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昨日12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入って、主君浅野内匠頭の無念を果たした日といわれていますね。赤穂藩があった地元兵庫県赤穂市では、毎年12月14日には義士祭が執り行われて、師走の風物詩にもなっているそうですが、1702年(元禄15年)12月14日は、現代の暦に換算すると、翌年1703年1月30日となるそうです。赤穂浪士の討ち入りが、正月気分も抜けた30日に行われたなんて言われても、何だかピンと来ませんね。昨日私は、赤穂の義士を偲んで討ち入りそばをすすったのでありましたが、これでは年が明けての来月30日にもそばを食べなきゃなりませんね。もちろんその間に年越そばも食べなければならないのは、言わずもがなですが。・・・そば好きで良かったな。(笑!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。はじめに小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一部「酒」編「過ぎたるは及ばざるがごとし」古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。ぜひご一読いただければ幸いに存じます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。はじめに小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一部「酒」編「過ぎたるは及ばざるがごとし」古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。ぜひご一読いただければ幸いに存じます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2023年12月15日
これは鴨南蛮そば。久しぶりでそばの専門店で食べました。鴨南蛮は、何といっても鴨肉の透き通った脂が、薄っすらと浮かんだスープが特徴ですね。天ぷらそばなどと違って、この脂が甘辛いダシをよりいっそうコクのあるものにしてくれます。さらに鴨南蛮に欠かせぬものといえば、素焼きにした長ネギ。そもそも「鴨南蛮そば」の「南蛮」という名称は、このネギが由来だということご存じか?ネギはもともと日本には生育していなかった作物で、南方よりわが国に入って来たいわば南蛮渡来の作物。ゆえに「南蛮」と呼ばれるようになったのだとか。「鴨が葱を背負って来る」とは、うまいことが重なりますます好都合であることを指すたとえですが、私に言わせれば、ついでにそばも背負って来る殊勝な鴨がいたってよさそうなもの。(笑!相性のいいもの三つをあげよといわれれば、「鴨・ネギ・そば」の組み合わせの右に出るものはないと思うのです。それにしても「鴨南蛮そば」とは洒落た名前をつけたものです。これが「鴨焼ネギそば」なんて呼ばれた日にゃ、ちっとも美味しそうに響きませんもの。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。はじめに小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一部「酒」編「過ぎたるは及ばざるがごとし」古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。ぜひご一読いただければ幸いに存じます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2023年11月02日
大晦日にどうしてそばを食べるようになったのか聞かれることがある、という話を取り上げたことがあります。まあ、確かに12月にはそばを召し上がる機会が多いですよね。そば屋としては、「年越しそば」と「討ち入りそば」は、ぜひ召し上がって欲しいものですね。もう一つ「〇〇そば」といえば、「引っ越しそば」を思い浮かべる方多いのじゃないでしょうか。ところがこの「引っ越しそば」、耳にしたことはあっても実際に食べたことがあるという方は、私も含めて少ないと思っていましたが・・・。ウエブトピックスより、「引っ越しそば」の大誤解 「新居で食べるそば」は間違い・・・なになに、「引っ越しそば」って転居先の新しい住まいで食べるものだというふうに勘違いしている人が多いですって。リサーチ会社が実施した調査によれば、「引っ越しして新しい家で引っ越し蕎麦食べた」とか、「予定どおり引っ越しを終え、早めの夕飯は『引っ越しそば』」のように、引っ越しをする本人とその家族が「転居先で食べるそば」のことだと勘違いしている人が半数近く(48.9%)もいるということです。まったく困ったものですな。それでは私が講釈をたれるとしましょうか・・・。そもそもそばが今のように長く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めのこと。それまではそばのむき実をそのまま煮ておかゆ(そばがゆ)のようにして食べたり、粉に挽いたとしても水でこねて団子(そばがき)のようにして食べたと言われています。そばの新しい食べ方は、当時の江戸でそば切りと呼ばれ、その安さと相まって大流行したのだそうです。江戸時代中期になると、そのそばを引っ越し先の隣近所に挨拶がわりに配るという風習が流行り出し、これが「引っ越しそば」の始まりというわけ。そう、「引っ越しそば」は配るものであって、転居先で食べるものではないのです。ところが現代では自分の住むマンションの隣の住人の顔さえ知らぬ人が多くいるということですから、「引っ越しそば」は隣近所に配るものから自分で食べるものに変わってしまったというのも、あながちわからぬでもありません。「お側(そば)にやってきました」、「細く長いお付き合いをお願いします」といった意味を込めた粋な江戸の町民の風習が、こうやって忘れ去られていくのはさみしい限り。しかし、「転居した際、その近隣に近づきのしるしに配るそば」であったものが、「新しい転居先で食べるもの」に変わったにせよ、まあ、そばを食べてくれる人がいることに変わりはないというもの。これはこれでそば屋にとっては有難いことだと、現金な考えを巡らしたりもしています。(苦笑!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。はじめに小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一部「酒」編「過ぎたるは及ばざるがごとし」古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。ぜひご一読いただければ幸いに存じます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年12月28日
そば屋を本業にしておりますと、しばしば大晦日にどうしてそばを食べるようになったのかと聞かれることがあります。年越しそばをどうして食べるようになったかといえば、一般には、そばのように、長く(永く)健康でありますようにという意味を込めて食べるようになったとか。金座の金粉や細工かすを集めるのに、練ったそばを用いたことから、そばは金を集めるという意味で、縁起を担いだのだという節。文字通り何かと気ぜわしい年の瀬で、体調を崩しそうになっても、そばは消化もよく、食べやすく、しかもそばの薬効成分が体調を整えてくれるからだとか、諸説いろいろあるよう。私もものの本で読んだ受け売りの知識ですので、こうだと断定はしかねるところですが。一度こんなことがありました。「諸説いろいろありますがね・・・」と、さも知ったかぶりに説明したところ、「別にそばでなくともうどんだって長いじゃないか。そば粉の代わりに小麦粉を練ったっていいでしょうよ。お粥ならもっと胃腸に優しくて、しかも食べやすくないですか」と突っ込まれて、ことばに窮したことがありましたね。まあ、私の場合はそば大好き人間ですから、大晦日に限らず毎日食べてもいっこうに不都合はありませんがね。なぜ年越しそばを食べるのか?それは大好きだからっていう説はどうでしょう?・・・ダメか?(笑!・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・「酒とそばと」幻冬舎から好評発売中この度幻冬舎さんのご協力を得て、拙著『「酒」と「そば」と』を出版しました。このブログの酒とそばについて書いたものを加筆修正したものです。肩肘張らずに気軽にお読みいただけるエッセイ集です。まず「はじめに」から、書店での立ち読み気分をお味わいください。はじめに小粋な蕎麦屋に入って、いきなり「天婦羅そばを一つ」なんて注文するのは、いただけませんな。まあ、うどん屋に入ったわけじゃないのだから、蕎麦屋に入ってそばを注文して何が悪いということになるのでしょうけれど。しかし、もしあなたが「そば通」と呼ばれたいのなら、そして真の「酒飲み」と呼ばれたいのなら、カウンターに座ってまずは厨房からこちらの様子を眼光鋭くうかがういかにも頑固そうな店主の視線を浴びながらも、店の雰囲気をしばし味わうようなそぶりを見せてから、おもむろにこのように言ってみたいもの。「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」そんな古き良き時代の蕎麦屋の流儀なるものについて書かれた本を、書店で目にしたことがありました。私がまだ高校に上がったばかりのころだったでしょうか。ほぉ~、蕎麦屋とは、まず酒を飲むところだというのか。俺もやがて蕎麦屋へ入ることがあったら、そんなセリフを吐いてみたいものだと思ったものでした。・・・あれから五十年、何の因果か製麺業を営むことになった私は、その蕎麦屋へそばを納めに行っては、「毎度ありがとうございます。今日から新そばで打ってあります」などと言うことはあっても、「酒を一本つけてください。熱燗がいいでしょう」などと言ったためしが久しくなかったことに今さらながら気づき、失望に打ちひしがれています。