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ひとは生きる ために自ら物語の世界を 構築するひとは生きていく ために自ら物語の世界を 編纂する自殺さえひとつの手段である自らの生の物語を 総括する ための------------------------------覚え書きです。『はみだしっ子』をお読みでない方は,あまり,まともに受け取らないで下さい。
2004.04.30
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「するめ」まど・みちをとうとうやじるしに なってきいているうみはあちらですかと…「坊さん」阪田 寛夫坊主が屏風に絵をかいた坊主が屏風に上手に絵をかいた坊主が屏風に上手に情婦の絵をかいた坊主の情婦は丈夫な情婦屏風の上部でつくづく坊主を凝視して嗤う言葉がにくらしや 坊さん 坊さん 草むらわけて へのこに鉢巻あらめやも最初の詩は,「ぞうさん」「一ねんせいになったら」で有名なまど・みちをさんの作品,次は「サッちゃん」「おなかのへるうた」で有名な阪田寛夫さんの作品。ちなみに「ぼんさん」と読みます。お二方の詩には曲がついていることも多いのですが,選者の趣味で,そういうのは取り上げません。リズム,イメージ,メッセージ。詩と,散文詩ではない「普通の」散文とを区別するの3要素です。このうち,メッセージは必ずしも必要ではなく,詩のメッセージ性をとことん拒絶した名詩もたくさんあります。そのうちここに取り上げることもあるかもしれません。ここでは,ふたりの童謡詩人の作品がもつイメージの喚起力と言葉のリズムに着目して,鑑賞して頂けたらと思います。「ぞうさん」の詩人が,「サッちゃん」の詩人が,こんな作品も書くんだ,と。蛇足ながら。「坊さん」の後でもう一度,最初の「するめ」を読んでみると,また違った印象をもたれるかもしれません。
2004.04.29
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玄米の代わりにおからをまぶした白いご飯鯛のアラを煮こんで若布をそよがせた潮汁ほうれんそうの草原に箸をやすめ燃えるような地鶏の黄身とたわむれるひととおり食したあとはパイナップルの果肉のようなたくあんと巨峰のようにおおきく赤い梅干を 半分ずつ さらに そこらで摘んで干してきたスギナやらヨモギやらオオバコやらを ほどよくブレンドした 特製のお茶でしめるたとえば これがわれらふたりで迎える朝の食卓の一風景である---------------------------------------「正確に言うと」「四月一日」の系列です。電話で呼び出しを受けて「仕事」(といってもバイトなのですが)の依頼。某ビルに駆け込んで机の前のPCに向かう。そんな席でこんな「のろけ」を披露してんですからね。困ったお人です(お、珍しく「日記」になってるぞ)。まー、公開「不可」を「可」に変えただけなんですが。ついでに早々と明日の日付にしてしまいます。それにしても急にカウンターが増えました。怖いもの見たさ、だったりしてね。そうでもないのか?もうお分かりだと思うのですが…「正確に言うと」は一般論ではありません。というか、ありえません(^^;あれは、例えば「愛車」「愛読書」「愛妻」などに当てはまるので―なぜか日本語では「愛人」には当てはまらないようなのですが―そういうものとしてお読みいただければ、まあ書き手の当初の感覚を推し量るのにはよろしいのではないかと。もっとも、「あんなもの」でも「作品」になっているのなら、どう解釈されてもいいんですけれどね。今日(っていつだ?)はこんなところで。また、ね。
2004.04.28
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過日、ある方より「早くいろんなところに出没してください」という言葉をいただきました。社交辞令であるにせよそうでないにせよ、ありがたいことです。今まであちこちで書いてきた「内容」については別に後悔していないのですが、「表現」については多少反省しています。まーどんなに気をつけて書いても絶対誤解する人はいると思うのですが、それはまたいつか。今のところ、ここの「日記」だけにいろいろ書いてよそ様には特別な理由(お助けマンを気取るとかお見舞いマンを気取るとか)があるときをのぞいて書き込みをしていないのは、いろいろ理由はありますが、おもに、「今のところ特に自分が書き込むこともないだろう」という判断によるものです。書くことはいっぱいあるのですけれどね。当初は、書いて書いて書き尽くして抜け殻になってしまえばいいと思っていたのが、汲めども尽きぬ言葉の泉。兼好法師じゃありませんが、「こころにうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」、書けば書くほど物狂おしい、こりゃ不思議、でございます(苦笑)。「早くいろんなところに出没してください」イヤほんと、ありがたいんですよ。そういわれたこと自体、こうしてネタにして消費させていただいているんですけれど。だからといって、「学級崩壊と先生の責任」で盛り上がっているスレ(それ自体はただの雑談で特になんということはない)に、↓みたいな見解をぶつけたって、野暮なだけだと思いますので(苦笑)。「日記」だから自由にかけますけれど、ね。「先生、うちの娘のクラスが“学級崩壊”なんです。ご相談にのってもらえますか」 四月も中旬だというのに、せっぱつまったお母さんの声。 「何年生ですか?」 聞きかえす私。間髪を入れず 「一年生なんですよ。小学校の一年生――」。 えっ!まだ入学式を終えたばかりではないか。具体的に話を聞くと、入学式から“崩壊”だというのだ。呼名に返事をしなかったり、入学記念写真を全員でじっと前を向いて撮れないのだ。 さすがに、新入生の母親たちも焦ったようす。地域でもうわさが広がっているという。 すでに、四月の下旬には、保育園の年長児クラスの担任二人と小学一年生の担任と緊急連絡会議を持った小学校もある。同じ保育園出身の子がつるんで授業を抜け出すわ、職員室の先生たちの机の上を走り回るわ、ロッカー棚を倒すわ、小学校側はびっくり。そこで、保育園時代の様子や家庭の状況、どうしたらよいのか等について情報交換をし合ったというのだ。その園の卒園写真を見せてもらったら、何と!てんで勝手な方向を向いている。じゃれて写っているではないか。 確かに無邪気には違いないが、今話題の「学級崩壊」の芽を見る思いがしたものだ(後略)。 <信濃毎日新聞>よりところで、瑣末な事のようですが、中学校に入ると教科担任制に代わります。そこでは、「クラスの担任」=「ホームルーム担任」という程度の意味合いに過ぎません。だから、言葉の厳密な意味合いで言えば、中学・高校で起こるのは「授業崩壊」です。「学級崩壊」は、ひとつのクラスをすべての授業においてひとりの担任の先生が受け持つ小学校においてのみ、存在する現象なのです。何でこうなったのでしょうか。原因、というより要因はさまざまでしょう。・問題を起こす児童の「家庭」・教師の「力量」・学校の「体質」・社会全体の「空気」とくに最後の要因は,前に書いた「殺伐とした話」にも通じると思います。教師ばかりがおかしいんじゃない、学校ばかりがおかしいんじゃない、おかしな親もおかしな子供も多いんじゃないか、とおかしな大人は感じてしまうのでした。http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj2000/30202/frame/gakkyuuhoukai.html
