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いなべの晴明著作「星の街仙台」は2014年3/31現在、ネット通販分の在庫が完売しております。次回入荷の予定がいまのところありません。青葉神社の社務所で直接ご購入いただくか、電子版で販売中ですのでご案内いたします。パブーhttp://p.booklog.jp/book/71548キンドルhttp://goo.gl/sdNJM楽天イーブックストアhttp://kobo.rakuten.co.jp/また、FBでも新情報を常時配信中です。https://www.facebook.com/hoshinomachi今後もよろしくお願いします。試作品ですので、限定個数になりますが欲しい方がいらしたらコチラまでご連絡ください。左/ピンバッジ(直径1cm)限定2個 右/キーホルダー(直径3cm)限定10個どちらもドームレンズ仕様、各500円(メール便送料込)
2014.03.31
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フェイスブック星の街仙台よりhttps://www.facebook.com/hoshinomachiNO.118★黄河幽清についての新たな発見なんということでしょう!伊達家のトップシークレットのひとつであった幽清の出生の秘密が一つ明かされた思いです。高良さんのブログ。幕府に知られてはまずい幽清の資料は一切無いため、彼が生まれてすぐに預けられた場所は調べようがありませんでした。しかし、高良さんのおっしゃる’あきる野市の大悲願寺だったのでは’という説は(想像の域ではあるにせよ)私も全く同意見です。1616、五郎八姫が忠輝と離縁させられる。直後に妊娠発覚。1616~1617、江戸の仙台屋敷で幽清誕生。1620、五郎八姫仙台へ。このとき幽清3~4才。支倉常長帰仙。1623、政宗の母義姫他界。政宗大悲願寺を訪れ、その後に送った「白萩文書」。このとき幽清6~7才。 幽清が旅に出られる年齢に達した⇒仙台へ呼び寄せた。『白萩文書』の内容が、白萩=幽清と読み取れる。大悲願寺に政宗公の末弟(家督争いで殺されたはずの小次郎と思われる)がいたことは決定的でしょう。年号が全て合致することからも、高良さんの「幽清は出生後すぐに大悲願寺に預けられ小次郎の監視の元育てられた」説は正しいと思います。五郎八姫は、仙台へ来るまでの約4年間、幽清に会いにこの寺へ通ったのかもしれません。京都で生まれ育ち江戸で暮らした五郎八姫を、住んだことの無い仙台へ政宗が呼び寄せた背景には、息子と一緒にいられるようにと配慮したのではないかと考えます。仲の良かった忠輝と五郎八姫が結婚後2年で引き裂かれたのは自分に原因があったことから、政宗公は罪滅ぼしの意味も込めて娘親子の幸せを守ったのでしょう。五郎八姫が、母親である愛姫と離れ離れになってでも仙台へ移り住んだこと、生涯独身でいたこともこれでつじつまが合います。六芒星の発見者陰陽師親方が以前言っていた「歴史という重箱の隅を、楊枝の先でつつくような作業」を実感するような高良さんのブログとの出会いでした。おかげさまでまたひとつ新発見をいただきました。ありがとうございます。離縁させられた夫の忠輝も、1625年に双子の兄と入れ替わり仙台へ来たのではないかと私は考えます。このことについてはまた書きます。 *黄河幽清の存在は、故土生慶子氏(仙台藩志会理事で、伊達家の研究では第一人者)の著書「伊達政宗娘いろは姫」によるものです。FB星の街仙台
2014.03.02
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