日々仕事に追われながらも、いつかきっとそんな至高の悦楽を味わうことができる日の来ることを夢見て、「酒」と「そば」のうんちくを秘かに温めていると、驚いたことにこれはこれで楽しいではありませんか。そのささやかな楽しみの一端を披露して、世の酒好き、そば好きといわれる皆さんと喜びを分かち合うことができれば幸せと、ペンを執った次第です。「酒」と「そば」、二編に分けてご紹介していきましょう。まずは「酒」編より、人は何故酒を飲むのでしょうか?・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・第一部「酒」編「過ぎたるは及ばざるがごとし」古来より「酒は百薬の長」といいます。実にいい響きを持ったことばですな。私は常々この心地良い響きを妻に言って聞かせるのですが、妻は私にこう言うではありませんか。「あら、そういうものですか。では『過ぎたるはなお及ばざるがごとし』って、どのように響きになって?」と。このほど世界保健機関(WHO)が発表したところによると、2016年に世界で死亡した人のうち約三百万人が、飲酒関連が原因と考えられるということです。「酒は百薬の長」とも語り継がれているのに、これほど多くの人が、飲酒が原因で命を落としているということは、これはやはり飲み過ぎたから、ということになるのでしょうか。大雑把な計算になりますが、世界の人口を約七十億として、アルコールを摂取する人の数を約半数と考えれば、35億。3,000,000 ÷ 3,500,000,000 = 0.086% という計算になりますから、なんだ、酒飲みの千人のうちの一人以下じゃないかと胸を撫で下ろした愛飲家の方、多いのではないでしょうか?しかしながら、どうしても気になるのは、どれだけ飲めば「過ぎたる組」になるのかということ。WHOの定義によれば、大量機会飲酒とは純アルコール換算で60グラム以上の飲酒機会を30日に一回以上持つことと書いてあります。そこで早速調べてみました。エチルアルコールの密度は、0.789g/ml ですから、 60 ÷ 0.789 = 76 ml、ビールのアルコール度数は、概ね5%と考えれば、 76 ÷ 5% = 1,520mlビール大瓶(633ml)二本半という計算になります。同様に清酒のアルコール度数を15%として計算すると、2.8合。すなわちビールなら三本、清酒なら三合をひと月に一回でも飲む機会があれば、WHOは大量機会飲酒と定めているということになります。確かにわが国はWHOに加盟しているかもしれないが、私個人はWHOになど加盟していないと主張する人もいるでしょう。見上げた心意気と拍手喝采を送りたいところではありますが、清酒三合以上を飲んだ翌朝のことを常々経験している者からすれば、やはりそうであったかとうなだれるしかありませんね。あなたはうなだれる口ですか、それとも清酒三合ぐらいではうなだれませんと豪語する口ですか? う~む、古来より語り継がれてきたことわざ「過ぎたるはなお及ばざるがごとし」とは、なるほど深い含蓄のあることばだと認めざるを得ません。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・飲ん兵衛な製麺会社社長が綴る、クスっと笑える蘊蓄(うんちく)が満載。酒の文化や歴史、あらゆる種類の「○○そば」の由来、偉人の逸話に至るまで。世の酒好きとそば好きに贈ります。日本人たるもの、これを知らなきゃはじまらない。ぜひご一読いただければ幸いに存じます。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年12月24日
昨日食べたそば。おかめそば。手打のそば専門店に入りました。日本人なら「おかめ」を知らぬ人はいないでしょう。よしんば知らずとも、「おかめとひょっとこ」とまで言えば、あのお面のことかとお気づきになるでしょう。そばの上に乗せる食材でそのおかめの顔を描いたのが「おかめそば」というわけです。『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)には、「おかめそば」が挿絵付きで紹介されています。幕末のころ、「上野池之端に近い七軒町のはずれに太田屋という蕎麦屋があり、そこの何代目かが創案したもの」が今日に受け継がれたおかめそばだとか。蝶形に真ん中を結んだ湯葉を両の目、鼻は三つ葉(または松茸)で、蒲鉾を頬に、口は椎茸を使っておかめの顔を模すのが基本と説明してあります。時代が160年余り流れて令和の御代になって、おかめの表情も変わったのかな。私が食べたおかめそばは、湯葉が使われていませんが、それでは目は何になるのだろう?鳴門巻きが2枚やや離れた位置に乗っているのは、頬に違いない。卵焼きと海苔、それに椎茸は各々1枚づつ使ってありますが、目ならば2個でなければ数が合いませんから、鼻か口かということになりますね。そうだとすればなんともバランスの悪い顔ですな。一番わからないのは、たっぷり使ってある三つ葉。これは何を表している?まあ、この三つ葉の香りがたまらなくこのそばをおいしくしているのですから、深く追及するのはやめておきましょう。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年07月02日
温かいそばの種物で「にしんそば」があるのは、みなさんよくご存じでしょう。「にしんそば」は、かけそばの上に身欠きニシンの甘露煮をのせたものと言ってしまえば簡単そのもの。主に北海道や京都府の名物料理です。かってニシンで御殿が立ったと言われた北海道で、さかんに振舞われるというのは理解できますが、京都まで飛んでしまうのは腑に落ちかねます。しかしこれは北前船のことを思いだせば、すぐに納得できるというもの。北海道で豊富に獲れるニシンや昆布などの海産物は、北前舩に積まれて天下の台所大阪へ送られた。一方海から離れた京に住む人々は、新鮮な魚を口にする機会にはなかなか恵まれない。大阪から淀川をのぼって運ばれてくる身欠きニシンは、貴重な魚として重宝されたことは想像に難くありません。若狭から送られてくる塩サバにしても、この身欠きニシンにしても、日持ちのする塩干物。バッテラと呼ばれるサバの棒寿司や、この身欠きニシンの甘露煮には、昔の人があみ出した巧みな調理法が凝縮されているといえましょう。『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)にも、「海に縁のない京の地で、鰊に目をつけたのは知恵である」と書かれています。その『蕎麦辞典』をパラパラとめくっていると、いわゆる「〇〇そば」と呼ぶそばの食べ方が多くあるのに驚かされます。「にしん」があるのなら「うなぎ」もあっていいじゃないか。「うなぎ」があるなら「あなご」もよく似た姿かたちをしているだろう。ちょっと細くて小さくなるけれど、「どじょう」だっているぞ。「いわし」や「さんま」はどうなんだと思えて来ますよね。私は今あげた魚なら、魚として単独で食べることはよくありますよ。しかし、そばと一緒に食べたことがあるのは、「にしんそば」だけですけれど…。そこで早速調べてみました。なんと驚くことなかれ、先にあげた魚が頭につく「○○そば」すべて実在するのです。「うなぎ」と「あなご」は皆さん想像するとおり、開いた切り身を煮たり焼いたりしたものをそばに添えて、「うなぎそば」「あなごそば」と名付けた。これは比較的わかりやすい。ところが「いわし」と「さんま」は、甘辛く煮られてもいないし、焼かれてもいない。どうされているのかといえば、どちらも脂の強い魚だからよく脂抜きをして、骨を丁寧に抜いた後すりつぶしたものをそば粉に混ぜて、山芋などをつなぎにして打ったそばだというのです。種もののそばではなく、そばそのものというわけです。では「どじょう」はどうかというと、これが「どじょうくらいの太さと長さにそばを切って、味噌で煮込んだもの」というのですから、「いわし」や「さんま」以上に驚かされます。ここで皆さん、童謡「どんぐりころころ」の歌詞を思い出してください。「どじょうそば」には、魚としてのどじょうは具材としてもそばの生地にもまったく使われていませんが、味噌仕立ての汁の中から、「どじょうが出てきてこんにちは♪」となるわけです。これはいわば「すいとん」のそばバージョンということになりましょうか。味噌仕立てにしてあるところが、文字通りの"味噌"。醤油仕立てのすまし汁では、どじょうが隠れようがありませんからね。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年06月16日
いずれも江戸時代の初めころに流行り出したというそばと落語。そばが今のように細く切られて食べられようになったのは江戸時代の初めころのことなら、今のように噺家が寄席で客に機知にとんだ「落とし噺」を聞かせるようになったのも、やはり江戸時代の初めごろのことといいます。「落とし噺」だから「落語」というようになったのだと。新しいもの好きの江戸人は寄席に入って落語を楽しんだあと屋台の蕎麦屋に立ち寄って、一杯ひっかけつつそばをすするのを何よりの楽しみにしたのでしょう。落語がお好きな方はご存じでしょうが、落語にはそばが出て来る噺が多くありますね。そば道を極めるには落語についても知識を深めることが求められるのではないかと考えました。有名な「時そば」は、皆さんご存じでしょう。どうしてもそばの大食い競争の懸けに勝ちたかった大食いの清兵衛が出てくる「そば羽織」も、有名な演目ですね。今日は、もうひとつ「落語」に出て来る「そば」の話を取り上げておきましょう。「そば」が大好きという虫の話。そばを栽培していてそばの若芽が大好きという虫には出会ったことはありますがね。人間様が食べるそばが大好きという虫なんているのかと思ってしまいそうですけで、そこが落語の面白さというものでしょう。その前に普段我われが何気なく使う「虫」という漢字。地面を這ったり羽を持っていて空を飛んだりする皆さんよくご存じの「虫」のことですよ。この「虫」という漢字は、もともとは「蟲」と書くということご存じでしたでしょうか。私なんかは「虫」の複数形かと思ったくらいですが…。阿辻哲次著『遊遊漢字学(阿辻哲次著 日本経済新聞出版本部)』で、「虫」は鎌首を持ち上げたヘビをかたどった象形文字だと書かれています。すなわち「虫」は「蛇」のことだと。