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Ryu-chan6708

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2013.01.04
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西部邁ゼミナール ペリリュー島 の玉砕の話を聞くまで、この島の玉砕のことは知らなかった。
 そこで図書館でこの本を借りた。 
  2年ほど前の刊行なのですぐ借りられた。
400頁 ほどの大著だね。

A氏 :玉砕というと、 アッツ島 サイパン島 グアム島 硫黄島 をすぐ思いつくね。
 しかし、俺も ペリリュー島 の玉砕は知らなかったよ。

ペリリュー島 パラオ諸島 の中の1つの小さな島だね。
東西約3キロ、南北約9キロ という小島。
東洋一という飛行場 があり、米軍にとっては、フィリピンや沖縄の空爆の拠点となる。

 著者は、この島で 1万人 日本兵 と延べ 4万5千人 米兵 が繰り広げた苦闘は、その 密度の濃さと激しさで他に類例 を見ないという。
兵員の数 だけでない。
 米軍の火力は、空爆、艦砲射撃、陸上の大砲・バスーカ砲、自動小銃と、数の上でも、性能でも圧倒的に優れ、彼我の差は歴然としている。

その中での戦闘だね。

 ところで、この日本軍の 1万人 というのは、もとは 関東軍の水戸連隊 で満州の 黒竜江省 にいた。
  20歳から22、23歳の 若者ばかりの精鋭 だ。
  これが、南方の形勢不利を挽回するために、 昭和19年3月10日 ペリリュー島に転進命令 がでる。

A氏 極寒の地 から 酷暑の地 へと一挙に気候が激変するね。

:防諜上、一般の兵士には転進先は知らせない。
 「 演習 」という名目だ。
満鉄 の無蓋列車 大連 に着き、海に関係する演習を行ったので、兵士はうすうす、南方に行くのではないかと感じだす。
 演習は 10日間 で終わり、 大連港 から、物資とともに3隻の輸送船に乗って、 3月28日 出港。
 積み込んだ軍需物資は1 会戦分 だけと言って、2、3ヶ月の戦闘用分を積み込んだという。
  当時の戦況では、追加の物資は期待できない。
  事実、本格的な組織的な戦闘は2ヶ月ほどであった。

  一旦、 横浜港 に寄り、 駆逐艦2隻の護衛 で南下する。
  そして、パラオに着いたのは 4月24日

A氏 :1ヶ月ほどのえらい長い船旅だね。

:敵襲を避けるために太平洋上をウロウロしてためだね。
 しかし、 米軍 は日本軍の移動を知っていた。
 米潜水艦の情報や、 暗号解読 で知っていた。

ペリリュー島 の守りは、従来の サイパン島、サイパン島 水際撃滅のバンザイ攻撃 という 一斉突撃 の日本の伝統的な戦略は、簡単にやられることから、戦略を転換し、「 徹底抗戦 」の戦略となった。
  ペリリュー島の 強固な珊瑚岩 という 自然壕 を利用して強固な洞窟を大小 500 ほど作る。
  兵士は満州の荒野に見られなかった ジャングル に驚く。

A氏 :洞窟は後の 硫黄島 と同じ戦略だね。

:こうして、演習などで準備して敵襲を待つ。
9 月7日 から米軍の猛烈な 艦砲射撃 がはじまり、飛行場の滑走路は穴だらけ。
 濃い緑の木々に覆われていた山肌は露出した。
 さらに空爆もはじまる。 
大ジャングル は1週間の砲爆撃で 裸の山 となる。
 しかし、頑強な洞窟に守られ、日本軍の被害はほとんどなかった。

 こうして、米軍は 9月15日の早朝 に上陸を開始した。

 戦闘はいよいよ、本番に移る。

 それからは明日の話題にしよう。






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Last updated  2013.01.04 09:52:37
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