October 29, 2004
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カテゴリ: 身辺雑記
ニューヨークから帰ったら、父は骨と灰になって箱の中にいた。

出発予定当日に死んだことといい、飛行機の欠航で出発が一日延びて仮通夜には出られたことといい、運命の采配のようなものを感じずにいられない。

大竹愼一の父も、彼が日本に着いた日に亡くなったのだそうだ。

中学生のころ、音楽クラブの顧問の先生の家に遊びに行って、そのホームドラマのような温かい団らん風景を心底うらやましく思ったことがある。

「ふつうの家庭とはこういうものなのか」とがく然としたが、父の性格の異常さ(と言って悪ければ)偏りに深く感じ入ったのはそのときからだと思う。

いまよりさまざまな社会的規範が強く貧しかった時代には、非常に激しい症状を示す分裂病の人がたくさんいたが、父にもそういうところがあった。

葬儀で使った写真はデイケアセンターに行っていたときに介護の人が撮ってくれたもので、穏やかで悪意のない顔をしている。

憎悪と嫌悪を感じるばかりだった父の否定的な面は、死によってあがなわれ清められたように思えてくる。長所だけが思い出され、この写真のように生きている間ずっと善良な老人だったような気がしてくるから不思議だ。

あれほど憎悪し嫌悪していた父の死でさえこれほど悲しいのだから、若くして親をなくした人や、子をなくした親の悲しみはどれほどのものだろうか。





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最終更新日  February 5, 2010 10:55:24 PM
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