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A氏 :何故、そのような「 手記 」が 1975年のタイミング で出たのかね。
私:
著者は、 外務省の意図的なリーク
ではないかという。
というのは、「 手記
」の発表と 天皇・皇后の訪米とが時期的に一致
しているからだ。
そうなると「 手記
」自体も「 脚色
」、「 削除
」があるのではないかと疑う余地がある。
実は、 昭和天皇
は 1946年1月29日
に、 英国王にあてた「親書」
で「 東条
」にふれているという。
2002年10月
に外務省が重い腰をあげ、 昭和天皇・マッカーサー第1回会見記録を公開
する。
しかし、内容的には、先の「文藝春秋」で 作家児島襄
氏によって公表されたものとほぼ同じで、「 東条発言
」の記録はない。
A氏: 60年近くなっているのに、だんだん、いろいろな記録が出てくるね。
私
:さらに、 1945年の9月25日
の「 ニューヨーク・タイムズ
」の クルックホーン特派員
の質問に対する 天皇の回答の
正式文書の控え
が、 2006年7月に宮内省で見つかった。
この中で、「 東条発言
」を裏付けるような内容があったという。
これによって、著者は、 奥田「手記」
に「 東条発言
」がないのは、 削除
されたとみなすことになるとしている。
A氏:東条 は天皇の言うことに対して忠実な「 忠臣 」で、 天皇も信頼 していたのではなかったのかね。
私
:著者は、昭和天皇の「 東条非難
」は、 皇室を守り抜く天皇の徹底したリアリズムの表現
であったとみているわけだね。
2002年8月
には、 昭和天皇・マッカーサー会見の第8回
から、リッジウエイが去るまで 通訳
をした 松井明
氏のメモである「 松井文書
」を「 朝日新聞
」が入手して、紙上で特集掲載され、ベールがはがれた。
「 東条非難
」という面からみると、「 松井文書
」では、 マッカーサーとの最後の会見となる11回会見の内容
が明らかになっているが、そこで 天皇は東京裁判に対して「謝意」を表明
している。
A氏
: 2006年7月
に「 富田メモ
」が出るね。
A級戦犯
が 靖国神社に合祀
されて以来、 昭和天皇は靖国参拝をやめる。
この理由をめぐって、議論が生まれ、 メモの「捏造」、「歪曲」説
も出たね。
私
:そこへ、 翌2007年
に、 元侍従・ 卜部亮吉
の日記
が公刊される。
ここに「 直接的にはA級戦犯合祀が御意に召さず
」とあった。
この 新資料
で、 御厨貴
氏や 半藤一利
氏らが、 長年議論されてきた天皇の靖国不参拝の理由が証明された
としているね。
A氏
: 昭和天皇
は、 サンフランシスコの講和条約を絶賛
し、 リッジウエイ
にそのメッセージを託した。
これで、 敗戦直後からの天皇戦犯訴追の危機
を「 全ての責任を東条にしょっかぶせるがよい
」という 基本路線
にそって、 天皇制を守った
ことになるね。
私: 敗戦で危機に瀕した世一系の天皇制を守る義務
が昭和天皇にはあった。
天皇制を守るためには、 天皇を戦争責任者として裁こうとする 東京裁判
と、後、 2つ解決すべき問題
があった。
1つは、 憲法改正
だね。
連合国のなかには 天皇制廃止論
が強くあった。
もう1つは、 アメリカの占領終了後の日本防衛
をどうするかだね。
天皇は共産主義勢力の侵略
を恐れた。
共産主義は当然、 天皇制廃止
だからね。
明日は、その 憲法改正問題 に話しを移そう。
「ポスト戦後社会」吉見俊哉著・シリーズ… 2009.09.01
「イスラムの怒り」内藤正典著・集英社新… 2009.08.24