2004.04.27
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テレビ欄の裏側に小さな記事が載っていた「原告団 控訴せず」負けたはずではなかったか毎年毎年日本国首相が靖国神社に参拝する ためにその心情をいたく傷つけられ ために損害賠償請求訴訟に及んだのではなかったか福岡地裁の裁判長はこう言っていた「損害賠償の必要なし」それでも記事には書いてある「原告団 控訴せず」福岡地裁の裁判長はまたこうも言っていた「首相 靖国参拝 違憲」翌朝新聞各紙の一面に 一様に現れた 大見出しであった地裁レベルの判決だから法的拘束力はないという控訴すれば判決が覆る可能性があるという「原告団 控訴せず」それにしてもなんと小さなロゴだろう三面記事の殺人犯より格下だつい 一週間前はあんなにすっぱ抜いたのに「首相 靖国参拝 違憲」「首相 靖国参拝 違憲」
2004.04.26
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「惑星」茨木 のり子ひとびとは やがてミルク珈琲色になるだろう黒・白・黄が 烈しくまじり煎れたての熱いミルク珈琲の色に言葉は いつの日にか 世界に共通のものを編みだすだろう母国語はそれぞれの方言となって野の花のように なつかしまれ血は どれだけ流せばいいのか流産はどれだけ繰返せばいいのかゆっくり 廻る さびしい 惑星ばらばらなものを 一ツにしたい何十億年も前からの 執念を軸に猛烈な 癇癪玉まで 手に入れてあるところで見かけた、「世界平和って世界征服より難しいのか?」という名句を一つの命題としてとらえ、それに対するひとつの答え(あるいは祈り)としてUPしました。「月から見た地球」の後続としてもふさわしい作品だと思いますが、いかがでしょう。蛇足ながら、これは4・4・3・3の見事なソネットになっています。
2004.04.25
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「月から見た地球」北原 白秋月から見た地球は、円かな、紫の光であつた、深いにほひの。わたしは立つてゐた、海の渚に。地球こそは夜空にをさなかつた、生れたばかりで。大きく、のぼつてゐた、地球は。その肩に空気が燃えた。雲が別れた。潮鳴を、わたしは、草木と火を噴く山の地動を聴いた。人の呼吸を。わたしは夢見てゐたのか、紫のその光を、わが東に。いや、すでに知つてゐたのだ。地球人が早くも神を求めてゐたのを、また創つてゐたのを。人類が始めて月に到達したのは1969年でした。この作品を含む詩集『海豹と雲』が公表されたのは1929年でした。今日は、これ以上は申し上げますまい。
2004.04.24
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岡野玲子の『陰陽師』(原作/夢枕獏)を読みながら、考えた。 …平安仏教といえば、密教だ。 日本に仏教が伝わったのは、6世紀。聖徳太子の時代より半世紀近く昔である。 日本は、海の向うの先進国である朝鮮や中国と対等にお付き合いするために、共通の文化として仏教を受け入れることを選択した。 太子の時代にはすでに「法華経」も伝わっている。 エリートのための宗教だった仏教が、民衆に浸透していったのはいつ頃からだろう。 奈良時代には、中国から律宗の鑑真和尚が渡来。日本に初めて小乗(上座部)仏教を伝えた人である。 天然痘が流行し、聖武天皇は鎮護国家の象徴として奈良に大仏を建立した。仏教そのものは相変わらずエリート層の学問的な教養にすぎなかったが、全国各地に造られた国分寺や国分尼寺によって、その習俗は次第に民衆の間に受け入れられるようになった。彼岸、盂蘭盆、火葬の習慣(伝染病の予防でもあったと思われる)、七日七日の回向などである。 ただ、仏教が本当に民衆に浸透するためには、「ご利益」がなければならなかった。 「ご利益」を日本に伝えた日本の僧は、平安時代の空海が最初ではないだろうか。密教の一派である真言宗とは、平たく言えば、どんな宗教にもある博愛と慈悲の実践のほかに、「真言」という悟りを得るための呪文を唱えれば人は皆その身そのままで仏になれる(可能性がある)というものだ。空海は、弘法大師様と呼ばれるほどに人々に敬われていた。 この「呪文」は、鎌倉時代に民衆に広まった浄土教系仏教の「念仏」の前身であるともいえるだろう。 密教は貴族層においても流行した。たとえば『源氏物語』には、物の怪が憑いた病人を前にして、密教の僧が加持祈祷している様がしばしば描かれている。 貴族たちは肉食を禁じる戒律を受け入れたが、この時代民衆はそうではなかったのだろう、貴族の方が下々の民よりも早死にしていたという記録がある。 ただ、実際に普及した日本の密教は必ずしも「純粋」なものではなかったらしい。中国の五行思想や陰陽思想も闖入して、和漢印混交した日本独特の習俗だったようだ。 もっとも密教自体ヒンズー教の影響を受けた仏教の一派であるし、ヒンズー教もまたゾロアスター教、キリスト教、イスラム教、仏教なんでもござれのカオス的多神教だそうだ。日本語はインドのタミル語によく似ていると指摘した学者がいたが、もしそれが本当なら、神道でも仏教でもクリスマスでもなんでもござれの「日本教」のルーツは、存外、インドあたりにあるのかもしれない。 …書きつけて整理してみるとすっきりするのだけれど、実際にはとりとめもなくこういうことを思い浮かべながら、安倍晴明と源博雅の漫才コンビのやり取りを読んでいると、自然に口元が緩んでくる。岡野玲子の『陰陽師』を読む楽しみのひとつである。
2004.04.23
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スペイン政府がイラクからの撤退期限を前倒しにするそうです。 まだ実行していないので何ともいえませんが、本気かもしれません。 いざとなればヨーロッパの一員として振舞える国の強みです。宗教も同じカソリックですし。 サミュエル・ハンチントンのいうように、文明的孤立もあり、東アジアの一員として振舞えない現状の日本は…ちと、条件が違いますね。 自分は「ノー・コイズミ」で日本は自衛隊を派遣するよりほか政治的に選択肢がなかっただろうと書きました。 その判断は今も変わりません。 ただ、今後の話として、撤退した方がいいかどうか? 撤退してもいいと自分は思います。 ただその場合、日米関係に亀裂が生じることも覚悟しなければならないでしょう。 最悪の場合、中国や北朝鮮の脅威に備えて、日本が核武装をする選択肢も考慮しなければならないかもしれません。 石油の話が出てから、中国が急に「あれは自分たちの領土だ」と主張し始めた尖閣諸島の問題もあります。 批判するのはたやすい事です。 「だったら自衛隊の代わりにイラクに行け」ということも。 「だったら小泉首相の代わりに総理大臣になれ」ということも。 ここでこうして書くことも。 自衛隊撤退というのは非常に勇気ある選択肢ですが、自国の防衛をアメリカ任せの臆病な日本国に、そんな勇気はもてないでしょう。 …この読み、外れたら外れたで嬉しいのですが、こればかりは外れないでしょうね、たぶん。
2004.04.22
