴史には過去の出来事があります。もちろん、学校は答えを暗記するだけの場所ではありません。自分で考える力や、人と協力する力も学びます。それでも、学びの入口には、まず「基本となる答え」や「型」があります。何も知らないまま自由に考えなさいと言われても、なかなか難しいものです。最初に基本を学ぶ。そして、その基本を使いながら考える。私は、それが学校教育の大切な役割の一つだと思っています。では、商いの世界はどうでしょうか。長年、商いの現場に立っていると、学校のテストのように「これが正解です」と言える場面は、意外と少ないことに気づきます。むしろ商いでは、「昨日の正解が、今日の不正解になる」ことさえあります。だから今の私は、商いの世界は答えを覚える場所というより、バランス感覚を磨く道場なのではないかと考えるようになりました。商いでは「ちょうどよさ」が問われる。いいあんばいが大切です。バランス感覚は日々実践から身につけます。例えば、お客様への声かけです。すぐに話しかける。これが喜ばれるお客様もいます。しかし、「今日は一人でゆっくり見たい」という方にとっては、声をかけられることが負担になることもあります。逆に、相談したそうにしているお客様に、ずっと声をかけなければ、それもまた不親切です。つまり、話しかけることが正解なのでもなく、話しかけないことが正解なのでもない。大切なのは、「今、このお客様には、どの距離感がちょうどよいのか」を考えることです。これは接客だけではありません。品揃えも同じです。商品が多ければよいわけでもなく、少なければよいわけでもありません。価格もそうです。安ければ喜ばれることもありますが、安くしすぎれば商品の価値を下げることがあります。人員配置も、品揃えも、イベントも同じです。攻めすぎてもいけない。守りすぎてもいけない。商いには、いつも両方の間にある「ちょうどよさ」があります。私は、そのちょうどよさを探す力こそ、商いに必要なバランス感覚だと思っています。失敗が、感覚を育ててくれるのです。だからこそ、商いの現場は道場なのだと思います。道場では、最初からうまくできる人はいません。基本の型を覚え、何度も繰り返し、失敗しながら身につけていきます。商いも同じです。接客で話しすぎてしまうこともあります。勧めるタイミングを間違えることもあります。イベントで思ったほどお客様が来ないこともあります。売れると思って仕入れた商品が、残ってしまうこともあります。しかし私は、失敗そのものが悪いとは思っていません。大切なのは、「なぜダメだったのか」で終わることではなく、「次は、どうすればもっと良くなるだろう」と考えることです。失敗したからこそ、次の接客で少し引いてみる。売れなかったからこそ、見せ方を変えてみる。お客様の反応が薄かったからこそ、言葉を変えてみる。その小さな修正の積み重ねが、やがて「感覚」になります。私は、この感覚こそが商いの財産だと思っています。だから、マニュアルだけでは足りません。マニュアルは基本を教えてくれます。しかし、現場では、お客様も天気も時間帯も、その日の空気も違います。そこで必要になるのが、細かな答えを全部決めるマニュアルではなく、判断の方向を示すガイドライン=指針です。型は持つ。しかし、型に縛られない。これが大切です。商いは、一生続く「稽古」私は、商いには卒業がないと思っています。何十年やっていても、「あの言い方は余計だったかな」「もう少し待った方がよかったかな」と反省することがあります。反対に、お客様の一言から、「なるほど、こういう接し方もあるのか」と教えていただくこともあります。つまり商いとは、こちらが一方的に教える仕事ではありません。お客様から教えていただきながら、自分自身を磨いていく仕事でもあります。学校では、基本となる答えや型を学ぶ。社会では、その型をどう使うかを考える。そして商いの現場では、その人、その時、その場所に合った最適解を探し続けます。私は、これが伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の根っこにある考え方だと思っています。正解を覚えるのではない。ケースバイケースで考える。そして、その場に一番フィットする答えを探す。商いとは、商品を売るだけの仕事ではありません。人を見て、空気を感じ、失敗から学び、自分の感性と判断力を磨き続ける仕事です。だから私は、まとめとして「学校は型を学ぶ場所。商いは、バランス感覚を磨く道場。」そう考えています。そして、この道場での稽古は、一生続くのだと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.09.04
コメント(0)
題名地方創生2.0とは??―「ないもの探し」から「あるもの磨き」へ―地方創生は、誰がするものなのか?最近、「地方創生2.0」という言葉を耳にするようになりました。地方創生と聞くと、「国や県、市役所が考えることでしょう」と思われる方も少なくないかもしれません。しかし私は、そうではないと思っています。地方創生とは、行政だけが行うものではなく、その地域で暮らす人、働く人、商いをする人、一人ひとりが関わってつくっていくものではないでしょうか?いかがでしょうか?地方創生2.0では、人口が減少していく現実を受け止めながらも、「強く、豊かで、新しい・楽しい地方」をつくることが大きな方向性として示されています。私は、この「楽しい」という言葉に、とても興味を持ちました。地域には、すでに「宝」がある。常総市には歴史伝統文化が数多くあります。地方創生というと、「新しい観光施設をつくろう」「有名なお店を誘致しよう」「大きなイベントを開催しよう」と考えがちです。もちろん、それも一つの方法です。しかし私は、「今、この地域にあるものを、もっと面白くできないだろうか?」と考えることも大切だと思っています。地域のお祭り、商店、農産物、歴史、文化、道の駅。そして何より大切なのが、そこに暮らしている「人」です。実は地域の宝は、建物だけではありません。人の経験、技、知恵、会話、笑顔。目には見えにくいものの中にも、地方創生の種はたくさん眠っていると思うのです。伎芸型おもてなし商売道との共通点。ここで私は、自分が考えてきた「伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道」との共通点に気づきました。伎芸型には、一つの決まった正解はありません。お客様も違えば、場所も違う。天候も違えば、その日の雰囲気も違います。だから、「ケースバイケースで考える」そして、「正解ではなく、その場に合った最適解を探す」ことを大切にしています。例えばキッチンカーでも、コロッケやクレープを販売することだけが目的ではありません。会話が生まれる。笑顔が生まれる。「また、おじさんに会いに来たよ」と言っていただける。商品を買うことから、人とのご縁が生まれ、その場所そのものが楽しい思い出になっていく。私は、これも小さな地方創生ではないかと思うのです。「人を呼ぶ」前に「人が輝く」地方創生2.0が地域全体の方向性だとすれば、伎芸型おもてなし商売道は、それを商いの現場で実践する一つの方法になれるのではないでしょうか?大切なのは、「地方には何もない」と考えることではありません。ないものを探すより、あるものを磨く。そして、「人を集める地域づくり」だけではなく、「そこにいる人が愉しそうに働いている地域づくり」を目指す。愉しそうに働く人がいれば、人が寄ってきます。人が集まれば会話が生まれます。会話が生まれれば笑顔が生まれ、商いが生まれます。そして地域に少しずつ、お金と人とご縁が循環していく。私は、「ないもの探し」から「あるもの磨き」へ。これからの地方創生には、この考え方も必要だと思っています。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道も、その小さな一歩です。地方創生は、大きな政策だけではありません。目の前のお客様を笑顔にすることから、地域は変わり始める。私は、そう思っています。「地方創生は行政だけの仕事ではない」と考え,官民連携だと考えています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.09.03
コメント(0)
題名マニュアルより「考える余白」を残す商いとは??マニュアルを作れば、人は育つのだろうか?私は長年、商いの現場に立ちながら、こんなことを考えるように6年ぐらい前から意識するようになりました。マニュアル書を作れば、作るほど、自分で考えないスタッフが増えてしまうのではないか?もちろん、私はマニュアルを否定しているわけではありません。アパレル店舗や食品を扱うフード店舗上での衛生管理、安全管理、金銭管理、開店準備や後片付けなど、「誰がやっても一定の水準を守らなければならない仕事」にはマニュアルが必要です。しかし、お客様への接客やおもてなしまで、すべてマニュアル化してしまってよいのでしょうか?私は、そこに少し疑問を持っています。お客様は「マニュアル通り」には動かない商いの面白さでもあり、難しさでもあるのは、目の前のお客様が一人ひとり違うことです。話しかけてほしい人もいれば、静かに商品を見たい人もいる。笑わせてほしい人もいれば、今日は少し疲れていて、そっとしておいてほしい人もいる。同じ人であっても、昨日と今日では気分が違います。ということは、「この場合は、この言葉を言えば正解です」という接客は、本当は存在しないのかもしれません。大切なのは、お客様の表情や声の調子、歩く速さ、その場の空気を感じながら、「今日は、どんな接し方が一番フィットするだろう?」と自分で考えることです。私はこれを、ケースバイケースで最適解を探す商いだと思っています。だから「マニュアル」ではなく「ガイドライン」そこで私が大切にしてきたのが、ガイドライン=指針書という考え方です。そして、この考えを形にしていったものが、私が提唱する伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道です。マニュアルは、「①をやって、次に②をやり、最後に③をやる」というように、行動の答えを教えてくれます。一方、ガイドラインは違います。「私たちは、何を大切にするのか」「お客様に、どんな気持ちで帰っていただきたいのか」という判断するための軸を示します。私は、スタッフに魚を与え続けるのではなく、魚の釣り方を一緒に考えるような人材育成をしたいのです。答えを全部教えてしまえば、その答えを超える発想は生まれにくくなります。しかし、基本となる指針だけを共有し、あとは現場で考えてもらう。そこには当然、失敗もあります。でも、その失敗から、「なぜダメだったのか」ではなく、「どうすれば、もっと良かったのか?」を考える。私は、この繰り返しが人を育てると思っています。「考える余白」が、伎芸を育てる伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道には、すべてのお客様に 通用する一つの正解はありません。あるのは、目の前の人に合わせて考えるという基本姿勢です。だから私は、マニュアルで人を動かすより、ガイドラインで人を育てたい。そう考えています。マニュアルは「間違えないための仕組み」。ガイドラインは「より良くするために考える仕組み」。この二つは、似ているようで少し違います。守るべきところは、しっかり守る。しかし、人と人との間には、あえて「考える余白」を残しておく。その余白があるから、観察する。考える。工夫する。そして、ときにはアドリブが生まれる。ケースバイケースで、その時、その場所、その人に一番フィットする最適解を探していく。私は、その積み重ねの中から生まれるものこそが、「伎芸」なのだと思っています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.09.02
コメント(0)
題名中川家の漫才から学ぶ「観察・間・アドリブ」の商いとは⁇私は、中川家さんの漫才を観ていると、単に「面白いなぁ〜」だけでは終わりません。「これは商いにも通じるところがあるなぁ〜」と思うことがあります。中川家さんの漫才には、駅員さん、電車の乗客、商店街のおじさん、飲食店のお客様など、私たちが日常生活の中で一度は見たことがあるような人物が登場します。だから観ている側も、「いる、いる、こんな人!」と思わず笑ってしまいます。私は、この面白さの原点に「観察」があると思っています。人の話し方だけではありません。表情、姿勢、歩き方、声の大きさ、ちょっとした癖、そして人と人との距離感。具体的な小さな特徴をよく観ているからこそ、その人らしさを表現できるのではないでしょうか。これは、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道にも通じます。商いでも、お客様を「お客様」という一つの大きなくくりだけで見ていては、その人にフィットした接客はできません。急いでいる方もいれば、ゆっくり会話を楽しみたい方もいる。家族で来られた方、一人で来られた方。話しかけてほしい方もいれば、静かに商品を見たい方もいる。だから私は、「この人には、今、どのくらいの距離感が心地よいのだろう?」と考えることが大切だと思っています。ここで重要になるのが「間」です。漫才でも、面白い言葉を休みなく話せば笑いが大きくなるわけではないでしょう。言葉と言葉の間。相手が話す時間。お客様や観客が反応する時間。その一瞬の「間」があるから、次の一言が生きてきます。商いも同じです。私は伎芸型というと、「面白いことを言う接客」「たくさんしゃべる接客」と思われることがあります。しかし、それだけではありません。むしろ、「しゃべらない」という選択も伎芸です。お客様の表情を観て、一歩踏み込む。少し違うと思ったら、一歩引く。笑っていただけたら、もう一言。反応が薄ければ、そこでやめる。この「押す・引く・待つ」の判断こそ、私は大切だと思っています。そして、もう一つ中川家さんから学べるのが、具体と抽象を行ったり来たりする力です。たとえば、駅員さんの特徴を細かく観察する。これは「具体」です。しかし、それをそのまま真似するだけでは、一つのモノマネで終わってしまいます。「なぜ、この仕草が駅員さんらしく見えるのだろう?」「なぜ、この話し方を聞くと私たちは共感するのだろう?」と一段上から考える。これが「抽象」です。そして、その気づきを再び別の具体的な表現へ落としていく。私は、商いの業務改善も同じだと思っています。「今日はお客様との会話が盛り上がらなかった」という具体的な出来事があったとします。そこで、「今日はダメだったなぁ〜」だけで終わらせない。なぜ盛り上がらなかったのか。最初の声が大き過ぎなかったか。こちらが話し過ぎなかったか。お客様は急いでいなかったか。そして、もう一段抽象度を上げて、「そもそも心地よい接客とは何だろう?」と考えてみる。そこから、「次のお客様には、最初の一言を短くしてみよう」と再び具体的な行動へ 戻す。具体→抽象→具体。この往復を続けることで、経験が単なる思い出ではなく、「次に使える知恵」へ変わっていくのだと思います。ただし、中川家さんの漫才と伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道には、明確な違いもあります。漫才は、観客に笑っていただくことが大きな目的です。一方、商いでは「笑わせること」が最終目的ではありません。笑いは、お客様との心の距離を近づけるための一つの方法です。大切なのは、「ここに来て良かった」「この人から買って良かった」「今日は少し愉しい気持ちになった」そして、「また会いたいなぁ〜」と思っていただくことです。ですから、自分では最高の営業トークだったと思っていても、お客様から「少しやかましい」と感じられたなら、そこには改善のヒントがあります。私は、こうした失敗も伎芸だと思っています。大切なのは失敗しないことではなく、お客様の反応から修正できることです。昨日の成功を今日そのまま再現するのではありません。昨日の成功から「なぜ良かったのか」を学び、今日のお客様に合わせて形を変える。これこそが、本当の再現性ではないでしょうか。中川家さんは、日常を観察し、その特徴を抽象化し、再び具体的な笑いとして表現する。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道では、お客様を観察し、その反応から学び、次の接客へ生かしていく。観る。感じる。考える。間を取る。やってみる。反応を観る。そして、変える。この繰り返しです。商いに、一つだけの正解はありません。だから面白い。台本通りではなく、その日の、その場所の、その人に合わせて「最適解」を探していく。私は、中川家さんの漫才を観ながら、「笑いも商いも、主役は自分ではなく、目の前にいる人なのだ」ということを、あらためて学ばせていただいています。これもまた、私が考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道なのです。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.31
コメント(0)
題名夏休み最後の日曜日、道の駅常総でいただいた「ご馳走」とは??8月30日、日曜日。今日も道の駅常総にて、クレープとコロッケのキッチンカーを17時過ぎまで出店しました。夏休み最後の日曜日。今日も一日、まるでドラマのように、いろいろなお客様との出会いがありました。埼玉県からお越しになったご夫婦様と、4歳のお嬢様。ママさんから、こんな嬉しい言葉をいただきました。「今日、日曜日に道の駅常総へ来て、本当によかったです。主人も仕事が忙しくて、やっと休みが取れました。気分転換になったし、おじさんと話せて楽しいひと時を過ごせました」そして、「おじさんの楽しいトークに、拍手です👏👏」と言ってくださいました。商品を買っていただくことは、もちろん嬉しい。でも、「ここへ来てよかった」「楽しい時間だった」そう思っていただけることは、商いをしている私にとって何より嬉しいことです。また、70歳代のご夫婦様からは、「あなたの営業トークに感動しました」というお言葉をいただき、最後は握手🤝をしてお別れしました。しかし、嬉しいことばかりではありません。推定50歳代のご夫婦様の旦那様からは、「やかましい」と、ご注意を受けました。これは反省です。振り返ってみると、最初のアドリブが良くありませんでした。お客様によって、心地よい距離感も、会話の量も違います。こちらが愉しいからといって、お客様も同じとは限りません。私が悪かった。素直に反省です。これもまた、現場だからこそいただける大切な勉強だと思っています。そして夕方には、群馬県太田市から7人家族のお客様がご来店。話が盛り上がり、旦那様、そして御尊父様とも会話が止まりません。最後には、家族全員と一緒に記念写真。笑顔でお別れしました。夏休み最後の日曜日。朝から夕方までキッチンカーに立ち、気がつけば、お昼に食べたのはパン1個だけでした。それでも、不思議と心はお腹いっぱいです。お客様からいただいた笑顔。嬉しい言葉。握手。そして時には、お叱りの言葉。すべてが私にとって、次の商いにつながる「ご馳走」です。お客様にとって、今日という日曜日が忘れられない一日になること。それが、私にとっても忘れられない一日になります。商いとは、商品を売るだけではない。人と人が出会い、その時間を一緒に愉しみ、時には反省しながら、また次へつなげていくこと。今日も道の駅常総で、たくさんの「ご馳走」をいただきました。ありがとうございます。特に「やかましい」というご指摘を頂き気づきも頂いた今日一日でした。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.31
