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【送料無料】未完のファシズム [ 片山杜秀 ]
私
: 田中智学
は、 1861年
生まれ。
日蓮宗
の僧侶になるが、世を救うためには寺にこもるのはおかしいと、頭をまるめず 1879
年に還俗し、 日蓮主義運動
を起こし、 1914年
、 国柱会
を組織する。
智学
の理念は、日本は文明を造る国でなく、 個性ゼロの無内容な国
である。
そのために、 世界万国の文明
を受け入れることができ、東西の文明を融合して、 世界文明の最終完成態
を作り上げることが可能であるというものだ。
東西の文明の争いは行き詰っており、今こそ、 日本の出番
だという。
そこで「 八紘一宇
」という言葉を用意する。
A氏 :「 八紘 」は 世界 の意で、「 一宇 」は一つの家だから、 世界を日本中心の一家 にするという意味だね。
私
:一方、 石原莞爾
は 1889
年生まれ。
1915
年に陸大に入る。
彼は、 田中智学
に傾倒し、 1920
年、 国柱会の信行員
になる。
彼が 智学
に惹かれたのは、日本は何が何でも、「 持たざる国
」から「 持てる国
」へと 変身
せねばならぬとの確信を与えたからであろうという。
彼は 智学
の教えにより、 自らの思想と行動の原理
を打ち立てたのだね。
A氏 : 石原 の「世界最終戦争」論とつながるね。
私
: 石原
は、 1931
年の 満州事変
を計画し、翌 32年
に 満州国
ができる。
石原
は、満州国に眠る 豊富な資源
を開発し、この地を世界的な 重化学工業国
に育てることにより最短で「 持てる国
」になれると考えたのだろう。
そして、広く アジア民族の協力
、いわば「 5族協和
」の理念が生まれる。
1936
年、「 満州産業開発5カ年計画
」が始まる。
1940年
に 石原
は講演で、「 1970年
頃までに日米の経済力や科学力を 対等
にしようという構想」を述べる。
これは荒唐無稽なものでなく、 著者の試算
では、当時の日本の経済成長力はアメリカより高く、これで計算すると大体 1970年
までには対等になりそうであったという。
A氏 :なのに、 1941年12月 に、日本は 対米戦争 を始めるね。
私
: 石原
は、政治に首を突っ込みたがり、自分の特異な思想を押し通そうとする。
敵が多く、嫌われる。
東条英機
とは有名な犬猿の仲。
中央の人事から外され、 1941年3
月には 予備役
に編入。
石原
は、 日米開戦の報
を講演のために高松に行く宇高連絡船の船中で聞いたという。
A氏 :「 統制派 」の 石原莞爾 は、日本を「 持てる国 」にするまで何十年か長期の 大戦争をしてはいけない と考えていたし、「 皇道派 」の 小畑敏四郎 は、日本はどこまで行っても「 持たざる国 」なのだから「 持てる国 」と正面きっての 大戦争をしてはいけない と思っていた。
二人とも、途中で、 軍の中央
から追われるが、 二人が恐れていた日米戦争
は起きてしまうね。
そして 二人の予想通りの結果
になるね。
私
:日米開戦に至るまでは、まだいろいろな問題がからんでいる。
その点を明日から逐次ふれていこう。