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私 :昨日は「 日本型政教分離 」に対して、「 祭政一致 」 国家の構想 が進むことをふれた。
「 祭政一致」国家構想 の中心は 天照大神と皇室の祖神(皇祖皇宗)の祭祀 だ。
東京奠都 に伴い 1969 年(明治2 )に新たに 賢所 を設営、 1989 年(明治 12 )には大規模な 宮中三殿 が設けられた。これと日本の神々の中心に位置づけられた 伊勢神宮 とは一対の施設 と考えられていた。
この 三殿と伊勢神宮を基盤 として、 神聖な「万世一系」の天皇の統治 がおこなわれることになる。そして、三殿による「 皇室祭祀 」と「 神社祭祀 」が一体化していく。
A 氏 :それまで 20 万 と言われる 全国の神社 は、それぞれ地方の伝統などでバラバラだったのが「 皇室祭祀」によって一体化 していくわけだ。
私 :「 国体 」という言葉があるが、これは「 万世一系の天皇統治をしている国家 」を意味し、 「 国家神道 」と関係している。
ところで神道は他の仏教や儒教のような個人の生き方や社会のあり方を示す「 皇道 」すなわち、「 教」的な要素 が弱い。
そこで「 教育勅語 」という名案が生まれる。「 教育勅語 」はどのような宗教をもとうと、また宗教をもつともたないとにかかわらず、 国民が守るべき包括的な「教」 として提示された。 他の宗教を超えた包括性 は「 皇道 」の理念の核心をなす。
A 氏 :「 教育勅語 」の強制は 信教の自由 と矛盾するのではないのかね。
私 :「 教育勅語 」制定の段階では西洋先進国に伍することを重視する 井上毅 が頑強な抵抗者として登場する。 伊藤 や 井上 は政体に宗教的な一体性をもちこむことを限定しようとする。
A 氏 :現実主義的な政治家の意志との妥協のなかで、 1890 年(明治 23 )「 教育勅語 」は成立し発布されたんだね。
私 :「 教育勅語 」の原案作った 元田永孚 の儒教色の濃いやや狭量な伝統主義に対して、より柔軟な方向に修正したことによって、 宗教に超越的な皇道主義 に近づいたといえる。
明日は、「 国家神道
」が広められていく過程に移ろう。