July 11, 2009
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カテゴリ: クラシック音楽
PMFオーケストラの最初の演奏会はマーラーの大曲、交響曲第2番「復活」。

エッシェンバッハの指揮でこの曲を聴くのは2回目。以前は、リハーサルまで全部聴いた。

指揮者エッシェンバッハを初めて聴いたのは1986年にチューリッヒ・トーンハレでメーンプログラムはブラームスの交響曲第1番だった。

PMFでのエッシェンバッハ指揮のプログラムはすべて聴いた。大曲が多く、マーラーの交響曲第5番、第6番、ブルックナーの交響曲第8番など。

しかし、どれも印象に残っていない。結局、最初に聴いたブラームスが最も好印象で、そのことだけに注目すれば、エッシェンバッハはこの四半世紀、全く進歩していないということになる。

しかし、そうではない。指揮者エッシェンバッハは進歩した。今回の「復活」でもスケール感や迫力は増したし、音楽の掘り下げも深くなった。

それなのに、たぶん来年の今ごろにはこのマーラーを聴いたことも忘れてしまっているだろうと思う。

それは、エッシェンバッハが、わたしが好ましいと思うのとは逆の方向に「進歩」しているからなのだ。

今までに聴いた最低の音楽はエッシェンバッハが指揮した武満徹の「弦楽のためのレクイエム」である。幽玄で静かなテンションの高いこの曲を、エッシェンバッハはまるでベルクのオペラのように指揮した。



マーラーの音楽にも、幽玄な瞬間はたくさんある。素朴な自然の響きもあちこちにこだましている。しかし、エッシェンバッハはそういうものもすべて油絵のように厚く塗り固めてしまう。つまり、水墨画や水彩画のタッチが必要な部分まで油絵の具を使うので全体としての音楽の印象が不格好になってしまう。

こうしたエッシェンバッハの感性、音楽性は、あえていえばヨーロッパ中心主義という文化帝国主義から生まれている。ナチスに両親を殺された音楽家が、音楽においてはナチスの役割を果たしているというパラドクスがここにある。

ウィーン・フィルのメンバーが首席を固めたPMFオーケストラは、やはりそうでない場合と比べてまとまりがいい。アンサンブルの難所の多いこの曲が、エッシェンバッハの稚拙な棒にも関わらず完璧に演奏されたのは、こうしたメンバーの役割が大きかったと思う。

ソリストはカーティン・ブレイズとペトラ・ランゲ。札幌のアマチュア合唱団の選抜メンバーによるPMF合唱団共々、よく健闘していたが、エッシェンバッハがオーケストラを煽りすぎるのでバランスが悪く、クライマックスで埋没してしまっていた。





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最終更新日  August 2, 2009 03:02:22 PM
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