March 20, 2010
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カテゴリ: クラシック音楽
尾高忠明が世界ナンバーワンという曲はいくつかあるが、ラフマニノフの交響曲第2番はそんな曲の一つ。過去にも札響と圧倒的な名演を繰り広げている。

それだけに期待は大きかった。熱演ではあったし、世代交代による技術の向上はめざましいが、オーケストラに関しては物足りなさを感じもした。

まず弦楽器。響きが平板で、ゴージャスさがない。特にバイオリン・セクションの高音域の音色はドライで艶を欠く。この点に関しては佐々木一樹や深山尚久がコンサートマスターだった時代から後退している。低音楽器は10年前とは比較にならないくらい豊かな響きになったが、それでもこの曲にはまだ物足りない。固いフォルテ、豊かなフォルテといったフォルテのニュアンスに不足する。

管楽器、特に金管はホルンを除いて冒険よりも安定をとり、また技術が向上した分ルーティンワークを感じさせるところもあった。何だかビジネスライクな東京のオーケストラのよう、と思える瞬間がわずかだがあった。

これは札響にとって最も危険な兆候だと思う。

期待が大きかった分、オーケストラそれ自体の欠点が目についてしまったが、尾高の指揮にもいくぶん問題を感じる。というのは、この曲のここがいいでしょう、すごいでしょう、というような思い入れが以前の演奏には感じられたのに、手慣れた感じを受けてしまったのである。キメ所で打楽器がおとなしかったのも不満で、甘美な部分はもっと甘美に、クライマックスでは大見得を期待したのに裏切られた。

端正で清潔で情熱的な演奏ではあるものの、邪悪さや卑猥さや狂気の瞬間があっていい。だいたい、フィナーレでラフマニノフは「怒りの日」を引用して曲を構成しているが、そういう部分があまりに牧歌的かつ楽天的に響くのは、この指揮者の「限界」を表しているような気がする。

もう一段の巨匠性を発現するのに、残された時間はそう長くない。

前半は三善晃の「交響三章」。録音では何度聴いてもよさがわからなかったが、作曲者が弱冠26歳のときの作品とは思えない、ほとんど老成を感じさせる筆致、無駄のない構成の音楽であることがわかった。わかったが、それ以上の感銘もない。アカデミズムの中から生まれた最高かつ最良の作品だと思うが、器用さだけで生命力や創造性を感じさせる「一行、一フレーズ」がない。






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最終更新日  March 22, 2010 05:06:11 PM
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