PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
私
: 柳田邦男
氏の「 原発事故・私の最終報告書
」は文藝春秋の 9月号
から連載がはじまっていて、今月号は 3回目
だ。
まだ、来月号に続く。
今月は、事故発生当時の 1号機
の ベント
、 水素爆発
、 海水注入
の 初期重要問題
に焦点を合わせ、現場責任者の 吉田昌郎
所長の動きについて記述しているね。
3月11日 の 23時56分 過ぎに 1号炉 の格納容器の圧力が最高使用能力を超えているのが分かる。
A氏 :そこで、格納容器の圧力をさげるために ベント 問題が登場したのか。
私
:もう日が変わり、 12日
になっている。
吉田所長
は、対策本部で声を張り上げ、 ベント
の準備を指示する。
ところが、 ベント
の各種弁の 遠隔操作テスト
をしたら、 全電源喪失
で動かない。
A氏
:大体、 ベント
というのは緊 急事態
で操作することだから、一般電源とは別に 独立して操作
できるようになっていないといけないのにね。
設計の欠陥
が、トラブルが起きると現場にしわ寄せされるね。
私
:東京では、 午前3時
海江田万里経産相と東京電力の小森明生常務が記者会見し、これから 1号機
の ベント
を行う旨の説明をするが、 ベント
が簡単にできるような説明だった。
「 本店と現場はずれている、何故だ
」と会見をテレビで見ていた 吉田所長
は思ったという。
こうなると、 ベント
は手動でやるしかないが、現場に入るには 高放射線
で難しい。
現場では現場図面を出して検討する。
ベント
に時間がかかる。
午前6時50分
、ついに 海江田大臣
から、原災法に基づいて命令として「 手動で速やかにベントを実施せよ
」というのが本店経由でくる。
吉田所長
は怒りを抑えて、精一杯やりますと回答したが、後日、語ったところでは腹の中では 「いろいろやってもできないんだ。この状態じゃできるわけないよ。さっさとやれというなら自分でやってみろ
」と叫んでいたという。
" 決死隊
"が編成され、高い放射能のある現場に行く準備を整える。
そのさなかの 午前7時10分
、 菅直人首相
が現場に活を入れようとヘリコプターでくる。
ベント
の困難さの説明をするが「なんとでも ベント
を急げ」と言って、 20分
ほどで帰っていく。
その頃、" 決死隊
"の準備ができ、 9時
過ぎに 1号機建屋
に入る。
弁が2ヶ所にあるので、2組に分かれる。
第1の弁
は、手動で動かした。
地下にある第2の弁は、近づくとあまりの高放射能で、さすがの" 決死隊
"も諦めて後退。
A氏 :"決死隊"による ベント は成功しなかったのか。
私
:そこで考えられたのか、 強力なコンプレッサー
で弁を壊すことだ。
ところが、そんな コンプレッサー
はない。
ここにも、「 強力な弁
」をあけるという事態が生じるというのは「想定外」だから、準備がないという事態が明らかになるね。
結局、協力会社の 大型コンプレッサーで ベント に成功する。 14時30分 だった。
A氏 :海江田大臣や菅首相が騒いでから、 数時間 たって ベント したが、吉田所長はじめ、現場は「 想定外」の設計 のため大変な努力をしたわけだね。
私 :明日は、 海水注入 をめぐる本部と現場の問題にふれよう。