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「言え 言わないと貴様のいのちはないぞ」 そう 犯人に脅されたのだろう 「ノー・コイズミ」「ノー・コイズミ」 そう 連呼していた 十八才の少年 あれは おれだ 年こそ無駄に倍も食っているが 間違いなく おれの姿だ 敗戦このかた 洗脳され去勢され意気地をなくし 自由民主主義人権平等教の使徒となった 無鉄砲にして臆病な 根付の国の戦後の民だ 嗤うのではない 少年の純な思いを 一途な真面目さを 嘲るのではない 人間のいのちが平等だ などとは金輪際信じていないおれだ 麻原彰晃などは論外だが このおれよりも あの少年の方が はるかに価値ある人間に違いないのだ あの少年の行く手には おれなどより はるかに充実した はるかに素晴らしい みらいが待ち受けているに違いないのだ けれど 「ノー・コイズミ」「ノー・コイズミ」 そう 連呼したあの少年は すくなくとも刹那 おれの地点まで堕ちたのだ これがもし 戦前の日本であったなら 人質になったあの少年は 「日の丸万歳!」「天皇陛下万歳!」 そう 叫びながら 粛々として 自ら殺されていったに違いない 無論 こころの底では 死にたくない という思いも強かっただろう けれど それ以上にみっともなく 私情をさらすことを恥じる思いが強かっただろう 両親も 「このたびは皆様にご迷惑をおかけして申し訳ございません」 人前ではそのように言っただろう 涙を押し隠しながら 家ではさめざめと泣いていただろう 国じゅうが けなげな母親の胸のうちを思いやり 国じゅうが いかりといきどおりに打ち震えたに違いない 「自衛隊を派遣しなければ あの三人は拉致されなかった」 そう 確かにそのとおりだろう 北朝鮮が怖い 日本に 自衛隊を国防軍に昇格させるのをためらう 日本に 湾岸戦争で「カネは出すが血は流さない」と批判された 日本に 魔夜峰央の本にも さいとう・たかをの本にも 日本国の諜報員の影も形もないことに 国民の誰も違和感を覚えることのない 日本に フセインが大量破壊兵器を本当に持っているかどうか 独自の調査網で確かめられなかった 日本に 民間人を人質にとられても 米英軍の特殊部隊だけが蜘蛛の糸だった 日本に アメリカ殿に協力して 言葉をごまかし 言葉をごまかし 自衛隊を戦地に派遣する それ以外の選択肢があった とは到底思えないのだけれど それでも そう 確かにそのとおりだろう けれど まず 憎むべきは犯人たちではないか 抗議するべきは 民間人を拉致し脅迫した 犯人たちに対して ではないか 順番を間違えてはいけない 憶いだせ 一九四五年八月六日 ヒロシマで被爆した 在日韓国・朝鮮人 及びその遺族が 「日本政府よ 責任を取れ」と抗議したことがあった けれど まず その矛先はアメリカに向けるべきではなかったか 順番を間違えてはいけない これは空気の問題である 社会全体を覆う空気の問題である 民主と人権の名の下に 恥の空気をすこしずつ すこしずつこの国からうすめていった これがその結果なのだ そう だから 「ノー・コイズミ」「ノー・コイズミ」 そう 連呼していた少年は 間違いようもなく おれなのだ 洗脳され去勢され意気地をなくし 自由民主主義人権平等教の使徒となった 無鉄砲にして臆病な 根付の国のおれの姿なのだ
2004.04.21
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「詩人と探偵」中桐 雅夫逃がすものか、きっと捕まえてみせる、捕まえて、手と足を獣のように縛りあげてやる、寝ても覚めても、照ろうと降ろうと、おれの考えているのはこのことばかり、脅喝や誘惑にも負けず、どんな傷を受けてもおれは不死身だ。おれは探偵だ、おれは詩人だ。おれは追う者で追われる者だ、犯人を追い、犯人に追われ、犯人を追うことに追われるのがおれの宿命だ、おれは限られた人間としかつきあわない、はっきり言えば人殺しとその関係者だけだ、まっとうな市民はこの鬼ごっこに眼をひそめている。おれは詩人だ、おれは探偵だ。おれのほしいのは真相だけだ、道徳や美や階級という言葉は、市民たちが自己主張のために発明したかくれみのにすぎず、おれには靴べらほどの役にも立たない、おれは人間を観察し、判断する、誰が真犯人か? どうやって捕まえるか?おれは探偵だ、おれは詩人だ。真犯人が証拠をかくす気持はわかるが、誰も彼もがおれに嘘をつき、あるいは、本当のことをほんのすこししか言わない、いつも、みんなしておれの仕事の邪魔をする、だが、その嘘とほんのすこしの本当から真相を発見するのがおれの仕事だ。おれは詩人だ、おれは探偵だ。嘘の手掛りが多すぎたり、本当の手掛りを組み合わせそこなって真相が掴めないのは、探偵小説の中ばかりではない、そんな時おれは、おれの溜息で世界中の鏡がくもるかと思う、他人がみんなおれより利口にみえる、そんな時おれは、あすに備えて、せっせとピストルを磨く。おれは探偵だ、おれは詩人だ。もっともおれ自身も、嘘の鎌で手掛りを苅り出す常習犯だから、口ほど他人の嘘を責めているわけではない、本当のことが全部ぶちまけられたら、世の中は大変なことになるよ、バスの運転手に、「君は運転が下手だね」と言う客はいないじゃないか。おれは詩人だ、おれは探偵だ。だから、残念なことだがおれといえども、真相の限界は心得ておらねばならぬ、真犯人や物的証拠に対しても、時と所によってある礼儀を守らねばならぬ、世の中では、節度と秩序が大切だ、おれも根は善人だが、底抜けというわけではない、おれは探偵だ、おれは詩人だ。どうも、紹介する詩が時勢に影響されているような気もしますが、金子さんの「みえない星」のあととしては適当な選択だと判断します(苦笑)。「詩人も探偵も真実の追究者である」というアフォリズム(箴言)を、詩的に表現するとこのようになるという見本のような詩です。最初の何行かを読んだだけでは見えてこない詩人と探偵の共通項が、読み進めるにしたがって次第に明らかになっていく、そのたたみかけるような語り口と技術はさすがだと思います。昔、「怒れる若者たち」という言葉が流行りましたが、中桐さんなどはさしずめ「怒れる詩人たち」の筆頭格かもしれません。ロングセラー詩集『会社の人事』の著者でもあります。なお、本詩の紹介に当たっては、一部の漢字がテキストどおりの文字に変換できませんでした。残念です。『現代詩文庫38 中桐雅夫詩集』思潮社------------------------後記。夜9時、1文字だけ訂正。だが、「掴む」のもともとの字は登録されているのに変換すると文字化けしてしまう。不思議だ。
2004.04.20
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ある ふるめかしい門をひらいた そのみぎひだりに美しく 樹々がたたずんでいた枝に こずえに うすももいろの雪を咲かせぼくらにむかってお辞儀をする そのたびにひとひらずつぼくらのいただきに冠を載せていく そのしたをしずしずと ぼくらは歩いてゆくゆくさきにはじゅうたんを敷いたような石だたみ そのうえをしずしずと ぼくらは歩いてゆくのだ そう皇太子ご夫妻のようにさくらよ 桜 日本のさくらよ ありがとう反歌月見れば君こそものを思はすれ忘れえぬ文忘れえぬ声--------------------------------名詩のあとの駄詩ですみません。ちなみにソネットとは英詩でいう十四行詩のことで、韻律を踏んで4・4・3・3となるのが一般的です。詩の形式はその国の国語表現に深く根ざしていますから、形だけ真似ても本質とは程遠いのですが、まあ、イギリス人の書く「俳句」だか「川柳」だかわからないHAIKU程度には、存続価値があってほしい「ものだ」、と思います^^;
2004.04.19
