PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
私
:文庫本だが 、カバーの裏
に次のようにあるように、 衝撃的な研究成果
が書かれているね。
「 戦後レジーム形成
に 天皇が極めて能動的に関与した衝撃の事実
を描き出し、 従来の昭和天皇像、戦後史観を根底から覆す
」
A氏 : 昭和天皇 がなくなってから、 天皇の側近の侍従などのメモ 、 日誌 、 マッカーサーとの会見時の通訳のメモ などが 多数公表 されたりして、実態が明らかになってきたからね。
私 :ただ、この文庫本には著者が過去に逐次、雑誌などに掲載されたものを収録しているので、 内容的に重複している部分 があってまとめるのに苦労したよ。
A氏
:天皇は、 新憲法
では「 象徴的存在
」なんだから、 政治に直接関与
していないのではないの?
戦中だって、 立憲君主制
だしね。
私
:著者の資料では、それは逆で、戦中、戦後も 積極的な政治・外交介入
があるね。
マッカーサーとの会見
も、 6年間の間に実に11回
あったんだね。
まず、 1945年9月27日に天皇がマッカーサーを初めて訪問
したときの内容だね。
A氏
: 天皇
は「 戦争の責任はすべて私にあり、一身はどうなってもいい。
私の運命は貴下の判断にまかせる
」というようなことを言ったということだね。
私
:実はこれは「 マッカーサー回想録
」に書いてあるものを新聞などが引用したものだという。
この回想録は 歴史的な事実と照らし合わせると間違いが多く、
それを 1964年
に「文藝春秋」編集部で指摘しているという。
だから、著者は、「 回顧録
」で、 漏れている重要な天皇発言があることを仮定
する。
それは「 戦争は天皇の意思に反して、東条が開始した
」という「 東条発言
」だ。
A氏 :どこから、そういう 仮説 が出てくるのかね。
私
:敗戦後、 天皇の戦争責任を追及
する海外の声は大きく、天皇が何らかのメッセージを出す必要があり、 9月27日のマッカーサーとの会見の2日前
に、「 ニューヨーク・タイムズ」特派員の クルックホーン
との会見がセット
される。
これは、あらかじめ出された質問に対する 文書回答
によるものだった。
9月25日付
けの「 ニューヨーク・タイムズ
」の 一面トップ
に掲載されたクルックホーンの記事に「 ヒロヒト、インタビューで奇襲の責任を東条におしつける
」という大見出しがついていたという。
また、 マッカーサーの政治顧問
の ジョージ・アチソン
が、当日、 マッカーサー本人
が彼に語ったとされる「 東条が私をだました
」という 天皇発言のメモ
もあるという。
A氏 :では、何故、「 マッカーサー回顧録 」には「 すべての責任は私にある 」となっていて「 東条発言 」はなかったのかね。
私
: クルックホーン
の記事が日本国内紙に掲載されるのを 内務省
は抑えた。
日本国民は 天皇自身が東条を非難
したと考えたら、 大きな騒動
になるかもしれないことを危惧したという。
この頃の マッカーサーとの会見内容の報道
は、当時は GHQの検閲
があるから、 政治的な配慮
がされている。
要するに、マッカーサーは、 占領政策を問題なく行うためには、天皇の利用が必要
だったので、 天皇の責任追及をできるだけ免れるようなキャンペーン
をする。
そのためには、 東条が開戦を天皇におしつけたという説明
が分かりやすいね。
これが マッカーサー
の 東京裁判対策の「表舞台
」だね。
「 裏舞台
」は逆で、 東京裁判のキーナン検事
はマッカーサーから天皇が
、「 責任は全部自分にあるから私だけ処罰してくれと言った
」と言われ、それでは裁判は成立しないから、 天皇を無罪にしたい
として、 東京裁判で証人となった 田中隆吉元
陸軍少将
に言ったという。
田中
は、 天皇の全責任ということに感激
して、 天皇無罪
のために証言することを誓ったという。
A氏 : マッカーサー との会見における「 天皇発言 」は 政治的な道具 として使い分けられたんだね。
私: この 第1回の天皇・マッカーサー会談の通訳 をしていた 奥村勝蔵 氏の「 手記 」が 1975年 に出る。
明日はその話からいこう。
「ポスト戦後社会」吉見俊哉著・シリーズ… 2009.09.01
「イスラムの怒り」内藤正典著・集英社新… 2009.08.24