コメント(0)
題名「無駄」が商いの引き出しを増やす??―イチローさんから学ぶ、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道―私は最近、イチローさんが高校球児に伝えた「無駄」についての話を知り、とても興味を持ちました。イチローさんは、効率よく練習することだけではなく、一見すると無駄に思える経験から学ぶことの大切さを伝えています。私はこの話を知った時、「あぁ、これは洋服の商いも同じだなぁ」と思いました。今の時代、何でも効率化です。ネット通販なら、欲しい商品を検索して、色やサイズを選び、ボタン一つで注文できます。とても便利な時代になりました。しかし、長年、洋服の商いをしていると、私は思うのです。お店には、一見「無駄」に見える時間がたくさんある。でも、その無駄の中にこそ、商いの大切なものが隠れている。例えば、お客様との何気ない会話です。「今日は、どちらへお出かけですか?」「お孫さん、大きくなられました?」「最近は、どんな洋服を着ることが多いですか?」今日の売上げだけを考えれば、必要のない会話かもしれません。しかし、その会話から、お客様の暮らしが少しずつ見えてきます。「最近、少し体型が変わってね」「昔買った洋服を、もう一度着たいのよ」そんな一言から、本当に必要な商品やサービスが見えてくることがあります。お客様が赤いTシャツが欲しい。ーと言われたらどうして赤なのか?どうしてTシャツなのか?さりげなくさりげなくお伺いします。その後,三着、四着と試着されても、一着もお買い上げにならないこともあります。効率だけで考えれば「無駄な接客」でしょう。でも私は、そうは思いません。その時間に、「このお店は、無理に売らない」「私の話をちゃんと聞いてくれる」と思っていただけたら、それも立派な商いだからです。そして後日、「この前のスタッフさんに選んでもらいたくて」と戻ってきてくださる。このようなお客様もロコレディでは少なくないです。我が社は、こういう商いが基本です。洋服を買いに来たお客様が、いつの間にか「人に会いに来るお客様」へ変わっていく。ここに、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の面白さがあると思っています。販売する側にも「無駄」はあります。お客様に似合わなかった一着。選ばれなかったコーディネート。時間をかけたのに売れなかった接客。しかし、それも経験です。「この方には、この丈ではなかった」「この色より、もう少し明るい色の方がお顔が映える」そんな小さな気づきが積み重なって、販売員の「見る目」が育っていきます。畳み直す。スチームをかける。素材に触れる。売場を整える。直接、一円の売上げにもならない仕事が、実は接客の土台をつくっています。ただし、無駄なら何でも良いわけではありません。大切なのは、「何のために、この時間を使っているのか?」だと思います。効率を求めすぎれば、お客様との会話まで削ってしまう。反対に、長く話せば良いというものでもありません。話したいお客様もいれば、静かに洋服を見たいお客様もいる。だからこそ、ケースバイケース。その場、その人に合わせた「最適解」を探していく。これが、接客のアドリブにつながっていくのだと思います。ネット通販は、欲しいものが決まっている人にとって、とても便利な「最短距離」です。一方、私たちのお店には、「何を着たらいいか分からない」「今の私に似合うものを教えて」というお客様がいらっしゃいます。そんなお客様と一緒に寄り道をしながら、一着を探す。ヒットよりフィット。寄り道したから出会える一着がある。外したから分かる似合わせがある。売れなかった日だからこそ、身につく知恵がある。その積み重ねが、販売員の引き出しを増やしていくのではないでしょうか。無駄をなくすことばかり考えるのではなく、「この無駄から、何を学べるだろう?」と考えてみる。商いとは、効率よく商品を売ることだけではありません。一見、無駄に見える試着や会話の中から、お客様とのご縁を育てていく。そして、そのご縁が、また次の商いにつながっていく。私は、そんな「意味のある無駄」を、これからも大切にしていきたいと思っています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.29
コメント(0)
題名ウクレレの練習と伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道について⁇私は月に一回、2時間、ウクレレの先生からご指導を頂いています。ウクレレを習っていて感じるのは、商いとよく似ているということです。最初はコードを覚え、指の位置を確認し、リズムに合わせて弾く。基本を繰り返し練習します。しかし、コードを間違えずに弾ければ、それだけで人の心に届く演奏になるわけではありません。同じ曲でも、弾く人によって雰囲気が違います。テンポ、間の取り方、強弱、表情。そして何より、「楽しんで弾いているか」が自然と相手に伝わります。これは、私が考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道にも通じています。接客にも基本があります。挨拶、商品知識、言葉遣い、気配りなどです。しかし、マニュアル通りにできるだけでは、お客様の心にフィットするとは限りません。目の前のお客様を見ながら、「今日はゆっくりお話しした方がいいかな」「この方には、少し距離を置いた方がいいかな」と、その場で感じ、考え、対応を変えていく。ウクレレで言えば、同じ楽譜でも、その場に合わせてリズムや表現を少し変えるようなものです。共通点は、「基本を繰り返しながら、自分らしい表現を磨いていくこと」だと思います。一方で、異なる点もあります。ウクレレには楽譜やコードがあり、ある程度「正しく弾く」という基準があります。しかし商いの相手は人です。昨日喜ばれた接客が、今日のお客様にも喜ばれるとは限りません。だから伎芸型おもてなし商売道では、正解を覚える以上に、その場その場の「最適解」を探す力が必要になります。そして、もう一つ大切な共通点があります。それは、先生から定期的に教えて頂くことの大切さです。一人で練習していると、自分では気づかない癖が出てきます。商いも同じです。長く仕事をしているほど「私はできている」と思い込みやすい。だからこそ、時々基本に戻り、人からアドバイスを頂く。月に一回のウクレレ教室は、私にとって音楽の練習であると同時に、商いも一生稽古なのだと気づかせてもらえる時間なのかもしれません。ウクレレも商いも、上手になることだけが目的ではありません。自分が愉しみ、その愉しさが相手にも伝わる。そこに、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道との一番大きな共通点があるように、私は思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.28
コメント(0)
題名「悩む」から「考える」へ――商いは答えを探す旅とは??「悩む」と「考える」は似ているようで違います。商売をしていると、毎日のように問題が起こります。「なぜ、お客様が来ないのだろう?」「なぜ、売上が上がらないのだろう?」「なぜ、スタッフに伝わらないのだろう?」私自身、長く商売をしてきましたが、今でも悩むことがあります。しかし最近、改めて思うのです。「悩むこと」と「考えること」は、似ているようで少し違う。悩んでいる時は、「どうしよう、 どうしよう」と、同じ場所をぐるぐる回ってしまいます。一方、考えるとは、「では、どうすれば良くなるのか?」と、次の一手を探すことではないでしょうか。伎芸型は「なぜダメ?」より「どうすれば?」私が考えた「伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道」も、この「考える」という姿勢を大切にしています。たとえば、キッチンカーの前をたくさんの人が通るのに、なかなか立ち止まっていただけない。そんな時、「今日はお客様が少ない」「場所が悪い」「景気が悪い」と悩んでいても、お客様は振り向いてくれません。そこで、「どうすれば立ち止まっていただけるだろう?」「どんな言葉なら会話が始まるだろう?」「商品ではなく、まず私自身に興味を持っていただくには?」と考えてみるようにしました。すると、そこから工夫が生まれたきました。私が「いらっしゃいませ」ではなく、まず「ありがとうございます」から始めるのも、その工夫の一つです。悩みには「正解」がなくても、考えることには「次の一手」がある商売には、学校のテストのような一つの正解はありません。昨日うまくいった方法が、今日もうまくいくとは限りません。だから私は、「最適解」を探すことが大切だと思っています。今、この場所で、このお客様に、自分ができる一番良いことは何だろう?笑顔なのか。声掛けなのか。少し黙って待つことなのか。商品の説明なのか。それとも、まったく関係のない世間話なのか。お客様の表情や仕草を観察しながら考える。やってみる。違ったら、また考える。私は、この繰り返しこそが「伎芸」だと思っています。悩むだけでは行動が止まります。考えると、小さな一歩が生まれます。「どうしよう」を「どうすれば」に変えるもちろん、人間ですから悩むことはあります。悩むこと自体が悪いわけではありません。大切なのは、いつまでも「どうしよう」で立ち止まらないことです。私は商売で壁にぶつかった時、「どうしよう?」から「どうすれば?」へ。頭の中の言葉を少し変えるようにしています。いかがでしょうか?すると、不思議なことに目線が過去から未来へ向いていきます。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道とは、決められた接客方法を覚えることだけではありません。お客様をよく観て、その場、その時、その人に合った最適解(さいてきかい)を考え続ける商いでもあります。悩んだら、考える。考えたら、やってみる。やってみたら、振り返る。そして、また考える。商売には「絶対の正解」はなくても、今日より明日を良くする一手は、きっとある。私は、そんな「考える商い」を、これからも愉しみながら続けていきたいと思っています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.25
コメント(0)
題名ちんどん屋から学ぶ、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道とは??ちんどん屋は「芸人」ではなく「宣伝屋」と私は先日、興味深いことを教えていただきました。「ちんどん屋は、芸人ではありません。もともとは宣伝屋なんですよ」なるほどなぁ〜と思いました。ちんどん屋さんというと、派手な衣装を着て、太鼓や鉦(かね)、楽器を鳴らしながら街を歩く姿を思い浮かべます。見ている人を楽しませるので、私は「芸を見せる人」という印象を持っていました。しかし、本来の目的は そこではありません。お店や商品、催し物などを知ってもらい、お客様を呼び込むこと。つまり、芸は「目的」ではなく、宣伝するための手段だったのです。ここに、私が考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道との共通点を感じました。共通しているのは「芸の先に商いがある」伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道も、芸を披露すること自体が目的ではありません。例えば、キッチンカーでお客様と会話をする。ちょっとしたユーモアを交える。大道芸人さんが言います。ウクレレや手品など、その人が得意とすることを生かす。一見すると「パフォーマンス」に見えるかもしれません。私たちも同じです。しかし、その先にあるのは、「お客様に足を止めてもらう」「会話のきっかけをつくる」「商品を知ってもらう」「人を好きになってもらう」「また会いに来てもらう」という商いです。ちんどん屋さんも同じではないでしょうか⁉️音を鳴らすことが最終目的ではありません。派手な衣装を着ることが目的でもありません。「何だろう?」と振り向いてもらい、興味を持ってもらい、その先にあるお店や商品へ人をつなげていく。私はここに、大きな共通点があると思います。「芸で売る」のではなく、「芸を入口として商いにつなげる」。この考え方です。しかし、大きく異なるところもある一方で、ちんどん屋さんと伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道には違いもあります。ちんどん屋さんは、基本的には「知らせること・人を呼ぶこと」が大きな役割です。いわば、「こちらに面白いお店がありますよ」と街の人たちへ知らせる存在です。それに対して、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道は、そこからもう一歩先へ進みます。お客様を呼ぶだけではなく、来てくださったお客様との「快輪(かいわ)」を大切にする。お客様を観察し、声をかけ、その人に合わせて会話を変える。そして、「この商品を買って良かった」だけではなく、「この人から買って良かった」「今日ここへ来て良かった」「また、この人に会いたい」と思っていただくことを目指します。つまり、ちんどん屋さんが「人を呼ぶ宣伝の伎芸」だとすれば、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道は、「人とつながり、関係を育てる商いの伎芸」と言えるのではないでしょうか。芸人になるのではない。商人として芸を生かす今回、私は「ちんどん屋は芸人ではなく宣伝屋」という言葉から、大切なことに気づかされました。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道も、芸人を育てることが目的ではありません。手品が上手でなくてもいい。ウクレレが プロ並みに弾けなくてもいい。漫談ができなくても構いません。大切なのは、自分の好きなこと、得意なこと、個性を、お客様との距離を縮めるために生かすことです。そして最後は、きちんと商いにつなげる。私は、ちんどん屋さんは「芸を使った宣伝屋」。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道は「伎芸を使った商い人」。そんな違いがあるように感じます。しかし、根っこの部分には共通するものがあります。それは、「人の目を引き、人の心を動かし、人と商いをつなぐ」ということです。売ることだけを考えれば、商売は苦しくなる。芸を見せることだけを考えれば、単なる余興になる。「商い」と「伎芸」のバランスが取れた時、そこに人間味のあるおもてなしが生まれる。ちんどん屋さんの歴史を知ることで、私が考えてきた伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の原点が、少し見えてきたような気がしました。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.23
コメント(0)
題名「羽富さんだから出来る」から「私にも出来そう」へ⁇2ヶ月間で10人全員から「再現性がない」と見学に来た方々から⁉️私が考え、現場で実践してきた伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道。ある時、総計10人の方々に実際の商いの姿を観ていただきました。すると、10人が10人とも、「これは羽富さんだから出来るんですよ」「誰にでも出来るものではない」「再現性はないと 思います」そんな感想でした。なるほど。確かにそう見えるのかもしれません。お客様への声のかけ方。間の取り方。笑顔。雑談。その場の空気を読みながら変えていく接客。いや大道芸⁉️マニュアル通りには見えないからです。約45分間、なぜそうするのかを話してみた。そこで私は、約45分間、「なぜ、その言葉を使うのか?」「なぜ、そのタイミングで声をかけるのか?」「お客様の何を観ているのか?」「なぜ『いらっしゃいませ』ではなく、『ありがとうございます』から始めるのか?」一つひとつ、私なりに解説してみました。すると面白いことが起きました。最初は10人全員が「自分には出来ない」と言っていたのに、話を聞いた後には、半分の5人が、「それなら、私にも出来そうです」と言ってくれたのです。【転】あたらしくんの「ブレインダイブ」に似ているその時、私はマジシャン・あたらしくんの「ブレインダイブ」を思い浮かべました。初めて観た時には、「どうして分かるの?」「自分には絶対に出来ない」と思ってしまいます。しかし、その裏側にある考え方や、相手の反応をどう観ているのかを少しずつ知っていけば、「なるほど、そういう見方があるのか」と、見えなかったものが少しずつ見えてくる。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道も、これに近いのではないかと思ったのです。大切なのは、私の話し方や動きを、そのまま真似することではありません。「なぜ、そうするのか」を理解すること。ここに再現性を生み出すヒントがあるのではないでしょうか。再現するのは「技」ではなく「考え方」技では無い,歌舞の伎。伎(き)なのです。私は今回、大きな気づきをいただきました。10人全員を、私と同じ接客(伎)にする必要はありません。むしろ、それでは「伎芸」ではなく「コピー」になってしまいます。10人いれば、10通りの個性があります。私の伎芸をそのまま再現するのではなく、考え方を学び、それぞれが自分らしい伎芸に変えていく。だから私は、「羽富さんだから出来る」から、「私にも出来そう」へ。この変化こそが、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道を次の世代へ伝えていく第一歩なのだと思います。見えないものを、見えるようにする。出来ないと思っていたことを、出来そうに変える。そして最後は、その人にしか出来ない「伎芸」へ。これからの私の役割は、商いを実演することだけではなく、自分でも気づかずにやっていることを言葉にして、人に伝えられる形にすることなのかもしれません。それが出来た時、「羽富さんだから出来る商売道」から、「誰もが自分らしく育てられる商売道」へ変わっていく。私は、そこに伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の可能性を感じています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.23