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「みえない星」金子 みすヾ空のおくには何がある。 空のおくには星がある。星のおくには何がある。 星のおくにも星がある。 めには見えない星がある。みえない星はなんの星。 おともの多い王様の、 ひとりのすきなたましいと、 みんなに見られたおどり子の、 かくれてゐたいたましいと。どうか,空のおくには何がある。 空のおくには星がある。の,二行に着目してください。作者は昼間,空を見ながらこの詩を書いているのです。見えないものを感知しそれを表現するちから,それこそが詩人が天から与えられたしるしであります。自分も彼女のツメの垢でも煎じて飲めたらいいのですけれども。
2004.04.18
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一しばらく訪れていなかったサイトにある日 アクセスを試みるつながらないクリックつながらないクリックリックつながらないアクセスポイントを変えてクリックつながらない そうかやはりあきらめる二しばらく訪れていなかった別のサイトにある日 アクセスを試みるつながらないクリックつながらないクリックリックつながらないアクセスポイントを変えてクリックつながった そうかやはりひととおり なかをみてそのままそっともどる三しばらくかけていなかった携帯にある日 アクセスを試みるあいかわらずの留守電だメッセージを入れておこうかやめとこう 思い出す あなたは 僕が自分のほとんどすべてをうちあけて それでも 決してひるむことのなかった ふたりめの人だった 僕を唯一無二の人と呼び 僕を失うことなど耐えられない と言ったあなたは 僕と知り合って人生が変わった そのことを 決して後悔していないと言った それは 僕に対する思いやりだったのだろうか それとも 自分にそう 言いきかせていたのだろうか 自分には存在する理由がある だからなにものにも束縛されない それが自由 という語の本義だ あなたは僕と知り合って自由を得た その自由とひきかえに 失ったもの(嗚呼 それは僕のことではない)のおおきさを 彼氏の去ったアパートの一室で 独り 噛みしめていたりするのだろうかせめて幸せでいてほしいそう 祈りながら受話器をそっと置く
2004.04.17
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「霜」安藤 元雄散り敷いた落葉に言葉なく霜がおりて森の中の足音はひびきをなくし街の屋根がはるか私たちから遠ざかる濡れた靴が冷たい 手袋はもっと冷たい私たちの吐く息も白く冷たいそれでも裸になった梢の重なりが私たちを包もうとするそう こうして互いの襟だけを暖め合って立ったまままどろめたらどんなにいいか誰もいない森 時の動かない森の中でこれまでの詩の紹介の仕方が、(偶然だけれど)どうも「争いごと」にかこつけたやり方だったかな、と反省していたら、「日本人、イラクで人質」のニュース。およよ。この件に関して思うことがないわけではありませんが…とりあえず今は、口を慎んでおきます。ということで、現実逃避、もとい、お口直しに。近現代日本における恋愛詩の頂点は『智恵子抄』なのですが、自分はひねくれ者なのでそういうのはこの百人一詩では扱いません(苦笑)。また外国の恋愛詩も翻訳で失われるリズムの関係上却下します。ということでこの詩を選びました。やはりプロの詩人は違います。わが詩を省みてため息が出ます。この詩ではとくに、「が」と「は」の使い分けが秀逸です。ちなみに「が」はその上にくる「主語」格の名詞を補助する「格助詞」で、「は」はその下に係る言葉を補助する選択の「係助詞」です。例1:「君が行け、俺は残る」(行くのは「君」だ、と主語を強調・補助し、一方で俺「は」残る、という選択を強調)例2:「君は行け、僕は残る」(行く―残るという対比の関係性を強調・補助)文法にかこつけて長々と解説しましたが、本来詩の鑑賞に解説など無用の長物。じっくりと、味わっていただければ幸いです。
2004.04.16
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『光とともに…』をテレビで観る。戸部けいこさんの原作は,いまだ知らない。細かい台詞は覚えていないが,印象的なシーンがあった。母「あの子…自閉症なんです」姑「そんな…あんな小さくて鬱病だなんて」母「鬱病じゃないんです。発達障害っていうんです」母「あの子がああなったのは私のせいだと思ってるの,あなた?」父「ああ,思ってるよ」子供が障害を持つことによってかえって深まる家庭の絆もある。けれどそこに至る道は,決して平坦ではない。そのことをNに話すと,「家族性よ」という。そうして自分は沈黙し,ここでこうして書いている。『火星のタイムスリップ』というSFの中に,ある「自閉症児」がでてくる。だが,作者フィリップ・K・ディックは小児精神分裂病(統合失調症)と自閉症を混同している。自閉症は心の病ではない。けれどもこれは仕方がな「。アメリカで1964年に出版されたのだから。あるいは。広島で被爆し『夏の花』という小説を書いた原民喜について,ある本に「彼は自閉症だった」とあった。1996年刊である。驚いて調べて見るとやっぱり,そんなはずではなかった。極度の人見知りで,外出時は夫人の陰に隠れるように歩いていたなんて逸話はあるけれど,それは「自閉症」ではない。ひとはなぜ,自閉症になるのか?ひとつの「仮説」がある。脳内の化学伝達物質の不具合によるというものだ。たとえばアルコールを飲むと人は性格が変わり,行動が変容する。これは自己責任だ。けれどもし,ある人が生まれつき,食べたものが消化する過程でアルコールに発酵するという奇病の持ち主だったとしたら? ↑はある余計な物質が脳内に混入した場合の話だ。自閉症はこれとは逆に,必要な物質が脳内に供給されないがゆえに生じるといわれている。その物質の名は,セロトニン。たとえば親子,恋人,夫婦が,お互いに「信頼」しホンワカしていられるのは,セロトニンという化学伝達物質が脳の神経細胞をかけめぐっているからだという。もし,脳のミクロなミクロな傷がもとで,セロトニンが供給されなくなったとしたら?「不安」で「不安」でパニックになってしまうだろう。何かにすがりつきたくなるかもしれない。ただでさえ,この世は不条理に満ちているというのに。人と目が合わせられないのは,人間の行動が予測不可能だからだ。見ていると不安になるのだ。不安が嵩じるとパニックを起こす。起こしながら,自分が自分の手で確認できる「間違いのない世界」を求めて。無生物の世界なら安心だ。パチン,電気がついた。パチン,電気が消えた。パチン,パチン。よかった。これは規則的だ。これなら「間違いない」。あるいは計算の世界。図形の世界。これなら安心だ。世界は秩序に満ちている。こうした行動を外側から見ると,自閉症は純粋に心理面の問題のようにみえる。けれど,大本は脳神経組織ネットワークの構築上の問題にあるのだ…根本的な治療方法が見つかるまで,自閉症者は永遠に「自分を取り巻く世界との和解」を求め続けなければならないのだろうか?「我々は治療など求めていない。我々が求めているのは人権である」と主張する障害者団体がある。それを彼らに当てはめていいのだろうか?わからない。ただ「治療」の名の下に「人権」が侵害されてはならない,ということだけは言えると思う。映画と小説で微妙にニュアンスが違うのだけれど,『レインマン』は自閉症者のひとつの型を表した佳品だ。あるいは『フォレスト・ガンプ』。映画では知的障害者になっていたが,原作小説では特殊能力を持つ一種の自閉症者(イデオ・サバン=日本語では「白痴天才」)として描かれている。ついでに言えば,自閉症は男児に多く,しかもその多くが端正な顔立ちをしている…。Nよ。『光とともに…』を見ながら(テレビでも漫画でも),いつかこんな話が君とできたら嬉しいな。「だから」 ある自閉症児A君にささぐかいだんのぼるかたちにつくられてどああけるかたちにつくられていすすわるかたちにつくられてつくえむかうかたちにつくられてえんぴつにぎるかたちにつくられてほんひらくかたちにつくられてのおとあけるかたちにつくられて…そうだからぼく はどれもひとりではできなくてだからぼくはとらんぽりんがだいすきなのです
