May 16, 2009
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カテゴリ: 自叙伝
子どものころ、特に就学前のことでいちばん記憶に残っているのは、女の人のことだ。

ひとりでも、母と出かけても、行く先々で、女の人たちに可愛がられた。

女性の多くは子どもが好きなものらしい。小さなもの、かわいいものを好むのは洋の東西を問わない。反対に、男がそういう態度を示すことはほとんどない。それどころか、ラッシュ時の列車に乗ろうとして、入り口に殺到する男たちに挟まれでつぶされそうになったことが何度もあった。

また、母の職場の宴会や、休日出勤した父の職場に連れていかれた時も、女性の同僚はわたしに関心を示しても、男性の同僚は一瞥して終わりだった。

わたしが基本的に女性に対して親和的・肯定的な、男性に対して対立的・否定的な感情を持っているのは、子どものころのこうした体験があるからであり、女好きなため(だけ)ではない(笑)

だからと言って、すべての子どもが可愛がられるわけではない。ギャーギャー泣いたり、落ち着きがなかったり、ブサイクだったりするといくら子どもでも可愛がられることはない。

その点、わたしはいつもどこでも可愛がられた。彼女たちは口々に、無遠慮なほどにわたしを褒めるのだった。いわく、おとなくしていい子、頭がよさそうな子・・・母に対して、おばさん、この子ちょうだいとあけすけに言う人もいた。

昭和30年代、人と人との距離はいまよりずっと近く、物事はストレートに表現した。別の言い方をすれば、ソフィスティケイトされていなかった。

ただ、弟は女の子のように、というかそこらの女の子よりずっと愛らしかったので、弟と連れ立って歩くようになってからは、女性の関心はもっぱら弟の方に向かった。このように、人生のごく早い時期に人の世の移り変わりのはやさ、気まぐれを経験したことで、超然とした世界観が身についたと思う。



汽車で旅行するような時はたいへんだった。周囲の人たちが、あれを食べろ、これを食べろといろいろなものをくれるのである。昭和30年代の汽車旅行と言えば冷凍みかんだが、お金を出して買って食べたことはないほどだった。

そうして得をした体験の一つに、4歳くらいと思われる時期の「チョコプリン」の試食体験がある。

「チョコプリン」との出会いは、札幌駅の地下にあったデパートの食料品売り場であった。その名もステーションデパートといった。

何かの用事で母に連れられて札幌に来た帰り、汽車に乗るためにその売り場を通りかかったときのこと。ぼく、これ食べていきなさいと、きれいな女性が・・いま思えば20代後半くらいだろうか・・・丸ごと一個のチョコプリンを試食させてくれたのだった。

そのころ、子どものおやつといえば駄菓子だった。かりんとうが最上級で、あられか煎餅が日常のおやつだった。よく昭和レトロを再現したお店で「駄菓子」を売っているが、あれは日常的に買うようなものではなかった。

ちょうどそんな時代に、あれはたしかハウス食品だったと思うが、家庭でプリンを作ることのできる「プリンの素」のようなものを売り出した。アイスキャンデー以外の冷菓などまだまったく売っていなかった時代、プリンは家で手作りできる最も簡単な「スウィーツ」だった。

実際、しかしプリンを作ることのできる家庭はまだ少数派だった。日本における冷蔵庫の世帯普及率が50%を超えるには1965年(昭和40年)を待たなければならない。

昭和30年代には、プリンを作ることのできる家庭は少数派だったのだ。だから、団塊世代はローティーンまでにプリンを食べる機会はなかったか、きわめて珍しい経験だったはずだ。

そんなわけで、あられや煎餅やかりんとうしかなかった時代、ケーキはクリスマスと誕生日にしか食べられなかった時代の「プリン」登場の衝撃はいまからでは想像できないほどだった。

たとえて言えば、新宿西口ガード下屋台街の中に突然マキシムの支店が現れたようなものである。

家で手作りしたプリンでさえそういうものだったのだから、「デパ地下」で商品として売られているプリンは炭住街の中に突然現れたノイシュヴァンシュタイン城、チョコプリンに至ってはベルサイユ宮殿のように燦然と光り輝く<文化>だった。



いや、もう少しわかりやすい言い方にしてみよう。

プリンを吉永小百合とすれば、チョコプリンはマリア・カラスだったといえる。

プリンが素材のニュートラルなおいしさを素朴に味わうものだとすれば、チョコプリンは東西あるいは南北の文化の融合だった。南米から大西洋を越えてわたったエキゾチックで人を興奮させる媚薬のようなチョコレートがイギリスの庶民的な節約料理のひとつでしかなかったプリンと融合することで別次元の食べ物になった。

純和風で家庭的でひとりの男に忠誠を捧げた吉永小百合をプリンとすれば、チョコプリンはアメリカに生まれたギリシャ人で主にイタリアで活躍し、出会う優れた男すべてに恋をし本能のままに生きたマリア・カラスのように無国籍かつ多国籍的であり、人を虜にする妖艶な魅力に満ちている。

というわけで、差し出されたマリア・カラス、チョコプリンを食べた。



破顔一笑、「おいしい」という顔をしたらそのお姉さんは満足げにうなずいた。

しかしチョコプリンとの出会いはそのとき限りだった。札幌のデパ地下には売っていても、千歳のような地方都市で売っているところはなかったからだ。

数年後、札幌に引っ越してから、機会あるごとにこのチョコプリンを探した。しかし、とうとう見つけることはできなかった。

想像するに、チョコプリンは、現れては消える「新製品」の一つだったのではないかと思う。売り出してはみたもののあまりぱっとせず、すぐに消えてしまったのではないだろうか。

いまでもスーパーに行くたび冷菓コーナーをチェックするが、紅茶プリンのようなものを見かけることはあっても、チョコプリンを見たことはない。調べてみると、期間限定で発売されたことはあったが、現在まで定番商品になったものはないようだった。

札幌に引っ越すことが決まったとき、真っ先に思ったのは「またあのチョコプリンが食べられる!」ということだったのだが、その願いはついに叶うことがなかった。

あのときの試食のチョコプリンよりおいしいスウィーツと出会うにはそれから30年以上の歳月を待たなければならない。

イタリア中部の小都市オルヴィエートのフナーロというリストランテで食べたデザート。それがティラミスという名のものだと知ったのはずっとあとだが、昭和36年のチョコプリンが少女時代のマリア・カラスだとすれば、そのときのティラミスはプリマドンナとしてのマリア・カラスだった。

つまり、我を忘れた。





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最終更新日  May 16, 2009 03:18:18 PM
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