コメント(0)
題名仕事を愉しんでいたら、お客様が親戚になっていく⁇~「どうしたら仕事が愉しくなりますか?」と聞かれて~「おじさん、愉しそうに仕事していますネ」先日、初めてお会いした二組のご夫婦から、思いがけない言葉を頂戴しました。「おじさん~、さっきからおじさんのことを観ているけど、愉しそうに仕事していますネ。」私は、この言葉が本当に嬉しかった。自分ではいつものように、お客様と会話をしながら仕事をしていただけです。一組のご主人様は、夜勤もある工場勤務。奥様は介護施設でパート勤務をされているとのこと。もう一組のご主人様は建築関係のお仕事で、毎朝5時30分には、奥様が作ったお弁当を持って自宅を出るそうです。奥様も子育てをしながら、コンビニ店でアルバイトをされているとのことでした。皆さん、それぞれの生活を支えるために、一生懸命働いています。「どうしたら仕事が愉しくなるの?」コロッケをお買い上げいただき、食べながらお話をしていると、こんな質問を受けました。「おじさん、私たち夫婦にアドバイスしてください。どうしたら仕事が愉しくなるんですか?」私は少し考えて、普段から自分が大切にしていることをお話ししました。「どうせ仕事をするなら、ワクワク、ドキドキ、愉しく!」私は、そう考えるようにしています。仕事そのものが、毎日愉しいことばかりではありません。疲れる日もあります。思うように売れない日もあります。人間関係で悩むこともあるでしょう。しかし、「今日は、どうしたらお客様に笑っていただけるだろう?」そう考えるようになると、不思議と仕事の見え方が変わってきました。●お客様を元気にするつもりが、私が元気をいただいていた?そんなことを意識しながら、約3か月続けた頃でしょうか。私は、あることに気づきました。お客様に喜んでいただこう。笑顔になっていただこう。元気になって帰っていただこう。そう思って仕事をしていたはずなのに、実は一番元気をいただいていたのは、私自身だったのです。「美味しかったよ。」「また来るね。」「おじさんに会いに来たよ。」そんな一言をいただくたびに、疲れがどこかへ飛んでいきます。これが、私の実践している伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道にもつながっています。商品を「売る人」と「買う人」という関係だけではない。人と人として向き合い、会話をして、笑い合う。そこから「商い」が生まれていくのです。半年後、「お客様と親戚になりたい」と思うようになったさらに半年ほど続けていると、私の中に、もう一つの変化が生まれました。「お客様と親戚になりたい。」もちろん、本当の親戚になるという意味ではありません。久しぶりに会えば、「元気だった?」と声をかける。子どもさんが大きくなれば、「大きくなったネ。」と一緒に喜ぶ。困ったことがあれば、ちょっと気にかける。そんな親戚のような温かい関係を、お客様ともつくれたらいいなと思うようになったのです。そして、この日。初めてお会いした二組のご家族から、「おじさんも一緒に写真に入って。」と言っていただき、記念写真をご一緒させていただきました。初めて会ったはずなのに、最後は一緒に写真を撮って笑っている。私は、これこそ商売の面白さだと思います。どうせ仕事をするなら、ワクワク、ドキドキ、愉しく。お客様を愉しませようとすれば、自分も愉しくなる。お客様を元気にしようとすれば、自分が元気をいただく。そして、その積み重ねが、「お客様」から「顔なじみ」へ。「顔なじみ」から「親戚のような存在」へ。変わっていくのかもしれません。売上は大切です。利益も大切です。しかし、その前に「人」がいる。人を喜ばせることを自分の喜びに変えていく。それが私の考える、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道です。この日もまた、コロッケを売りながら、私の方がお客様から大切なことを教えていただきました。感謝の気持ちでいっぱいです。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.21
コメント(0)
題名直感は偶然ではない。日々の観察から生まれる⁇~伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道から考える「仮説と決断」~直感とは、思いつきなのでしょうか?商売を長く続けていると、ときどき説明できない「直感」が働くことがあります。「この商品は売れるのではないか。」「このお客様には、 商品を勧めるより話 を聞いた方がいい。」「今までのやり方を変えた方がいいのではないか。」数字やデータを十分に調べる前に、ふっと頭に浮かぶことがあります。私は、この直感を単なる「思いつき」で終わらせてはいけないと思っています。勉強会で「発想とは仮説を思いつくこと」という言葉は、まさに商売にも通じる考え方だと学びました。伎芸型は「観察」から始まる私が実践している伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道も、最初から答えを持ってお客様を見るわけではありません。むしろ大切なのは、「見えないものを、見えるようにすること」です。お客様の表情を見る。歩く速さを見る。家族の会話を聞く。何を手に取り、何を戻したのかを見る。そして、「なぜだろう?」「もしかしたら、こうではないか?」と仮説を立てます。例えば、暑い日は熱々のコロッケは売れない。普通に考えれば、そう判断するかもしれません。しかし、お客様の会話を聞いていると、「暑いから台所に立ちたくない。」という声が聞こえてきます。すると、「暑い日だからこそ、調理済みのコロッケに需要があるのではないか?」という新しい仮説が生まれます。これが、私の考える伎芸型の発想です。決断には「論理」と「跳躍」の両方がいる「決断=判断+跳躍」という興味深い考え方もあります。経営では数字が大切です。売上、利益、客単価、原価、人件費、来店客数。数字を無視して経営はできません。しかし、どれほど数字を集めても、未来のことを100%正確に予測することはできません。最後には、「やってみよう。」という一歩が必要になります。私は、ここに経営者の仕事があると思います。ただし、根拠のない「勘」で飛び込むのではありません。観察する。仮説を立てる。小さく実践する。結果を見る。修正する。微調整する。この微調整がポイントだと言うことを65才から気づきました。この繰り返しです。つまり伎芸型おもてなし商売道は、「直感だけの商売」ではありません。直感で仮説をつくり、現場で試し、論理で検証する商売道なのだと思います。直感を鍛える一番の場所は「現場」では、直感はどうすれば鍛えられるのでしょうか?まとめとして①現実のディテールを観察する②他人の発想に触れ議論する③偶然のきっかけに遭遇する私は、この三つとも「現場」にあると思います。お客様と話す。スタッフと話す。地域の人と話す。失敗する。予想外の出来事に出会う。その一つひとつが、直感を育てる材料になります。だから私は、現場に立つことが好きなのかもしれません。商売とは、正解を当てる競争ではない。「もしかしたら?」を見つけ、それを試してみる営みではないでしょうか。伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道で大切にしているのも、マニュアル通りの接客だけではありません。目の前のお客様を観察し、感じ、考え、自分なりの仮説を立て、一歩踏み出してみる。そして違っていたら、また考える。気づきを頂く。私はこれからも、「直感で発想し、現場で実践し、論理で検証する。」この循環を大切にしていきたいと思います。なぜなら、商売の新しい答えは、会議室の資料の中だけではなく、目の前のお客様の何気ない一言の中に隠れていると思うからです。これもまた、私が考える伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道なのです。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.21
コメント(0)
題名65歳を過ぎて、ようやく「枷(かせ)」を外すことに気づく⁇知らないうちに、自分で自分に枷(かせ)をつけていた。65歳を過ぎて、最近になって強く感じることがあります。それは、「人生には、自分でも気づかないうちにつけている『枷(かせ)』がある」ということです。若い頃の私は、特に40才代ごろの私です。「会社とは、 こうあるべきだ」「経営者とは、こうでなければ ならない」「商売とは、こうするものだ」「人から、こう見られなければならない」そんな「常識」や「当たり前」を、ずいぶん大切にしてきたように思います。もちろん、それが悪かったわけではありません。悪かったわけでは無いが、バランスが崩れていたと思います。バランス良くなかった。若い頃には若い頃の責任があり、家族を守り、会社を守り、従業員さんを守るためには、必要な考え方でもありました。しかし今になって振り返ってみると、その中には、誰かにつけられた枷ではなく、自分自身でつくり、自分自身にはめていた枷もあったのではないかと思うのです。経験が増えるほど、枷も増えていく不思議なものです。若い頃は経験がありませんから、怖いもの知らずで挑戦できます。ところが経験を積むと、「以前、失敗したから」「この業界では、それが普通だから」「そんなことをしたら笑われるから」と、できない理由も上手に考えるようになります。経験は大切な財産です。しかし、その経験に縛られてしまえば、財産だったはずの経験が、ときには新しい一歩を邪魔する枷にもなります。私は長く商売に携わってきましたが、商売の世界にもたくさんの「当たり前」があります。接客とは、こうするもの。お客様には、こう声をかけるもの。商品とは、こうやって売るもの。しかし、本当にそうなのだろうか?そう考え始めたところから、私自身の商売に対する考え方も少しずつ変わってきました。【転】65歳を過ぎて見えてきたもの65歳を過ぎて、ようやく気づきました。枷を外すということは、これまでの人生を否定することではない。ここが、とても大切だと思います。今まで学んできたこと。失敗したこと。成功したこと。出会った人たちから教えていただいたこと。それらを全部捨てる必要などありません。むしろ、それらを土台にしながら、「もう、この考え方には縛られなくてもいいな」と思えるものを、一つずつ手放していけばいい。すると、「こんな考え方も あるのか」「こんな商売のやり方もあるのか」「まだまだ新しいことができるではないか」と、人生の景色が変わってきます。若い頃は、「人からどう見られるか」を気にしていた私も、今は少しずつ、「自分は、これから何を残していきたいのか」を考えるようになりました。これも、65歳を過ぎたからこそ見えてきたものなのかもしれません。人生後半戦は、枷を外していく時間私は今、人生の後半戦とは、何かを諦めていく時間ではなく、余計な枷を一つずつ外していく時間なのではないかと思っています。これは、私が取り組んでいる「伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道」にも通じています。最初は「型」を学ぶ。次に「型」を繰り返し実践する。そして経験を積んだ先には、型を大切にしながらも、型だけに縛られない世界がある。私は、これが宗匠級にもつながる考え方ではないかと思っています。型を持っているからこそ、型から自由になれる。人生も同じなの かもしれません。65年間生きてきた経験があるからこそ、今になって外せる枷がある。そして、その枷を外してみると、行動が変わる。出会いが変わる。商いが変わる。そして、人生そのものが少しずつ変わっていく。「もう65歳を過ぎた」ではありません。「65歳を過ぎたからこそ、ようやく気づけた。」まだまだ人生、知らないことばかりです。だから面白い。これからは、身につけることだけではなく、余計なものを手放すことも学んでいきたい。枷を外した先に、どんな景色が待っているのか。そんなことを楽しみにしながら、これからの人生も「一笑賢明」に歩んでいきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.20
コメント(0)
題名選挙が終われば、ノーサイドになれないものか⁇スポーツの世界を見ていると、いつも気持ちが良いと思う場面があります。それは、試合が終わった後です。試合中は、本気で戦います。野球なら一点を奪うために全力を尽くし、サッカーやラグビーなら最後の最後まで身体を張って戦う。もちろん、勝ちたい。相手には負けたくない。しかし、試合終了の笛が鳴れば、勝った側も負けた側も相手を讃えます。「良い試合だった。」「また戦おう。」そこには、ノーサイドの精神があります。私は、この姿を見るたびに、「政治の世界も、 こうならないもの だろうか。」と思うことがあります。ライバルがいるから、自分も強くなれるプロ野球にもライバルチームがあります。巨人と阪神。中日と巨人。ライバルがいるからこそ、「絶対に負けたくない。」という気持ちが生まれます。しかし、相手がいなければ試合そのものが成立しません。つまりライバルとは、単なる「敵」ではないのです。自分たちを強くしてくれる大切な存在でもあります。商売も同じだと思います。競争相手がいるから、「もっと良い商品を作ろう。」「もっと喜んでいただける接客をしよう。」と努力することができます。なぜ政治には、しこりが残るのか?不思議なものです。ところが、政治の世界では少し様子が違います。選挙では、それぞれの候補者が、「地域を良くしたい。」「市民のために働きたい。」と訴えます。ここまでは、スポーツと同じです。それぞれが自分の考えを掲げ、正々堂々と競い合えば良い。ところが、選挙が終わっても、「あの人を応援した。」「あちらの陣営だった。」「前回の選挙で 何を言われた。」そんな感情が残り、時には足の引っ張り合いになってしまう。同じ地域のために働いているはずなのに、です。なぜでしょうか?スポーツには、試合終了という明確な区切りがあります。しかし政治は、選挙が終わった瞬間から次の政治活動が始まります。人間関係、支持者、組織、立場、次の選挙。いろいろなものが続いていくため、勝ち負けを簡単に切り離せないのでしょう。だからこそ、政治にはスポーツ以上に「ノーサイドの精神」が必要なのではないかと私は思います。反対意見は「敵」ではない考え方が違うことは、決して悪いことではありません。むしろ民主主義では、違う意見があることが大切です。問題なのは、「意見が違う人=敵」になってしまうことです。スポーツでは、強いライバルほどありがたい存在です。「あのチームには負けたくない。」その気持ちが、自分たちを鍛えてくれます。政治も同じではないでしょうか。「あの人とは政策が違う。」それで良いと思います。議会では徹底的に議論すればいい。選挙では正々堂々と戦えばいい。しかし、目的が本当に「地域を良くすること」なのであれば、選挙が終わった後には協力できるところは協力する。それが地域住民から選ばれた人たちの役割ではないでしょうか?勝ち負けより、その先にあるもの私は、政治の専門家ではありません。しかし、一人の地域住民として思うことがあります。選挙で勝った人も、負けた人も、その人を応援した人も、応援しなかった人も、選挙が終われば同じ地域で暮らしていきます。道路も同じ。学校も同じ。祭りも同じ。災害が起これば、一緒に助け合わなければなりません。だったら、「選挙ではライバル。地域づくりでは仲間。」そんな関係があっても良いのではないでしょうか?プロ野球でも、ライバルチームがいるから燃える。そして良い試合が生まれる。政治も、違う考えを持つ人がいるからこそ、より良い政策が生まれる。相手を倒すための競争ではなく、地域を良くするための競争へ。選挙が終われば、「今回はあなたが勝った。地域のために顔晴ってください。」そう言って握手できる。そして次の選挙になれば、また正々堂々と戦う。戦う時は本気で戦う。終わったら相手を讃える。そんな「ノーサイドの精神」が政治の世界にも広がれば、地域はもっと良くなるのではないでしょうか。足を引っ張り合う政治より、互いに高め合う政治へ。私は、そんな地域社会であってほしいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.20
コメント(0)
題名私が中学生だった頃の、亡き父親との思い出とは??父親は、ある日突然、それまで勤めていた会社を辞めました。そして、私が中学2年生の頃、子どもたちのための剣道教室を始めたのです。父親は国体にも出場した経験を持つ剣道家でした。それまでも地元の警察署や公民館、体育館などで、ほぼ毎週日曜日の午前中、子どもたちにボランティアで剣道を教えていました。そんな父親が、ある時、私に言いました。「としあき、お父さんは今まで仕事、仕事で、地域に何も貢献できなかった。これからは地域のためにも活動する」そして、もう一つ、今でも忘れられない言葉があります。「今の学校教育には、足りないものがたくさん出てきた。それは、気品や礼節だと思う」当時、中学生だった私には、その言葉の本当の意味までは分かりませんでした。父親は、言葉遣いが乱れてきたことも心配していました。そして、「日本の伝統や歴史を、次の世代へ正しく伝えていく義務と責任がある」と、よく話していました。だから父親にとって剣道教室は、剣道が強い子どもを育てるだけの場所ではなかったのです。挨拶をする。相手を敬う。姿勢を正す。感謝する。負けても相手を称える。負けて弱みを教えて頂いた。また自分より弱い人に威張らない。そんな、人として生きていくための「礼節」を、剣道を通して子どもたちに伝えたかったのが目的でした。51才と言う若さでガンで亡くなりました。でも私の心の中では今でも生きています。父親は、とても厳しい人でした。しかし、親子の会話はたくさんありました。兄貴や弟とも、ときにはケンカをしましたが、三兄弟は仲が良かった。振り返ってみると、父親は自分の考えを一方的に押しつけるだけではなく、家庭の中でも子どもたちと向き合い、話すことを大切にしていましたー。あれから長い年月が経ちました。私自身も年齢を重ね、父親が当時言っていた、「地域に貢献する」「気品と礼節を大切にする」「日本の伝統や歴史を次の世代へ伝える」という言葉の意味が、少しずつ分かるようになりました。もちろん仕事で成功することも大切です。お金や財産を残すことも必要でしょう。しかし、それだけではない。自分が学んできたことを、地域や次の世代へ返していく。そして、人を育てる「教育」を残していく。父親が始めた小さな剣道教室には、そんな想いが込められていたのではないでしょうか?亡くなってから分かる、父親の言葉があります。中学生だった私は、父親から剣道以上に大切なものを教えてもらっていた。今になって、そう感じています。そして今度は、私たちの世代が次の世代へ何を残していくのか?父親から渡された一本の「教育という襷」を、私なりの方法で次へつないでいきたいと思っています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.19