2004.04.15
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白い寝台の上の 永すぎる日々のあと きょう あなたは帰ってきた あなたは 僕の太陽である あなたは 僕の精神の中和剤である あなたがいなくても僕は生きていくことはできる だが その代わり饒舌になり 激烈になり 不安定になるだろう だれしも欠点はあると人は言う だが あなたに欠点はない なぜならそれが あなたの性格なのだから そう たとえ あなたの僕に対する諌めのことばが 耳にうとましく感じたとしても それは あなたの愛情の深さの裏返しなのだ 問題は うとましく感じる僕のほうにある そのことを 身にしみてよく僕は知っている だから 白い寝台の上の 永すぎる日々のあと きょう あなたは帰ってきた そのことについて だれに対してでもいい 僕は こころをこめて ありがとう と言いたい よかった 四月馬鹿でなくて本当によかった
2004.04.14
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「トーマの心臓」萩尾 望都ぼくは ほぼ半年のあいだずっと考え続けてきたぼくの生と死と それからひとりの友人についてぼくは成熟しただけの子どもだ ということはじゅうぶんわかっているしだから この少年としての愛が性もなく正体もわからないなにか透明なものへ向かって投げだされるのだということも知っているこれは単純なカケなぞじゃないそれから ぼくが彼を愛したことが問題なのじゃない彼がぼくを愛さねばならないのだどうしても今 彼は死んでいるのも同然だそして彼を生かすためにぼくはぼくのからだの打ちくずれるのなんか なんとも思わない人は二度死ぬという まず自己の死 そしてのち 友人に忘れ去られることの死それなら永遠にぼくには二度めの死はないのだ(彼は死んでもぼくを忘れまい)そうしてぼくはずっと生きている彼の目の上に作者が創造した架空の人物であるトーマ・ヴェルナーが遺した「詩」を、なぜこの百人一詩に載せるのか。そもそもこれは「詩」なのか。という突っ込みもあろうかと思います。それらをすべて承知の上でいささか私見を述べさせていただきます。自分はこの「詩」を読んで、「桜花」に乗って散華していった緒方襄命の遺した歌、死するともなほ死するともわが魂は永久にとどまり御国まもらせを連想せずにはいられませんでした。端的に言えば、「ぼく」を「わが魂(たま)」に、「彼」を「御国(みくに)」あるいは「戦後の日本人」に置き換えて読んでしまう、ということです。お汲み取りいただけますでしょうか。あるいは、トーマ(特攻隊員)の命をかけた行為にもかかわらず、ユリスモール(戦後の日本人)は自分が心に受けた傷にとらわれて、その真意をなかなか理解できなかった、とか。勿論。こうした読み方は邪道です。どのくらい邪道かと言うと、『ハックルベリィ・フィンの冒険』を、児童虐待された少年が主人公の物語として全面的に読み替えてしまうくらい邪道です(苦笑)。あの物語の中で、ハックは「自由」な浮浪児だからこそ、世間の常識にとらわれることなく「成長」していくので、そこが「常識」の申し子であるトムの俗物性と対を成している、という見方の方が、ハックの言動に被虐待児童としての精神性を見出すより、はるかに正統的でありましょう。ただ。そうした邪道的な読み方を楽しみつつ、同時に、それがどの程度妥当であるかということについてあれこれ思いをめぐらせるのも、ひとつの「愉しみ」方ではあります。あくまで邪道であると認識した上での話ですが。いずれにせよ、萩尾望都さんの『トーマの心臓』と小林よしのりさんの『戦争論』シリーズの両方を読んだ人だけが、今回の真意を理解できるでしょう。まあ、このような「いたずら」を許容できる懐の深さを、いつもの10人の読者の皆さん(笑)―この表現は前にも使いましたが、(笑)を入れることによって「自惚れんなよ」と自分で自分に突っ込みを入れているわけです―なら、お持ちだと信じて今日は筆を置くことにいたします。
2004.04.13
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欠点、ではないのです それは性格、なのです それがあのひとの性格なのです
2004.04.12
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「十二月八日」高村 光太郎 記憶せよ、十二月八日。 この日世界の歴史あらたまる。 アングロサクソンの主権、 この日東亜の陸と海とに否定さる。 否定するものは彼等のジャパン、 眇たる東海の国にして そを治しめたまふ明津御神なり。 世界の富を壟断するもの、 強豪英米一族の力、 われらの国に於て否定さる。 われらの否定は義による。 東亜を東亜にかへせといふのみ。 彼等の搾取に隣邦ことごとく痩せたり。 われらまさにその爪牙を摧かんとす。 われら自らの力を養ひてひとたび起つ。 老弱男女みな兵なり。 大敵非をさとるに至るまでわれらは戦ふ。 世界の歴史を両断する 十二月八日を記憶せよ。 「詩人の条件」―T・S・エリオットに―高橋 睦郎(むつお)千年前の誰彼を親しい友と感じ その思想に薔薇の香りを嗅ぐのが 詩人の資格だと あなたは説いた けれども 同時代の誰彼に悪魔を見 その思想の血の匂いに嘔吐するのが 第一の資格とは言えないだろうか さらに そのいまわしい血が薔薇に 世界壊滅の焔の薔薇に変身するのを 予見する目と 見届ける勇気とを 併せ持つこそが 必須条件だとは? 一見して対照的に見えますが、どちらも好きな詩です。技巧的にも内容的にも完成されていて非の打ち所がありません。どちらの詩を好むか,あるいは好まざるかは,読む人の感性によると思いますが。タイトルは,百人一首をもじったものです。自分なりのアンソロジーをまとめてみたくて,ここの「日記」を活用することにしました。いつ完成しますことやら。後記ささいな誤記ですが,「血の臭い」ではなくて「血の匂い」でした。自信あったんですけどね。個人的には「匂い」だと『源氏物語』の匂宮を連想してしまうので,もっと生臭い「血の臭い」の方がいいような気もするのですが,ここでは作者が優雅な皮肉を込めて「血の匂い」と表現しているのだと考える事にしました。
2004.04.11
