2023.08.13
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わたしは腎臓移植をしているので、移植関連のニュースには特に注目している。

今朝の新聞に日本初の肝臓移植手術を執刀した医師の話が出ていた

島根医大の助教授だった永末直文さん。

医師になろうと思ったきっかけは子供のころ兄たちと近所の池に飛び込んで遊んでいて浮かび上がった瞬間に、続いて飛び込んだ兄と衝突、脳震盪を起こした兄はそのまま沈んで亡くなってしまった。

不幸な事故だった。そして兄の分も生きて人の命を救う医師になろうと思った。

どんな困難があっても逃げない医師になろうと決意した。

どんな世界でもファーストペンギン、群れの中から最初に海に飛び込むファーストペンギンになることは難しい。

1989年9月中旬。かつての同僚から生体肝移植が必要な子がいる。君にしか頼めないという電話を受けた。

「脳死を人の死」とする見解へが分かれていた当時、脳死移植は制度化されておらず現実的ではなかった。



紹介された男の子はまだ生後間もない赤ちゃんで、余命半年、長くて10か月と診断されていた。

家族は父親からの肝臓移植を望んだ。男の子は夫婦の初めての赤ちゃんで何もしないで死んでいくのを見ていたくないという。

医師も助けてほしいと願う患者とその家族に背を向けることはできない」と手術を決意した。

移植には学内の倫理委員会の承諾を得る必要があった。

そんな時間的な余裕はなかったので反対する声を「時間がない、私がすべて責任を取る」と押し切り、家族にも「この手術の結果によっては大学をやめることになる。」と決意を伝えた。

手術は15時間以上に及んだ。男の子は小さな体で耐え抜いた。

その後男の子は拒絶反応や免疫力低下による感染症など、約40種類の合併症を乗り越えて手術から4か月後集中治療室から一般病棟に移った。

その時のことを母親は「添い寝をしたり体を拭いたり本当にうれしかった」と話す。

初めてあーちゃんと呼んだ。

永末さんは小学校に入るときにはランドセルをプレゼントするからねと語りかけた。

しかし事態は急変、大量出血が起こり再び集中治療室へ。



告別式で永末さんは「もっと勉強して君と同じ病気を持つ子供や大人を一人でもたくさん助けることを誓います。助けてあげられなかったこと許してください。」と弔辞を読んだ。

男の子の死亡により内外から批判の声が起こって永末さんは二度と移植の機会がなかった。

でも最初にすべてを背負う気持ちで一例目の手術を行ったことで続く二例目三例目の手術の後押しになり今に至る。

日本では脳死移植がなかなか進まない中、生体肝移植は2021年末に累計一万件を超えた。

2019年男の子の手術から30年となった節目に「決断」という記念碑が建てられ


生まれてから一度も歩くことがなかったという男の子の母親の希望で像は立像になったという。

いろんな人の熱意や努力によって日本で臓器移植に道が開かれて行った。

そして私もその恩恵で腎臓移植を受けることができた。

移植の歴史を知ることができてよかったと思っている。





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最終更新日  2023.08.13 11:36:47
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