コメント(0)
題名目的と手段を間違えない――伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道とは??商いを長く続けていると、「売上を上げることが 目的ですか?」と聞かれることがあります。もちろん、会社ですから売上も利益も必要です。利益がなければ、スタッフさんのお給料も払えません。会社を続けることも、地域に貢献することもできません。しかし私は、売上そのものが、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の最終目的ではないと考えています。ここには、「目的」と「手段」の違いがあります。目的は、お客様に喜んでいただくこと。私が考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の目的。それは、目の前のお客様をよく見て、その方に喜んでいただき、人と人との良いご縁を育んでいくこと。もっと簡単に言えば、「あなたから 買って良かった」「あなたに会えて 良かった。」「また会いたい」と思っていただける関係をつくることです。商品を売って終わりではありません。私は「ヒットより フィット」が大切だと思っています。一度の大きな売上という「ヒット」を狙うより、お客様一人ひとりとの小さな「フィット」を積み重ねていく。それが結果として、長い商いにつながっていくのではないでしょうか。では、手段とは何でしょうか?目的を実現するために、私たちはいろいろな「手段」を使います。例えば、「いらっしゃいませ」ではなく、「ありがとうございます」から会話を始める。お客様の表情を見る。歩く速さを見る。ご夫婦や親子の会話に耳を傾ける。困っている方がいれば、商品とは関係なくお声がけする。道の駅なら、トイレやゴミ箱の場所をご案内することもあります。地域のお祭りや観光情報をご紹介することもあります。これらはすべて、目的ではなく手段です。接客技術も、会話術も、商品知識も、観察力も、AIも、SNSも、キッチンカーも、すべて手段だと私は考えています。大切なのは、「何をするか」の前に、「何のためにするのか」を忘れないことです。手段が目的になると、商いがおかしくなるここを間違えてはいけません。例えば、「売上を上げるために、お客様に声をかける」だけになってしまったら、どうでしょうか?お客様を見るのではなく、財布を見る商いになってしまうかもしれません。SNSも同じです。フォロワーを増やすことが目的になる。再生回数を増やすことが目的になる。接客でも、「マニュアル通りに できた」ことが目的になる。すると、いつの間にか人が見えなくなってしまいます。私は、ここが怖いと思っています。「ありがとうございます」という言葉でさえ、それを言えば売れるという「テクニック」になった瞬間、伎芸ではなくなります。言葉は同じでも、心が違うからです。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道で大切なのは、形を真似することではありません。なぜ、その言葉を使うのか?なぜ、そのお客様に声をかけるのか?なぜ、あえて声をかけずに見守るのか?その「なぜ」を考え続けることだと思っています。目的は変えず、手段は変えていく時代が変われば、商いの手段も変わります。昭和の接客と令和の接客は違います。基本は同じでも異なります。インターネットが生まれ、SNSが広がり、そして今はAIも身近になりました。これから先も、新しい手段は次々と生まれてくるでしょう。だから私は、手段は変えていい。むしろ、変え続けなければならない。と思っています。しかし、目的まで簡単に変えてはいけません。人を大切にする。相手をよく見る。相手の見えない気持ちを想像する。感謝から商いを始める。そして、お客様、働く人、会社、地域が少しずつ幸せになる商いを育てる。これが、私が考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の目的です。売上や利益は大切です。しかし、それは目的を正しく追い続けた結果として生まれる「得点」でもあると思います。野球に例えるなら、一発のホームランばかりを狙うのではありません。お客様とのキャッチボールを続け、小さなフィットというヒットを一本一本積み重ねる。その積み重ねが、やがて得点になる。だからこそ私は、日々自分自身にも問いかけています。「今やっていることは、目的なのか。それとも手段なのか?」この問いを忘れないこと。それもまた、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道を実践するうえで、大切な修行の一つなのだと思っています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.18
コメント(0)
題名愛知と茨城、二つの「地元」とは??私は、高校野球が大好きです。高校球児たちが、仲間と声を掛け合いながら白球を追いかける姿を見ると、毎年のように胸が熱くなります。私は愛知県名古屋市で生まれ、18歳まで愛知県で育ちました。そして現在は、茨城県で暮らして、まもなく40年になります。ですから高校野球が始まると、愛知県代表も気になりますし、もちろん茨城県代表も応援します。私には、密かな夢があります。甲子園の決勝戦で、愛知県代表と茨城県代表が戦うことです。もし実現したら、どちらを応援するのか?これは困ります。でも、どちらが勝っても嬉しい。そんな贅沢な決勝戦を、いつか観てみたいと思っています。強い学校に集まることも、一つの選択?近年の高校野球を見ていると、私立高校の活躍が目立ちます。全国から優秀な選手が集まり、高いレベルの指導を受けながら甲子園を目指す。「強いチームで野球をやりたい」「甲子園に出場したい」「もっと上の世界を 目指したい」そう考える高校生の気持ちは、私にもよく分かります。自分の可能性を伸ばすために環境を選ぶことも、大切な決断だと思います。だから私は、私立高校だからどう、公立高校だからどう、という見方をしたいわけではありません。それぞれに、それぞれの良さがあります。なぜか公立高校を応援したくなる?ところが、65歳を過ぎた頃からでしょうか。高校野球を見る私自身の視点が、少しずつ変わってきました。最近は、地元出身の選手が多い高校や、公立高校が勝ち進んでいると、ついつい応援したくなるのです。なぜだろう?考えてみると、長年、小さな会社を経営してきた自分の人生と重ね合わせているのかもしれません。公立高校には、全国から有力選手を集めることが難しい学校も数多くあります。設備や環境にも違いがあるでしょう。それでも、今いる選手たちが知恵を出し、工夫し、仲間を信じ、一つの勝利を目指していく。その姿を見ると、「小さな会社が、大きな会社に挑戦している姿と似ているなあ」と感じるのです。サッカーやバレーバスケット剣道柔道ハンドボール部などにも言えます。小さいからこそ、生まれる力がある中小企業も同じです。大企業のように、人も、お金も、設備も十分にあるわけではありません。だからこそ、「今いる仲間で、何ができるだろう?」「自分たちの強みは何だろう?」「どうすれば、お客様に喜んでいただけるだろう?」と考えます。スター選手がいなくても、守備を磨く。一発のホームランがなくても、送りバントや走塁を大切にする。そして、一人ひとりが自分の役割を果たし、みんなで一点を取りにいく。私は、そんな野球が好きになりました。商いも同じではないでしょうか?いかがでしょうか?大きいから強いとは限らない。小さいから弱いとも限らない。小さいからこそ、お客様の顔が見える。小さいからこそ、仲間同士で声を掛け合える。小さいからこそ、状況に合わせて素早く動くことができる。65歳を過ぎた今、高校野球を観ながら、そんなことを考えるようになりました。これからも私は、愛知県代表と茨城県代表を応援します。そして同時に、地元の選手たちが多い高校や、公立高校が一生懸命に戦う姿にも拍手を送りたい。甲子園には、勝ち負けだけではない「小さな組織が力を合わせる素晴らしさ」がある。高校野球を観ながら、私は今日も商いを学ばせていただいています。顔晴れ(がんばれ)しましょう、願晴れ(がんばれ)しましょう。羽富 都史彰
2026.08.18
コメント(0)
題名若い世代スタッフたちから,学ぶ⁇今日、我が社がお借りしている借地の草刈りと清掃を、朝9時30分から12時過ぎまで行いました。夏の草は、本当に元気です。刈っても、刈っても、また伸びてくる。汗をかきながら作業をしていると、今日は思いがけず、とても嬉しい出来事がありました。「いつもありがとう ございます」草刈りをしていると、我がビル内で働いている美容サロンの美容師さんが声をかけてくれました。40歳前後の方です。「おじさん、いつもありがとうございます。休み、休み、アイスコーヒーを飲みながらやってくださいね。」そう言って、アイスコーヒーを差し入れてくださいました。その後30分あとぐらいに。さらに、マツエク店舗で働く20歳代半ばの女性スタッフさんからも、ペットボトルのお茶をいただきました。「いつも綺麗に草刈りと清掃をしていただいて、ありがとうございます。」そんな言葉まで添えてくれました。もちろん私は、「こちらこそ、 ありがとう ございます。」とお礼を申し上げました。20歳代の女性スタッフさんとの雑談から休憩しながら、その20歳代の女性スタッフさんと少し雑談をしました。そこで聞いた話に、私は驚きました。彼女は、おじいちゃん、おばあちゃんから、子どもの頃からこんなことを言われてきたそうです。「庭掃除や近所の清掃をしている人を見かけたら、お茶ぐらい 差し入れするんだぞ。」「隣り近所を 大切にするんだ。」さらに、社会人になってからも、「勤務先でも、隣り近所の店舗の人たちへの挨拶を忘れるな。」「自分たちのところだけではなく、 周りの清掃も 大切にしなさい。」そんなことを祖父母から教えられてきたそうです。私は、この話を聞いて感動しました。礼儀作法は、年齢ではない私は改めて思いました。礼儀作法とは、年齢で身につくものではないのかもしれません。20歳代でも、周りをよく見て、相手を気遣い、自然に行動人がいる。反対に、年齢を重ねても、自分のことだけしか見えなくなってしまうこともあります。大切なのは、「誰から、何を教わり、それを日々の暮らしの中で実践しているか」なのではないでしょうか?いかがでしょうか?おじいちゃん、おばあちゃんから教わった、「隣り近所を大切にするんだ。」という言葉。それを彼女は、知識として覚えているだけではありませんでした。暑い中で草刈りをしている私を見て、「お茶を差し入れしよう。」と実際の行動に移したのです。私は、ここが素晴らしいと思いました。教えとは、覚えていることではなく、行動に表れたときに初めて生きたものになる。そんなことを、若いスタッフさんから教えていただいた気がします。草刈りをしていた私が、心を綺麗にしていただいた。ありがたいことです。今日、私は借地を綺麗にするために草刈りと清掃をしていました。ところが、終わってみれば、綺麗にしていただいたのは、私自身の心だったのかもしれません。「いつもありがとうございます。」「休みながらやってくださいね。」「隣り近所を大切にするんだ。」どれも難しい言葉ではありません。しかし、そこには、人と人とが気持ち良く暮らし、働いていくための大切な知恵があります。商売も同じだと思います。自分のお店だけが良ければいい。自分の会社だけが儲かればいい。それでは、地域に根を張った商いにはなりません。お客様を大切にする。一緒に働く仲間を大切にする。そして、隣り近所の人たちも大切にする。そんな小さな心配りの積み重ねが、地域の中での信頼につながっていくのだと思います。若くても、礼儀作法がしっかりしている。そして、祖父母から受け継いだ教えを、自然に行動へ移している。今日は本当に気持ち良く、草刈りをすることができました。草を刈り、地域を綺麗にする。そして、人の優しさに触れて、自分の心も綺麗になる。今日の草刈りは、そんな大切なことを若い世代から教えていただく時間となりました。感謝です。参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.17
コメント(0)
題名後継者・次期幹部候補者の皆さんへ~最初からできなくていい。役割を与えられてから人は育つ~役職をもらった日から、もう一度「新人」になる「店長の仕事ができないから、店長なんです!!!」この言葉には、後継者や次期幹部候補者の皆さんにも通じる、大切な意味があると思います。後継者になったからといって、すぐに経営者と同じ判断ができるわけではありません。私も二代目です。時間をかけて少しずつ少しずつ学んでいきました。まだまだ勉強中です。幹部になったからといって、すぐに人を育てられるわけでもありません。むしろ、新しい役割を与えられた瞬間から、その役割についての新しい勉強が始まるのです。できないことがあるのは、恥ずかしいことではありません。大切なのは、できないことから逃げないことです。創業者と同じになる必要はない後継者になると、どうしても創業者や先代と自分を比べてしまいます。「自分には、あんな判断はできない」「まだまだ経験が足りない」そう感じることもあるでしょう。しかし、創業者には何十年という経験があります。その経験を、数年で追いつこうとする必要はありません。そして、創業者のコピーになることが事業承継でもありません。大切なのは、「なぜ、先代はこの判断をしたのだろう?」と考えることです。結果だけを真似するのではなく、その背景にある考え方を学ぶことが大切なのです。失敗を「実践値」に変える伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道では、現場での経験を大切な実践値と考えています。後継者や次期幹部候補者も、失敗を恐れすぎてはいけません。もちろん、会社を大きく揺るがす失敗は避けなければなりません。しかし、小さな失敗をした時、「自分は経営者に 向いていない」と決めつける必要はありません。「なぜ、うまくいかなかったのか?」そして、「では、どうすれば 良かったのか?」と考える。見る。聴く。感じる。考える。そして行動する。この繰り返しによって、自分なりの判断力が少しずつ育っていくのです。受け継ぐものは会社だけではない。後継者や次期幹部候補者の皆さんに受け継いでほしいものは、会社や売上、商品だけではありません。先代が失敗から学んできたこと。お客様との信頼。働く仲間を大切にする心。そして、自分で考え、自分で判断する力です。守るべきものは守る。しかし、時代に合わなくなったものは勇気を持って変えていく。そのためには、先代の答えを覚えるだけではなく、自分で答えを見つける力が必要です。そして、いつか 皆さん自身が次の世代を育てる立場になります。事業を継承するだけではなく、教育を継承する。先代を超える必要も、先代と同じになる必要もありません。昨日より今日、今日より明日へ。失敗を一つひとつ「実践値」に変えながら、自分らしい経営者、自分らしい幹部へ育っていく。それが、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道流の「後継者の育ち方」ではないでしょうか。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.17
コメント(0)
夏になると、すぐ伸びる雑草⁇夏のこの時季。少し油断すると、雑草が驚くほどの勢いで伸びてきます。草刈り機を使って、きれいに刈る。汗をかきながら作業を終え、きれいになった場所を見ると、とても気持ちが良いものです。ところが、しばらくすると、「あれ? また伸びてきた。」つい先日、草刈りをしたばかりなのに、雑草は何事もなかったように顔を出します。そこで今度は、除草剤をバランス良く使ってみる。確かに楽です。しかし、それでも時間が経てば、また新しい雑草が生えてきます。私は草刈りをしながら、「これって、商いにも似ているなぁ。」と思いました。見えている部分だけをきれいにしていないか?商売でも、目の前に現れた問題だけを解決して、「これで大丈夫。」と思ってしまうことがあります。売上が落ちたから、値引きをする。お客様が減ったから、広告を出す。スタッフが辞めたから、急いで求人募集をする。もちろん、どれも必要な対策です。しかし、それは草刈り機で、目に見えている雑草を刈っているだけなのかもしれません。大切なのは、「なぜ、そうなったのだろう?」と考えることです。なぜ、お客様が来なくなったのか?なぜ、商品が売れなくなったのか。なぜ、スタッフが長く続かないのか?表面だけを見るのではなく、その奥にある「根っこ」を探すことが大切だと気づきました。伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道も「根っこ」を見る私は、ここに「伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道」との共通点を感じます。伎芸型では、単に商品を売ることだけを考えません。お客様の表情、歩き方、会話、ちょっとした仕草を観察しながら、「この方は、何を求めているのだろう?」「言葉には出していないけれど、何か困っていることはないだろうか?」と考えます。つまり、見えている現象ではなく、その下にある「見えない根っこ」を想像する。これが大切なのだと思います。草刈り機を使えば、短時間できれいになります。除草剤も上手に使えば、とても便利です。それらを否定する必要はありません。商いでも、効率化やAI、広告、販売促進など、便利な道具は積極的に活用すれば良いと思います。ただし、便利なものだけに頼り、根っこを見ることを忘れてはいけません。楽をすることと、手を抜くことは違う雑草を一本一本、根っこから抜く。時間もかかります。腰も痛くなります。汗もかきます。決して効率の良い仕事には見えません。しかし、根っこまで見ようとするからこそ、次に何をすれば良いのかが分かってきます。商いも同じではないでしょうか?いかがでしょうか?売上という「結果」だけを見るのではなく、お客様との関係、スタッフとの信頼、地域とのつながりという「根っこ」を大切に育てていく。楽をすることと、手を抜くことは違います。便利な道具をバランス良く使いながらも、ときにはしゃがみ込み、自分の手で根っこを確かめる。伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道とは、そんな地道な商いなのかもしれません。草刈りをしながら、改めて思いました。見えている雑草を刈るだけではなく、見えない根っこを見る。人も、商いも、問題の本質は、案外「見えないところ」に隠れているのではないでしょうか?いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.15
