January 4, 2007
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カテゴリ: 身辺雑記
今年はついに個人からの年賀状ゼロを勝ちとった。

10年かそれ以上かかった。やり遂げようと思ったことが成し遂げられたのには感慨無量なものがある。

よもや年明けに投函された分が届くこともあるまい。

しかし父や母への賀状はまだ何通か届く。死んだことは通知してあるのだから、きっと読めないかボケが始まっているのだろう。

去年来た分に対しては喪中ハガキを出しておいたので、今年はこれが効いた。

喪中をきっかけに賀状のやりとりが終わることは多い。

来年もまた賀状ゼロを連続して勝ちとっていきたいものだ。

そのためには、賀状をやりとりするような「水くさい」人間関係を全部断ち切ることだ。

どうも日本人には八方美人というか誰にでも好かれようとする傾向がある。タレントじゃあるまいし、人気商売ではないのだから、バカからは嫌われ、悪人からは憎まれ、権力者からは恐れられるようになるべきだ。



そんな時間があるなら、旅に出たり、ブログでも書いている方がマシだ。

三欠くにカネ貯まるという。義理、人情、礼儀の三つを欠くとおカネが貯まるということだが、人情はともかく、形式的な義理や礼儀はできるだけ「欠く」方がよい。

よほど親しかった人ならともかく、結婚式や葬式のような虚礼に対しては礼を欠くのが人間的な態度だ。

たとえば家族が死んだとき、いちばん慰めになるのは、のこされた家族を訪れて故人の思い出などを語ることである。いまの都会の葬式ではそんなことはあり得ない。

家族が知らなかったようなことを知ると癒されるものなのに、アリバイ的に通夜や葬儀に出たあとは知らんぷりがほとんどだ。

千葉敦子が闘病の末ニューヨークで死んだときの追悼パーティの様子を妹が書いている。

「アツコはよく闘ったし、闘病生活をサポートしたわたしたちもベストを尽くした」と、お互いの健闘を讃え合うような温かい雰囲気だったという。

中途半端な人情ならない方がよい。情けは人のためではなく、自分のためだが、人のためにならない情けは有害なだけだ。

ギャンブルでおカネを使い果たした友人がいた。元カノに助けを求めた。元カノはわたしに相談してきた。

「一円たりとも貸すな。家に一歩も入れるな。電話にも出るな」とアドバイスしたので彼女は難を逃れたが、わたしは友人を失った。

ギャンブル狂の友人などいない方がいい。






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最終更新日  January 4, 2007 02:27:51 PM
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