March 27, 2007
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カテゴリ: 読書日記
昨年亡くなった岩城宏之とは一度だけ話したことがある。芥川也寸志との対談のテープ起こしの仕事。芥川の「交響管弦楽のための音楽」の最初の部分のテンポについての話で、「ぼくのテンポはヘルメス・ジンジンのテンポと同じ」という部分の意味が分からず、楽屋を訪ねて教えてもらったのだった。

ウィスキーのCMで使われていた音楽か何かのテンポと同じだという意味らしかったが、リズムをそういうふうに感じているのかと感じておもしろかった。指揮者としての岩城宏之には納得できないことが多かったが、体感人間、徹底して現場の人間なのだと妙に納得したのを覚えている。

このところ、20代のころ読んだ本をもう一度読むことが多くなった。文庫になって再版されたりということもあるが、あの頃読んだ本をいま読み返してみてどう思うか、自分自身の変化を知りたいと思うようになった。

この本もそんな本のひとつ。20代のころは、さらっと読み流して大したことのない本だと思ったが、読み返してみて「こんなにおもしろい本だったのか」と感心した。

あの頃は、難解な本がいい本だとかんちがいしていたのだ。自分が音楽家になる過程や指揮者になってから経験したことと日本の音楽教育の問題点を、誰が読んでもわかるほど平易な言葉で語ったこの本、題材としては決して柔らかくないのに読み物としてもおもしろい。

こういう本と著者の価値は、当時はほとんどわからなかった。

今回特におもしろいと思ったのは、「顔を見れば才能がわかる」という一章。コンクールや新人音楽会、学生オーケストラの練習などを見にいくと「顔の良し悪しと演奏の良し悪しは一致するものだ」と思うことが多かったので、わが意を得た思いだ。

これは音楽家に限らない。何か光るものを持った人というのは、ぱっと顔を見た瞬間にわかるものなのだ。美醜ではない。優れた人は、眼に力があったり、清冽さが感じられたりしてすぐに見分けがつく。

レナード・バーンスタインが、一言話しただけで小澤征爾を副指揮者に雇った話を思い出した。



小さいころからの英才教育は決して間違いではないけれど、自由に野山をかけめぐり、遊びは自分で作り出したような子供時代を過ごした人の方が大成するというのはその通りだろう。

カラヤンはトスカニーニを聴きに自転車で200キロ走ったそうだが、自転車で200キロ走ることをいとわないほど学ぶことに情熱を持っていたからこそ、カラヤンはカラヤンになったといえるのではないだろうか。

音楽教育について書かれた本だが、教育一般におきかえて読むことができるので、親や教育に関心のある人なら教えられることは多いはずだ。





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最終更新日  March 28, 2007 03:35:29 PM
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