コメント(0)
【題名】8月15日を、どのように伝えていくのか⁇8月15日。日本では「終戦の日」として、戦争で亡くなられた多くの方々を偲び、平和について考える大切な日です。私は改めて、『終戦の詔書』を読み返してみました。名古屋空襲で実父の母親や兄弟妹を亡くしました。父親は爆風で死にはぐりました。指3本出ている父親の手を通りすがりの人たちが観て助かりました。昭和20年(1945年)8月15日、昭和天皇のお言葉がラジオを通して国民に伝えられました。いわゆる「玉音放送」です。しかし、今の30代や子どもたちが原文を読んでも、「朕」「爾臣民」「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」など、難しい言葉が多く、内容を理解することは簡単ではありません。だからこそ私は思います。大切なのは、難しい文章を覚えることではない。そこに込められた意味を、次の世代にわかりやすく伝えることではないか。そんな気持ちで、改めて『終戦の詔書』を考えてみました。「堪え難きを堪え」の本当の意味戦争は約4年間にわたり続きました。多くの将兵が亡くなり、一般の人々も空襲などによって命を失いました。そして広島、長崎には原子爆弾が投下されました。『終戦の詔書』には、このまま戦争を続ければ、日本民族だけでなく、人類の文明にまで大きな災いを及ぼしかねないという強い危機感が記されています。そこで昭和天皇は、戦争を終わらせる決断をされました。有名な、「堪ヘ難キヲ堪ヘ、忍ヒ難キヲ忍ヒ」という言葉があります。私は若い世代には、ここだけで終わらせず、その後に続く言葉まで知ってほしいと思います。「以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」現代の言葉にすれば、「耐えることが難しい苦しみに耐え、未来の世代のために平和への道を開いていこう」という意味になります。ただ我慢しなさい、と言っているのではありません。その先にある「未来の平和」を見つめているのです。終戦は「終わり」ではなく「始まり」だった私は、ここがとても大切だと思います。昭和20年8月15日に戦争は終わりました。しかし、翌日から突然、幸せな生活が戻ってきたわけではありません。焼け野原になった街。家族を失った人。家を失った人。仕事を失った人。食べるものにも困った人。日本中に、大変な苦労が残されていました。つまり、終戦は「苦しみの終わり」であると同時に、「日本をもう一度つくる始まり」でもあったのです。『終戦の詔書』の後半には、怒りに任せて争ってはいけない、日本人同士で排除し合ってはいけない、道義や信義を大切にし、力を将来の建設へ向けようという趣旨が記されています。私は、ここに今の時代にも通じる大切な教えがあるように感じます。意見が違うから相手を攻撃する。自分と考え方が違うから排除する。感情的になり、相手を傷つける。それでは平和は育たないのではないでしょうか。平和とは、戦争がないことだけではありません。身近な人を大切にする。相手の立場を考える。違う考えにも耳を傾ける。そして、次の世代の幸せを考える。そんな日々の小さな積み重ねもまた、平和につながっていくのだと思います。私たちは、次の世代に何を残すのか?戦争を直接経験した方々は、年々少なくなっています。だからこそ、私たち戦後世代には大切な役割があると思います。子どもたちや若い世代に、「戦争は怖いものだった。」と伝えるだけではなく、なぜ戦争が起きたのか。なぜ戦争を終わらせなければならなかったのか。そして、戦争の後、人々はどのように日本を立て直したのか。一緒に考えていくことです。いかがでしょうか?私たちが今、当たり前のように食事をし、家族と笑い、仕事をし、子どもたちの成長を見守ることができる。その「当たり前」は、決して最初からあったものではありません。多くの犠牲と、その後の人々の努力の上に、今の日本があります。だから私は8月15日を、単に昔の戦争を振り返る日だけにはしたくありません。過去から学び、今に感謝し、未来を考える日。そして、「私たちは、子どもや孫たちに、どのような日本を残していくのか?」自分自身に問いかける日にしたいと思います。「堪え難きを堪え、忍び難きを忍び」その先にある言葉は、「万世のために太平を開く」――未来のために平和への道を開く。80年以上の歳月を経た今だからこそ、この言葉の意味をもう一度考えたいものです。平和は、誰かがつくってくれるものではない。一人ひとりが相手を思いやり、対話し、次の世代を思いながら、毎日の暮らしの中で育んでいくものなのかもしれません。戦争で尊い命を失われたすべての方々に、心より哀悼の意を表します。そして、子どもたち、孫たち、その先の世代まで、穏やかな日々が続くことを願います。平和を願います。令和8年8月15日を迎えるにあたり。羽富 都史彰
2026.08.15
コメント(0)
台風の日の会話から学ぶ「見えないものを見る力」〜 お客様との何気ない会話は、大切な教科書 〜山の日、台風の道の駅で8月11日、山の日のことでした。台風の影響なのでしょうね。道の駅常総は、風がびゅうびゅうと強く吹いて、雨も激しく降ったり止んだり。なんとも落ち着かない一日でした。そんな中、店内で50歳代くらいのご夫婦の会話が、ふと耳に入ってきたんです。奥様が「今日は何となく身体がだるいのよね」とお話しされていました。それを聞いて、私はこう思いました。「もしかしたら、台風の気圧の変化が関係しているのかな?」と。実際、お天気や気圧が変わると、頭痛やめまい、だるさを感じる方がいらっしゃると言われていますからね。決めつけないで、「もしかしたら?」と考えるでもね、ここで大事なことがあるんです。それは「きっと気圧のせいに違いない」と、勝手に決めつけないこと。私が大切にしている「伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道・宗匠(そうしょう)級コース」では、こんな流れを繰り返します。まず、よく観察する。次に「なぜだろう?」と考える。そして「もしかしたら?」と仮説を立てる。それから、会話や行動の様子から確かめてみる。最後に、ちょっとずつ微調整する。この繰り返しなんです。お客様の表情、歩く速さ、ご夫婦の会話、買い物の仕方。その一つひとつには、アンケートや売上の数字だけでは見えてこない「見えない気持ち」が隠れていることがあるんですよ。「台所に立ちたくない」の一言からたとえば、お客様の「今日は台所に立ちたくないわ」という何気ない一言。ここから想像を膨らませてみるんです。「暑いから、揚げ物なんてしたくないんじゃないかな?」「晩ご飯を、少し楽にしたいんじゃないかな?」と。それなら、夕方はコロッケが売れるかもしれない。そう考えて、準備をしておく。これも一つの仮説です。もちろん、当たることもあれば、外れることもあります。でも、外れたら、また微調整すればいいんです。私はね、宗匠というのは「何でも分かる人」のことではないと思っています。むしろ逆なんです。分からないから、よく見る。分からないから、よく聴く。分からないから「なぜだろう?」と考える。そして、小さく実践してみる。この姿勢こそが、宗匠級で身につけたい「見えないものを見る力」ではないでしょうか。お客様との会話は、大切な教科書決めつけるのではなく、まず気づく。気づいたら、仮説を立てる。その仮説を、現場で確かめてみる。この積み重ねこそが、おもてなし商売の土台になるんです。お客様との何気ない会話も、私にとっては大切な教科書です。台風の日の、ご夫婦のささやかな会話。そこから今日もまた、お客様に商いを一つ教えていただきました。これもまさに、「我が人生、皆我師」なのです。#ロコレディ#キッチンカー#羽富 都史彰羽富 都史彰
2026.08.12
コメント(0)
題名「名は残らずとも、技術は未来へ残る」~田村誠一郎技師と曽根嘉年技師から学ぶ「教育を残す」という生き方~私は最近、一冊の本との出会いをきっかけに、改めて先人たちの偉大さを考えるようになりました。『三菱海軍戦闘機設計の真実―曽根嘉年技師の秘蔵レポート』という本です。この本を読み進める中で、私の心に浮かんできた人物がいます。それは、亡き父の叔父にあたる田村誠一郎技師です。田村技師も、三菱航空機で零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」の開発に携わった技術者の一人と伝えられています。公開されている資料は多くありませんが、日本の航空技術を支えた設計チームの一員として、ものづくりに情熱を注いだことは間違いありません。一方、本書の主人公である曽根嘉年技師は、九六式艦上戦闘機から零戦、そして烈風まで、日本海軍を代表する戦闘機の設計に携わった技術者です。一般には「零戦を設計したのは堀越二郎」という印象が強いかもしれません。もちろん、それは間違いではありません。しかし、一機の飛行機は一人では完成しません。構造を考える人、強度を計算する人、空気の流れを解析する人、生産方法を考える人、試験飛行の結果を設計へ反映する人。数え切れないほど多くの技術者たちが知恵を出し合い、初めて一機の飛行機が空へ飛び立つのです。私は、この姿を見て、自分たちの商売とよく似ていると感じました。お客様の前に立つ販売スタッフだけが商売をしているのではありません。商品を企画する人。仕入れを担当する人。経理を支える人。掃除をする人。配送する人。そして、お客様。すべての人の力が重なって、一つの「おもてなし」が完成します。まさに、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道が目指している姿そのものです。さらに私が感銘を受けたのは、曽根技師が終戦後も設計資料や技術メモを大切に保管していたことです。戦後、多くの資料が失われる中で、曽根技師が残した記録によって、当時の技術者たちが何を考え、何に悩み、どのような判断をしたのかが、今になって分かるようになりました。これは単に資料を残したという話ではありません。私は、「教育を残した」のだと思います。技術は時代とともに進歩します。しかし、「なぜ、その判断をしたのか」という思考は、何十年経っても学び続けることができます。だからこそ、曽根技師が残した資料には、未来の技術者を育てる力があります。私は、創業者である父・羽富正三から「教育を残せ」という教えを受けました。財産は時代とともに形を変えます。建物も設備も、いつかは古くなります。しかし、人を育てる知恵は、何十年経っても価値が色あせません。だから私は、自分が四十年以上かけて実践してきた商売の知恵を、『伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道』として一冊の本にまとめました。これは自分のためではありません。未来の商人や経営者、地域で頑張る若い世代へ、小さな灯を渡したいという願いからです。田村誠一郎技師も、曽根嘉年技師も、決して自分だけが目立とうとした方ではなかったでしょう。しかし、その技術と志は、今なお多くの人に影響を与えています。華やかな表舞台に立つ人もいれば、舞台裏で支える人もいます。私は、そのどちらも同じくらい尊い仕事だと思います。商売も、地域づくりも、教育も、一人では成し遂げられません。人と人が支え合い、知恵を受け継ぎ、次の世代へ手渡していく。その積み重ねが、百年後の日本をつくるのではないでしょうか。私はこれからも、田村誠一郎技師や曽根嘉年技師のように、「自分が何を残すか」ではなく、「次の世代に何を伝えられるか」を大切に歩んでいきたいと思います。名は残らなくてもいい。人が育ち、知恵が受け継がれるなら、それこそが本当の財産であり、「教育を残す」ということなのだと、私は信じています。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。#羽富 都史彰#ロコレディ
2026.08.09
コメント(0)
「我が人生、皆我師」――中学時代の恩師が教えてくれたこととは??私の人生を振り返ると、「あの先生との出会いがなかったら、今の私はいない」と思える方が何人もいます。その中でも、中学二年生の時に赴任してこられた岩田先生との出会いは、私の人生を大きく変えました。私は野球部に所属していましたが、父は剣道家。武道を教える厳しい父親でした。もし岩田先生が赴任されていなかったら、父はきっと「野球部を辞めて剣道部へ行け」と言ったことでしょう。間違い無く言う父親です。実弟は中学までは野球部。高校の時には無理やり剣道部へ。剣道部やるための高校。高校先は父親が決めた。当時の私は、父に逆らえる性格ではありませんでした。「はい。」そう答えるしかなかったとのです。しかし、岩田先生が赴任してきました。父は岩田先生を信頼し、そのまま野球部に所属することを認めてくれました。今思えば、それは私の人生の大きな分岐点でした。岩田先生の指導は、決して怒鳴る指導ではありません。「どうしてそうなったのか。」「どうすればもっと良くなるのか。」自分で考え、自分で気づくことを大切にする先生でした。私は、この「気づかせる教育」の大切さを、先生の姿から自然と学んだのです。もう一人、忘れられない恩師がいます。社会科の石井先生です。ある日、先生が私に問いかけました。「おい、トシ坊。豊臣秀吉はどんな武将だったと思う?」私は一生懸命考え、「立身出世した人です。」と答えました。すると先生は、「まだあるだろう。」と、さらに考えさせます。どれだけ考えても答えが浮かびません。困り果てた私は、とっさにひらめいて、「先生、豊臣秀吉は私のような人です。」と答えました。教室中が大笑いになり、とても恥ずかしい思いをしました。しかし、今振り返ると、あの一言には、どこか自分らしさが表れていたようにも感じます。秀吉は、多くの人の力を借りながら、人をまとめ、大きな仕事を成し遂げた人物です。私自身も、後になって地域活動や商売を続ける中で、「人と人をつなぐ役割」が自分の強みなのだと気づきました。石井先生は、答えを教える先生ではありませんでした。問いを投げかけ、自分自身で考えさせてくれる先生でした。だからこそ、その学びは五十年以上経った今でも心に残っています。私はよく、「我が人生、皆我師」という言葉を口にします。恩師だけではありません。お店に来てくださる子どもたちからも学びます。孫たちからも学びます。お客様からも、スタッフからも、地域の皆様からも、毎日のように気づきをいただいています。年齢や立場は関係ありません。学ぼうとする心さえあれば、目の前にいるすべての人が先生になります。私は、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道とは、技術だけを磨くことではないと思っています。人との出会いを大切にし、相手から学び、自分自身も成長し続けること。その積み重ねが、やがてお客様へのおもてなしとなり、地域への貢献となり、次の世代へ受け継がれる「教育を残す」という創業者の教えにもつながっていくのだと感じています。私にとって人生とは、学校を卒業して終わるものではありません。人生そのものが学びの場であり、「我が人生、皆我師」の心を忘れず、これからも一人ひとりとのご縁を大切に歩んでいきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.08
コメント(0)
出かけるたびに、私はつい「お客様の行動」に目が向いてしまいます。職業病と言えば、それまでかもしれません。しかし、私にとっては長年積み重ねてきた「観察する習慣」なのです。私は長くレディースアパレルの小売業に携わってきました。そのため、デパートや商業施設へ行くと、自然と婦人服売場や下着売場にも足を運びます。全く違和感を感じません。商品を見るだけではありません。「お客様はどこで立ち止まるのか。」「スタッフはどんなタイミングで声をかけるのか。」「店内の導線や陳列はどう工夫されているのか。」そんなことを、いつも静かに観察しています。建築業界の経営者の方からは、「羽富さん、すごいですね。私には婦人服売場や下着売場へ入る勇気はありません。」と驚かれることがあります。確かに、男性にとっては入りづらい場所なのかもしれません。しかし、私にとっては40年近く携わってきた仕事の現場です。そこには何の違和感もありません。抵抗感もないです。大学を卒業してアパレルメーカー時代の1年目ぐらいは緊張しましたが、今は何も感じません😕。また、売場の女性スタッフの皆さんから怪しまれたり、不審な目で見られたりしたこともほとんどありません。それは、お客様として商品を見ながら、同時に商いを学ばせていただいている姿勢が自然に伝わっているからではないかと思います。私は「見る」のではなく、「学ぶ」ために売場へ入ります。伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道でも大切にしているのは、「人を観察すること」ではなく、「人の気持ちを感じ取ること」です。お客様は何を探しているのか。何に迷い、何に安心し、何に喜びを感じるのか。その答えは、机の上ではなく、現場にあります。だから私は、出かけるたびに売場へ立ち寄ります。一流のお店ほど、多くの気づきを与えてくださいます。商いとは、商品を売る技術だけではありません。人の動き、人の心、人の表情を学び続けることです。私はこれからも、お客様の行動にフォーカスしながら、一つひとつの気づきを積み重ね、伎芸型おもてなし商売道をさらに磨いていきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.07
コメント(0)
