November 17, 2012
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カテゴリ: クラシック音楽
8月には、5月のラ・フォル・ジョルネで「発見」した指揮者の山田和樹を3度聴くつもりだった。東京混声合唱団「八月のまつり」での林光「原爆小景」、サイトウキネンフェスティバルでのオネゲル「火刑台上のジャンヌ・ダルク」、そしてサントリー芸術財団サマーフェスティバルでのクセナキス「オレステイア」である。

しかし鼓膜を破るケガをしたので諦めるほかなかった。ベルリン在住の彼は、大野和士のように「来日」演奏家になってしまうかもしれない。ブレイクはしたが、知る人ぞ知る存在であり、ソールドアウトを連発するまでにはなってないいまがチャンス。そうかんがえたので、武満徹の全合唱=重唱作品が演奏されるこの記念碑的演奏会を聞き逃すわけにはいかなかった。

もちろん最大のめあては、混声合唱のための「うた」全12曲。何種類かのCDもあり実演でも聴いたことがあるが、いつも不満があった。音程に不満があったり、こぢんまりしすぎていたり、歌詞がよく聞き取れなかったり。

しかしこの日の演奏はもうこれ以上の名演は必要がないというくらいすばらしいものだった。同じ曲でも指揮者によってこんなにちがうのかという経験をすることは多いが、山田和樹が指揮をするとどんな短い曲でも音楽が充ち満ちてくる。こんな指揮者は世界的に見ても少ない。ヨーロッパ中を飛び回っている「スター指揮者」のだれが「ヤマカズ」と比べられるだろうか。クシシュトフ・ウルバンスキほか数人しか思い浮かばないし、大野和士をしのぐ才能と巨匠性を感じる。

混声合唱のための「うた」は、最前列で聴いてみた。感じたのは「ヤマカズ」が、一曲ずつバラバラに覚えているのではなく、全曲を覚えてその一部として各曲を指揮しているということ。だから様式感が統一されているし、しみじみとした感傷が芸術的な美の水準に高められている。11番目に「死んだ男ののこしたものは」を置き、最後に「さくら」を演奏したのも、こうした統一感を保つ上で最善の配列だったと思う。「さくら」だけが異質だからであり、他の指揮者はヤマカズのこのやり方を学ぶべきだろう。

最前列で、つまり言葉がもっともよくききとれる場所できいたがゆえに感じたことは、この作品の「昭和のテイスト」、あえていえば「戦後の昭和」的テイストだった。戦争が終わり、貧しくても希望のあったあの時代の「明るさ」が、この歌集からは感じられる。それはまた作曲者の青春そのものでもあったのだろう。

音楽には国境がないといわれるが、それはウソだ。

たとえばこの曲を外国の指揮者と合唱団が演奏するのは不可能だ。たとえ演奏したとしてもどこかウソっぽさがつきまとうだろう。さらにいえば、50年後の日本人にはもう「戦後の昭和」テイストなど無縁になっているだろうから、音楽は世代をすら超えることができない。「小さな空」の風物は街灯がほとんどなかった時代のものだし、「小さな部屋で」は家電以前の世界を描く。「死んだ男ののこしたものは」は直接にはベトナム反戦運動のために作られたが、非戦闘員をさえみな殺しにした日本帝国主義のアジア侵略から第二次世界大戦、朝鮮戦争をへてベトナム戦争にいたる「昭和の戦争」の残虐さが明滅している。こうした世界は無人戦闘機がターゲットを捕捉する近未来の戦争になれてしまえば想像すらできなくなり、音楽からリアリティを感じることはなくなるだろう。

それでいいのであり、それが音楽というものだ。時代と民族を超えたニュートラルな芸術的価値などもともと存在しないのである。



前半は演奏順に「風の馬」、男声合唱のための「芝生」、男声六重唱のための「手作り諺」と沼尻竜典編曲の「MI・YO・TA」。これらはハーモニーを味わうために2階後列できいたが、武満徹の無調で書かれた合唱作品は、オーケストラ作品のような完成度には届かなかったという印象。(11月17日、第一生命ホール。18日には名古屋のしらかわホールでも同内容で)。





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最終更新日  November 24, 2012 03:26:40 PM
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