私たちが認識している一般に昆虫のことをさす「ムシ」は、「蟲」と書いたのだと阿辻先生は教えてくれています。文字を一目見るだけでそれが何を意味しているかたちどころに分かる表意文字漢字は、世界に類を見ない優れた文字ですが、一文字一文字に意味を持たせたがゆえに文字数が膨大な量になってしまった。また字画も多いもので二十画・三十画、中には五十画以上にも及ぶものが出現するに至った。「蟲」は「虫」を三回書かなければならない。面倒だ。そこで同じ「チュウ」と発音する「虫」と書いて間に合わせたというわけです。同じく『遊遊漢字学』で、阿辻先生は「庚申(こうしん)」という漢字を取り上げています。「庚申」とは、甲・乙・丙で始まる「十干」の七番目の「庚(かのえ)」と、十二支の「申(さる)」とが組み合わさった日のこと。旧暦で六十日に一度回ってくる。中国の道教の教えによれば、人の体内には三匹のけしからん虫が住みついていて、「庚申」の夜になると、人が眠ったあと口から抜け出して天に昇り、天帝にその人の悪口を言って、再び戻って来るのだとか。天帝に自分の悪口を告げられてはかなわないですよね。そこで昔の人はどうしたか?眠ってしまうから、よからぬ虫が動き始めるのだろう。一晩中起きていればいいじゃないかというわけで、庚申の日になると仲間たちが一堂に集まって、徹夜で飲み食いをして過ごしたというのです。そしてその集まる場所のことをやがて「庚申堂」というようになったと。また阿辻先生は、飲み食いの他に徹夜で過ごす方法について言及しておられます。言わずとも知れよう、夫婦で朝まで布団の中でしっぽり過ごすことだと。しかしこの方法は、庚申堂に一堂に会するという村の団結を乱すことになりかねないので、心しなければならないとも。なるほど、夫婦仲は良くなっても村八分にされちゃあたまらんか? あっ、夫婦仲の良し悪しを書こうとしているのではありませんでした。そば好きの「蟲」が出て来る落語があるということをお話しようとしているのでした。話を本題に戻します。おそらくこの「庚申」伝説からきているのではないかと、「故事・伝承、民族・風俗学者」(←私のことです)は睨んでいるのですが、阿辻先生のようにしっかりと資料を検証して発表なさった学説とは違いますから、まったく定かではありませんが。またまた話のオチまで言ってしまうことをお許しください。夢で変な「蟲」に出会った医者、つぶそうとすると「蟲」が口をきいた。自分は疝気の「蟲」(せんきのむし)であると。人の腹の中で暴れ、筋を引っ張って苦しめているのだが、自分は無類のそば好き。しかし唐辛子はいけない。これに触れると体が溶けて死んでしまうと。そばに唐辛子はつきもの。唐辛子が入ってきたらどうするのだと尋ねると、「蟲」はこう言ったのであった。その時は唐辛子が及ばない男のふぐり(陰嚢)に逃げ込みますと。翌朝夢から覚めた医者の元へ、疝気に苦しんでいる人から往診の依頼が入った。医者は夢で「蟲」から聞いたことを早速試めしたというのですか、まったくいい加減な医者もあったものです。疝気に苦しむ患者のお内儀に、旦那にそばの匂いをかがせながらその目の前でそばを食ベルようにと言う。疝気の蟲はそばのにおいにつられて旦那ののど元まで顔を出す。そばを食べているのがお内儀であることを知った蟲は旦那の口から飛び出して、そばを食べているお内儀の体内に飛び込んだ。たちまち苦しみ出すお内儀に、医者は唐辛子を食べろという。入ってきた唐辛子に驚いた疝気の「蟲」は、一目散に腹を下って、安全な場所へ逃れようとする。しかし女性であるお内儀の体内に逃げ場を見つけられず、そこで噺家は疝気の「蟲」になりきって、首をひねったり、キョロキョロ見まわしたり…。「お後がよろしいようで」と噺家は退場する。ふ~む、それでそばには七味唐辛子がつきものだったのか。これからは、ちょっと多めにかけようっと。いったい落語にはそばが出て来る噺はいくつくらいあるのでしょうか。そばを極めるには、どうも落語にも精通しなければならないようです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年05月04日
そばが今のように細く切られて食べられようになったのは江戸時代の初めころのこと。新しいもの好きの江戸の街で、当時そば切りと呼ばれたそばは大人気の食べ物であったとか。ではそれまでそばはどのようにして食べられていたかというと、むき実のまま煮てお粥のようにして食されていたということです。これは何といっても日本は瑞穂の国、米の影響が大きかったということでしょう。米は挽いて粉になどはせず、粒のまま煮たり炊いたりして食べますからね。そば切りが食べられるようになった当時の江戸の街で、もう一つ江戸の町民に人気があったのが落語。ご承知のように落語はオチが命。機知にとんだオチ(サゲともいう)で噺が結ばれる。オチがあるから「落とし噺」、ゆえに「落語」と呼ばれるようになったのが、やはり江戸時代の初めごろのことといいます。新しいもの好きの江戸人は寄席に入って落語を聞いたあと屋台の蕎麦屋に立ち寄って、一杯ひっかけつつそばをすするのを何よりの楽しみにしたのでしょう。落語がお好きな方はご存じでしょうが、落語にはそばが出て来る噺が多くありますね。そば道を極めるには落語についても知識を深めることが求められるのではないかと考えました。昨日は有名な「時そば」をご紹介しましたが、今日は「そば羽織」。どうしてもそばの大食い競争の懸けに勝ちたかった大食いの清兵衛が出てきます。うわばみが人を飲み込んだ後に、「蛇吟草」という野草を舐めると、たちまちのうちに膨らんだ蛇の腹がへこんだという。ひそかにその「蛇吟草」を携えて大食い競争にのぞんだ清兵衛。そばを腹いっぱい食って、その「蛇吟草」をひとなめ。またそばを食おうとすると清兵衛がたちまちのうちに消えて、そばが羽織を着て座っていたというオチ。話のオチまで書いてしまうとはなにごとだと、お叱りを頂戴しそうですが、皆さんご存じの落語だから、お許しください。でもたとえこうやって最後のオチまで書いてしまっても、文字にしてしまえば実にくだらぬ話。「ふふん」と一笑にふしてしまいそうです。しかし、これが志ん朝や談志が高座で演ずるとなると、笑いもさることながら、「う~ん」とうなったきり、しばらく席を立つことさえままならなくなる。志ん朝や談志はすでに鬼籍に入られて久しいですから、今となっては生で噺を聞くというわけにはいきません。誠に残念なことであります。いったい落語にはそばが出て来る噺はいくつくらいあるのでしょうか。落語もまた細くて長いそば同様、奥が深そうです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年05月03日
「あなたの趣味は何ですか?」と問われれば、差しさわりのないところで「読書」と答えることにしています。たまに「ほぉ~、それではどのような本をお読みになるのですか?」と畳みかけて来る人がいて往生します。そこで相手の顔をうかがい窺いながら、「歴史ものですかね。時代小説を少しばかり」と、お茶を濁す始末です。一度こんなことがありました。さらにそのあと、「時代小説ですか。どんな作家のものを読まれるのでしょう?」と三度問われ、「うっ」と息詰まってしまいました。きっとその方も時代小説の大ファンに違いないと思い、「あなたこそ誰のファンでしょう?」と問い返したら、「山岡荘八、池上正太郎、司馬遼太郎、柴田錬三郎、藤沢周平…」大御所の名をずらりとお上げになるではありませんか。誠に恐れ入った次第です。さて、そんなことがあってから、趣味は何かと聞かれれば、「スポーツ観戦。もっぱらテレビでプロ野球を」などと答えていれば無難なものを、つい粋がって「そうねぇ~、落語ですかね」などと言ってしまうものですから、今度は「ほぉ~、志ん朝ですか。圓生ですか。談志もいいですよねぇ~」と迫られることになる。ご承知のように落語はオチが命。機知にとんだオチ(サゲともいう)で噺が結ばれる。オチがあるから「落とし噺」、ゆえに「落語」と呼ばれるようになったのが、江戸時代の初めごろのことといいます。奇しくもそばが今のように江戸の街で細く切られて広く食べられるようになったのも同時代の江戸の街。新しいもの好きの江戸人は寄席に入って落語を聞いたあと屋台の蕎麦屋に立ち寄って、一杯ひっかけつつそばをすするのを何よりの楽しみにしたのでしょう。落語の演目のひとつ。誰でもご存じの「時そば」は、そこまで生活に余裕のなかった庶民の話。与太郎が出てきますね。「ひ、ふう、みぃ~、よ~、いつ、む~、なな…、おいオヤジ、今なんどきでぇ~。はい、八つで。九つ、十(と)~…」十六文と決まっていた当時の蕎麦屋の勘定を一文ごまかした。これを見ていた与太郎が、「うめぇ~ことをやりやがった。おいらも一文くすねてやろう」と真似たまではよかったが、蕎麦屋のオヤジの方が一枚上手だった。「七つ」まで調子よく読んだ与太郎。「おいオヤジ、今なんどきでぇ~」「はい四つで」すかさずオヤジが答えて、与太郎は「いつ、む~、なな…」笑いの渦の中を噺家は高座を降りていく。ご存じそばが出て来る落語の噺でした。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年05月02日
「そば」について語ろうとするとき、どうしても「二八そば」を省略することは出来ませんね。なぜ「そば」の頭に「二八」とつくのか。所説いろいろある中で、そば粉とつなぎの小麦粉の比率からきているというものと、当時のそばの値段十六文からきているというものが最も有力であろうことは、素人目に見ても容易に想像できます。そこで昨日は小麦粉とそば粉の比率説を検証してみたのですが、どうも満足のいく答えは見いだせなかった。やはり、「二八の十六文」というそばの値段説ということになるのでしょうか。検証してみました。当時の日本は世界でも類を見ない教育国。識字率も非常に高く、九九などは寺子屋に通う子供ならみなそらんじていたと言われています。仮に知らない人がいたとしても、「二八の十六文」はひじょうにごろがよい。粋がって洒落たもの言いを好んだという江戸人のことですから、そば一杯十六文とわかりきっていても、「おうっ、オヤジ、勘定はいくらでぇ~」「へい、二八の十六文で」なんて言わせて喜んでいたのでしょうね。しかし、江戸時代の『衣食住記』という文献の中に、享保年間に「神田辺にて二八即座けんどんといふ看板を出す」という記述がみられるそうですから、享保年間といえば、1716年から1736年のこと。それ以前の寛永年間では、一杯八文から十二文に移行するころであったろう。「二八」は早くても元禄年間(1688年~1704年)になってから定着したのではないかという説もあるのです。そうすれば、蕎麦屋のオヤジに勘定を問うて、「へい、二八の十六文で」と言わせるには、一杯八文のそばを二杯食べなければならないということになります。そばの値段説もまた根拠が揺らいで来るのでした。ここは不遜ながら「そば博士」と自称する私としては、揺るぎない「二八そば」の根拠を示さなければならないとしたものですが、いくら文献を探ろうとも、これだという確固たるものに出会ったためしはありません。しかし、古今「二八そば」の由来などを探ろうという人は、みな無類のそば好きであろうということだけは、間違いのないことと断言できましょう。**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月27日