安達裕哉氏の『頭のいい人が話す前に考えていること』は、「話し方」の本ではありません。「話す前に何を考えるか」を教えてくれる本です。私は、この本を読みながら、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道との共通点が数多くあると感じました。一方で、大切な違いもあります。共通点① 相手を中心に考えるこの本では、自分が何を話したいかではなく、「相手は何を求めているのか」を考えることが重要だと説かれています。これは、伎芸型おもてなし商売道の基本と同じです。私たちは、お客様に商品を売る前に、「今日は何をお困りなのだろう。」「どんな気持ちでご来店されたのだろう。」と考えます。つまり、話す前に考えることは、おもてなしの第一歩なのです。共通点② 信頼は言葉より行動で築く本書では、頭のいい人ほど必要以上に自分を大きく見せないと書かれています。伎芸型でも同じです。「ありがとうございます。」という一言も、ただ口にするだけでは意味がありません。表情や立ち居振る舞い、目線、間の取り方など、言葉と行動が一致して初めて、お客様との信頼が生まれます。信頼とは、話術ではなく、日々の積み重ねから育まれるものです。共通点③ 感情を整えてから言葉を選ぶ忙しい時ほど、人は強い口調になりがちです。しかし、本書では、感情に任せて話すのではなく、一度考えてから話すことの大切さを伝えています。これは、私がスタッフにも伝えている、「取引先がミスをした時ほど、沈着冷静に話そう。」という考え方と一致します。相手を責めるのではなく、どうすればより良くなるかを一緒に考える姿勢が、長いお付き合いにつながります。伎芸型おもてなし商売道との違い一方で、違いもあります。① 本書は「話し方」が中心この本は、会議や商談、プレゼンテーションなど、話す技術を高めることを目的としています。つまり、「どう伝えれば相手に伝わるか」を学ぶ本です。② 伎芸型は「話す前」から始まっている伎芸型では、話す前に見る。感じる。気づく。待つ。寄り添う。これらを何より大切にしています。お客様が店内を歩く速度。洋服を手に取る時間。同行者との会話。表情の変化。こうした「言葉にならない情報」を感じ取ることが、おもてなしの出発点です。つまり、本書が「話す前に考える」ことを重視するのに対し、伎芸型は、「話す前に観る、感じる、寄り添う」ことを重視しています。③ ゴールの違い本書の目的は、伝わる会話をすること。一方、伎芸型おもてなし商売道の目的は、お客様との良いご縁を育てること。商品を売ることだけではありません。また来たい。この人に会いたい。ありがとうと言いたい。そんな関係を築くことが、伎芸型の目指す商いです。まとめ『頭のいい人が話す前に考えていること』は、「相手に伝わる話し方」を学ぶ一冊です。一方、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道は、「相手の心に寄り添うあり方」を実践する商売道です。両者に共通するのは、相手を尊重し、信頼を築くことを大切にする姿勢です。しかし、伎芸型はさらに一歩進み、話す前の「観察」「気づき」「思いやり」を重視します。そして、その積み重ねが、お客様との長いご縁を育てます。私は、「話す前に考える」だけでなく、「話す前に感じる」ことが、おもてなしの真髄ではないかと考えています。それこそが、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道が大切にしている、「見えない心を見える行動に変える」という実践の知恵なのです。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.08.06
コメント(0)
~偶然を待つのではなく、ご縁を育てる商いとは?~ダンカン・ワッツ著『偶然の科学』は、「なぜ、ある商品や本だけが大ヒットするのか」「なぜ人や情報は広がるのか」を、ネットワーク科学や社会実験をもとに解き明かした一冊です。この本を読みながら、私は伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道との共通点を数多く感じました。しかし同時に、商いに対する考え方には大切な違いもあると感じました。共通点① 人との「つながり」を大切にする本書では、成功は商品の良し悪しだけでは決まらず、「誰と誰がつながっているか」という人のネットワークが大きく影響すると説いています。伎芸型おもてなし商売道も、まさに「人と人とのつながり」を大切にします。商品だけで選ばれるのではなく、「羽富さんに会いたい。」「ロコレディさんだから安心。」「また相談したい。」そう思っていただける関係づくりこそ、長く愛される商いの土台になります。共通点② 成功は一つの要因では決まらない『偶然の科学』では、ベストセラーや大ヒットは、一つの才能や努力だけでは説明できず、多くの条件が重なって生まれると述べています。これは商売も同じです。接客だけが良くても、お客様は増えません。商品、店舗、スタッフ、地域との信頼、情報発信、タイミングなど、さまざまな要素が重なり合って初めて成果につながります。伎芸型も、一つだけを磨くのではなく、全体の調和を大切にしています。共通点③ 小さな積み重ねが大きな結果を生む本書は、「偶然」のように見える成功も、小さな出来事の積み重ねから生まれることを教えてくれます。これは伎芸型の考え方とよく似ています。毎日の「ありがとうございます」。笑顔。掃除。身だしなみ。お客様のお名前を覚えること。一つひとつは小さな行動ですが、それが信頼となり、大きなご縁へと育っていきます。伎芸型おもてなし商売道との違い一方で、大きな違いもあります。① 本書は「偶然」を分析する『偶然の科学』は、「なぜ成功したのか」を科学的に分析する本です。成功には予測できない要素も多く、人の口コミや社会の流れが大きく影響すると考えます。② 伎芸型は「偶然を必然に近づける」伎芸型では、偶然の出会いを、必然のご縁へ育てることを目指します。初めてご来店いただいたお客様とも、丁寧な接客を積み重ねることで、「また来ます。」「家族を連れてきます。」という関係へと変えていきます。つまり、偶然を待つのではなく、日々の実践によって必然へと育てるのです。③ 本書は「広がり」、伎芸型は「深まり」『偶然の科学』は、情報がどれだけ多くの人へ広がるかを重視しています。一方、伎芸型は、何万人に知られるかより、一人のお客様とどれだけ深い信頼関係を築けるかを大切にします。羽富様がよくお話しされる、「ヒットよりフィット」という言葉が、まさにその考え方です。大ヒット商品を目指すよりも、「このお店が私には合う」と感じてくださるお客様を一人ずつ増やしていくことが、持続可能な商いにつながります。私が最も共感したこと私は、この本を読みながら、ネットワーク科学が語る「つながり」と、伎芸型おもてなし商売道が大切にする「ご縁」は、とても近い存在だと感じました。しかし、決定的な違いがあります。ネットワーク科学は、「つながりが生まれる仕組み」を説明します。伎芸型おもてなし商売道は、「つながりを育てる心と行動」を実践します。つまり、科学は現象を解明し、伎芸型はその現象を人の幸せにつながる行動へと変えていくのです。まとめ『偶然の科学』は、「成功は多くの偶然や人とのつながりから生まれる」という事実を教えてくれます。一方、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道は、その偶然の出会いを「一生のお付き合い」というご縁へ育てる実践哲学です。偶然を待つだけでは、商売は続きません。一人のお客様への感謝、礼節、思いやりを積み重ねることで、偶然の出会いは必然の信頼へと変わります。だから私は、「偶然はきっかけであり、ご縁は育てるもの」だと考えています。それこそが、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道の本質であり、「ヒットよりフィット」「売るより育てる」という、これからの時代に求められる商いの姿ではないでしょうか。
2026.08.04
コメント(0)
題名子育てを放棄していた私がいる⁇仕事一筋だった父親である私が、今になって気づいた本当の子育てとは〜私は4人の子どもの父親です。振り返ると、私は仕事を理由に子育てを妻に任せきりにしていた父親だったと思います。平成元年5月に婿養子としてロコレディの二代目を継ぎ、会社を守り、発展させることが私の使命でした。売上を伸ばすこと、社員を守ること、お客様の期待に応えること。その責任は重く、休みらしい休みもなく、朝から晩まで仕事に追われる毎日でした。当時の義父羽富正三は経営にも仕事にも厳しい人でした。「会社を成長させなければならない。」その思いだけで走り続け、気がつけば子どもたちと過ごす時間はとても少なくなっていました。今思えば、子育てを妻や家族に支えてもらう場面が数え切れないほどありました。父親として十分だったとは、とても言えません。それでも、今、子どもたちの姿を見ていると、一つだけ救われる思いがあります。それは、子どもたちが「自分は愛されて育った」と感じてくれていることです。子育てに100点満点はありません。親も失敗します。知らず知らずのうちに子どもを悲しませたり、寂しい思いをさせたりしたことも、きっと何度もあったでしょう。しかし、それでも子どもが「自分は愛されていた」と思えるなら、その思いは人生を支える大きな土台になるのではないでしょうか?いかがでしょうか?私は、子育ちは時間の長さだけでは測れないと感じています。もちろん、一緒に過ごす時間は大切です。しかし、それ以上に大切なのは、その時間に込められた愛情や信頼、そして「あなたの存在が大切だ」という思いではないでしょうか?子育ては、「時間の長さ」だけではなく、「愛情の深さ」でも育まれるものだと思います。だからこそ、私たち夫婦を支え、子どもたちを見守ってくださった家族や周囲の皆様には、今、心から感謝しています。本当にありがとうございました。そして、私は子どもたちに一つだけ伝えたいことがあります。「あなたが生きていてくれるだけで、喜んでくれる人がこの世にはいる。」このことを忘れないでほしいのです。人生には、思いどおりにならないことがあります。ストレスも溜まります。ストレスの無い人は誰もいないのです。苦しいことも、悲しいこともあります。それでも、「自分の存在を喜んでくれる人がいる」と信じることができれば、人はどん底まで落ちても、もう一度立ち上がる力を持つことができます。私はそう信じています。子育てとは、子どもを思いどおりに育てることではありません。子どもが将来、どんな困難に出会っても、「自分は愛されて育った」と胸を張って言える心を育てることなのかもしれません。それが、仕事ばかりで子育てに十分な時間を割けなかった私が、人生を振り返ってたどり着いた、私なりの答えです。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.07.17
コメント(0)
自分の強みと弱みを知ることが、商売を育てる第一歩とは??|羽富都史彰|伎芸型笑倍商い塾塾長 https://note.com/hatomi_gigei/n/nd3e840336ebd
2026.07.13
コメント(0)

題名悩んだら、この本を読んでみませんか??AIが進化し、多くの仕事を効率よくこなせる時代になりました。しかし、人の心に寄り添い、 信頼関係を築き、感謝を伝えることは、AIには代わることのできない人間の大切な役割です。だからこそ私は、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道の考え方が、これからの時代にますます必要になると考えています。この考え方は、商売をしている方だけでなく、副業に挑戦したい方、将来独立を目指す方、そして子育て中の保護者の皆様にも役立つ内容です。人との接し方や思いやり、 地域とのつながり、感謝の気持ちの大切さは、仕事にも家庭にも 共通する「人間力」の土台だからです。Amazon Kindle電子書籍『伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道』では、私自身が現場で実践してきた経験をもとに、誰でも実践できる形で わかりやすくまとめました。AIの時代だからこそ、人にしかできない価値を一緒に育てていきませんか。皆様の仕事や暮らしのヒントとして、お読みいただけましたら幸いです。
2026.07.08
コメント(0)
【題名】高校生の笑顔が教えてくれた、世代を超えて心がつながる伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道とは??7月5日、日曜日。私はお昼前に道の駅常総へ出向き、いつものように地域のPR活動を行いました。すると突然、大型バスが何台も到着し、高校生約200人の皆さんが、トイレ休憩と昼食のために来場されました。男女の生徒たちでキッチンカー前は生徒たちでいっぱいに!女子生徒さんたちに話を聞くと、「夏の高校野球茨城県大会予選の応援に向かう途中なんです。」と教えてくださいました。甲子園を目指して戦う仲間を応援するための移動中だったのです。その時、思いもよらない出来事が起こりました。高校3年生の女子生徒の皆さんが次々と私のところへ来て、「おじさん、一緒に写真を1枚お願いします!」と声をかけてくださったのです。最初は一組だけかと思っていたら、次は二組目、そして三組目。気が付けば三つのグループから声をかけていただき、撮影した写真は総計20枚以上になっていました。さらに、「赤いメガネを貸してください!」「花火大会スタッフの帽子も貸してください!」と言われ、帽子やメガネを交換して撮り直しまで始まりました。私はすっかり高校生の皆さんの「いじられ役」です。でも、その時間が本当に楽しく、私自身が若い皆さんから元気をいただいていました。少し離れた場所では、先生方や副校長先生と思われる方々が、その様子を笑顔で見守っておられました。休憩時間も終わり、生徒さんたちがバスへ向かう頃、私は思わず、「親孝行しろよ。」「お盆にはお墓参りに行けよ。」「じいちゃん、ばあちゃんを大切にしろよ。」と声をかけ,手を振って別れました。すると先生方も笑顔になり、同じように生徒さんたちへ温かい言葉を送っておられました。そして帰り際には先生方から、「ありがとうございました。子どもたちを喜ばせていただき、本当にありがとうございました。」と、私にまで丁寧にお礼を伝えてくださいました。その姿を見て、学校教育とは勉強だけではなく、人として大切なことを教え、育てる場でもあるのだと改めて感じました。その後も私は、数多くのご家族と会話🟰快輪を重ねました。ふるさと納税、祇園祭、花火大会、NHK大河ドラマ誘致活動のお話をしたり、親の介護、高校受験、将来への不安など、実にさまざまな相談を受けました。中には50代くらいのお母様から、「一人娘の婿をぜひ紹介してください。」と冗談交じりに相談され、その場が大笑いになったこともありました。気が付けば、一日中ほとんど話し続けていました。帰る頃には、さすがにくたくたになりました。それでも疲れよりも大きかったのは、お客様からいただいた笑顔でした。「美味しかったよ。」「また来るね。」「ありがとう。」この何気ない一言が、私にとって最高のご褒美です。キッチンカースタッフたちも,喜んでいました。ありがとうございます。私は、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道とは、商品を販売することだけではなく、人と人との心をつなぎ、ご縁を育てる商売だと考えています。高校生の皆さんの明るい笑顔、先生方の温かい教育への姿勢、ご家族との何気ない会話。その一つひとつが、人と地域を結ぶ大切なご縁でした。商売とは、お金だけをいただく仕事ではありません。「ありがとう」を積み重ね、「また会いたい」と思っていただける関係を育てることこそ、本当の商売の価値ではないでしょうか。これからも私は、赤いメガネをかけ、一人でも多くの方に笑顔になっていただけるよう、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道を実践し続けてまいります。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.07.06
コメント(0)
題名東海大学政経学部に通っていた頃、私が毎週土曜日を心待ちにしていた授業がありました。元NHKの茂木太郎先生による「表現法研究」です。知らない世界を知る喜びがあり、毎回新しい発見がありました。先生が授業で何度も話されていた言葉があります。「昨日の敵は今日の味方。昨日の味方は明日の敵。」当時は政治の世界を表す言葉として聞いていましたが、48年経った今でも鮮明に覚えています。政治は白か黒かではありません。立場が変われば見方も変わる。状況に応じて微調整を重ねながら前へ進んでいく世界なのだと教えていただきました。振り返れば、高校2年生まで私は国語が大の苦手でした。しかし、高校3年生の英語の西村先生から「苦手は伸びしろだ」という言葉をいただき、考え方が大きく変わりました。その挑戦が、無返済奨学金制度(現在のリクルート)の論文試験で一次選考を突破することにつながりました。最終面接では不合格でしたが、自分の文章が評価されたことは大きな自信となり、「新聞記者になりたい」という夢を持つきっかけにもなりました。大学時代は新聞配達をしながら新聞業界を学び、都議会議員の事務所で働きながら政治の現場を学びました。さらに早朝には百貨店の清掃の仕事を通じて、売場の裏側や働く人々の姿も見てきました。表だけではなく、裏側を見ること。一枚の100円玉にも表と裏があるように、物事には必ずさまざまな角度があります。その見方を教えてくださったのが茂木先生でした。私は政治家ではありません。なるつもりも全くありません。私は商人🟰笑人です。商売人として地域と向き合い、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道を実践しています。商売も政治も、人と人をつなぐ仕事です。正解を押し付けるのではなく、相手の立場を理解しながら微調整を重ね、より良い方向へ導いていくことが大切だと感じています。だから私は、地域を元気にする「ローカル型CSV経営」をこれからも実践し続けます。48年前の学びは、今も私の商売の原点です。茂木太郎先生、本当にありがとうございました。先生から教えていただいた「物事を多面的に見る姿勢」を、これからも地域の皆様へのおもてなしと商売に生かしていきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.07.05
コメント(0)
