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私 : 満蒙問題 は 日露中 の 3 つの国の関係でみないと正確ではないが、われわれは、とかく、 日中の「歴史問題」 に気を取られ、ロシアが盲点になっているね。
この本は、その意味で、 ロシアの満蒙への干渉 を日中と交えて記述していて興味が湧く。
A 氏 : ロシア という国は、ヨーロッパからの広大な平原が続いているため、 安全保障の「最前線 」はできるだけ国家の心臓部から遠くへともっていくことになる。
私 : ロシア は、 1891 年 、 ウラジオストク に向け、 シベリア鉄道 の設置を開始する。
そして、中国のどこかに 支線 を延ばすことを考えた。
1894 年 、 日清戦争 で日本は勝ち、 遼東半島を含む「南満州」の割譲 を講和会議で要求したが、この要求が過大とし 清 は 英・露・仏の3国 に訴えた。
A 氏 : 日本 としては屈辱的な「 3 国干渉 」が始まるね。
私 : ロシア は日本の「 南満州 」の占領はロシアへの脅威だとして「 3国干渉 」をし、日本は割譲を諦める。これにより ロシア は 日本をイギリス側 においやり、 日本 は「 臥薪嘗胆 」で 対露報復のための軍備を拡張 し、 日英同盟、日露戦争 とむかっていく。
一方、ロシアは「 3国干渉 」で 清 に恩を売ったので、 シベリア鉄道から中国国内への支線(中東鉄道) の設置が 1897 年 から行われる。
中露国境の 満州里 から東は ロシア沿海州の国境にある綏芬河を繋ぐ路線 が 中東鉄道「本線」 、 ハルピンから満州里を西部線 、 ハルピンから綏芬河を東部線 と呼ばれる。
これにより、 ロシア は、 ウラジオストック は冬は凍結するので、 1898 年 、 中東鉄道 のハルピンから、 大連 という不凍港に 1901 年 に直結できた。
A 氏 : 1902 年 、 日露戦争 が起き、日本が勝ち、 講和条約 でロシアは手塩にかけた 大連と中東鉄道の一部 を日本に譲るね。
日本 は翌年、 長春から大連までの満鉄 を発足させる。満鉄警備の名目で日本は軍を置くがこれが後に 関東軍 となるね。
私 : 日露戦争の敗北 で ロシア外交 は急転換し、 1907 年 、 第 1 次日露協約 で日本との関係改善をはかり、同年、英露協商も成立。 ロシア の関心が ドイツ、オーストリア に向き、 第 1 次世界大戦の遠因 となる。
明日は 満州の鉄道 に アメリカ が乗り出してくることにふれよう。