「そば」について語ろうとするとき、どうしても「二八そば」を省略することは出来ませんね。なぜ「そば」の頭に「二八」とつくのか。所説いろいろある中で、そば粉とつなぎの小麦粉の比率からきているというものと、当時のそばの値段十六文からきているというものが最も有力であろうことは、素人目に見ても容易に想像できます。まず、そば粉とつなぎ粉の比率節から。『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)によれば、「つなぎに小麦粉を用いることを知ったのは、寛永年間奈良東大寺へ来た朝鮮の僧侶元珍という説がある」と書いてあります。それまでは、生粉(そば粉だけのことをさす)で打っていたと思われます。「小麦粉はそば粉よりも原価が高かったという今日とは逆の現象だったので、小麦粉の使用に考えが及ばなかったのであろう」とも書かれています。日ごろ麺の製造に携わっている私から見ても、なるほどもっともなこととうなずけます。さて寛永年間といえば、1624年から1644年までの20年間。家康が江戸に幕府を開いたのが1603年、秀忠に将軍を譲り駿府に隠居したのが1605年のこと。その秀忠のあとを受けて家光が三代将軍についたのが1623年。それから1653年までが家光の時代ですから、まさに家康から三代経て、もはや徳川に弓槍を向ける者がいなくなった時代に、広くそばが食べられるようになったことがうかがえます。需要が増加すれば供給を増やさなければならないのは、江戸時代にあっても経済の大原則。そば粉だけで打つそばは、どうしても生地がつながりにくくボソボソと切れやすい。小麦粉をつなぎに用いれば、小麦粉のグルテンの作用でしっかりとつながる生地になる。生産効率の面からも見ても理にかなった打ち方と言えるわけです。そこで小麦粉二、そば粉八の割合でそばを打つと、上手に打てる。これが「二八そば」と呼ばれる所以というわけです。ところが「二八」という文言は、そばだけに限らずうどんにも使われており、「二八うどん」というものがあったという文献も散見されるということですから、小麦粉だけを使って打つうどんのことを考えると、そば粉とつなぎ粉の比率説は、根拠を失ってしまう。やはり、「二八の十六文」の値段説ということになるのでしょうか?**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月26日
「月見そば」、「天ぷらそば」、「鴨南蛮そば」と見てきました。さらには「にしんそば」、「おかめそば」も調べてみました。こうやって見て来ると、「〇〇そば」といったそばは、そばの上にのせる具材を組み合わせた名称だということがわかりますね。ほかにどんな組み合わせのそばがあるのだろうと、調べてみました。にしんがあるならうなぎがあってもいいだろう。うなぎがあればアナゴもよく似た姿かたちをしている。少し小さくて細いけどドジョウだって馴染みのある魚ですよね。馴染みのある魚なら、イワシやサンマはどうなんだということになりませんか。私は今あげた魚なら、魚として単独で食べることはよくありますよ。しかし、そばと一緒に食べたことがあるのは、「にしんそば」だけですけれど・・・。そこで『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)を調べてみると、なんと驚くことなかれ、先にあげた魚の名前が頭につく「〇〇そば」がすべて載っています。「うなぎ」と「あなご」は皆さん想像するとおり、開いた切り身を煮たり焼いたりしたものをそばに添えて、「うなぎそば」「あなごそば」と名付けた。これは比較的わかりやすい。ところが「いわし」と「さんま」は、甘辛く煮られてもいないし、焼かれてもいない。どうされているのかといえば、どちらも脂の強い魚だからよく脂抜きをして、骨を丁寧に抜いた後すりつぶしたものをそば粉に混ぜて、山芋などをつなぎにして打ったそばだというのです。種もののそばではなく、そばそのものというわけです。そうそう、「どじょう」を忘れていましたね。「どじょうそば」とはいかなるそばかといえば、これが「どじょうくらいの太さと長さにそばを切って、味噌で煮込んだもの」というのですから、「いわし」や「さんま」以上に驚かされます。ここで皆さん、童謡「どんぐりころころ」の歌詞を思い出してください。「どじょうそば」には、魚としてのどじょうは具材としてもそばの生地にもまったく使われていませんが、味噌仕立ての汁の中から、「どじょうが出てきてこんにちは♪」となるわけです。なんとも楽しいそうなそばですね。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月16日
「月見そば」、「天ぷらそば」、「鴨南蛮そば」と見てきました。昨日は「にしんそば」も調べてみました。今日は「おかめそば」にしましょうかね。「おかめ」は古くから日本に伝わる仮面のひとつ。丸顔におちょぼ口、低い団子鼻がちょんと真ん中についていて、ふっくら膨らんだ両の頬に赤い頬紅をさしている。この仮面をそばが盛ってある丼の中で食材を用いて再現したのが「おかめそば」。『蕎麦辞典』(植原路郎著 東京堂出版)には、「おかめそば」が挿絵付きで紹介されています。目で見るとなるほど、「おかめ」とよくわかります。「蝶形に真ん中を結んだ湯葉を両の目、鼻は三つ葉(または松茸)で、蒲鉾を頬に、口は椎茸が基本」と説明してあります。幕末のころ、「上野池之端に近い七軒町のはずれに太田屋という蕎麦屋があり、そこの何代目かが創案したもの」と書かれているところをみると、「おかめそば」もまた「天ぷらそば」と同じように、比較的新しい種物のそばであることがわかります。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月10日
「月見そば」、「天ぷらそば」、「鴨南蛮そば」と見てきました。そこで今日は「にしんそば」。「にしんそば」は、かけそばの上に身欠きニシンの甘露煮をのせたものと言ってしまえば簡単そのもの。主に北海道や京都府の名物料理です。かってニシンで御殿が立ったと言われた北海道で、さかんに振舞われるというのは理解できますが、京都まで飛んでしまうのは腑に落ちかねます。しかしこれは北前船のことを思いだせば、すぐに納得できるというもの。北海道で豊富に獲れるニシンや昆布などの海産物は、北前舩に積まれて天下の台所大阪へ送られた。一方海から離れた京に住む人々は、新鮮な魚を口にする機会にはなかなか恵まれない。大阪から淀川をのぼって運ばれてくる身欠きニシンは、貴重な魚として重宝されたことは想像に難くありません。若狭から送られてくる塩サバにしても、この身欠きニシンにしても、日持ちのする塩干物。これを上手に使ったことがうかがえます。これらを利用したバッテラと呼ばれるサバの棒寿司や、この身欠きニシンの甘露煮には、昔の人があみ出した巧みな調理法が凝縮されているといえましょう。「蕎麦辞典 (東京堂出版 植原路郎/著)にも「海に縁のない京の地で、鰊に目をつけたのは知恵である」と書かれています。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月09日
蕎麦屋のお品書きから、「天ぷらそば」と「月見そば」を取り上げました。さて、今日は「鴨南蛮そば」。動物の肉を食べることを嫌った当時の人たちも、鳥肉となると話は別。キジ、ヤマドリ、ツグミ、カモ等は好んで食べた。ツルまでも食されたというのですから、現代の我われからすればちょっと信じ難いですね。もっともツルの肉は、鳥の中でも最高級の食べ物とされ、吸い物にして将軍に献じられたといいます。どうも口にできた人は限られていたようです。そこで鴨肉をそばと一緒に食べようというのはわかるとしても、そのあとに続く「南蛮」てなに?と、首を傾げる方多いのではないでしょうか。私らは子どものころ、大人がトウガラシのことを「ナンバ」と呼んでいたのを聞いて育ちましたから、蕎麦屋でそばに入れる七味唐辛子のことを「ナンバ(南蛮)」というのだろうと自分なりに解釈し、一人合点をしていました。でもよくよく考えてみればちょっとおかしいな。七味唐辛子をかけるのは、別段「鴨南蛮そば」に限ったことではない。「かけそば」にだってかけるだろうと、思い直してみたりしたものでした。結論から言いますと、少年(←私のことです)が想像した「トウガラシ」は、あながち間違ってはいなかった。唐辛子もそうですがネギも当時南蛮と呼ばれた南方より伝来した食べ物となる植物。「鴨南蛮そば」には、適当な長さに切って素焼きにしたネギが数本入っていますよね。う~む、昔の人は洒落ていますね。ネギを南蛮と呼ばせて、甘辛く煮た鴨肉と一緒にそばに添えた。「鴨焼ネギそば」なんていわれた日には、ちっとも美味しそうに響きませんから不思議です。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月08日
