October 30, 2010
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カテゴリ: クラシック音楽
たしか年4回開かれている札響名曲シリーズの2回目。このシリーズは毎回、ラテンとかスラブとか、テーマを決めたプログラムで行われているが、今回はハンガリー。コダーイ、リスト、バルトークの4作品を集め、うちリスト作品以外は札響にとっての初演奏という。指揮は高関健。

そのリスト「ピアノ協奏曲第2番」のソリスト、デジュー・ラーンキが聞きものだった。大量に生産される「天才ピアニスト」も、10年、20年たってみると消えてしまったり、成長をやめてしまう人は多い。しかし、ラーンキはデビューまもない頃から大成の予感があった。その予感と期待を完全に満たしてくれるすばらしい演奏だった。

最弱音から最強音まで音色の美しさを保つ。何より、音楽に深くて広がりのある非常に豊かなイメージを持っているのがわかる。ラーンキにとって演奏はそのイメージに近づく行為であって、完成も到達もない。永遠の高みを目指す芸術家の姿がそこにある。だから多少のミスタッチもキズにならず、音楽の豊かさを損なうことがない。まるでラーンキ自身の体に音楽が宿っているかのような錯覚さえおぼえる。

これが超一流というものであり、一流とは比較にならない。直前に、数少ない「超一流ピアニスト」ラドゥ・ルプーの公演が中止になり残念に思っていただけに干天の慈雨のようなひとときになった。

一曲目はコダーイの「ハーリ・ヤーノシュ」。この曲は大編成で珍しい楽器も使うため、確かに演奏される機会は多くない。しかし、実演では、録音で決してわからない幻想的な響きの美しさ、声部の展開の妙などに浸る喜びを満喫できた。演奏は管楽器が充実していて、客演奏者中村均一の多彩で歌心のあふれたサキソフォーン・ソロが特筆される見事さ。そのソロに触発されたのか、札響の管楽器陣がいつになく自発的な演奏を繰り広げていた。

日本のオーケストラ・プレイヤー(特に管楽器)は中村均一に学ぶべきだ。

このように充実した前半に比べると、後半のバルトーク2作品「ハンガリーの風景」と「中国の不思議な役人」はいまひとつ。そういえば、高関=札響のコンビではバルトーク「管弦楽のための協奏曲」がさえない演奏だったことがあるが、この指揮者はバルトークがあまり向かないし、札響も向かないのかもしれない。それでもまだ「ハンガリーの風景」は抒情的でよかったが、「中国の不思議な役人」はゴツゴツした音楽が妙におとなしく、円満に演奏されてしまい不満だった。特にバイオリンセクションが自発性に乏しく、線も細くて「これがバルトークだろうか」と思わざるをえなかった。

ラーンキの演奏は、付点音符の短い音を強調するもので、アクセントも強かった。これはハンガリー語の語感からくるものであり、このハンガリー語のイントネーションやアクセントをつかむことがバルトークをはじめとするハンガリー音楽の演奏のばあい重要であることを、高関はタングルウッドで学ばなかったのだろうか。

暗く激しい音楽にしてはたおやかにすぎたのは、指揮者とオーケストラの両方に原因がありあそうだ。






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最終更新日  November 2, 2010 01:02:10 PM
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