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「戦後再発見」双書 1【2500円以上送料無料】戦後史の正体 1945-2012/孫崎享
私 : 1957 年 2 月 に 岸首相 は、「 安保条約 」と「 行政協定 」を 自主的 なものにするため、その改定にのりだす。
A 氏 : 岸信介 は CIA から 多額の資金援助 を受けていたので、 米国追随一辺倒 だったというイメージがあるが、実は、 対米自主路線 を模索していたんだね。
しかし、 安保反対・岸政権打倒運動のデモ が予想外に拡大し、 日本の歴史上かってない事態 が発生したね。
この騒動を著者は、 米国との関係 でどうみているかね。
私 :次の 4 段階 が考えられるとしている。
1 . 岸首相 の 自主独立路線 に危惧をもった 米軍及び CIA 関係者 が、工作を行って 岸政権 を倒そうとした。
2 .しかし、岸政権の基盤が強く、政権内部からの切り崩しは 通常手段 ではできなかった。
3 .そこで 経済同友会 などから 資金提供 をして独裁国でよく用いられる 反政府デモの手法 を使うことになった。
4. ところが 6 月 15 日 のデモ で女子東大生が死亡して、 安保闘争が爆発的に盛り上がった ため、岸首相の退陣の見通しが立ったこともあり、 翌 16 日 からは、 デモを押さこむ方向 で動いた。
A 氏 :しかし、「 新安保条約 」は「 旧安保条約 」より、日本にとって改善されているね。
武力の行使 に「 国際連合の目的 」という 枠 をはめ、 米国の日本防衛義務 が明記されたね。
私 :岸政権後、 池田政権 となり、 駐日米国大使 には親日的な ライシャワー を迎え、日米関係は黄金期を迎える。
ライシャワー大使 は 沖縄返還 の契機を作る。
1964 年 、 佐藤栄作 政権 となり、次に米国も ニクソン大統領 になって、 沖縄返還 が進むが、 1969 年 、このとき、 有名になった「 核兵器持ち込みについての密約 」があるね。
実は、このとき、 密約は 2つ あって、「 核持ち込み密約 」以外に、 1970 年 からの「 繊維の輸出規制についての密約 」もあった。
これが後に、 佐藤首相とニクソン大統領関係悪化の原因 となる。
これは明日ふれよう。