昨日は蕎麦屋のお品書きから「月見そば」を取り上げました。今日は「天ぷらそば」。私は時の宰相がもはや戦後ではないと言い、この国が高度経済成長の坂をいっきに駆け昇ろうとしていたころ小学校に通った世代ですが、そのころ日本にやって来た外国人は、皆「フジヤマ、テンプラ、ゲイシャガール」と口を揃えて言ったものです。今は「ソバ、スシ、アニメマンガ」になるのだそうですが、アニメマンガはさておき、寿司やそばをおいしいと思ってくれるのは、うれしい限りです。あっ、話題がそれてしまいました。外国人が日本と聞けば何を連想するかを取り上げているのではありませんでした。蕎麦屋のお品書きについて調べているのでした。話を「天ぷらそば」に戻します。さて日本と聞けば「天ぷら」と外国人が答えるように、天ぷらは日本独特の食べ物に違いありません。しかし、その歴史をたどると、意外に新しい食べ物であることがわかります。天ぷらが食べられるようになったのは、江戸時代になってから。家康が鷹狩に出た折の昼食に、当時上方(大阪)で流行り出した天ぷらを食べたという記録が残っています。ちなみにこの時に家康が食べた天ぷらは鯛を揚げたもの。あまりの美味しさにあの家康としたことが食べ過ぎて腹を下し、それから床につきがちの生活を余儀なくされたということです。ところでそばが今日のように細く切られて食べられるようになったのも、江戸時代の始めころのこと。当時は「そば切り」と呼ばれ、江戸の街で大流行したそうです。「そば」と「天ぷら」、奇しくも千両役者二人がそろって舞台に上がって脚光を浴びたかのようではありませんか。しかし、あくまでそばはそば、天ぷらは天ぷらというように、別々に食べられていた。なぜかと言えば、当時の蕎麦屋にしても天ぷら屋にしても、店は屋台を担いでの出店。屋台の限られたスペースで、そばをゆでてだしを取り、別の七輪の火で天ぷらも揚げて、それに酒をくれなんていう客には、酒の燗もつけなければならない。おやじひとりで切り盛りする屋台の蕎麦屋では、とてもできない相談というわけです。ですから、天ぷらそばが食べられるようになったのは、蕎麦屋が店舗を構えて商いをするようになってからのこと。江戸時代の終わりころのことといいますから、「天ぷらそば」は、そばの中でもずいぶん新しい食べ物ということになるのです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月06日
読者の皆さんにお尋ねします。貴方は普段どんなそばをお召し上がりになりますか。そんなこと急に聞かれてもですって。ごもっとも。それでは蕎麦屋のお品書きをざっと書き出してみましょうか。天ぷらそば、月見そば、たぬきそば、きつねそば、とろろそば、おろしそば、鴨南蛮そば、おかめそば、にしんそば…。こうやって書き出してみると、すべて「〇〇そば」となっていることがわかります。たいがい「〇〇」の部分が、そばに添えられている食材からつけられているということになりますが、「天ぷら」、「とろろ」、「おろし」、「にしん」というのは、そのものずばりの食材名だからわかるとしても、「月見」、「たぬき」、「きつね」、「鴨南蛮」、「おかめ」ってなによ…てなことになりませんか?まず私にも比較的簡単に説明できそうな「月見」から。そばの上に卵をパッカリと割って落としたもの。卵の黄身を月、白身を雲に見立てたというわけです。アツアツのそばの上に落された卵の白身のたんぱく質が熱により白く変色して、いかにも月を隠そうとする叢雲のように見える。「月に叢雲、花に風」のたとえをそばをすすりながら味わおうなんて、いかにも日本人らしい。粋ですねぇ~。そばは日本独特の食べ物ですから考えられないことでしょうけれど、もし欧米だったとしたら、「hot soup soba with raw egg」なんて書いてしまうんでしょうね。「オーッ、ノー! ローエッグ!」なんて言ってほしくありません。興醒めです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村FC2ブログランキング人気ブログランキングPINGOO! ノンジャンル
2022年04月05日
12月にはそばを召し上がる機会が多いと思います。そば屋としては、「年越しそば」と「討ち入りそば」はぜひ召し上がって欲しいものです。もう一つ「〇〇そば」といえば、「引っ越しそば」を思い浮かべる方多いのじゃないでしょうか。ところがこの「引っ越しそば」、耳にしたことはあっても実際に食べたことがあるという方は、私も含めて少ないと思っていましたが・・・。ウエブトピックスより、「引っ越しそば」の大誤解 「新居で食べるそば」は間違い・・・なになに、「引っ越しそば」って転居先の新しい住まいで食べるものだというふうに勘違いしている人が多いですって。リサーチ会社が実施した調査によれば、「引っ越しして新しい家で引っ越し蕎麦食べた」とか、「予定どおり引っ越しを終え、早めの夕飯は『引っ越しそば』」のように、引っ越しをする本人とその家族が「転居先で食べるそば」のことだと勘違いしている人が半数近く(48.9%)もいるということです。まったく困ったものですな。それでは私が講釈をたれるとしましょうか・・・。そもそもそばが今のように長く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めのこと。それまではそばのむき実をそのまま煮ておかゆ(そばがゆ)のようにして食べたり、粉に挽いたとしても水でこねて団子(そばがき)のようにして食べたと言われています。そばの新しい食べ方は、当時の江戸でそば切りと呼ばれ、その安さと相まって大流行したのだそうです。江戸時代中期になると、そのそばを引っ越し先の隣近所に挨拶がわりに配るという風習が流行り出し、これが「引っ越しそば」の始まりというわけ。そう、「引っ越しそば」は配るものであって、転居先で食べるものではないからです。ところが現代では自分の住むマンションの隣の住人の顔さえ知らぬ人が多くいるということですから、「引っ越しそば」は隣近所に配るものから自分で食うものに変わってしまったというのも、あながちわからぬでもありません。「お側(そば)にやってきました」、「細く長いお付き合いをお願いします」といった意味を込めた粋な江戸の町民の風習が、こうやって忘れ去られていくのはさみしい限り。そばという伝統的な食べ物に従事する者としては、ため息しか出て来ませんな。しかし、「転居した際、その近隣に近づきのしるしに配るそば」であったものが、「新しい転居先で食べるもの」に変わったにせよ、まあ、そばを食べてくれる人がいることに変わりはないというもの。これはこれでそば屋にとっては有難いことだと、現金な考えを巡らしたりもしています。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年12月29日
今年も残すところ今日を入れて6日となりました。何となく気忙しい思いがするのは、今年一年やり残したことがあまりにも多いからでしょうか?私はそば屋ですから、そば屋はこれからが稼ぎ時。残された6日間、ただ気忙しい思いだけで過ぎてしまっては悲惨です。これから大晦日まで、文字通り肉体的にも忙しくてこそ実入りもあり商売も成り立つというもの。皆さん、年越しそばはお食べになられますでしょう?・・・ナニ、食べないですと!?お食べにならないと、年が越せませんぞ。(笑!日本に古くから伝わる良き伝統・年越しそば。大晦日にどうしてそばを食べるようになったかと言いますと、いろいろ諸説があるようですが・・・。そばのように、長く(永く)健康でありますようにという意味を込めて食べるようになったとか。金座の金粉や細工かすを集めるのに、練ったそばを用いたことから、そばは金を集めるという意味で、縁起を担いだのだという節。文字通り何かと気ぜわしい年の瀬で、体調を崩しそうになっても、そばは消化もよく、食べやすく、しかもそばの薬効成分が体調を整えてくれるからだとか。皆さん、ぜひ年越しそばを召し上がられて、新しい年をお迎えください。蛇足ながら、年越しそばは一杯と限ったものではありません。何杯お食べになられてもいいのです。(笑!たくさん召し上がられたからといって、食べた分多く齢をとるということも決してありませんから、ご安心を。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年12月26日
現代に生きる我々が使用する暦は、地球が太陽の周りを回る日数をもとに算出された太陽暦(グレゴリオ暦)であることはご承知の通り。古の昔より千年以上用いてきた太陰暦から現在の太陽暦に変えたのが、明治5年のことでした。1872年(明治5年)11月9日、当時の明治政府は、この年の12月3日を1873(明治6)年1月1日とすることを発表し、闇雲ともいえるほどに改暦を急いだ経緯について、ものの本で読んだことがあります。近代国家の建設と世界から文明国家と認知されるには、太陽暦の採用は必然だったことは言うまでもありませんが、当時鉄道の開業、学制や徴兵令発布などさまざまな改革の実施により、明治政府の財政は破綻寸前に追い込まれており、このことが改暦までの期間が僅か23日という突然の実施につながったというのです。旧暦では明治6年は閏の年(閏月を間に挟み、1年を13ヶ月とする)にあたり、改暦することによりこの1ヶ月と明治5年の12月の1ヶ月、都合2か月分の人件費をはじめとする政府予算を節約できると、当時の参議大蔵卿であった大隈重信が考えたことがそもそもの発端だったというのは耳に新しいことです。月の満ち欠けを基準とした太陰暦で生活してきた庶民は、突然の太陽暦採用により大混乱したのは言わずもがな。大陰暦だと毎月1日と月末は新月、15日が満月、その間を月が満ち欠けすると決まっていた。「晦日(30日)に月が出る」とは、当時絶対にありえないことをいったたとえですが、庶民は「晦日に月がいづれば、玉子の四角もあるべし」と嘆いたということです。その旧暦と新暦のズレは、現代の我々の生活にも及んでいるのは、皆さんご承知のことですね。未だに旧暦で正月を祝う地方もあるようですが、毎年帰省客で交通が混乱する8月15日を挟むお盆休暇は、依然旧暦のままです。年賀状に「初春のお慶びを申し上げます」と書いたりするのも、考えれば不自然と言えそうです。ところで12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入って、主君浅野内匠頭の無念を晴らした日。赤穂藩があった地元兵庫県赤穂市では、毎年12月14日には義士祭が執り行われて、師走の風物詩にもなっているそうですが、1702年(元禄15年)12月14日は、現代の暦に換算すると、翌年1703年1月30日となるそうです。赤穂浪士の討ち入りが、正月気分も抜けた30日に行われたなんて言われても、何だかピンと来ませんね。私は過ぐる14日、赤穂の義士を偲んで「討ち入りそば」をすすったのでしたが、そうすれば年が明けての1月も終わりの30日に、再びそばを食べなければなりませんね。もちろん大晦日には年越しそばは欠かせませんから、12月と1月は晦日に合わせてそばをすするということになりましょうか。・・・そば好きでよかったなあ。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年12月24日
