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Ryu-chan6708

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2012.10.23
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【送料無料】未完のファシズム [ 片山杜秀 ]

田中智学 は、 1861年 生まれ。
日蓮宗 の僧侶になるが、世を救うためには寺にこもるのはおかしいと、頭をまるめず 1879 年に還俗し、 日蓮主義運動 を起こし、 1914年 国柱会 を組織する。
智学 の理念は、日本は文明を造る国でなく、 個性ゼロの無内容な国 である。
  そのために、 世界万国の文明 を受け入れることができ、東西の文明を融合して、 世界文明の最終完成態 を作り上げることが可能であるというものだ。
  東西の文明の争いは行き詰っており、今こそ、 日本の出番 だという。
  そこで「 八紘一宇 」という言葉を用意する。

A氏 :「 八紘 」は 世界 の意で、「 一宇 」は一つの家だから、 世界を日本中心の一家 にするという意味だね。

:一方、 石原莞爾 1889 年生まれ。
1915 年に陸大に入る。
 彼は、 田中智学 に傾倒し、 1920 年、 国柱会の信行員 になる。
 彼が 智学 に惹かれたのは、日本は何が何でも、「 持たざる国 」から「 持てる国 」へと 変身 せねばならぬとの確信を与えたからであろうという。
 彼は 智学 の教えにより、 自らの思想と行動の原理 を打ち立てたのだね。

A氏 石原 の「世界最終戦争」論とつながるね。

石原 は、 1931 年の 満州事変 を計画し、翌 32年 満州国 ができる。
石原 は、満州国に眠る 豊富な資源 を開発し、この地を世界的な 重化学工業国 に育てることにより最短で「 持てる国 」になれると考えたのだろう。
  そして、広く アジア民族の協力 、いわば「 5族協和 」の理念が生まれる。
1936 年、「 満州産業開発5カ年計画 」が始まる。

1940年 石原 は講演で、「 1970年 頃までに日米の経済力や科学力を 対等 にしようという構想」を述べる。
  これは荒唐無稽なものでなく、 著者の試算 では、当時の日本の経済成長力はアメリカより高く、これで計算すると大体 1970年 までには対等になりそうであったという。

A氏 :なのに、 1941年12月 に、日本は 対米戦争 を始めるね。

石原 は、政治に首を突っ込みたがり、自分の特異な思想を押し通そうとする。
 敵が多く、嫌われる。
東条英機 とは有名な犬猿の仲。
  中央の人事から外され、 1941年3 月には 予備役 に編入。
石原 は、 日米開戦の報 を講演のために高松に行く宇高連絡船の船中で聞いたという。

A氏 :「 統制派 」の 石原莞爾 は、日本を「 持てる国 」にするまで何十年か長期の 大戦争をしてはいけない と考えていたし、「 皇道派 」の 小畑敏四郎 は、日本はどこまで行っても「 持たざる国 」なのだから「 持てる国 」と正面きっての 大戦争をしてはいけない と思っていた。

 二人とも、途中で、 軍の中央 から追われるが、 二人が恐れていた日米戦争 は起きてしまうね。
  そして 二人の予想通りの結果 になるね。

:日米開戦に至るまでは、まだいろいろな問題がからんでいる。
  その点を明日から逐次ふれていこう。






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Last updated  2012.10.23 07:56:18
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