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私 :この「 世界はうたう 」の 連載シリーズ は 「アメージング・グレース@アメリカ・オバマが歌った、ゆるす心」 から始まり、 「国歌『ラ・マルセイエーズ』@フランス 結束の象徴、歌わない自由」 の 12回 めで終わったが、 1月10日に突然、デヴィット・ボウイさんが69歳でなくなった ので、 アンコール欄 を設けたようだ。
A 氏 :この新聞の アンコール欄 では、 デヴィット・ボウイの「ヒーローズ 」が 東西ドイツのベルリンの壁の崩壊に大きな影響を与えた としているね。
私 : ベルリンの 「 ハンザ・スタジオ 」前に 15日 、 数百人 が集まり、 10日に亡くなった英国出身のロックスター、デビッド・ボウイさんを悼んだ。
1987年6月6日 、 冷戦を象徴する壁のすぐ西側にある共和国広場 で、 ボウイさんは野外コンサートを開いた 。
観衆 は、 壁と向き合うように立ち 、さらに スピーカー が、 観衆と反対側の東にも向けて置かれた。
壁の向こう には、 ボウイさんの歌声を聴こうと東独の若者が集まっていた。
「 壁を倒せ 」 と叫ぶ若者 が 東独警察と衝突 した、と当時の報道は伝えているという。
A 氏 : 歌の一つ が、 西ベルリンで生み出した名曲「ヒーローズ」 だった。
《忘れないよ あの壁の横で 銃弾が2人の頭の上をかすめていったこと
それでもキスしたよね 僕らは英雄になれる 一日だけは》
私 : 東の若者 にとっても、 ボウイさんは「自由」の象徴 だった。
若者 は当時むさぼるように聴き、西独の親戚からレコードを送ってもらい、 西から流れるラジオ放送にかじりついた者 もいたという。
東独 にも、 政府公認の「ロック」 はあったが、 体制を否定するような歌詞 には目を光らせた。
A 氏:2年後の 89年、壁は崩れた ね。
私 : ボウイさんの死 を受け、 ドイツ政府はツイッターにメッセージを出した 。
「 さよなら、デビッド・ボウイ。今やあなたは『ヒーローズ』の仲間入りだ。壁の崩壊に力を貸してくれてありがとう 」
あらゆる障壁を越えるように、しなやかに変わり続けた ボウイさん 。
その歌が壁を越えて人々の心を揺さぶった時 、 すでに壁は崩れていたのかもしれない という。