May 9, 2016
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カテゴリ: 読書日記
著者の小西誠は1969年に治安出動訓練を拒否して逮捕・起訴された元自衛官。当時、自衛隊内部から反戦兵士が登場したというので大きなニュースになったのをおぼえている。著書では「自衛隊の兵士運動」や「マルクス主義軍事論入門」などを読んだことがある。この本は2000年の刊。

極貧の少年時代についてはこれまでの本でも読んでいたが、この本でもあらためて触れられている。ランドセルもなく給食費も払えなかった小西少年にとって、自衛官になることは貧困と差別からの脱出の道であり、自衛隊は貧しさの中での労働に耐えてきた彼にとって「天国だった」という。

そんな彼が自衛隊を退職して自衛隊の外部で反戦運動をやるのではなく、自衛隊の内部で闘うことを選んだのは、全共闘運動の自己否定思想の影響だったという。

その彼は「統一戦線」を志向する立場から中核派と共闘し関係を深めていく。わたしはこうした彼の動きを「中核派にオルグされたもの」と考えていたが、本書によればちがっていたようだ。中核派との共闘は彼らの「官僚主義的体質」を変えていくことをひとつの課題としていたという。

しかしそうした彼の努力は実を結ばず、「袂を分かつ」こととなっていく。個別の問題での細かないきさつが豊富に述べられている。野島三郎や松尾眞(おそらく)といった人たちに対しても率直な批判が語られている。その当否はともかく、党内民主主義の復活とそのもとでの大衆運動の発展を志向する彼の熱意は非常によくわかる。権威や権力などにとらわれない自由で自立した精神があるし、こうした人物を最大限に生かすことのできない官僚主義的組織には他人ごとながらもどかしさを感じる。

ただ、こうした官僚主義の原因はレーニンの組織論にあるのはまちがいない。レーニン主義に基づく党組織の官僚主義を、レーニン組織論のドグマ化の結果だという批判は妥当だが、そもそもレーニン組織論そのものにそうした要素があるとしたら中途半端だ。というか自己矛盾に陥る。

氏が引用するレーニンの言葉は含蓄と卓見に満ちていて、あたかも中核派がレーニンから逸脱もしくはレーニン主義をドグマ化しているかのように読めるが、それはちがうだろう。オーウェルが「動物農場」で描いたように、権力はそれを持つものを常に独裁者に変えてしまうものであり、そうならないための装置が理論的にも現実的にも必要でありレーニン主義はそれを欠いているのが致命的なのだ。

最後の章で彼は「改憲阻止の左翼大統一戦線」を提起している。その統一戦線にはあの日本共産党や社民勢力も含まれなければならないし、その形成に失敗すればわれわれは滅びるしかない、とまで言い切っている。

大左翼統一戦線で思い出すのは故陶山健一氏である。彼もまた、単なる権謀術数ではなく、革命の現実性を展望する観点とファシズムを阻止する立場から、恩讐を超えイデオロギーを超えた団結を提起していた。



レーニン式「民主集中制」を排した組織原理などには刮目させられるものがある。カルトではない全国政治組織は日本では中核派だけになってしまったのだから、中核派にはフランスの第4インターナショナルが反資本主義新党形成に果たしたような役割を期待したいものだ。

1980年代以降の日本の新左翼運動の流れを知りたいと思って読んだが、対革マル戦争を勝利的に終結させた中核派は(本書によれば)混迷を深めているようだ。





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最終更新日  May 10, 2016 03:25:25 PM
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