私は昭和57年3月、東海大学政治経済学部政治学科地方行政課程を卒業しました。大学3年生からは、荒木昭次郎先生のゼミに所属していました。しかし、大学生活は決して順風満帆ではありませんでした。大学在学中に父を病気で亡くし、精神的にも経済的にも大きな影響を受けました。授業料の支払いも苦しくなり、一時は滞納によって2週間の停学処分を受けたこともあります。今振り返れば人生最大級の試練の一つでした。それでも諦めずに学業を続けることができたのは、荒木先生をはじめ、多くの方々のお力添えがあったからです。卒業論文の評価はB。派手な成績ではありませんでしたが、無事に卒業証書を手にした時の喜びは今でも忘れることができません。卒業を控えた頃、就職活動が始まりました。私の第一希望は三陽商会名古屋支店でした。当時は携帯電話もインターネットもない時代です。連絡手段は固定電話や郵便、そして電報でした。ところが、下宿先への連絡がうまく届かず、電報局から送られた合格通知を受け取ることができませんでした。もし、その電報が予定通り届いていたら、私の人生は大きく変わっていたかもしれません。結果として私は株式会社東京スタイルの採用試験を受け、入社することになりました。まさに運命のいたずらです。一方、荒木昭次郎先生からは別の道も勧められました。「アパレル業界は大変だぞ。」そう言いながら、先生は静岡県の缶詰会社の社長をご存じで、その会社への就職も勧めてくださいました。学生の将来を真剣に考えてくださっていたからこその助言だったと思います。しかし私は、自分の意思で東京スタイルへの入社を選びました。若かった私は流通の世界に魅力を感じていたのです。その選択が正しかったのかどうかは分かりません。ただ一つ言えるのは、その決断がなければ現在の私は存在しないということです。東京スタイルで百貨店営業や販売の基礎を学び、その後ご縁があって茨城県のロコレディへ転職しました。さらに結婚を機に養子縁組をし、羽富都史彰となりました。人生とは本当に不思議なものです。もし父が元気だったら。もし授業料を滞納して,中退していたら?もし三陽商会からの電報が届いていたら?もし荒木先生の勧める会社へ入社していたら?どれか一つでも違っていたら、今の私は存在していなかったでしょう。人生を振り返ると、成功だけが人を育てるのではありません。失敗も、遠回りも、苦労も、すべてが人生の教材になります。大学時代に経験した父との別れ、停学処分、就職活動の苦労。当時は辛かった出来事も、今では私の財産です。そして今、ロコレディでの経営や、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の実践につながっています。人生は偶然の連続に見えます。しかし振り返ると、その偶然が一本の線となり、今の自分をつくっているように思います。私はこれからも、そのご縁に感謝しながら、一笑賢明に歩み続けたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.07.04
コメント(0)
先日、ある70代の経営者の方とお話をする機会がありました。その方は熱意を込めて、「これからの時代を変えるのは婿養子やお嫁さんたちだ」と語ってくださいました。生まれ育った土地ではなく、新たに暮らし始めた地域だからこそ、「もっと良くしたい」「恩返しをしたい」という気持ちが強くなるのではないか。その言葉がとても印象に残っています。私自身も婿養子として羽富家に入りました。血のつながりはありません。しかし、忘れられない出来事があります。義父・羽富正三が介護を必要としていた頃、一緒にお風呂に入ったことがありました。抗がん剤治療を続けていた義父は、湯船の中で静かに「ありがとうよ」と声をかけてくれました。その一言を聞いた時、私の心は温かい気持ちで満たされました。血縁関係がなくても、人は心でつながることができる。そのことを教えていただいた瞬間でした。近年は、親子関係や人間関係の希薄化が話題になることもあります。しかし本当に大切なのは、感謝する心を持ち続けることではないでしょうか。婿養子とは、単に名字が変わることではありません。その土地に根を張り、その地域を愛し、家族を支え、地域社会に貢献していく生き方でもあります。私もこの街に住み、この街で商売をさせていただき、多くの人に支えられてきました。だからこそ、「この街のために自分は何ができるのか」を考えるようになりました。平気で地域の悪口を言うのではなく、少しでも地域の役に立つ行動を積み重ねる。その姿勢こそが、これからの地方創生につながるのではないかと思います。血がつながっているかどうかではありません。大切なのは、人と人との心のつながりです。そんな思いから、いつの日か「婿養子の会」のような交流の場づくりにも協力できればと考えています。地域への感謝を忘れず、これからも一笑賢明(いっしょうけんめい)に恩返しを続けていきたいと思います。参考になれば幸いです。羽富 都史
2026.07.02
コメント(0)
NHKのワールドカップサッカー中継を観ていて、本田圭佑氏の解説に思わず引き込まれました。私はサッカー観戦は好きですが、戦術や専門知識についてはそれほど詳しくありません。それでも本田氏の解説は、不思議と耳に入ってきます。特に印象的だったのが、「1にガクポ、2にガクポ、3にガクポ、4はデヨング」という言葉でした。サッカーに詳しい方ならすぐに理解できるのでしょうが、私は選手のことをそれほど知りません。それでも、この言葉を聞いた瞬間に、「とにかくガクポという選手が危険なんだな」ということだけは伝わりました。しかも、その話し方が面白い。まるで解説者ではなく、今まさにピッチの中でプレーしている選手が仲間に向かって、「まずガクポを見ろ!」と言っているような臨場感がありました。私はここに、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道との共通点を感じました。商売の世界でも、専門知識を並べるだけではお客様には伝わりません。アパレルであれば素材の説明。綿素材,ウール素材。食品であれば原材料や製法の説明。もちろん大切です。しかし、お客様が本当に求めているのは、難しい知識ではなく、「自分に関係があること」です。例えば私がキッチンカーでコロッケを販売するときも、「国産の常陸牛です」という説明より、「今日はお父さんに感謝の日ですよ」「揚げたてですので気をつけてくださいね」という一言の方がお客様との距離は縮まります。本田氏の解説も同じです。知識を披露するための解説ではなく、視聴者と一緒に試合を楽しみ、一緒に驚き、一緒に緊張している ように感じます。だから専門家だけでなく、私のようなサッカーに詳しくない人間にも伝わるのでしょう。歌舞伎の世界に「伎芸(ぎげい)」という言葉があります。長い歴史の中で磨かれた型や技術がありながら、その場のお客様の反応を見て演じる。型だけでも駄目。感情だけでも駄目。両方があって初めて人の心を動かします。本田氏の解説にも、その「伎芸」の要素を感じました。そして商売も同じです。商品を売るのではなく、体験を届ける。説明するのではなく、共感する。知識を語るのではなく、相手の心に届く言葉を選ぶ。私はこれからも、キッチンカーの前で、お客様との会話を大切にしながら伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道を実践していきたいと思います。本田圭佑氏の解説を見ながら、改めて感じました。人は情報に動かされるのではなく、人の熱意や想いに心を動かされるのだと。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.07.01
コメント(0)
【題名】目指す山は同じ。でも登り方は違う。4つのホテルから学ぶ、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道とは??商売をしていると、つい「どこの会社が一番優れているのか」と比べたくなります。いかがでしょうか?しかし、私は最近、「一番」を決めることよりも、「何を大切にしている会社なのか」を知ることのほうが大切だと感じています。そのことを教えてくれたのが、東横イン、アパホテル、ルートイン、そしてスーパーホテルという4つのホテルチェーンです。好き嫌いは別として。まず東横インは、「安心して泊まれる当たり前」を徹底しています。駅に近く、清潔で、必要なサービスを適正な価格で提供する。価格変動は無いです。派手さはありませんが、「期待を裏切らない」という強みがあります。商売でいえば、毎日同じ品質を提供し続ける職人のような存在です。アパホテルは、ブランドづくりの名手です。建物のデザイン、客室の工夫、情報発信など、「選ばれる理由」を積極的に伝えています。ただ待つのではなく、自ら魅力を発信し、市場を切り開いていく経営です。ルートインは、「安心感」と「温かさ」を大切にしています。無料朝食や大浴場など、お客様の疲れを癒やす工夫が随所にあります。お客様に「またここへ帰ってきたい」と思っていただくことを目指しているように感じます。そしてスーパーホテルは、「健康」と「快眠」という独自の価値を追求しています。天然温泉や快眠への工夫、環境への配慮など、「宿泊した翌日、お客様が元気になること」を使命としている点が大きな特徴です。4社とも目指しているのはお客様に選ばれて,長く愛されることです。しかし、その道筋はまったく違います。この姿は、私は歌舞伎にも似ていると思います。同じ演目でも、役者によって演じ方が違います。型は受け継ぎながらも、それぞれの個性で観客を魅了する。それが「伎芸」です。私が提唱する伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道も、まさに同じ考え方です。「ありがとう」を入口に会話を始め、お客様の表情や言葉に耳を傾け、その方に合ったご提案をする。商品を売ることが目的ではなく、ご縁を育てることを目的にしています。ロコレディなら、「この服がお似合いですよ」という一言だけでは終わりません。体型や暮らし方、ご家族のことまで伺いながら、一緒に考えます。キッチンカーでも、「コロッケをどうぞ」だけではなく、地域のイベントをご案内したり、お客様同士の会話が生まれるきっかけをつくったりしています。つまり、私たちが提供しているのは商品だけではなく、「心地よい時間」と「人とのつながり」なのです。だから私は、東横インからは「仕組みづくり」、アパホテルからは「情報発信力」、ルートインからは「安心感」、スーパーホテルからは「健康と心配り」を学びたいと思います。そして、そのすべてを土台にしながら、ロコレディは「ご縁を育てる商売」を磨き続けたいと考えています。商売に正解は一つではありません。大切なのは、誰かの真似をすることではなく、自分たちの理念を磨き続けることです。目指す山は同じでも、登る道は違う。だからこそ、自分たちらしい登り方を見つけ、お客様に「あなたのお店だから来ました」と言っていただける存在を目指すこと。それこそが、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の本当の価値なのではないでしょうか。このテーマはホテル業界だけでなく、百貨店、コンビニ、飲食店などにも当てはめて考えることができます。「業界は違っても、経営の本質は共通している」という視点で続編を書くと、さらに読み応えのあるシリーズになると思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.07.01
コメント(0)
~伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の視点から~綾鷹というお茶は、発売してすぐに大ヒットした商品では無いとお聴きしました。味には自信がありましたが、お客様にその魅力が十分伝わらず、苦戦した時期があったそうです。しかし、その後大きく売れ始めました。その理由は、味を大きく変えたからではありません。「急須でいれたお茶のような味」という、お客様に伝わりやすい言葉で価値を表現したからです。私は、この話を聞くたびに、キッチンカーで販売しているコロッケで知らず知らずに実践していました。コロッケ,クレープも同じです。「国産のじゃがいも使用です」「国産の常陸牛入りです」「衣がサクサクです」もちろん大切な説明です。しかし、お客様が本当に知りたいのは、その先にある体験かもしれません。例えば、「昭和の懐かしいコロッケです。」「ハイボールに合う明太子コロッケおつまみに最適なコロッケです。」カレーパンのようなコロッケです。などなど。「家族みんなで分け合える笑顔のコロッケです。」そんな言葉の方が、お客様の心に届くことに気づきました。伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道も同じ考え方なのです。商品を売る前に、まずお客様との快輪🟰会話を大切にする。「どちら方面から来られましたか?」「今日は暑いですね。」「ボクは何歳ですか?」そんな何気ない会話の中から、お客様とのご縁が生まれます。コロッケを販売しているようで、実は思い出や感動を提供しているのです。綾鷹が「急須のお茶」という言葉で価値を伝えたように、私たちも「コロッケ」を売るのではなく、その先にある楽しさや温かさを伝えることが大切です。商売は商品の勝負だけではありません。「何を売るか」よりも、「どのように伝えるか」。そして、「ヒット商品を目指すより、お客様にフィットする商品を目指す。」これこそが、私が実践する伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の原点なのです。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.30
コメント(0)

「駅長さんですか?」その一言が教えてくれた、商売の本当の役割とは??6月28日、日曜日。私は道の駅常総でクレープのキッチンカーを出店していました。販売だけではなく、館内では祇園祭や花火大会のPRをしたり、自分が実際に食べて美味しかった商品をご紹介したり、落ちているゴミを拾ったり、ご家族の記念写真を撮るお手伝いをしたり、道の駅常総の来場アンケートを行ったりと、一日中、地域のためにできることを考えながら行動していました。すると、80歳くらいのご婦人を中心とした女性グループの皆様から声をかけられました。「あなたは駅長さんですか?」思わず笑顔になりました。「いいえ。私は商工会の役員です。ボランティア活動をしながら商売を実践しています。」そうお答えすると、ご婦人はこう続けられました。「さっきからあなたの行動を見ていました。こんなに賑わう道の駅は初めてです。」実は、その皆様は茨城県内で新しい道の駅を誘致する活動をされている方々でした。「ぜひ詳しく教えてください。」そう言われ、私は約5分ほど、道の駅常総の魅力や地域との連携についてお話しさせていただきました。その中で、「私たちの町では、道の駅に反対する議員さんも多いのですが、どうしたらいいでしょうか。」という質問をいただきました。私は政治家ではありません。だからこそ、自分の立場をわきまえながら、「商工会、市役所、そして地域の皆さんが一緒になって道の駅協議会のような場をつくり、みんなで意見を出し合うことが大切だと思います。詳しいことは常総市役所へぜひお尋ねください。」とお伝えしました。それから約30分後、その皆様は私のキッチンカーまで来てくださり、飲み物をご購入くださいました。私はこの出来事から、改めて大切なことを学びました。人は「売り込み」を見ているのではありません。「その人が地域のために何をしているか」を見ています。商品を売る前に、人として信頼されること。地域を盛り上げる姿勢が、結果として商売につながること。これこそが、私が4年間実践している「伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道」です。商売とは、単に商品を販売することではありません。地域を元気にし、人と人をつなぎ、笑顔を育てること。「駅長さんですか?」この何気ない一言は、私にとって最高の褒め言葉でした。これからも、地域のお役に立ちながら、一人でも多くの方とのご縁を大切にし、「ありがとう」があふれる商売を続けていきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.29
コメント(0)

題名スタバに学ぶ、商売の原点とは⁇最近、日本のスターバックスは売上げや利益が好調である一方、本場アメリカのスターバックスは苦戦しているという話を耳にしました。同じ看板を掲げ、同じコーヒーを提供しているのに、なぜこれほど違いが生まれるのでしょうか?私は、その理由の中に、これからの商売を考える大きなヒントが隠されているように感じます。アメリカでは、モバイル注文やドライブスルーなどの効率化が進みました。お客様にとって便利になった反面、人と人との触れ合いや会話の機会が減り、「コーヒーを受け取る場所」になってしまった面もあるようです。一方、日本のスターバックスは、コーヒーだけでなく「居心地の良い空間」や「心地よい時間」を提供しています。勉強をする人、読書をする人、友人と語り合う人、一人の時間を楽しむ人。それぞれが自分らしく過ごせる場所になっています。私は、この違いは伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道にも通じると思います。お客様は商品だけを買っているのではありません。そこにある会話や笑顔、安心感や思い出も一緒に受け取っています。道の駅常総でコロッケクレープを販売していると、そのことを日々実感します。「ありがとう」の一言から会話が始まり、「今日はどちらからですか」「お気をつけてお帰りください」と言葉を交わす中で、お客様とのご縁が生まれます。商品は真似されても、人との関係は簡単には真似できません。私は、商売とは「物を売ること」ではなく、「人との関係を育てること」だと考えています。効率や価格も大切ですが、それだけでは長続きしません。日本のスターバックスが好調な理由は、コーヒーの味だけではなく、人が心地よく過ごせる空間「サードプレイス」や,お客様に寄り添う心を大切にしているからではないでしょうか?ヒット商品を追い求めることも大切です。しかし、それ以上に大切なのは、お客様一人ひとりに合った「フィット」を届けることです。これからの時代こそ、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道のように、人の温もりやご縁を大切にする商売が、ますます求められていくのだと思いますが,いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.28
コメント(0)