そば湯はなぜ飲まれるのか?そのまえにそばとうどんの違いについてみていきましょう。原料となるそば粉と小麦粉の栄養成分の違いについて書かれた資料(日穀製粉(株)研究室の資料です)によれば、含まれるたんぱく質が大きく異なっており、それがうどんとそばの性質を大きく違わせているということがわかります。そば粉と小麦粉のたんぱく質の違いタンパク成分 そば粉小麦粉 備 考 アルブミン 12.1%11.1%水 溶 性グロブリン 53.8% 3.4%塩可溶性グルテニン 21.6%13.6%○ プロラミン 11.3% - - 低分子 - 5.3% - グリアジン - 33.3% ○ 残渣タンパク質 - 33.4% - 小麦粉の主たるタンパク質は分子が大きく、これを水と練り合わせると、○印のグリアジンとグルテニンが水和することにより、グルテンを形成してさらに大きな分子になるのです。このグルテンは麩質と呼ばれ、うどんやラーメンのおいしい食感にはなくてはならないものなのです。そう、うどんのコシは、このグルテンが決め手になるのです。一方そば粉に含まれるタンパク質は比較的低分子で、表からも分かるとおり水に溶けやすいのです。また、グリアジンが含まれないので、水と捏ね上げてもグルテンが形成されないので生地がつながりにくい。それでつなぎに小麦粉を使って、そばを打つということが編みだされたのです。これが、二八そばとか五割そばとかいわれる所以なのです。十割そばというのは、この水溶性のタンパク質とでんぷん質をうまく糊状にまとめて捏ね上げて打つ方法で、余程の職人さんの打ちたて、茹でたてを食べない限り、やはり細かく切れやすい。さて、そば湯に戻りましょう。そば屋ではそばを食べ終わったころにそば湯がだされますが、うどん屋でうどん湯がだされたという記憶などありませんよね。なぜか?これも先にあげた成分表をみれば一目瞭然ですね。そばに含まれる良質のタンパク質や栄養成分が、ゆでるときにゆで湯の中に溶け出すので、蕎麦を食べたあとに、だし汁をそば湯で割っていただくという知恵がそば湯というわけ。そば通の中には、蕎麦よりこのそば湯がお目当てという方がいらっしゃるというのですからね。昔の人は、エライですね。このようなことを理屈抜きで経験で学び、生活の中に取り入れていたのですから。しかもそれが面々と今日まで受け継がれて来ているのですから、この文化を継承せずば、昔の人に叱られようというものです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年10月14日
皆さんは、忌み言葉ということをご存知でしょうか。私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。分かりやすい例をあげれば、歴代の天皇のことを当時の人はどのように呼んだのか?その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのです。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであったと井沢さんは言っておられます。・・・ナルホド、NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。また憤死など非業の死を余儀なくされた人物の祟りを非常に恐れたゆえに、社(やしろ)を造り神と崇め、その人物の霊を鎮めようとしたと。菅原道真を祀る北野天満宮しかり、古くは出雲大社の巨大な社殿しかり。靖国問題をヒステリックなほどに騒ぎ立てる中国と韓国の指導者は、2000年もの昔から培ってきた来た日本人固有の祟りを恐れ、汚れを忌み嫌う文化を正しく理解しているとは思えません。さて前書きが長くなりました。「蕎麦考」(永友 大 著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんはさぞかし驚かれることでしょう。その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない、ってなことにきっとなるんでしょう。では、どう呼んだか?幸いそばの葉の形が葵の葉に似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、う~んと唸ったきり、言葉を失います。ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。さて、果たして本当に "お上" は、「みは葵粥を所望じゃ・・・」などとおっしゃたのでしょうか?一方、今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めといいますから、江戸は将軍の街、町人は誰にはばかることなく気軽に「おぉ~ぅ!そば食っていきなっ!!」「そいつはありがてぇ~!ごちになっていくぜぃ~!!」なんて言ったんでしょうね。下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を上げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。 ◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2020年02月11日
今年も残すところ今日を入れて6日となりました。何となく気忙しい思いがするのは、今年一年やり残したことがあまりにも多いからでしょうか?私はそば屋ですから、そば屋はこれからが稼ぎ時。残された5日間、ただ気忙しい思いだけで過ぎてしまっては悲惨です。これから大晦日まで、文字通り肉体的に忙しくなくては商売が成り立ちません。皆さん、年越しそばはお食べになられますでしょう?・・・ナニ、食べないですと!?お食べにならないと、年が越せませんぞ。(笑!日本に古くから伝わる良き伝統・年越しそば。大晦日にどうしてそばを食べるようになったかと言いますと、いろいろ諸説があるようですが・・・。そばのように、長く(永く)健康でありますようにという意味を込めて食べるようになったとか。金座の金粉や細工かすを集めるのに、練ったそばを用いたことから、そばは金を集めるという意味で、縁起を担いだのだという節。文字通り何かと気ぜわしい年の瀬で、体調を崩しそうになっても、そばは消化もよく、食べやすく、しかもそばの薬効成分が体調を整えてくれるからだとか。皆さん、ぜひ年越しそばを召し上がられて、新しい年をお迎えください。蛇足ながら、年越しそばは一杯と限ったものではありません。何杯お食べになられてもいいのです。(笑!たくさん召し上がられたからといって、食べた分多く齢をとるということも決してありませんから、ご安心を。(爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年12月26日
年度末が迫った2月下旬から3月下旬にかけてのこの時期、トラックのレンタルの繁忙期だということご存じだったでしょうか?実は所有する2トントラックが1台故障してしまい、予備車を使用して何とか回していたのですが、出荷量が増える週末に対応しきれなくなり、レンタカー会社に問い合わせしてみたのでしたが。どの会社に聞いても答えは同じ。・・・もともとトラックなどの商用車は数が少ないうえに、この引っ越しシーズンはすべて予約で埋まっています。週末は特に空きはございませんという返事。中には引っ越しの専門業者が3月1か月間全て押さえてしまっているというところまでありました。・・・なるほど年度末の職場移動や学生さんの荷物運び、この時期が引っ越しの季節だということ、改めて実感した次第です。ところで皆さんは、引っ越しと聞けば何を思い浮かべられますか?そば屋としては、「引っ越しそば」と即答していただきたいもの。(笑!ウエブトピックスより、「引っ越しそば」の大誤解 「新居で食べるそば」は間違い・・・なになに、「引っ越しそば」って転居先の新しい住まいで食べるものだというふうに勘違いしている人が多いですって。リサーチ会社が実施した調査によれば、「引っ越しして新しい家で引っ越し蕎麦食べた」とか、「予定どおり引っ越しを終え、早めの夕飯は『引っ越しそば』」のように、引っ越しをする本人とその家族が「転居先で食べるそば」のことだと勘違いしている人が半数近く(48.9%)もいるということです。まったく困ったものですな。それでは私が講釈をたれるとしましょうか・・・。そもそもそばが今のように長く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めのこと。それまではそばのむき実をそのまま煮ておかゆ(そばがゆ)のようにして食べたり、粉に挽いたとしても水でこねて団子(そばがき)のようにして食べたと言われています。そばの新しい食べ方は、当時の江戸でそば切りと呼ばれ、その安さと相まって大流行したのだそうです。江戸時代中期になると、そのそばを引っ越し先の隣近所に挨拶がわりに配るという風習が流行り出し、これが「引っ越しそば」の始まりというわけ。現代では自分の住むマンションの隣の住人の顔さえ知らぬ人が多くいるということですから、「引っ越しそば」は隣近所に配るものから、自分で食うものに変わってしまったというのもあながちわからぬでもありません。「お側(そば)にやってきました」、「細く長いお付き合いをお願いします」といった意味を込めた粋な江戸の町民の風習が、こうやって忘れ去られていくのはさみしい限り。そばという伝統的な食べ物に従事する者としては、ため息しか出て来ませんな。しかし、「転居した際、その近隣に近づきのしるしに配るそば」であったものが、「新しい転居先で食べるもの」に変わったにせよ、まあ、そばを食べてくれる人がいることに変わりはないというもの。これはこれで有難いことだと、現金な考えを巡らしたりもしています。(苦笑!さて「引っ越しそば」はよしとして、トラックはどうしたらいいものやら。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2018年02月27日
