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「本当は私、 2 F(福島第 2 ) に行けと言っていないんですよ。 福島第1 の近辺で、所内にかかわらず、線量が低いようなところに1回退避して次の指示を待てと言ったつもりなんですが、 2 F に着いた後、連絡をして、まずは GM から帰ってきてということになったわけです」
第1原発 にとどまったのは吉田氏ら 69 人 。 第 2 原発 から所員が戻り始めたのは 同日昼ごろ 。
この間、 手薄になった第 1 原発 では 2 号機 で白い湯気状のものが噴出し、 4 号機 で火災が発生。 放射線量 は正門付近で 最高値 を記録。
A
氏
:
外国メディアは残った 69人
を「 フクシマ・フィフティー
」、すなわち 福島第1原発に最後まで残った
50
人の英雄たち
、と褒めたたえた。
私
:しかし、吉田自身も含め
69
人
が福島第1原発にとどまったのは、 所員の 9割
にあたる
約
650
人
が所長の命令に反して福島第
2
。
所長が統率をとれず、要員が 幹部社員
も含めて一気に
9
割
もいなくなった 福島第1原発
では、対応が難しい課題が次々と噴出した。
まず、爆発は、2号機でなく、 無警戒の4号機
で起きていたことがわかったなどだ。
私 :今、図書館から借りた「 福島第1原発収束作業日記 」を読んでいるが、 3 月 15 日 には吉田所長の声で作業員に「 今までありがとうございました 」と放送があり、筆者は 福島第1原発 を離れ、自宅に帰ったとある。これも「 吉田調書 」と違うが、事故後1年後に東電が公表したテレビ会議の記録では何故かこのシーンは 映像のみで音声は欠落 していたので 吉田氏の音声記録はない という。。
「 吉田調書 」は非公開だそうだが、朝日新聞は紙面やデジタルで公開している。
とにかく「 福島第1原発収束作業日記・
3.11
からの
700
日間
」を読むと、東電は収束の手は打っているが、バタバタの状態を依然として続いているね。
福島第一原発収束作業日記 3・11からの700日間