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昨日から街中で制服警察官の姿をよく見かけます。市中を巡回するパトカーも増えました。Nには何もいっていません。言わなくても外に出ればわかることです。自分から話題にするのは避けることにします。↓以下の話も似たようなものです。…Nよ。君と知り合う大分前の話だ。そのころ、AVといえばアダルトビデオに限ると思っていた。オーディオ・ヴィジュアルの略語でもありうるとは気が付きもしなかった。だからDVというのは最初DVDでみるAVだと思っていた。聞けばDOMESTIC VAIOLENCEの略語だという。直訳すれば「家庭内暴力」。でも、通常は「男性の、恋人や妻に対する暴力行為」を指すらしい。女性の場合だと、イヌも食わない痴話喧嘩か夫婦喧嘩、もしくはいきなり離婚届、ということになるんだろうか。でも。こういうのって、昔からあったのだろうか。違うような気がする。直感でものを言っているけど。もっともっと昔、高校生のころ、「正真正銘の」家庭内暴力というのがあった。男子中学生や男子高校生が、金属バットもって自分の親にくってかかる、アレだ。あの子達が大きくなってDVを振るうようになった、というのは短絡的なのだろうけれども、でも、あの「世代」が大きくなって恋愛し、結婚し、親になってから、「DV」だとか「児童虐待」がこれまでになく社会問題化するようになった、ような気がする。さらに大元の「家庭内暴力」の根を考えると、(1)戦争で負けて自信喪失した日本人の潜在能力が、復興への希望の中で会社と工場に吸い取られ、(2)家庭に持ってくる「お給料」の多寡とそれに伴う「出世」だけが男の「甲斐性」となり、(3)女性の権利意識が飛躍的に向上した戦後家庭では、「甲斐性」のない男には父親の権威も認められず…いかん、どうも「サラリーマン哀歌」になってしまう。あまり殺伐とした話を君の前でしても仕方がないので、こんなところに書いているのだが…こんな話は書いて忘れてしまうに限る。さあ、もうそっちへ行こう。
2004.04.10
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Nへ。退院おめでとう。君の笑顔が僕のそばに戻ってきてくれてとても嬉しい。だけど当分の間、まだ通院しなければならないね。君がいない間、退屈しのぎにテレビを見ていたこともあったけれど、君が帰ってきてからはテレビもめったに見なくなった。たまに見ても、「健康」「生き方」「自然」「家族」に関する番組ばかりだね。それはそれでいいと思う。君と僕の興味が完全に一致することはありえないのだし、僕は十分君に満足している。ただ時として、文学や哲学や政治に関する話を君とできない寂しさを感じることもあるけれど。いいんだ。君は僕がここで「日記」なるものを書いていることを知らないし、これからも知ることはないだろう。だから、リアルの君を困惑させないよう、ネットの上で、架空の君に向かって、語りかけることにするよ。今日ね、通院先の病院で新聞を見て驚いたんだ。なぜって、いろいろ置いてあったけど、見出しは判で押したように同じだったから。「首相 靖国参拝 違憲」新聞を取っていないので知らなかったよ(笑)。要点は、・首相の靖国参拝は公的な性格を持ち、違憲であるが不法行為ではない。・特定の宗教行為を他人に強制するものではなく、原告が主張する損害賠償を払う必要はない。ということなんだけどね。だけど、ねえ。内容は同じでも、どうして「首相 靖国参拝 不法行為にあたらず」くらいの見出しにしないんだろう、と思ってしまうのさ。不法行為に当たらないのなら、かつて社会党が唱えた自衛隊の「違憲合法論」じゃないけれど、アメリカから押し付けられた憲法の条文自体がおかしいんだと思う。記事は読んだよ。いろいろ言っているけれどさ、結局のところ、伊勢神宮への参拝は問題視されなくて、靖国神社の参拝ばかり取りざたされるのは、「首相の靖国神社参拝が、国家としての大東亜戦争の肯定につながるのではないか」という「危惧」があるからなんだよね。僕なんか、「いいじゃん、肯定したって」って思うんだけれどね。だってさ、日本が大東亜戦争を戦って、かつ負けたから今日の世界があるんだよね。あの戦争がなかったら、帝国主義・植民地主義VS社会主義・共産主義の時代がずっと続いていた。韓国も北朝鮮も台湾も日本に組み込まれていていたのは間違いない。日本が勝っていたら…という設定の下では今のところ僕には肯定的な未来は想定できないけれど、少なくとも、「結果論的に言って、負けた戦争にも意義はあった」くらいのことは、政治論的にではなく、歴史論的に言えるのではないか。日本の歴史家が言っているんじゃないよ。外国の歴史家が言っているんだ。「日本がロシア、アメリカと行った戦争によって、欧米の植民地支配の歴史にピリオドが打たれた」って、それこそ悔し紛れにね。中国や韓国の人が首相の靖国神社参拝に反対するのはまだ、わかるよ。だけど、戦後の歴史を紐解いてみると、田中元首相も、大平元首相も、靖国神社に参拝している。そのころまでは、マスコミもこんなに目くじらを立てることはなかったんだ。いつ頃からこんな風になったのか? その原因はどこにあるのか? なぜ戦後しばらくの間中国も韓国も沈黙していて、急に抗議するようになったのか?正直言って、ここで今書く余裕はないんだ。だから、もしこの問題に興味を覚えて、時間があるなら、自分で調べて、考えてみてごらん。
2004.04.09
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正しく物事を見なさい。そうすれば正しく考えることができるでしょう。正しく考えなさい。そうすれば正しく話すことができるでしょう。正しく話しなさい。そうすれば正しく行うことができるできるでしょう。正しく行いなさい。そうすれば正しく暮らすことができるでしょう。正しく暮らしなさい。そうすれば正しく努めることができるでしょう。正しく努めなさい。そうすれば正しく見分けることができるでしょう。正しく見分けなさい。そうすれば正しく祈ることができるでしょう。正しく祈りなさい。そうすれば正しく物事を見ることができるでしょう。Look rightly,And you can think rightly.Think rightly,And you can speak rightly.Speak rightly,And you can behave rightly.Behave rightly,And you can live rightly.Live rightly,And you can work rightly.Work rightly,And you can judge rightly.Judge rightly,And you can pray rightly.Pray rightly,And you can look rightly.…いわゆる「八正道」の私的解釈。自戒を込めて。
2004.04.08
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某所での「暖かいご声援」ありがとうございます。そこで紹介してあったサイトに飛んでみました。結果が笑えた(あるいは泣けた)ので載せてみます。●あなたの頭脳タイプ <Dc型> あなたは既に何らかの形で、代表か社長またはリーダー的存在で活躍していることでしょう。あなたは発想が豊かというより、人とは180度違う発想をします。言葉について強力なパワーをもち、そのひらめきによって魅力的な思想をくりだします。表現力を身につけて新しい芸術や思潮を開発してください。文学・哲学・美学などで能力を培ったのち、既成の仕事にこだわらず最先端をいく分野を創造してください。 [相性判断]◇あなたをもうひと回り大きくしてくれる人はDa、Db、Ca、Cbの人達です。 既にこの力もお持ちのあなたはどこの社長さん? ◇Bc型の理論的な人とコンビを組むことによって、あなたの能力は大きくひらかれることになるでしょう。●あなたの知能領域(考えたり憶えたりする材料 )あなたは、言葉の意味などを材料に『概念的にとらえ』考えたり憶えたりする能力に優れています。 ●あなたの知能活動(どのように頭を働かせるか)『転換的思考型』ひらめきが良く、逆転の発想などまったく別の角度からの視点をもって考えられるタイプ。発見・発明タイプ。 結果的に社長度95%という数字が出ましたが、これは裏を返せば、組織人としては失格ということです。喜んでいいのか、悲しんでいいのか。少なくとも自惚れていいことでないのは確かでしょう。将来に希望を持つことにしましょうか(笑)。http://passpal.co.jp/check/check0.html
