りゅうちゃんミストラル

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2005.11.13
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カテゴリ: 社会問題


東武運転士解雇その2

その時、以下の記事にトラックバックを送った。

苦情の電話と「世間」の気まぐれ(kiki's Diner)

苦情を批判した、よく書けた記事だと思う。
言っていることはすごく共感できる。
世間(というより世論)はきまぐれで、拉致家族についても同情したと思ったら突然批判したりする。

ところが少し経過すると、この記事について「本当にそうか?」という疑問が私には残った。
いつの世も「批判する精神」というのは確かに必要だからだ。
そして時に抗議は役にも立つ。

先に挙げた記事では、NHKの記者が放火したことを例に、
どうして苦情の電話をするのか理由を以下のように述べている。

>1戦前のような全体責任主義者か、2個人の責任と会社の責任を分けて考えられずに正義の見方を気取っているのか、それとも、3ただ単に文句を言ってストレスを発散したいだけなのか、どれかということだと思う。

多くの人はそうした理由で苦情の電話を確かにしているのかもしれない。
しかしそればかりではあるまい。
こんな理由もあるのではないか?

4、本当に正義から苦情の電話をかけている人がいる。

確かに数は少ないのかもしれないが、聖書にある「ソドムとゴモラ」みたいにそんな人が一人もいないとは決め付けられない。
また、先の記事はこうも言っている。

>ある人にとっての「正義」が他の人にとって「正義」とは限らない。

確かにそうだ。
アメリカみたいに正義を振りかざされたら困る。
しかしこの世にはある人にとっての「正義」が他の人にとって「正義」になる場合がある。
たとえばハンセン病訴訟。国は控訴をする予定でいた。
しかし多くの人の声が国に控訴断念を決めさせた。

ハンセン病訴訟、政府控訴断念(2001年7月)

「ハンセン病国家賠償訴訟・熊本判決」国が控訴断念!!

こうした政治への圧力は明らかに世論が形成した部分が大きい。
もちろん小泉政権が大衆迎合主義(ポピュリズム)に動いたことも大きな背景だ。
だが抗議も人の役に立ち、必要とされる場合がある。
(抗議をすべて真に受けていたら本当に全体主義者になってしまうことは否定できない)

何度も言うが、先の記事は非常に優れている。
私が書こうとしてもなかなかかけるものではない。
だが私は天邪鬼精神からかこう言いたくなってしまう。

違う場合もあるんじゃないの?




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最終更新日  2005.11.14 19:03:11
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