January 30, 2006
XML
カテゴリ: クラシック音楽
生誕250年にちなむオール・モーツァルト・プログラム。

本人を直接知る、指揮者の広上淳一と同業の知人によれば彼は「天才」だそうである。

なるほど、彼の指揮からはどういう音楽を作りたいかがはっきりとわかる。

交通整理に終わる指揮者が多い中、「この音楽はこう響かなければならない」という自分自身のビジョンを持っている。

で、その広上のモーツァルトだが、交響曲第31番「パリ」を聴く限りでは、流行のオリジナル楽器オーケストラのスタイルではなく、大編成の19世紀的なスタイル。ただし甘ったるくもロマンティックでもなく、古典の節度を感じさせるもの。

ただ、何というか彼のモーツァルトには優美さとか繊細さとかが不足している。オーケストラも、モーツァルトにしてはややがさつに響く。

次のバイオリン協奏曲第3番に登場した米元響子のソロも似たような印象で、日本的にスクエアなところがいまいち。とはいえ、まだ21歳なのに堂々とした演奏ぶりにはすでに大家の風格が漂っている。

後半は「戴冠式ミサ曲」。コーラスはガーデンプレイスクワイヤ。どちらかというと若手を集めたソリストといい、若々しい声のこのコーラスといい、祝祭的な気分にあふれたこの曲にはふさわしい共演相手。

ソリストの中ではテノールの吉田浩之が日本人には珍しい明るく軽い声質の持ち主で印象に残った。



その後、生意気盛りになって、音階と和音だけでできているような単純なモーツァルトの音楽からは遠ざかったこともあった。

しかし、音響効果のよいホールの、最もいい席で聴くモーツァルトには鳥肌が立つほど素晴らしいと感じる部分がたくさんあった。

マンハイム楽派など、一見、モーツァルトと似た音楽を作った作曲家はたくさんいる。

モーツァルトがそういう作曲家群と一線を画して素晴らしいのは、すべての声部が、それ自体独立した生き物であるかのように生き生きとしていること、さらに言えばすべての声部が「歌って」いる点にある。

器楽曲や宗教曲でも、まるでオペラのように聞こえるときがある。

バイオリン協奏曲第3番のラスト近くで突然、オーストリアのノスタルジックな民謡が挿入される部分など、まるでオペラの一場面を観ているようだ。

こういうことはやはり生演奏でないとわからないものだ。

昼のクラシックコンサート、「昼クラ」がブームなのだそうだ。この日も、リタイアしたシルバー世代が多かった。

そのせいか、初演のときはパリ市民が大喜びした「パリ」の第1楽章の転調のしかけにも客席の反応は静かなもの。

15年くらい前、クラシック音楽愛好家の新聞記者とクラシック音楽の未来について議論したことがある。

彼の主張は、高齢者の割合が多い成熟した社会ではクラシック音楽はブームになる、というもの。



しかし高齢者にマーラーやブルックナーはきびしい。

モーツァルトがもっと聴かれるようになるということかもしれない。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  January 30, 2006 09:38:12 AM
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

プロフィール

ペスカトーレ7

ペスカトーレ7

バックナンバー

December , 2025
November , 2025
October , 2025

© Rakuten Group, Inc.
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: