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1.「不滅への逃亡・太平洋発見
」 1513年9月25日
コロンブス
は アメリカ発見
で、 金
を持ち帰った。
スペイン人
は、 新天地
に殺到した。
犯罪者や債務者
は 新天地
に逃れようとした。
その中に、 バスコ
・ ヌネス
・ デ
・ バルボア
がいた。
彼はいろいろ苦労して、最後に ヨーロッパ人で最初に太平洋の発見者
となる。
これが 1513年9月25日
の「 人類の星の時
」だ。
しかし、後から来た スペインの総督
と対立し、彼は 断頭台で死刑
となる。
2.「ビザンチンの都を奪い取る
」 1453年9月29日
1451年
、 トルコ皇帝マホメット2世
は、 ビザンチン王国
の征服
を企てる。
ビザチン王国
の唯一の名残りは 都市
コンスタンティノーブル
である。
この都市が生き残っているのは、その 厚い市壁
である。
マホメット
は、馬鹿でかい大砲をいくつも作り、これを運んで砲撃するが、なかなか落ちない。
最後は 人海攻撃
となるが苦戦する。
ところが、とんでもないことが起きた。
外側の市壁
の砲撃によるたくさんの 破れ目
の一つをくぐって、 2、3人のトルコ兵
が侵入して、 第1の市壁
と 第2の市壁
の間を好奇心にかられて、あちこち歩いている時に、 内側の壁にある小さな門が1つだけ空いているのを見つけた。
通用門
らしく重要なものでないので、 つい閉めるのを忘れたようだった
。
最初は罠かと思ったが、さらに多くの兵を呼び寄せて、入ったら、 抵抗なしで内部に入り込めた。
かくして、 些細なミス
から、歴史的な ビザンチン帝国の崩壊
となった。
3.「 ゲオルク・フリードリッヒ・ヘンデル
の復活
」 1741年8月21日
あるとき、 ヘンデルの下男
は、 ヘンデル
が部屋で倒れているのを発見する。
医者に行き、 脳溢血
であることが分かり、 右半身が不随
となった。
しかし、彼の気力は、衰えなかった。
アーヘンの温泉
で、毎日、 熱い湯に9時間
も入っていた。
そして、医者が奇蹟だというように、 完全に回復した
。
こうして、音楽家としての活動を 活発に再開
する。
しかし、たまたま、 女王の崩御やスペイン戦争
のため、仕事がない。
1741年8月21日
、悄然として散歩から帰ると、 詩人 ジンネンス
からの手紙
があった。
その詩を読んでいくうちにヘンデルに 楽曲がひらめく
。
3週間
、 不眠不休で集中
の後、作品は完成し、 ヘンデル
は疲れで深い眠りに入った。
この 聖曲「メサイア」
は、たちまち有名になった。
しかし、数年後、 彼は盲目となる
。
そして、 キリスト受難の日の 聖金曜日
( 4月13日
)に死にたいと言った。
これは「 メサイア
」が 世に出た日
でもあった。
そして、その日に メンデルは息を引き取った。
4.「一晩だけの天才・ ラ・マルセイエーズ
の作曲
」 1792年4月25日
1792年
、 フランス
は オーストリア
と プロシア
に対して 宣戦布告
をした。
戦争に向かう集会で、市長は彼の傍にいた ルジェ
( クロード・ジョゼフ・ルージェ・ド・リール
)
という名の 若い中尉
に明日進軍する軍隊のための 軍歌の作成を依頼
した。
彼は、 4月25日
、 一夜で作曲
した。
これが後に「 ラ・マルセイエーズ
」と呼ばれ、 フランス国歌
にもなる。
ところが、最初、一部にしか評価されなかった 彼の軍歌
が、次第に広まり 戦意高揚の歌
になる。
しかし、作曲した ルジュ
は平凡な生活をしていた。
76歳のルジュ
が 1836年
に死んだ時、誰一人として、彼の名を言う者もなく、知っている者もいなかった。
第1次大戦
になって フランス
の前線に再び 戦闘的な力を持って「ラ・マルセイエーズ
」は鳴りひびいた。
その頃、 ルジェの遺骨
は アンヴァリード廟
に納められた。
結局、 不滅の歌を1つだけ作った無名の詩人
は、 たった一晩だけ天才詩人
であったこと以外の何ものでもなかった。
しかし、最後には、 その幻滅
から救い出されて、 彼の祖国の名誉ある霊廟の中に眠っている。