うどんやそばに欠かせぬ具材といえば、ネギ。ネギがお嫌いな方は当然「ネギ抜きで」などとおっしゃるのでしょうが、私に言わせればネギ抜きのうどんやそばは、もはやうどんでもそばでもありませんね。そのネギですが、皆さんの地域ではネギの白い部分を食べますか、それとも青い部分を食べますか、あるいは両方でしょうか?麺類の薬味ということであれば、一般に東日本は「白ネギ」、西日本は「青ネギ」といわれていますが、それでは東西の境界はどこにあるのか?白ネギ、青ネギの不思議な地域分布を探ると、それぞれの地域の風土に根付いた食文化の違いが垣間見れて、ひじょうに面白いですね。ウエブトピックスより、東西対決の境界は? 白・青ねぎの分布の謎同時に配信されている地図に引かれた境界線は、まさしく私の住んでいる地域(富山県高岡市)の上を走っています。東へ行けば白ネギ、西へ行けば青ネギということですが、当地では概ね白7割、青3割で混ざった刻みネギを使用しているようです。過日大阪で食べたうどんのネギが100%青ネギだったことに違和感を覚えたところをみれば、私の感覚は関東ということになるのかも知れません。それに加えて出汁に使われる醤油の色(濃い口か薄口か)と、何をベースに出汁をとるか(昆布か鰹節か)も考慮すると、この東西の境界線が微妙に入り組んで複雑になるようですが、当地に限って言えば、ネギは白青混合、出汁も昆布と鰹節混合、出汁の色も東京のように濃くはないけど、京都、大阪のように薄くはないという、文字通り東西の中間ということになります。どうしてこのような結果になるのか?やはり東西の文化の中間点だからということなのでしょうか。皆さんの地方では、どのような出汁をお使いか?昆布、鰹節?アゴ出汁というのもあるようですが・・・。出汁の色は薄口、濃い口?そしてネギは白、青、あるいは混合?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年11月23日
ウエブトピックスより、「引っ越しそば」の大誤解 「新居で食べるそば」は間違い・・・なになに、「引っ越しそば」って転居先の新しい住まいで食べるものだというふうに勘違いしている人が多いですって。リサーチ会社が実施した調査によれば、「引っ越しして新しい家で引っ越し蕎麦食べた」とか、「予定どおり引っ越しを終え、早めの夕飯は『引っ越しそば』」のように、引っ越しをする本人とその家族が「転居先で食べるそば」のことだと勘違いしている人が半数近く(48.9%)もいるということです。まったく困ったものですな。それでは私が講釈をたれるとしましょうか・・・。そもそもそばが今のように長く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めのこと。それまではそばのむき実をそのまま煮ておかゆ(そばがゆ)のようにして食べたり、粉に挽いたとしても水でこねて団子(そばがき)のようにして食べたと言われています。そばの新しい食べ方は、当時の江戸でそば切りと呼ばれ、その安さと相まって大流行したのだそうです。江戸時代中期になると、そのそばを引っ越し先の隣近所に挨拶がわりに配るという風習が流行り出し、これが「引っ越しそば」の始まりというわけ。現代では自分の住むマンションの隣の住人の顔さえ知らぬ人が多くいるということですから、「引っ越しそば」は隣近所に配るものから、自分で食うものに変わってしまったというのもあながちわからぬでもありません。「お側(そば)にやってきました」、「細く長いお付き合いをお願いします」といった意味を込めた粋な江戸の町民の風習が、こうやって忘れ去られていくのはさみしい限り。そばという伝統的な食べ物に従事する者としては、ため息しか出て来ませんな。しかし、「転居した際、その近隣に近づきのしるしに配るそば」であったものが、「新しい転居先で食べるもの」に変わったにせよ、まあ、そばを食べてくれる人がいることに変わりはないというもの。これはこれで有難いことだと、現金な考えを巡らしたりもしています。(苦笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2017年03月25日
そばとうどんはどこが違うのか?そんなもの、そばはそば粉で、うどんは小麦粉(うどん粉)で作るに決まっているじゃないか。ではそば粉と小麦粉は、どう違うか?・・・色が違うでしょう。じゃあ、色以外でどこが違っているのだろう?そば屋ではそば湯を出してくれるが、うどん屋で"うどん湯"を出してくれるということないでしょ。だんだん怪しげな答えになってきましたね。というわけで、そば粉の栄養成分のうち特にタンパク組成について、小麦粉のそれと比較した資料が手許に入りましたので、これを基にしてご説明したいと思います。〔日穀製粉(株)研究室の資料です]そば粉と小麦粉のたんぱく質の違いタンパク成分 そば粉小麦粉 備 考 アルブミン 12.1%11.1%水 溶 性グロブリン 53.8% 3.4%塩可溶性グルテニン 21.6%13.6%○ プロラミン 11.3% - - 低分子 - 5.3% - グリアジン - 33.3% ○ 残渣タンパク質 - 33.4% - 小麦粉の主たるタンパク質は分子が大きく、これを水と練り合わせると、○印のグリアジンとグルテニンが水和することにより、グルテンを形成してさらに大きな分子になるのです。このグルテンは麩質と呼ばれ、うどんやラーメンのおいしい食感にはなくてはならないものなのです。そう、うどんのコシは、このグルテンが決め手になるのです。一方そば粉に含まれるタンパク質は比較的低分子で、表からも分かるとおり水に溶けやすいのです。また、グリアジンが含まれないので、水と捏ね上げてもグルテンが形成されないので生地がつながりにくい。それでつなぎに小麦粉を使って、そばを打つということが編みだされたのです。これが、二八そばとか五割そばとかいわれる所以なのです。十割そばというのは、この水溶性のタンパク質とでんぷん質をうまく糊状にまとめて捏ね上げて打つ方法で、余程の職人さんの打ちたて、茹でたてを食べない限り、やはり細かく切れやすいのです。さて、話をそば湯に戻します。もう、お分かりですね。せっかくの良質のタンパク質や栄養成分が、ゆで湯の中に溶け出すので、蕎麦を食べたあとに、だし汁をそば湯で割っていただくという知恵です。そば通の中には、蕎麦よりこのそば湯がお目当てという方がいらっしゃるというのですからね。昔の人は、エライですね。このようなことを理屈抜きで経験で感じ取って、生活の中に取り入れていたのですから。しかもそれが面々と今日まで受け継がれて来ているのですから、この文化を継承せずば、昔の人に叱られようというものです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2016年10月26日
久しぶりにそばの雑学。まずは私が栽培したそばの写真を見ていただきたいと思います。これは8月のお盆過ぎに種を蒔いてから二月あまり経ったころ撮ったものです。ごらんのとおり、そばの茎はずいぶん曲がりくねっていますね。まるで地を這うかのようです。それと茎の根元が赤みを帯びてるのがわかります。そばは「そば75日」という言葉があるように、種を蒔いてから発芽も成長もたいへん早い植物で、この鉢植えのそばもすでに茎の先につけた花はすっかり枯れてその根元が黒く結実し始めています。私の観察したところによれば、結実が進むにしたがって茎の根元はますます赤みを増すようです。そばの産地ではこれをそばの「赤すね」と呼び、このような神秘的な民話が伝わっています。そば粉の製造メーカー日穀製粉のホームページに九州宮崎地方の民話が紹介されていました。昔「むぎ」と「そば」の姉妹がおった。冬の寒い日、老婆が「川を背負って渡してくれ」と頼んだが「むぎ」は断り「そば」一人で渡したそうな。「そば」の足は冷たい水で真っ赤になり今も茎が赤いんじゃ。これを見た神様は「そば」を夏の太陽ですくすく育つようにしてくれたが「むぎ」は冬に踏まれるものにしてしまったとさ。 古来よりこの国の民は米を主食として栽培してきましたが、米や麦と違って収量はそれほど見込めなくとも、荒れてやせた土地でもよく根つき、手間暇をかけなくても実を結ぶ作物として農家で重宝がられてきのがそばでした。冷害や台風による洪水で米の収穫が見込めない年、山間の荒れた土地に蒔いておいたそばがどれほどこの国の民を救って来たことか。そんな辛抱強さがよく似合うそばなればこそ、そばの「赤すね」の民話が今日まで語り継がれてきたのでしょう。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2016年10月19日
