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六〇年安保
私
: 安保新条約
は、 強行採決
の1ヶ月後の 6月19日午前零時
、参議院の議決を得ないまま 自然承認
となる。
全学連
など 安保阻止勢力のデモ隊
が首相官邸や国会の回りを埋め、岸首相らは首相官邸にとじこめられていた。
このときの 国会デモ参加者
は、 国民会議発表では 33万人
、 警視庁調べでは 13万人。
しかし、この 群衆
は自然承認の時刻が過ぎ、空が白くあけるとともに「 潮がひけるように散っていった
」という。
6月22日
、総評と中立労連は、大規模なストを行う。
翌23日
、外相公邸で批准書交換式が行なわれ、 新
安保条約は発効
した。
A氏 : 23日 のちょうど、その頃、 岸首相 は 緊急臨時閣議 で、新安保成立を機に人心一新のため、 総辞職の決意を表明 するね。
私 :「 60年安保 」とはなんであったのか。
全学連の ブント
の一幹部として 反対運動に参加した 西部邁
氏は、後年
「ざっくりいって、 60年安保闘争
は『 馬鹿騒ぎの一種
』であったと言われても、私は反論しない」
「そこでは 戦後思潮のかかえてきた矛盾
が赤裸に明示される『 一種の観念劇
』である」
と書いているという。
A氏
:君のブログの「 輿論と世論
」にあるが、 改定以前の安保条約
はひどい 不平等条約
だったんだね。
アメリカは、改定したくないので、 しぶしぶ応じている。
だから「 安保改定反対
」は「 不平等の維持に賛成
」するという変な活動になるね。
私
: 57年4月28日
の 朝日新聞
の 社
説で 笠信太郎
は「 安保条約は改定さるべきである
」として、「 不平等な旧条約
をできるかぎり早く、あるいは漸進的に 改正していくよう
」にと主張していた。
これが「 輿論
」であるべきだが、「 世論
」にならなかったね。
この 不平等の改正論 は、いざ、 日米交渉 がはじまると当時の 東西冷戦 の国際環境のもとで、 ソ連は平和的 で、 アメリカは帝国主義の好戦国家 だという イメージ に基づく反対運動が起こり、 岸首相 が目指した 対米自主=日米「対等」 が逆の 対米「従属」 という イメージ になったという。
A氏
: イメージ闘争
だったのかね。
当時は、テレビより 新聞がマスメディアの中心
だから、新聞をうまく使ったほうが勝ちになるね。
私
: 岸首相側
は、 安保改定成立で勝利
したが、「 声なき声」発言
でかえって「 世論
」の反発を拡大させ、 アイゼンハワー訪日中止
、 自らの退陣
などを余儀なくされた。
「 新聞だけが世論でない
」と発言して マスコミ関係者の離反
を招いたね。
A氏
: 岸首相
は「 スポーツ新聞しか読まない
」と言っていたそうだね。
マスメディア利用
が下手だったんだろうね。
ヒットラー
ではないが、 マスメディアの利用
は政治では重要だね。
私:
一方、 全学連
のほうは、一時的に メディアをうまく使った
と言える。
しかし、かれらの 暴力的な闘争手段と革命志向
に対しては、 最後まで大衆の支持は得られず、メディアも支援しなくなった。
A氏 : メディアの危険性 は、「 日本一早い平成史・1989~2009 」で 森達也 氏が指摘しているね。
私
: 政治のイメージ闘争
は、 政治の「劇場化」
につながる。
小泉純一郎
首相
の「 小泉劇場
」。
その後、 安倍晋三
氏を首相に押し上げた
「 安倍人気
」。
そして、 民主党の 政権交代
の風。
皆 、イメージ化
、 劇場化
だと言えるね。
西部邁
氏のいう「 馬鹿騒ぎの一種
」か「 一種の観念劇
」だね。
「 60年安保
」はその 最初のケース
だというわけだ。
しかし、 イメージは皆裏切られてきたね。
この本では、 岸首相
が 野球を観戦する観客
を「 声なき声」の例
としてあげているのを批判して、 その人達が野球の観戦後、デモに合流
したかもしれないという。
しかし、「 劇場化」という視点
からすると、それは デモを観戦
しに行ったのではないかとも言えるね。
だから、 安保改定自然承認
となると 試合終了
だとして「 潮がひけるように散っていった
」のだろう。