June 4, 2015
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カテゴリ: クラシック音楽
いわゆるポピュラー名曲がひとつもないプログラム。こうしたプログラムからはフルートという楽器をきかせるより、フルートという楽器を通じて音楽をつたえるという演奏家としての基本スタンスが感じられる。

団塊世代の音楽家には、その後の世代とは明らかに異なる音楽に対する姿勢を感じることが多い。

ひとことで言うと、シリアスなのだ。

元札響首席奏者の細川順三の札幌における初リサイタルは1974年だったろうか。メーンプログラムのプロコフィエフのソナタのあと、2曲のアンコールのうち1曲はバッハの「主よあなたの名を呼ぶ」だったが、音楽をかけがえのないものとしている人間にしか表現不能な何か、たとえば武満徹の「弦楽のためのレクイエム」に流れているものとよく似ている何かを感じたものだった。

ドヴォルザーク「ソナチネ」(原曲はバイオリン)、シューマン「幻想小曲集」(原曲はクラリネット)が演奏された前半とメーンのピエルネ「ソナタ」(原曲はバイオリン)といった具合に、フルートのオリジナルではない曲が並んだのは、シリアスな深みのある音楽がフルートとピアノのための作品に少ない(ロマン派には、という限定だが)現実をあらわしている。

ピエルネの「ソナタ」も、佳曲だとは思うが、フルート及びフルート音楽の熱心な愛好者以外の関心を呼ぶとは思えない。ドヴォルザーク作品と同じように、どんなに名演奏でもバイオリンにはかなわない、と感じてしまうからだ。

といった前提はあるものの、一音たりともおろそかにせず、しかもそれが歌心に満ちて全体としての流麗さを損なわない演奏は健在。ジョリヴェ作品(アルト・フルートのための「アセーズ」)などはもう少し鋭角的でもいいと思うし、グーセンス「3つの絵画」では遊びがあってもいいと思ったが、これがこのフルーティストの長所であり個性なのだ。

それはアンコールの3曲、ラヴェル「ハバネラ形式の小品」、ジョルジュ・ユー「セレナーデ」、ポンセ「エストレリータ」にも共通。アンコールなのだから軽妙さや洒脱さ、あえていえば逸脱があってもいいと思うのだが、どこまでも誠実な音楽に若干の違和感を感じるのは、たぶんわたしの感性が刹那的快楽を肯定する高度消費文化にいくぶん侵されてしまったからなのだろう。

彼の弟子たちが協力して行った全国4カ所での公演の1回(ザ・ルーテルホール)。ピアノは野間春美。





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最終更新日  January 1, 2016 01:06:06 PM
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