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私
高度成長
が始まる前の 1952年にサンフランシスコ講和条約が発効
され、同時に 公職追放された人が多数解放
される。
1955年の鳩山内閣
の 閣僚18名のうち、13名が公職追放を受けた経験者
だという。
「 もはや『戦後』ではない
」という経 済白書の言葉
は 56年
の「文藝春秋」に寄稿した 中野好夫
の文章
から借りたものだという。
中野は、この評論の中で、目前に展開する保守合同などによる 旧世代の復活に警鐘
を鳴らし、戦後意識から抜け出して、未来に向かってのビジョンを明確にすべき時期に来ていることを訴えたものだという。
A氏 :「もはや『戦後』ではない」という経済白書の意味と違うね。
私
:しかし、この本ではふれていないし、経済白書でも明記されていないが、 この時代の産業人の考えには、敗戦コンプレックス
があったと思うね。
特に アメリカに対する
技術コンプレックス
だね。
アメリカに負けたのは、 その巨大な物量と技術の勝負に負けた
と感じたんだね。
俺が働いた電子部品の会社の創業者は、大手の課長だったが、戦争中、徴用されて中国大陸の無線隊の隊長になったが、 無線機が故障すると交換する部品はほとんどアメリカ製
であったという。
敗戦後、彼は大手企業をやめ、 数人の仲間と電子部品の会社
を作る。
目標はアメリカの技術吸収
だね。
A氏 :トヨタも、敗戦後、すぐに アメリカのフォードに2名の技術者を派遣 しているね。
私
:彼らが持ち帰ったのはエンジン技術など以外に、 提案制度
があるね。
これが後に「 カイゼン」の母胎
になるね。
ある有名な評論家は、 高度成長の 戦後体制のは、 戦時体制 を長い間、引きずっていた 、と言っていたが、ある意味で「 戦後は終わった 」のでなく、日本は体制を整えて、 アメリカ技術への反撃戦に入ったのが高度成長 だと俺は思うね。
A氏 :そう言えば、俺たちの世代は、 理科系の大学卒業生は初任給が文科系より高く、就職率もよかったね。
私
: ホンダ
のように政府の反対を押し切ってまでして、そのエンジン技術を生かして自動車を作り出す。
過当競争
といって、俺がいた 電機業界もすごい競争
だったね。
競争に勝つためには、 技術力
が強くなくてはならない。
しかも、相手はアメリカだ。
1960年代
に、俺の会社が アメリカのある会社と技術提携
した。
あるとき、こう工場長が「この部品は、アメリカでは、大きな機械で、おばちゃんの運転で、1工程でやっている。
ところが、当社は、大の男が10人で10工程でやっている。
これではダメだ。」
といって、すぐに大方の機械を買って、やりだした。
現場技術者
が集まって 試行錯誤の繰り返しで
、 半年
くらいで、ついにアメリカに追いついたね。
これが 日本国中の大企業、中小企業の現場
で行っていた。
A氏
: ジャーナリスト でその技術者
たちに目をつけたのが、 日本の高度経済成長を支えた現場の技術者たちを活写
した 内橋克人
氏の「 匠の時代
」 シリーズ
だね。
また、 山根一真
氏の「 メタルカラーの時代
」だね。
山根
氏によると 高度成長に寄与したメタルカラーは約10万人
という。
私
: 1970年代
には、 アメリカのテレビ技術を追い越す。
当時、アメリカに行ったら、ドイツから来た技術者が、日本にはカメラをやられ、スイスは時計をやられていると言っていたね。
すでに 技術向上で品質は世界を制するようになっていたね
。
そして、 1980年代には自動車でアメリカを制する
ようになるね。
GMの凋落
はこのときから始まっているんだね。
この本では、この 技術立国 問題と高度成長の関係をあまり重視していないようだね。
世界的に貿易が拡大し、大量生産時代に入り、「 品質が良くて、かつ、安い
」という日本の工業製品の製造技術が 高度成長の基礎
をなしていたと俺は思うね。
明日は、それが崩壊していく姿を考えよう。
「ポスト戦後社会」吉見俊哉著・シリーズ… 2009.09.01
「イスラムの怒り」内藤正典著・集英社新… 2009.08.24