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私
:戦後、 政府
は安価で良質な若い労働力を計画的に 第2次産業
に確保できるように、 若い離農者たち
が野放図に 第3次産業
に流れ込まないように 零細小売者を規制
した。
しかし、多くの「 商店街
」は戦後以降にできているという。
これは、「 商店街
」関係の 法整備
が矢継ぎ早に進んだからだという。
ところで当時の 政府 がすすめるべき 近代化の目標 は 2つ あり、 1つ は 製造業中心の経済成長 、 もう1つ は 完全雇用の実現 だった。
A氏 :しかし、敗戦後、 戦地からの引き揚げ者 や、 農地改革 によって、 農村の二男、三男が大量に労働力市場に流入 していたろうね。
私 :しかし、 国際競争力 を高めるために 製造業の生産性が向上 しており、 雇用吸収 は思ったほどではなかった。
政府 が考えた 労働人口の抑制 は 移民、産児制限、社会保障による女性・高齢者の非労働化 だね。
A氏 :現在の日本と 逆 だね。
私
:しかし、これだけでは不十分で、考えられたのは 第3次産業への労働力の吸収
だ
しかし、 第3次産業の小売業者は低収入
だ。
そこで、 小売業について規制と近代化 (「商店街」の整備や規模拡大
)を行う。
第3次産業の規制 をすると、 流入者は制限 されるが、その問題は、 高度成長により解決 した。
製造業の国際競争力の向上、第3次産業の保護、完全雇用の目標という多少矛盾した目標 は、 高度成長 により、 3つともに実現 したんだね。
A氏 : 高度成長 、様々だね。
私
: 零細小売業者の保護
としては、一時、占領下でGHQの指示で廃止された「 百貨店法
」が、独立後の 1956(昭和31)年
に 復活
。
次に 1957年
に「 中小企業団体法
」が成立。
1959(昭和34)年
には、ライバルである 生協や購買会に対する規制
も加わり、 小売業者の保護が強化
された。
A氏 : 零細小売商 は 政治への圧力 を強め、効果を出したが、同時にそれは 行政指導の保護政策に依存 することになるね。
私
: 1962(昭和37)年
、「 商店街振興組合法
」が成立し、「 商店街
」のメンバーが結成した組合に対して 法人格
を与えるというものだ。
そして 政府
が必要と認めれば アーケード建設や「商店街」地区の再開発
などに 補助金が交付
されることになった。
しかし、同時に 零細小売業者の近代化
の遅れが問題になっていた。
そこに スーパーマーケット
が登場する。
A氏
: 1957(昭和32)年
、 中内功
氏は大阪で「 主婦の店ダイエー
」を開店するね。
翌年、 神戸・三宮
に スーパーチェーン
を立ち上げ、 1972(昭和47)
年にはダイエーは三越を抜いて 小売業売上日本一
になるね。
私
: 中内
氏は消費者が 価格決定権
を持つとして、小売業は消費者の代わりに 価格決定権
を持つとした。
これは 大手製造業の特約店の支配秩序
に対しての闘いであった。
特に強く反発した 松下電器
は ダイエーへの商品供給を長期にわたって中止
した。
中内 氏は マスコミや公正取引委員会 を巧妙に巻き込み、松下電器など大手製造業が特約店制度などでつくりあげた 価格統制の非合理的性 を世に問い、ついに、松下も公取法違反を認め、 中内氏の勝利 となる。
A氏
:しかし、 中内
氏の闘いは、究極的に「 商店街」の既得権の破壊
になるね。
「商店街」の 零細小売業者
の多くは 大手の特約店
だったからだ。
私 :だから、 スーパーマーケット の出店は「 商店街 」の反発を買った。
しかし、 都市計画の分野 でも「 商店街」 は重視され、スーパーマーケットと「商店街」は共存され 中内 氏の野望は、 まちづくりの段階で挫折 となる。
A氏 : スーパーマーケットの拡大 に対して「 商店街 」が反対し、 1973(昭和48)年 、「 大規模小売店舗法 」というきわめて 強い規制 がもうけられたね。
私 :これによって、「 商店街 」はしぶとく維持されるが、 中内 氏の理念はその後の 零細小売商の凋落 を予言していた。
明日は、「 商店街 」の 黄金時代からの転回 に移ろう。