April 2, 2016
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カテゴリ: クラシック音楽
16時開演、15分ずつ2度の休憩をはさんで終演は19時15分。正味は2時間45分ということになる。これだけの時間、集中を持続するのは聴く方にとっても楽ではないが、演奏者のそれは想像の外にある。コンチェルトやソナタなら休む時間もあるが、弾きっぱなしなのだから。

しかも全曲暗譜で通した。

コンサートに行くのは原則としてやめた。いちばんの理由は時間。ホールのすぐ近くにでも住んでいればいいが、10キロも距離がある。コンサートに出かける往復の時間がもったいない。だいたい8割のコンサートは不満が残るものだが、そうするとストレス解消のために飲酒したくなる。夕方以降の時間がすべて奪われる。

もう一つの理由は未知の曲がないからだ。指揮者のハンヌ・リントゥによると、フィンランドでは現代曲や珍しい曲をやらないと客が入らないという。泰西名曲以外は客が入らない日本とは正反対だが、こういう愚鈍な聴衆を前提とした日本のコンサートの多くは音楽を愛する人間とは無縁のしろものになっている。

この傾向は21世紀になってから強まっている。たとえば、今年は武満徹の没後20周年だが特集するオーケストラもない。

よく知る曲の凡演を愚鈍な聴衆と聞くくらいなら、家で未知の曲、未知の演奏家のCDでもきいていた方がいい。

もし生まれ変わって演奏家になるなら、どの楽器がいいかと夢想することがある。

作品でいえば、ピアノとバイオリン、ギターに尽きるだろう。毎年異なるプログラムで世界を巡業しても10年分くらいのレパートリーがある。

しかし、ピアノは持ち運べないし、場所に制約がある。ピアノのないところでは手も足も出ない。ギターは、あまりに音が小さい。PAなしではほぼ不可能だ。旅する音楽家としては荷物が増えすぎる。



金管はレパートリーが少ない上にさらに演奏家寿命は短い。木管楽器は持ち運びにはいいが、フルート以外は無伴奏のレパートリーが少ないので伴奏楽器もいる。フルート奏者の演奏家寿命もさほど長くない。

こうして考えていくと、最終的に残るのはただひとつ、チェロだ。

もし今度生まれ変わることがあるなら、バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲だけを毎日100人程度の聴衆の前で演奏し続けるチェロ奏者になりたいと思っている。60年間演奏活動でき、年に100回演奏するとして、60万人の聴衆にこの人類史上最高の音楽遺産のひとつを届けることができる。

ひとりあたり5ドルのギャラをもらうとして、生涯に300万ドルの収入であり、100万ドルの楽器を買ったとしても生活できる。

こういうチェリストが100万人ほどいれば、半世紀ほどの間に地球上のすべての人間が一度はこの音楽に生で接することができる。

わたしにとってチェロとはそういう楽器であり、バッハの無伴奏チェロ組曲全曲は人類の命運をかけた音楽のひとつであるとさえ考えている。

だから原則を曲げて行ったのがこのコンサート。招待券をもらったのでたまたま無料だったが、5ドルどころか50ドル以上の価値があった。

バッハのこの曲は、LP時代もCDになってからも、番号順に収められた録音はほとんどない。というのは、番号が増えるほど演奏時間が長くなるからで、後半3曲は一枚のCDに(ふつうは)収まらない。

バッハの無伴奏チェロ組曲全6曲を番号順にきく機会はかなり限られたものなのだ。

バロックチェロ用の弓を使い、第6番ではバッハが指定した5弦チェロを使った津留崎氏の演奏は、現代楽器でなじんだスタイルの、どこか瞑想的な演奏に比べてテンポも速く、生命力と推進力に富んだもの。

かといってオリジナル楽器の「語りかけるような」スタイルとも異なる。両者の折衷というわけでもない。



どちらというと旧世代のペダンチックな演奏になじんでいるので最初は違和感もあったが、次第にバッハのこの曲はこういう演奏がベストなのではないかと思えてきた。いま生まれていま輝いていま消えていく、その連続としての音楽。

6曲を通してきいて初めてわかったのは、前半3曲がよく響く外交的な音楽であるのに対し、後半の2曲は内省的で行間の豊かな音楽であること、最後の6番がその二つを高度な次元で統一した人類の金字塔とでもいうべき音楽であることだ。

第6番がすごい音楽であることはこの2月にきいたペレーニのリサイタルでも感じたことではあったが、通してきいての発見は次元がちがう。高みを目指す人間の精神には限界がないのだということをこの音楽は教えている。

ベルリン・フィルを100回きいたところで、このような精神の高みに触れられることはない。

シリーズ全曲をコンサートできいてみたい、コンサートでなければ発見できないと思われる音楽のひとつをこうして体験できた。



バッハはともかくこれらは機会がないから、どこか外国の音楽祭にでも出かけなくてはならないと観念している。

津留崎氏の演奏をはじめてきいたのはアマチュアオーケストラの定期演奏会で、たしかラロの協奏曲だった。2011年に東京で開いた連続リサイタルの評判をきいたので出かけたが、それ以来、氏のブログとともに活動には注目している。作曲や編曲にも傾注しているらしいが、音楽の表面だけをなぞるような演奏家ばかりになってきた現在、世界的に見ても聴き続けるべき数少ない音楽家のひとりだ。





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最終更新日  April 10, 2016 03:22:20 PM
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