私は今年10月で67歳になります。世間では定年や引退という言葉が聞こえてくる年齢かもしれません。しかし、私自身はそのようには考えていません。むしろ、絆を軸とした伴走支援型の伎芸『ぎげい』人として、そして笑倍商い塾長としての本番はこれからだと思っています。振り返れば、アパレル業界に入り45年近く。会社経営、地域活動、キッチンカー事業など、さまざまな挑戦を続けてきました。もちろん順風満帆ではありません。売上不振、人材育成の悩み、災害被害、資金繰りの苦労など、数え切れない失敗や修羅場を経験してきました。しかし今になって思うのです。失敗は人生の傷跡ではなく、人を支えるための財産であると。若いコンサルタントの先生方には、最新の知識や理論があります。それは大きな強みです。一方で、私には若い人にはない武器があります。それは、現場で培った経験の重みです。成功した話だけではなく、失敗した話もできる。順調な時だけではなく、苦しい時の乗り越え方も伝えられる。だから私は、人に答えを教えるのではなく、一緒に考え、一緒に歩く伴走者でありたいと思っています。これこそが私の考える伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道です。商売とは、単に商品を売ることではありません。人とのご縁を育てること。感謝を伝えること。相手の心に寄り添うこと。その積み重ねが、笑倍(しょうばい)につながると信じています。私は10月で67歳になります。しかし、年齢は単なる通過点です。挑戦を止めた瞬間、人間は老いる。私はそう思っています。だからこそ、新しい出会いを求め、新しい学びを続け、新しい挑戦を重ねていきたいのです。67歳はゴールではありません。私にとっては、これまで積み重ねてきた経験を地域や次の世代へ伝えていく、新たなスタートラインです。これからも伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道を実践しながら、一人でも多くの人と絆を結び、笑顔と感謝の輪を広げていきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.27
コメント(0)
選挙になると、「市長給与30%カット」「退職金ゼロ」「副市長廃止」「公用車廃止」といった公約を耳にすることがあります。確かに税金の無駄遣いを減らそうという姿勢は大切です。賛成ですが、一番大切なのは何でしょうか?私は商売人として、少し違う視点も必要ではないかと感じています。なぜなら、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道では、「何を削るか」よりも「どう喜んでいただくか」を大切に考えるからです。例えば私がキッチンカーで商売をするとき、「経費を削るために会話を減らそう」とは考えません。むしろ、「どうしたらお客様が笑顔になるか」「どうしたら地域全体が元気になるか」を考えます。時には周辺のお店を紹介し、時には観光情報をお伝えし、時には世間話をする。時には漫談士になった気分で。その結果、お客様が喜び、地域全体が活性化していくと考えています。政治も同じではないでしょうか?市民が本当に望んでいるのは、市長の給料がいくら下がったかではなく、「子育てしやすくなった」「買い物が便利になった」「高齢者が安心して暮らせる」「若者が戻ってきた」という暮らしの実感です。いかがでしょうか?つまり、「削減の競争」ではなく、「幸せづくりの競争」こそが大切なのだと思います。では、なぜ政治の不正がなくならないのでしょうか。私は、伎芸型おもてなし商売道の視点から考えると、「市民との距離が遠くなるから」だと思います。商売でも、お客様の顔が見えなくなると、自分本位になりがちです。反対に、お客様の声を毎日聞いていると、自然と誠実になります。政治も同じです。市民との対話が増えれば増えるほど、「自分のため」ではなく「地域のため」という意識が強くなります。不正をなくす特効薬はないと思う。しかし、情報公開を進めること。市民との対話を増やすこと。地域の声を聞くこと。これらを積み重ねることで、不正は少しずつ減っていくのではないでしょうか?伎芸型おもてなし商売道の本質は、「相手を主役にすること」です。商売ならお客様が主役。政治なら市民が主役。経営者も政治家も、主役になるのではなく、舞台を支える裏方であるべきなのかもしれません。私はこれからの地域づくりに必要なのは、「削る政治」ではなく、「人を笑顔にする政治」だと思っています。そしてその原点は、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道が大切にしている「ありがとうございます」の心にあるのではないでしょうか?参考になれば幸いです♪羽富 都史彰
2026.06.26
コメント(0)
【題名】本の返品問題から考えるアパレル業界の未来とは??~私が東京スタイルを退職した理由~最近、「本の返品率を下げるべきだ」という議論が活発になっています。確かに返品は物流コストがかかり、業界全体の負担になります。しかし、この話を聞きながら、私は昭和から平成にかけての百貨店アパレル業界を思い出しました。私は新卒で 東証1部東京スタイル に入社し、約5年半勤務しました。当時の百貨店業界では、「売れなければメーカーや問屋の責任」という考え方が当たり前でした。百貨店は商品を並べます。しかし売れ残れば返品される。メーカーは次々と新商品を投入し、売れなかった在庫を引き取る。まるで本の世界の「配本→返品→再配本」とよく似た構造です。私が良かったのは地方百貨店での買取条件と委託販売条件の百貨店の卸しを体験。また大型店の量販系西友グループやぜゾングループや十字屋グループの商品部も担当した経験が生きています。委託販売条件は百貨店にはリスクは無いです。一見すると便利な仕組みです。しかし、その仕組みに慣れすぎると、「本当にお客様が欲しい商品を提案する力」が弱くなってしまいます。なぜなら、売れなくても返品できるからです。もちろん、この仕組みがあったからこそ、多くの商品が店頭に並び、新しいファッションとの出会いも生まれました。書店にたくさんの本が並ぶことで新しい著者と出会えるように、百貨店にも多くの商品が並ぶことで新しいおしゃれとの出会いがありました。しかし時代は変わりました。人口減少、物流費の上昇、人手不足。今は「とりあえず大量に並べる」という時代ではありません。だからといって、「絶対に売れる商品だけ置けばいい」という話でもありません。本の世界でベストセラーが挑戦の中から生まれるように、アパレルのヒット商品も失敗や試行錯誤の中から生まれます。売れ筋だけを並べれば、一時的には効率が良くなるかもしれません。しかし、それでは新しい提案も、新しい感動も生まれにくくなります。私は当時、その返品前提の仕組みに違和感を感じました。そして「商品を売る前に、人と人との関係をつくる商売がしたい」と考え、東京スタイルを退職し、赤の他人の茨城県常総市水海道のロコレディの道を選びました。伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道も同じです。大切なのは「売れる商品を探すこと」だけではありません。お客様との会話の中から、新しい価値や新しい需要を見つけることです。ホームランは、たくさん打席に立たなければ生まれません。サッカーもシュートしないと,得点しません。バスケット🏀も同じです。商売も同じです。失敗を恐れず挑戦しながら、お客様とのご縁を育てていく。その積み重ねの先に、本当のヒットよりも「フィットした商売」があるのではないでしょうか?いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.26
コメント(0)

私は、平成6年にオーダーメイド型雇用人事制度を考えました。 でも、最初は、うまくいきませんでした。 そこで、考えて、考え抜いて オーダー・メイド型雇用人事制度に変えたのです。 オーダーとメイドの間に「・」が入るのです。 詳しく、聴きたい人事関係者、コンサルタントの先生も多いです。 マスコミからも取材を受けます。 20年以上かかって、この人事制度を考えました。 そして、今年の秋には、 再度、アレンジする予定です。 まだまだ変革していきますこの オーダー・メイド型雇用人事制度。 「人」にフォーカスをして、 アレンジしていきます。どうしたら?良いか?考えて、考えて考案しました。過去に、何回もオーダー・メイド型雇用人事制度で講演を依頼うけたことがあります。試行錯誤しながら、微調整することが、基本となります。
2026.06.25
コメント(0)
求める人材について~ロコレディ・伎芸(ぎげい)型おもてなしキッチンカー練習生募集~ロコレディのキッチンカー事業は、単にコロッケやクレープを販売する仕事ではありません。私たちが目指しているのは、「物を売る」のではなく、「人と人とのご縁をつなぐ」仕事です。そのため、私たちが求める人材は、販売経験の有無よりも、「人が好き」「地域が好き」「ありがとうが好き」という気持ちを持った方です。現在、多くの企業では即戦力を求める傾向があります。しかし、ロコレディでは少し考え方が違います。最初から完璧な人はいません。むしろ、失敗しながら学び、成長しようとする人を歓迎しています。私たちは、この取り組みを「伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道」と呼んでいます。伎芸とは、単なる接客技術ではありません。お客様の気持ちを察し、喜びや感動を提供しながら、自分自身も成長していく生き方です。⸻第一に求めるのは「素直な人」素直な人は成長が早いです。年齢や経験は関係ありません。20代でも60代でも、学ぶ姿勢がある人は伸びていきます。逆に、どれだけ経験が豊富でも、「私は知っている」「昔はこうだった」ばかりでは、新しいことを吸収できません。ロコレディでは、「まずやってみる」「まず聞いてみる」という姿勢を大切にしています。失敗しても構いません。失敗を共有し、次に活かせば良いのです。⸻第二に求めるのは「人との会話を楽しめる人」キッチンカーは、販売業でありながら接客業でもあります。お客様の中には、「今日は暑いね」「孫がコロッケ好きなんです」「実は介護で大変なんです」など、様々なお話をしてくださる方がいます。そんな時に、商品説明だけで終わるのではなく、「それは大変ですね」「お孫さん喜びますね」と自然に会話ができる人を求めています。話し上手である必要はありません。聞き上手であれば十分です。実際にお客様は、商品以上に「誰から買うか」を大切にしています。⸻第三に求めるのは「ありがとうを言える人」ロコレディのキッチンカーでは、「いらっしゃいませ」よりも、「ありがとうございます」を大切にしています。お客様が購入する前から感謝する。これが伎芸型おもてなし商売道の基本です。感謝できる人は、人から応援されます。応援される人には、人が集まります。商売とは、感謝の積み重ねなのです。⸻第四に求めるのは「地域を大切にできる人」私たちは単なる移動販売ではありません。地域の魅力を伝える役割も担っています。道の駅常総では、近くのお店を紹介したり、観光情報をお伝えしたり、地域のイベントをPRしたりしています。そのため、「自分の売上だけ」ではなく、「地域全体が元気になるにはどうしたら良いか」を考えられる人を歓迎します。これはローカル型CSV経営の考え方にもつながります。⸻第五に求めるのは「挑戦する人」キッチンカーは毎日環境が変わります。天気も変わります。客層も変わります。売れる商品も変わります。昨日の成功が今日も成功するとは限りません。だからこそ、考え、行動し、改善する。その繰り返しが大切です。挑戦する人は失敗もします。しかし挑戦しない人には成功もありません。私たちは失敗を責めません。挑戦しないことを残念に思います。第六に求めるのは「将来の夢を持つ人」独立開業したい人。自分のお店を持ちたい人。地域で活躍したい人。副業から始めたい人。そんな方を応援したいと考えています。ロコレディのキッチンカーは、単なるアルバイト先ではありません。実践型の学びの場です。接客。販売。仕入れ。利益管理。イベント運営。情報発信。これらを現場で学ぶことができます。第七に求めるのは「人の悪口より人の良いところを見つけられる人」世の中には欠点探しが得意な人がいます。しかし、お客様も仲間も完璧ではありません。だからこそ、良いところを見つけ、認め、褒めることが大切です。その空気が職場を明るくします。その空気がお客様にも伝わります。笑顔は笑顔を呼びます。感謝は感謝を呼びます。最後にロコレディのキッチンカーが求めているのは、販売員ではありません。また、単なるアルバイトでもありません。私たちが求めているのは、「人を喜ばせることが好きな人」「地域を元気にしたい人」「ありがとうを大切にする人」「挑戦し続ける人」です。経験や年齢は問いません。20代でも、30代でも、40代でも、50代でも、60代でも構いません。大切なのは過去ではなく、これからです。伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道を通じて、お客様の笑顔を増やし、自分自身も成長していきたい。そんな仲間との出会いを、私たちは心から楽しみにしています。ヒット商品を追いかけるのではなく、お客様一人ひとりにフィットしたおもてなしを。それが、ロコレディが目指す「伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道」です。
2026.06.24
コメント(0)
私は長年商売を続けてきて、一つの大切なことに気づきました。それは、人は善意に慣れてしまう生き物だということです。最初は、「ありがとうございます」「助かりました」と感謝されます。しかし、何度も続くと、それが当たり前になってしまいます。地域活動でも商売でも同じです。サービスを増やしたり、値引きを続けたりすると、最初は喜ばれます。ところが、その状態が続くと、お客様はそれを標準だと思うようになります。そして元に戻すと、「前はしてくれたのに」と言われることがあります。これは決してお客様が悪いわけではありません。人は慣れる生き物だからです。だからこそ、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道では、安売りよりも価値づくりを大切にしています。価格を下げるのではなく、お客様との会話を大切にする。商品だけでなく、笑顔や感謝の気持ちを届ける。地域のお店や仲間を紹介し、お客様とのご縁を広げる。そんな小さな積み重ねが、本当の価値になるのだと思います。また、人に頼られることはありがたいことですが、何でも一人で引き受ける必要はありません。時には、「今回は難しいです」「どなたか協力していただけませんか」と伝えることも大切です。すると周りの人が動き出し、新しい仲間や協力者が現れることもあります。商売も地域づくりも、一人では続きません。感謝が循環し、お互いに支え合える関係こそが長続きする秘訣です。「安さ」で選ばれるのではなく、「あなただから」と選ばれる。それこそが、伎芸『ぎげい』型おもてなし商売道の原点ではないでしょうか。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.24
コメント(0)
題名現場主義から生まれた伎芸『ぎげい』 ギゲイストとは??「私はコンサルタントではありません。ギゲイストです。」近年、「おもてなし」や「接客」を学ぶ方法は数多くあります。しかし私は、自分の活動を単なる接客術や販売技術とは考えていません。私が掲げているのは、伎芸(ぎげい)型おもてなし商売道です。「技芸」ではなく、あえて「伎芸」という文字を選びました。その理由は、私が日本の伝統文化である歌舞伎に大きなヒントを感じているからです。歌舞伎は、何百年もの歴史を持ちながら、時代の変化に合わせて進化を続けてきました。ただ古いものを守るだけではありません。新しい工夫を取り入れながら、伝統を未来へつないでいます。私は商売も同じだと考えています。昔ながらの礼儀や感謝の心を大切にしながら、時代の変化にも対応していく。これこそが本当の意味での継続ではないでしょうか。私は保守とは、単に変わらないことではなく、「気品と礼節を土台にしながら変革を続けること」だと思っています。だからこそ、キッチンカーでも、婦人服店でも、地域活動でも、人とのご縁を大切にしながら新しい挑戦を続けています。伎芸型おもてなし商売道を実践して、まもなく4年になります。特別な理論を語るのではなく、道の駅でお客様と会話🟰快輪をし、地域の皆様と交流し、失敗も成功も積み重ねながら学んできました。私は「こうすれば必ず売れる」と教えるコンサルタントではありません。現場で汗をかき、人と向き合いながら、おもてなしを磨き続ける実践者です。だから私は自分のことをこう呼びたいのです。「私はコンサルタントではありません。ギゲイストです。」ギゲイストとは、伎芸の心を学び、実践し、人と人とのご縁を育てる人。ヒットを追い求めるのではなく、目の前のお客様にフィットする。ヒットよりフィットした話芸?和芸?和藝?そんな商売道を、これからも一笑賢明に歩んでいきたいと思います。いかがでしょうか?参考になれば幸いです。羽富 都史彰
2026.06.22
コメント(0)

いつもブログを読んでくださりありがとうございます(^^)今日は、私が大切にしている「おもてなしの心」について綴ってみたいと思います。………………………………★①「縦書き」は心を伝える武器★スマホや電子書籍では横書きが当たり前の時代…。効率を考えれば横書きの方が断然ラクですよね。でも、私はあえて「縦書き」にこだわっています。一文字、一文字をゆっくり味わう。行間の余白、言葉の「間(ま)」、そして余韻を大切にしたいから。横書きが「情報」を伝えるものなら、縦書きは…日本人が昔から大切にしてきた「気品」と「礼節」、そして「心の温度」を伝えるものだと思うのです(´∀`)………………………………★②「伎芸型」おもてなしの真髄★お客様を、ただの「消費主体」として見るのではなくまずは「一人の人間」として向き合うこと。これが私のモットーです♪「今日はどんな想いでいらしたのかな?」「何を求めていらっしゃるのかな?」そんなことを考えながら会話を重ねていく中で…商品以上の価値=「人としての価値」を感じていただけたら本当に嬉しいです(^o^)
2026.06.21
コメント(0)

「はとみさん、いつもいつも、元氣ですね~」とよく言われます。ときには、疲れて早めに床に入ることもあります。夜は、基本的には、22時30分までには、床に入るようにしてます。朝は、子どものころから、早起きでした。大学1年生の時には、毎朝3時30分に起きて朝4時30分には、新聞配達をしていました。6時20分には、配達を終える。朝食を新聞店で、頂き、7時には、寮に帰って、着替えて朝7時20分には、自転車で駅まで行っていました。夕刊は、学校から帰ってから配達していました。月曜日だけは、授業の関係で、夕刊は、17時ごろから配っていました。配り終えるのは、18時30分を過ぎていたと記憶しています。もちろん、集金業務も行っていました。新規開拓も行っていました。私は、父親を学生時代に亡くした。それが、原動力になっているかもしれません。ご縁を頂き、今は茨城県に住んでいます。もう、40年?早いですね。元氣・・・・・・という漢字を書くようにしています。辛くても、悩んでいても、苦しくても、前に進むことを考えております。今年、63歳を迎えます。時代の流れが、早い。特に、この2年は、スピードが早く感じます。小売サービス業を今後も続けていく。それには、いつもいつも、笑顔溢れるお店を意識しています。
2026.06.18
コメント(0)
全3044件 (3044件中 1-50件目)
![]()