2004.04.07
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が,面白い。とくに,ハマコーの言いっぷりが好きだ(註:ハマコーが好きだというわけではありません。また,ハマコーが嫌いだというわけでもありません。念のため)『朝生』も面白いが,時間帯的に家族の協力が得られないとつらい。この前はとうとう見逃してしまった(この日記を見ている人の中に『朝生』を観ることのできた人がいたら,その人がうらやましいです)。『タックル』ですら,「口汚いやり取りを聞いていると免疫力が落ちる」そうなので,そうそう毎週見るわけにもいかない。それはともかく。要するに,「ぶっちゃけた話」が好きなのだ。テレビのニュース・報道番組など,『朝生』や『タックル』に比べると「きれいごと主義」のように聞こえて仕方がない。たとえ「口汚い」といわれようとも,あそこで行われているやり取りを抜きにしては,この国の将来は語れないと思うのである。
2004.04.06
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古代史は,あまり良く知りません^^;なので,あの鍵穴のような形をしている「前方後円墳」,てっきり円いほうが前だと思っていました。違ったんですね。四角い方が前で,円い方が後ろなんだそうです。「方」というのは四角いという意味なのか・・・そういえば,正四角形のことを「正方形」と言うもんなあ。でも,どうして四角い方が前だとわかったんだろう。多分,こういうことなんじゃないのかな・・・とは思うのだけれど。↓古墳って,要するに昔の「支配者」の墓だから,まあ,垂直に立たせるなら別だけど,横たえる以上,どっかの方角を向いていなければならない。で,頭が向いているのが古墳の四角い方だった,と,まあそういうことなんでしょうね。↑確かめたわけじゃないけど^^;
2004.04.05
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どんなにか,よかったろうにね。大した争いごともなく,いわゆる「支配者」もいなくて,みんな,みんな家族みたいでさ。ゲンゴロウ島のペンギン村みたいな,ちょっとした,ユートピアだね。だけど,世界はそうじゃない。生活者がいて,為政者がいる。国境があって,国がある。「支配者」っていうとなんだか悪役みたいだけどさ。「為政者」は必要だよね。「為政者」は「支配者」だよね。要するにそういうことなのさ。生活者しかいない土地に「俺たちは天使じゃない」とうそぶきながら外(と)っ国の「支配者」の軍隊が攻め込んできたら?大昔の話で申し訳ないけどさ。元寇のとき,もしも日本に「支配者」がいなかったら?考えるだに恐ろしいね。性善説を信じられるなら警察も刑務所も要らないよね。麻原なんかさっさと無罪にしてかつてのオウムを復活させればいい。無政府主義万歳!なんて それこそ信じられるかい?とりあえず平和で安全で安心して暮らせる世の中ならだれが「支配者」になったって構わない,俺はそう思っているよ。註俺=自分(書き手)では必ずしもありません。ただ,こういうことは言えると思います。「誰かが<国>を運営しなければなりません。<国>を運営するのは官吏であり為政者ですが,彼らは必然的に<支配者>たる性格を持つでしょう。民衆が彼らに不満を持ち革命を起こし自分たちの<政府>を作ったとしても,運営するのが<国>である以上,また同じことが繰り返されるだけでしょう」と。
2004.04.04
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って、どう定義したらいいのでしょうね。古くは『のらくろ』がありますけれど、あれはどうみても擬人化された動物たちの群像ですよね。その伝でいくと、『ジャングル大帝』のレオもそうですし、『鉄腕アトム』も擬人化されたロボットの物語ですし、『リボンの騎士』などはさしずめ、擬男化された女性の物語ではないでしょうか。え、違うって? 失礼しました。でもこの系統の「動物漫画」って擬人化の方向性は作家によってまちまちですが、結構多いと思います。たとえば『綿の国星』もそうじゃないでしょうか。動物の生態を動物の生態そのものとして、そこに「人間」が介在しなくても物語は存在しうる、というひとつのカタチを漫画で示したのが多分「週刊モーニング」に連載された『ゴン』なのだと思うのですが、それら仮想の動物たちも、結局は人間の意識という釈迦の掌、あるいは作者の「解釈」によって生み出されている以上、非人間的な物語ではありえないわけです。そうすると、人間との係わり合いの中で生きる動物たちの生態を描く、というのが動物漫画として一番自然でリアルなのかもしれません。かりにそれを狭義の「動物漫画」と定義するなら、文庫にもなり、今でも広く読まれている「動物漫画」は…『動物のお医者さん』が筆頭格ではないでしょうか。しかし、男性の漫画読者として、ここで、現在半ば忘れられた一人の漫画家の名前を挙げたいと思います。飯森広一さんというのがその方の名前です。昨今の古典漫画文庫化ブームのなかで、ほとんど復刊されたことがない幻の作家です。20年位前までは、古本屋に行くと少年チャンピオンコミックスで『60億のシラミ』だとか『レース鳩0777(アラシ)』などが入手できたのですが…それでも、近年、やっとダイソーの100円コーナーで『ぼくの動物園日記』(正確に言えば全体の3分の1程度)が復刊されました。熱い物語です。ぜひお読みください。それにしても、飯森先生の漫画は、なぜ復刊されないのでしょう。売れない、ということもあるのかもしれませんが、代表作『レース鳩0777』などは、結構売れると思うのですが。いろいろ考えてみて、『レース鳩0777』が復刊されない理由をいくつか考えてみました。1、動物虐待ととられかねない本来はレース鳩とそれを飼う人間の「美しい」友情の物語なのですが、レースで勝つためには厳しい訓練も行わなければなりません。特に、愛する鳩を台風の季節に長距離レースに参加させるという矛盾した行為を描くにあたっては、人間のエゴや虚栄心のために動物を虐待していると批判される恐れがあるでしょう。2、登場人物の設定の問題(1)鳩を扱う老人の名前に、黒田官兵衛、山本勘助など、戦国時代の軍師の名前が使われており、しかも彼らは、第二次世界大戦で軍用通信のための伝書鳩を育成・訓練していたことになっています。考えすぎかもしれませんが、漫画を通してこのような知識が復活するのはよろしくない、という空気があるのかもしれません。3、登場人物の設定の問題(2)レース鳩の飼育者の中に、山下佐清(すけきよ)という少年が登場します。絵を書くのが趣味で、吃音(どもり)の彼は、ビジュアル的にも明らかに山下清をモデルにしています。いわゆる「差別用語」と違って絵を挿げ替えるわけにはいかないので、出版社の判断として復刊を見送ったのかもしれません。別に知的障害者として描いているわけではないのですが…以上、独断と偏見による推測に過ぎませんので、念のため。なお、この拙文を読んで、飯森先生に興味を覚えた方のために、参考サイトをご紹介します。ごゆっくり、どうぞ。↓http://good-forest.hp.infoseek.co.jp/
