2024.10.26
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
何年ぶりだろうか?父が元気だったころに一度母と4人で来たことがある。

それから父が亡くなってから母と納骨に来たと思う。それも移植する前だから8年くらい前。

確か母が永代供養5年で申し込んだと言ってた。

5年過ぎたら追加のお金を入れないと最終的には京都のどこかのお寺に合葬されるらしい。

母は認知症なのでその辺のところはわからない。

迷いながら行ってみたら大きなお寺で納骨堂が4か所もある。

確か父の遺骨を納めた時は木の棚にぎっしり遺骨が並んでいた記憶がある。

立派な納骨堂に一人ずつまたは一家で収められて扉がついた小さな下駄箱の様な感じで収められていた。

納骨堂の表には収められた人々の名前が彫ってあった。

多分ここにはないと思う。もう年数が立っているから京都に送られたと思う。

それを聞きたかったけどあきらめた。

お寺の本堂に行くには急な石段.さっきそこを上がって塔婆を書いてもらい水場で柄杓で水をかけてきた。
またあの石段を上る元気がないから石段の下で手を合わせた。

どこに遺骨が行っても私の心の中の父を時々思い出して手を合わせたらいいと思って。

父は生前ギャンブル三昧で家族をさんざん苦しめてきた。

いわゆる毒親だと思う。いろんな毒親エピソードはたくさんあるけど、亡くなって8年。

父は弱い人間だったのだなとようやく理解できるようになった。

父は晩年は私や娘たちに良くしてくれたけど、私はなかなか父を許すことができなかった。

父を許すにはある程度の時間が必要だったと思う。

父は亡くなる直前にうちの夫に私のことを頼むと言い残したと後で聞いた。

わたしには母のことを頼むと言い残した。頼まれたのに母をホームに入れたことはしばらく私はいつかあちらに逝ったときに父に叱られるのではないかと後悔していた。

でも母にとっても私にとっても一番いい選択をしたと思うことにした。

父は当時透析をしていた私のことが気がかりだったのだろうと思う。

どんな父でも子を思う気持ちに偽りはなかったのだろうと思う。


父が亡くなってしばらくして移植の連絡が来た。

移植ができたのは父のおかげかもしれない。そう思えるようになった。


移植後、父に対するいろんな感情がだんだん薄れて、ただ穏やかな気持ちになることができた。

思い切って行って来てよかったと思った。

今日は8000歩途中で充電が切れそうになったので電源を落としたけど
もっと歩いているかもしれない。
結構疲れた。でも余分な感情を置いてきてすがすがしい気持ちになった。

また機会を作って行って来よう。お寺というのは生きている人間の心を癒したり
慰めたりする役目もあるんだと思った。

亡くなってもう会えない人を思う機会も作ってくれる。ありがたい場所だ。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2024.10.26 15:23:57
コメント(2) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR


© Rakuten Group, Inc.

Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: