食いしん坊さちのブログ
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京都 伏見城大阪から移動、本日は伏見観光です伏見稲荷大社は京都駅から奈良線で2駅目伏見稲荷大社京都「稲荷山」の西麓に鎮まる伏見稲荷大社は、全国の3万社を超える稲荷社の総本山。五穀豊穣・商売繁盛・家内安全の守護神として広く信仰されています近年は境内に建つ約1000基の鳥居がインスタ映えなど有名になりコロナ前は海外からや国内の若い観光客にも注目されているスポットになっています。朱塗は古代から朱色は魔力に対抗し、生命力を象徴される色とされてきました。稲荷大社のシンボルは「狐」野山にいる狐ではなく霊狐、人々の願いを稲荷大神に伝えてくれると信じられています。外拝殿この日は産業祭で多くの企業の商品が飾られていました。本殿1年に一度の行事である「産業祭」の日衣食住の太祖であり、あらゆる産業の守護神である稲荷大神の日頃のご神恩に感謝し産業がますます発展・興隆するように祈願するお祭り。本殿横から稲荷山への参道入口稲荷山1周約1時間コース大小1000基の鳥居が並んでいます最近見かけない外国人観光客も多いみなさん至る所で写真撮影さすがインスタスポット産業祭参加企業全国大手メーカーである明治さんも社長さんはじめ幹部社員が集合されていました。伏見の中心部に移動します伏見は歴史的観光スポット等が多くあります〇幕末に起こった鳥羽伏見の戦い〇寺田屋(坂本龍馬)〇豊臣秀吉の伏見城・指月城〇伏見の酒蔵(月桂冠・黄桜)〇明治天皇陵最初にむかったのは京阪電車伏見桃山駅から30mにある料亭徳川慶喜の幕府軍と薩摩・長州軍などの新政府軍の戦いで出来た弾痕が残っている1868年1月の弾痕が現在も残っている(最近できた新しい跡にも見える)昼食は近くの中華屋さん「くれたけ」14時頃でしたが店内にはたくさんのお客さん人気店ですお得なランチメニュー定食メニュー担々麺・焼き飯セット970円辛味と胡麻の甘味が絶妙で美味しい麺は少し柔らかめの中太麺開放的せ清潔感ある厨房働く人の服や整理整頓された厨房を見ると美味しい理由が分かります次に向かったのは御香宮神社神功皇后を主祭神とする、神功皇后の神話における伝承から、安産の神として信仰を集める。豊臣秀吉は伏見城建築の時に神社を城内に移し鬼門の守護神として、社領三百石を寄進した。1605年に徳川家康により元の位置に戻され京都所司代板倉勝重を譜代奉行として本殿が造営された。鳥羽伏見の戦いでは薩摩藩の本営となりここから幕府軍に砲撃し陥没されている酒処の伏見のメーカーさん平安時代、境内から病気に効く香水が湧いていたので清和天皇から「御香宮神社」の名を贈られた境内から湧き出す水は伏見7名水の一つ「伏見御香水」環境省の名水百選にも選定される指月伏見城跡1592年築城今は住宅街(ライオンズマンション)の敷地の一部豊臣秀吉によって築かれた城で関白の地位と聚楽第を甥の豊臣秀次に譲り秀吉自身の隠居屋敷として築かれたが、豊臣秀頼が生まれたことをきっかけに大規模な改修を行い、秀吉の本城として建築。1596年の大地震により倒壊した後は近くの木幡山に伏見城が再建された。指月伏見城復元図石垣の一部のみ保存されています。木幡山にある伏見城をめざします。木幡山伏見城1596年築城指月伏見城跡から徒歩30分住宅街を登ってたどり着きました現在は伏見堀公園という野球場、テニス場や芝生公園などの中に伏見城が再建されています戦国時代に多かったいわゆる山城天守閣からは京都市内や大阪方面まで見渡せる。(現在は立ち入り禁止)豊臣秀吉は1598年城内で亡くなると遺言により豊臣秀頼は伏見城から大坂城に移り代わりに五大老であった徳川家康がこの城に入り政務をとった。豊臣秀吉の城といえば大坂城のイメージでしたが実際に政務を行っていたのはここ伏見でした。関ケ原の戦いで焼失、1602年に徳川家康によって再建されたが1619年に廃城とされた。かなりの高台にあるのでタクシーかバスでの訪問がおすすめ今回の大阪・京都旅は終了次回は北海道に行きます。
2022.05.06
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