2004.04.03
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うちは田舎なので,3月末に地元の新聞に問題の記事が載りました(笑)。読んでいて違和感を覚えたので,検索してみると似たような感じを抱いた人が他にも大勢おられるようです。日付的に元ネタは↓なのだろうと思いますが,どうでしょう。http://www.mainichi.co.jp/life/hobby/game/news/news/2004/02/27-1.htmlこれをみると,少なくとも記事全体では,「2歳以下の子供に1日2時間以上TVを見せると、言語の発達が遅れる」とはとりあえず断定していないようです。断定しているのはお医者さんですね。臨床医・開業医として,「診察した子供の症状に対し,危機感を感じる」というのはよくわかります。おそらく善意で言っておられるのでしょう。ただ,結論の出し方が性急であるように思えました。正確には,「言語の発達が遅れているという訴えがあって(小児科にきている)お子さんの家庭状況を調べてみると,2歳以下の幼い時期から1日2時間以上テレビを見ている傾向が見られることがわかった」ということでしょう。病院にかかる子というのは,「現在」問題を抱えている(と親が思っている)わけで,そういう子供の家庭状況をよくよく聞いてみるとそういう結果が得られた,と言っているに過ぎません。病院にかからない子のなかにも,「1日2時間以上TVを見ている」子供は大勢いるかもしれません。つまり,「2歳以下の子供に1日2時間以上TVを見せる」という因子が,必ずしも「言語の発達が遅れる」という結果につながるわけではないのです。さらに問題点を列挙すると以下のようになります。・仮に統計をとったとしても,いえることはせいぜい「そういう傾向がある」ということで,しかもサンプルの抽出,分析の方法によって結果は異なってくる。しかも記事によると「統計はない」。・また,調査するときに,「テレビは何時間見せていましたか?」ではなく「テレビを2時間以上見せていたのではありませんか?」など親に誘導尋問的な質問の仕方をしなかったか(勿論医者は「違いますよ」というでしょうが)。・言語の発達が遅れているのではなく,洪水のように流れる語彙を頭の中にインプットするのでいそがしく,アウトプットする余裕がないのではないかという可能性について。きっかけさえ与えればその子は湯水のように言葉を吐き出し始めるのではないか(アインシュタインがそうでした)。一般的に言って,どうもお医者さんが絡んでくると,「塩分の高いものを食べると高血圧になる」(正確には「原因のわからない本態性高血圧の人の食生活を調査すると,平均より高い塩分を日常的に摂取している傾向が見られる」)とか,善意から来る危機意識のせいでしょうか,断定的な傾向になることが多いようです。勿論,だからといって言葉の発達をテレビ(あるいは母親)任せにして,親子(あるいは父子)のコミュニケーションをおろそかにしてよい,ということではありませんが,それこそ「常識」ですよね。まあ,個人差はあるとしても最大公約数的なひとつの見解としては,記事にもありますように,「過度な『テレビ漬け』は良くない。しかし、2歳まででも親が一緒に楽しむ方法もあり、全面的禁止は行き過ぎだ」(稲増龍夫・法政大教授)というあたりが,妥当なところだと思います。
2004.04.02
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こんにちは。 お元気そうで何よりです。 ゆうべおうかがいしましたが,あなたの,教育漢字をいじくるな,当用漢字をいじくるな,という意見自体は,とても正当性があると思います。 自分が受けた教育を子々孫々に伝えたい,という願望は人間誰しもにあるものです。 ただ,自分は1945年の敗戦によって,日本の教育は分断されてしまったと考えます。 先日,某地方新聞に,故人となられた網野喜彦という日本の中世史の専門家の紹介文が載っていました。 「皇国史観の反動から,マルクス主義史観によって新しい歴史観を確立しようとする戦後の歴史学界の中で精力的に活動したが,やがて一線を画し,独自の『網野史学』を構築した」 皇国史観にも問題はありますが,明治国家との連続性はとりあえずありました。しかし「マルクス主義史観」とは! 自分は戦後の歴史学者の多くに深く失望するものであります。 話がそれました。 漢字の話でしたね。 正直な話,自分は今更学校で習う漢字の数をいくらいじくったところで,それは瑣末な問題に過ぎない,と思うのです。 趣味でよく戦前の旧漢字・旧仮名遣いの本を読むのですが,あれを読むと,今の日本の漢字,仮名遣いがうそ臭く感じられてしかたがありません。 仮名遣いには,平安時代以降の1000年の歴史があります。 それを,たかだか1回の戦争で負けた為に,すべて新・仮名遣いとやらに改めてしまいました。 ために仮名遣いから日本語の優美さが失われてしまったように感じてしまうのは自分だけでしょうか。 漢字だって同じです。 自分は旧漢字だろうと旧仮名遣いだろうとすらすら読めますが,では書けるか,というと書けません。 すでにその時点で戦前の人たちとの精神の分断を感じてしまうのです。 「江戸から明治へ世が移るときは,先覚者による血のにじむような言文一致運動の試みがあって,旧漢字も旧仮名遣いも生きのびる事ができたのに,昭和の自分たちは一夜にしてそれらを捨て去ってしまったのだ」と。 旧漢字から新漢字に変わることによって確かに漢字を覚える記憶力の負担は減りました。 その結果,楽することを覚えて日本人がだらしなくなったというのなら,そんな日本人に戦前の日本人を賢しげに批判してほしくありません。 そういえば韓国も戦後は漢字を廃してハングル一本やりになりましたが,それによって韓国人は戦前の世代よりやすきにつくことを覚えて,だらしなくなったでしょうか。 そうかもしれませんし,そうでもないかもしれません。 しかしそうでないのなら,日本人が学校で習う漢字の数を調節する事なぞ,瑣末な問題ではないでしょうか。 またもしそうであるのなら,日本人が学校で習う漢字の数を調節する事よりももっと大きな精神の変革を,1945年のあの時点で,日本人は選択した,あるいは強いられたのではないでしょうか。 繰り返します。 教育漢字をいじくるな,当用漢字をいじくるな,という意見自体は,とても正当性があると思います。 頑張ってご自分の主張を通されてください。 ただ,自分としては,すでに「嘘字」である「新漢字」をどういじくろうと,それに今更どれほどの変化があるだろう,と考えてしまうのです。「旧漢字・旧仮名遣いを復活せよ」というのなら積極的に賛成しますが,残念ながら時代錯誤でしょう。 お分かりでしょうか? だから自分は(多分にニヒリスティックな)ルビ論者でもあるのです。 註 ある方というのは,架空の人物です。こういう文章のスタイルは,ハマトンの『知的生活』に倣いました。
2004.04.01
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