PR
Keyword Search
Calendar
Comments
Freepage List
私 :今日の 朝刊の「コラムニストの眼」欄 では トーマス・フリードマン氏 が、 かつて農業から工業へと経済の重心が移ったときと同じくらい に、 AI によって、 米国の労働者は変革への適応を迫られている としている。
AIと労働者の関係以外 に、ここで取り上げるのは 「哲学」とAIとの関係 という 変わった視点からのAI論だ。
哲学者・ 森岡 氏は、 こ れまで学者たちが行ってきた研究が、「人工知能」によって置きかえられていく可能性 もあり、とくに、 森岡氏 が専門としている哲学の場合 、 考えることそれ自体が仕事内容のすべてだから、囲碁や将棋と同じ運命をたどるかもしれない という。
A 氏 :たとえば 「人工知能」に哲学者カントの全集を読み込ませ 、そこから カント風の思考パターンを発見 させ、 それを用いて「人工知能カント」というアプリを作らせることはいずれ可能になる であろうと 森岡 氏はいう 。
人間の研究者が「人工知能カント」に向かっていろいろ質問をして、その答えを分析することがカント研究者の仕事になる と 森岡氏は 予想 する。
この領域では「人工知能」と哲学者の幸福な共同作業が成立 する。
私 : カント だけでなく、 過去の哲学者たちのすべてのテキストを読み込ませ て、そこから 哲学的な思考パターンを可能な限り抽出させる と、 およそ人間が考えそうな哲学的思考パターンがずらっと揃うことになる。
その結果、「 およそ人間が考えそうな哲学的思考パターンのほぼ完全なリスト 」ができあがり、もう 人間によるオリジナルな哲学的思考パターンは生み出されようがなく、将来の哲学者たちの仕事は、「哲学的人工知能」のふるまいを研究する一種の計算機科学に近づくだろう と 森岡 氏はいう 。
A 氏 :しかし、 外部から入力されたデータの中に未発見のパターンを発見したり、人間によって設定された問いに解を与えたりするだけならば、それは哲学とは呼べず 、 哲学は、自分自身にとって切実な哲学の問いを内発的に発するところからスタート する。
たとえば、 「なぜ私は存在しているのか?」とか「生きる意味はどこにあるのか?」という問いが切実なものとして自分に迫ってきて 、 それについてどうしても考えざるを得ないところまで追い込まれてしまう状況こそが哲学の出発点 。
「人工知能」は、このような切実な哲学の問いを内発的に発することがあるのだろうか。
そういうことは当分は起きないと 森岡氏 は予想する。
私 :しかし、もし仮に、 人間からの入力がないのに「人工知能」が自分自身にとって切実な哲学の問いを内発的に発し、それについてひたすら考え始めた としたら、 そのとき 森岡氏 は「『人工知能は哲学をしている」と判断する だろうし、 「人工知能」は正しい意味で「人間」の次元に到達したのだと判断したくなる という。
A 氏 :また、 哲学的には、自由意志に基づいた自律的活動と、普遍的な法則や真理を発見できる思考能力が、人間という類の証しであると長らく考えられてきた が、 それらは将来の「人工知能」によっていずれ陥落される であろうと 森岡 氏 はいう。
私 : 「人工知能」が人間の次元に到達するためには、それに加えて、内発的哲学能力が必要だ と 森岡 氏 は考えたいという。
「人工知能」の進化によって、そのような「知性」観の見直し が迫られており、 彼らが発する内発的な哲学の問いはあまりにも奇妙で、我々の心にまったく響かないかもしれない。
この点をめぐって 人間と「人工知能」の対話 が始まるとすれば、 それこそが哲学に新次元を開くことになると思われる と 森岡 氏 はいう。
労働者だけでなく、知的作業の専門家の哲学者まで「人工知能」 変革への適応を迫られている とはね。
哲学の領域まで、入ってきた「人工知能」 とは、 一体、どういうもの になるのだろうか。