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私
: 西部邁ゼミナール
で ペリリュー島
の玉砕の話を聞くまで、この島の玉砕のことは知らなかった。
そこで図書館でこの本を借りた。
2年ほど前の刊行なのですぐ借りられた。
400頁
ほどの大著だね。
A氏
:玉砕というと、 アッツ島
、 サイパン島
、 グアム島
、 硫黄島
をすぐ思いつくね。
しかし、俺も ペリリュー島
の玉砕は知らなかったよ。
私
: ペリリュー島
は パラオ諸島
の中の1つの小さな島だね。
東西約3キロ、南北約9キロ
という小島。
東洋一という飛行場
があり、米軍にとっては、フィリピンや沖縄の空爆の拠点となる。
著者は、この島で 1万人
の 日本兵
と延べ 4万5千人
の 米兵
が繰り広げた苦闘は、その 密度の濃さと激しさで他に類例
を見ないという。
兵員の数
だけでない。
米軍の火力は、空爆、艦砲射撃、陸上の大砲・バスーカ砲、自動小銃と、数の上でも、性能でも圧倒的に優れ、彼我の差は歴然としている。
その中での戦闘だね。
ところで、この日本軍の 1万人
というのは、もとは 関東軍の水戸連隊
で満州の 黒竜江省
にいた。
20歳から22、23歳の 若者ばかりの精鋭
だ。
これが、南方の形勢不利を挽回するために、 昭和19年3月10日
、 ペリリュー島に転進命令
がでる。
A氏 : 極寒の地 から 酷暑の地 へと一挙に気候が激変するね。
私
:防諜上、一般の兵士には転進先は知らせない。
「 演習
」という名目だ。
満鉄
の無蓋列車
で 大連
に着き、海に関係する演習を行ったので、兵士はうすうす、南方に行くのではないかと感じだす。
演習は 10日間
で終わり、 大連港
から、物資とともに3隻の輸送船に乗って、 3月28日
出港。
積み込んだ軍需物資は1 会戦分
だけと言って、2、3ヶ月の戦闘用分を積み込んだという。
当時の戦況では、追加の物資は期待できない。
事実、本格的な組織的な戦闘は2ヶ月ほどであった。
一旦、 横浜港
に寄り、 駆逐艦2隻の護衛
で南下する。
そして、パラオに着いたのは 4月24日
。
A氏 :1ヶ月ほどのえらい長い船旅だね。
私
:敵襲を避けるために太平洋上をウロウロしてためだね。
しかし、 米軍
は日本軍の移動を知っていた。
米潜水艦の情報や、 暗号解読
で知っていた。
ペリリュー島
の守りは、従来の サイパン島、サイパン島
の 水際撃滅のバンザイ攻撃
という 一斉突撃
の日本の伝統的な戦略は、簡単にやられることから、戦略を転換し、「 徹底抗戦
」の戦略となった。
ペリリュー島の 強固な珊瑚岩
という 自然壕
を利用して強固な洞窟を大小 500
ほど作る。
兵士は満州の荒野に見られなかった ジャングル
に驚く。
A氏 :洞窟は後の 硫黄島 と同じ戦略だね。
私
:こうして、演習などで準備して敵襲を待つ。
9
月7日
から米軍の猛烈な 艦砲射撃
がはじまり、飛行場の滑走路は穴だらけ。
濃い緑の木々に覆われていた山肌は露出した。
さらに空爆もはじまる。
大ジャングル
は1週間の砲爆撃で 裸の山
となる。
しかし、頑強な洞窟に守られ、日本軍の被害はほとんどなかった。
こうして、米軍は 9月15日の早朝 に上陸を開始した。
戦闘はいよいよ、本番に移る。
それからは明日の話題にしよう。