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私 : 5 月 20 日の朝日新聞では、 原発事 故当時の 福島第 1 原発の吉田所長 が 政府事故調 の調べに答えた「 聴取結果書 」( 吉田調書 ) を入手したと報じている。
その調書の中で、東日本大震災 4 日後 の 11 年 3 月 15 日朝 、 第1原発 にいた所員の 9割 にあたる約 650 人 が吉田氏の待機命令に違反し、 10 キロ南の 福島第 2 原発 へ撤退していたという。
その後、放射線量
は急上昇しており、事故対応が不十分になった可能性がある。
東電はこの 命令違反による現場離脱
を
3
年以上伏せてきたという。
A
氏:俺もこの記事を読んだが、
15
日午前
6
時
15
分
ごろ、 2号機
方向から衝撃音がし、原子炉圧力
抑制室の圧力が ゼロ
になった。
2号機の格納容器
が破壊され、所員約
720
人
が大量被曝(ひばく)するかもしれないという危機感に現場は包まれた。
午前 6 時 42 分 、緊急時対策室内の放射線量 はほとんど上昇していなかったので、吉田氏は前夜に想定した「 第 2 原発への撤退 」ではなく、「 高線量の場所から一時退避し、すぐに現場に戻れる第1原発構内での待機 」をするため、 社内のテレビ会議 で「 構内の線量の低いエリアで退避すること。その後異常でないことを確認できたら戻ってきてもらう 」と命令した。
吉田氏の証言によると、所員の誰かが免震重要棟の前に用意されていたバスの運転手に「 第 2 原発に行け 」と指示し、 午前 7 時 ごろに出発したという。自家用車で移動した所員もいた。道路は震災で傷んでいた上、 第 2 原発 に出入りする際は防護服やマスクを着脱しなければならず、 第 1 原発 へ戻るにも時間がかかった。 9 割 の所員がすぐに戻れない場所にいたのだ。
A
氏
:その中には事故対応を指揮するはずの GM
(グループマネジャー)と呼ばれる 部課長級の社員
もいた。
過酷事故発生時に原子炉
の運転や制御を支援する GM
らの役割を定めた 東電の内規に違反する可能性
があると新聞は指摘しているね。
私 :明日はその後の吉田氏の証言に移ろう。