November 14, 2014
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カテゴリ: クラシック音楽
4日に池袋の東京芸術劇場できいた東京都響の音がまだ耳に残っているところで、札響定期をきいてみることにした。

ラドミル・エリシュカの指揮でウェーバーの歌劇「魔弾の射手」序曲、モーツァルトの交響曲第38番「プラハ」、ブラームスの交響曲第2番。コンチェルトなし、ハープと追加打楽器なしといったエコノミーな2管編成でコンサートをやるときの典型ともいえるプログラム。札響が2管編成だったころにはしばしば遭遇したような気がする。

モーツァルトとブラームスは曲想も明るく調性が同じでまとまりがいい。

都響との比較で言うと、金管は総じて都響の方が上。木管は五分五分か、札響の方が勝る。弦はバイオリンセクションは都響の勝ち、ビオラ以下はほぼ互角。ティンパニは札響の圧勝。

このコンサートに対する興味はそうした比較もさることながら、すべての曲が故武満徹が愛した「札響トーン」、評論家の故武田明倫が指摘した「音そのものに対する畏怖の念」をきくのにふさわしい。

この「音そのものに対する畏怖の念」こそが世界の他のオーケストラにはないオンリーワンの札響の美質であり、武満作品の演奏などは他の追随を許さないものある。しかし、モーツァルトやブラームスではどうなのか、どうなってしまったを知るのに最適なのだ。

結論からいうと、ブラームスの演奏において、そうした美質をわずかに感じとることができた。この曲を30年前に岩城宏之の指揮する札響で聞いたことがあるが、そのときの残存率を80とすると(ピークは1980年ごろだったように思う)、4とか5まで減少している。

尾高忠明の16年で失われたそれが元団員の言うように尾高の責任なのか、時代のすう勢なのかはわからない。たぶん両方なのだろうが、この美質がわずかでも残存する限り札響には存在意義がある。

演奏はぎっしり中身のつまった昔の鮨折のように充実したものだった。冒頭のウェーバーこそアンサンブルの乱れが散見されたしエンジンがなかなか温まらないのを感じたが、少しプルトを刈り込んだモーツァルト(10型?)はやや質朴な響きがこの曲にふさわしく、ブラームスは浮ついた熱狂ではなくしっかりした足取りで頂上に到達したようなフィナーレのラストは風格があった。



2015年からのボンマー=エリシュカ体制は短期間で終わると思うが、その次、つまり次の次の音楽監督によってすべてが決まる気がする。

この日(一日目)の演奏は12月21日にNHKEテレで放送される予定。







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最終更新日  December 5, 2014 11:27:25 PM
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