商売敵のことを書くのは少々しゃくなのですが、そばやうどんがそれだけ広く食べられて麺好きが多くなれば、私どもにもおこぼれが回ろうというもの。商売敵とは「マ○ちゃん」で有名な某大手食品メーカーのこと。武田鉄也のコマーシャルをご覧になった方いらっしゃるでしょう。武田鉄也はコマーシャルでこう歌っていますね。「赤~いキツネに、緑のたぬき♪」と。赤いキツネはお揚げが入ったうどん。緑のたぬきはかき揚げが入ったそば。私なんかは単純に不思議に思ってしまうのです。何色になるのかは分かりませんが、「どうしてお揚げが入ったそばがないのか?」「かき揚げが入ったうどんが食いたいときはどうする?」と。さて、このキツネとたぬきの二匹の動物とうどんとそばにのせるネタについて、落語家の林家木久蔵(当時、今は木久扇)さんがお書きになった『昭和下町人情ばなし』(日本放送出版協会)に、おもしろいことが書かれておりました。木久蔵さんのお師匠さん・先代の林家正蔵さん(今の正蔵さんは、林家三平さんのご長男のこぶ平さんがお継ぎになられましたね)が、天ぷらの揚げカスの噺だけで20分くらいしゃべったという思い出話。「たぬきそばってものがありますが、蕎麦の上にのってる天カスも、いいネタを揚げた油カスだったら、なんとも言えなく旨いですが・・・。ついでに申し上げますが、たぬきそばのたぬきは、キツネ・たぬきのたぬきじゃなくて、衣ばかりのカスだから"たね・ぬき"っていう意味で、これを縮めた江戸弁でして・・・」ほぉ~、中身の入っていない衣だけの「たねぬき」が元で、それが変じて「たぬき」になったと。『蕎麦屋のしきたり』(藤村和夫著 日本放送出版協会)には、昭和25年ごろのこと、「室町の砂場」さんで、「仕舞い蕎麦(看板にしてから、従業員が皆で食べるそばのこと)の時に、もり汁の中に「揚げかす」を入れており、これはこれでおいしいのですが、まさかお客様に「天かす」を差し上げるわけにはいかない。(まだその頃には、「ばくだん」とか「たぬき」はあちこちで売り出されていませんでした。そこで「砂場」さんでは、天ぷらをかき揚げにして、天もりと称してお出ししたと・・・・云々。このように書かれておりました。そうすると、たぬきは昭和になってから、現れたのでしょうか?大正、明治もさることながら、天ぷらが食べられるようになったのは、そばと同じ江戸時代の初めころですからね。家康の死因は、鷹狩の合い間に当時上方で流行だした天ぷら、しかも鯛の天ぷらを食べ過ぎたのが、原因と言われておりますね。もっとも、家康は消化器系のがんを患って、その頃にはもう末期であったから、天ぷらが直接の原因ではないという書物もあり、どうもこちらの方が真実のようですが。何事も無駄にせず、万事リサイクルを徹底していた江戸人は、天ぷらを揚げるときにでる天かすは捨てていたのでしょうか?とっておいてそばやうどんに入れて食べたのでしょうか?私の想像するに、あくまで蕎麦屋は蕎麦屋、天ぷら屋は天ぷら屋で、横のつながりはなかったと思われます。それもどちらも屋台を担いでの出店が主流で、店を構えての蕎麦屋は、江戸時代の終わりころになって、ようやく出現したといいますから、そば屋にたぬきは出ようがなかったのかも知れません。さて、ここまで書いてくればもうお気づきでしょうが、今まで書いてきたことは先代の正蔵師匠にしろ砂場さんにしろ東京の話ですね。大阪へ行くとキツネとたぬきの事情が少々違って来るから話がややこしくなる。実のところ私は、てっきり甘辛く煮てあるうす揚げが入っていると「キツネ」と称し、天ぷらを揚げた時にでる天かす(揚げ玉)が入っていると「たぬき」というものとばかり思っておりました。つまり東京に限らず、うどんでもそばでも「キツネ」もあれば「たぬき」もあると思っていたのです。私自身いまだに少々混乱しておりますので、整理させていただきたいと思います。つまり東京ではこうですね。[うどん] [そば] (いなり) キツネうどんキツネそば(天かす) たぬきうどんたぬきそばところが、大阪へ行くと、「キツネ」といえば、きつねうどん。「たぬき」といえば、いなりの入ったそば。天かすが入ると、うどんでもそばでも「ハイカラ」と頭につく。[うどん] [そば] (いなり) キツネたぬき(天かす) ハイカラうどんハイカラそば私は富山県の高岡市に住んでいるのですが、地理的には北に寄っているとはいうものの丁度関東・関西の真ん中あたりになります。東京へも京都・大阪へもJRを利用して3時間余りで行くことができますね。そうしますと、キツネとたぬきの名前の化かし合いの件は、当地は東にくみすることになるのでしょうか?少なくとも「ハイカラ」うどんやそばなんていう呼び名、聞いたためしはありませんけれど・・・。だしもどちらかというと濃い口の関東風になりますが、同じ富山県の中でも高岡市のようにやや西寄りに位置するところは、だしの色も富山市と比べるとはっきりと薄いです。これがお隣の金沢へ参りますと、極端に薄口の京風を思わせるだしになってしまいます。さらにだしのとり方では、「東の鰹節、西の昆布」といいますが、当地では鰹節と昆布両方混ぜただしのとり方をします。中間ということになるのでしょうか?皆さんのお住まいの地方では、どんな具をのせてそばやうどんを食べますか?そしてそれを何と呼んでいますか?だしは何からとるでしょう?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2016年07月22日
皆さん、「生そば」と書けば、何とお読みになられますか?なまそば・・・・正解!きそば・・・・こちらも正解!そばに限らず、麺は、茹でて食べる食品ですから、その麺の状態で大きく分けて、A 生(なま)麺、B 乾麺(かんめん)、C ゆで麺に分類されますね。Cは、便利ですね。もう茹でてあるのですから、うどんにしてもそばにしても、さっと湯がいて熱いだしがあれば、直ぐ食べれますね。A・Bを茹でたものがCということになりますね。そして、Aを乾燥したものがBということになりますね。ですから、「生(なま)そば」といえば打って切り出した状態のそばを指すことになります。では、「生(き)そば」こちらの方は、いろいろ諸説あるところなのですが、一般にはそば粉100%のそばを指すということです。つなぎの小麦粉を用いないとどうしてもつながりが悪く、ぼそぼそと切れやすい麺になります。このため江戸時代の初めごろの「生(き)そば」は、蒸籠(せいろ)でいったん蒸してから茹でたといいます。これが蒸籠もりとして今も残っているのです。お蕎麦屋さんの暖簾の定番というと、この「生(き)そば」と言う文字と決まっておりますね。写真の暖簾は東京上野池之端の蕎麦屋蓮玉庵さんの暖簾。老舗の暖簾ともなれば、風にはためく姿も風情の違いを感じさせるものですな。さて今日では、つなぎ粉も吟味し加え方を工夫して、手ごねの仕方などに独特の技術を駆使して、おいしいお蕎麦を提供なさっている手打のお蕎麦屋さんも多くいらっしゃいますね。確かに小麦粉のつなぎも改良され、そば粉自体もはるかにいいものが出ておりますので、必ずしもそば粉100%だからおいしいとは言えないかも知れません。しかし、10割そばにこだわっている手打の蕎麦屋さんは多くいらっしゃることでしょうし、それはそれで立派なお蕎麦を出していらっしゃるのでしょうが、蒸籠で蒸してから茹でるという調理法を伝承しておられるところは、私の知る限り見受けられないようです。まぁ、蒸すよりはるかに簡単な調理法が茹でるということですし、麺が打ちたて茹でたてであれば、切れることもないでしょうから、昔の調理法にこだわる必要もないのかもしれません。蒸し暑い日本の夏は、どうしてもサッパリとしたものが食べたくなりますね。お昼には、よく蕎麦屋さんの暖簾をくぐられる方多いと思いますが、一度その暖簾に何と書いてあるかご注目いただくのも、なかなかおつなものではないかと思うのです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2016年07月03日
皆さん、「生そば」と書けば、何とお読みになられますか?なまそば・・・・正解!きそば・・・・こちらも正解!そばに限らず、麺は、茹でて食べる食品ですから、その麺の状態で大きく分けて、A 生(なま)麺、B 乾麺(かんめん)、C ゆで麺に分類されますね。Cは、便利ですね。もう茹でてあるのですから、うどんにしてもそばにしてもさっと湯がいて熱いだしをかければ直ぐ食べれます。A・Bを茹でたものがC、そして、Aを乾燥したものがBということになりますね。ですから、「生(なま)そば」といえば打って切り出した状態のそばを指すことになります。では、「生(き)そば」こちらの方は、いろいろ諸説あるところなのですが、一般にはそば粉100%のそばを指すということです。つなぎの小麦粉を用いないとどうしてもつながりが悪く、ぼそぼそと切れやすい麺になります。このため江戸時代の初めごろの「生(き)そば」は、蒸籠(せいろ)でいったん蒸してから茹でたといいます。これが蒸籠もりとして今も残っているのです。お蕎麦屋さんの暖簾の定番というと、この「生(き)そば」と言う文字と決まっておりますね。つなぎ粉を吟味し、加え方を工夫して、手ごねの仕方などに独特の技術を駆使して、おいしいお蕎麦を提供なさっている手打のお蕎麦屋さんも多くいらっしゃいますね。今日では、小麦粉のつなぎも改良され、そば粉自体もはるかにいいものが出ておりますので、必ずしもそば粉100%だからおいしいとは言えないかも知れません。しかし、10割そばにこだわっている手打の蕎麦屋さんは多くいらっしゃることでしょうし、それはそれで立派なおそばを出していらっしゃるのでしょうが、蒸籠で蒸してから茹でるという調理法を伝承しておられるところは、私の知る限り見受けられないようです。まぁ、蒸すよりはるかに簡単な調理法が茹でるということですし、麺が打ちたて茹でたてであれば、切れることもないでしょうから、昔の調理法にこだわる必要もないのかもしれません。蒸し暑い日本の夏は、どうしてもサッパリとしたものが食べたくなりますね。蕎麦を見ると、私も日本に生まれてきてよかったと思わずにはいられません。お昼には、よく蕎麦屋さんの暖簾をくぐられる方多いと思いますが、一度その暖簾に何と書いてあるかご注目いただくのも、なかなかおつなものではないかと思うのです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年12月28日
皆さんは、忌み言葉ということをご存知でしょうか。私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。分かりやすい例をあげれば、歴代の天皇のことを当時の人はどのように呼んだのか?その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのです。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであったと井沢さんは言っておられます。・・・ナルホド、NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。また憤死など非業の死を余儀なくされた人物の祟りを非常に恐れたゆえに、社(やしろ)を造り神と崇め、その人物の霊を鎮めようとしたと。菅原道真を祀る北野天満宮しかり、古くは出雲大社の巨大な社殿しかり。靖国問題をヒステリックなほどに騒ぎ立てる中国と韓国の指導者は、2000年もの昔から培ってきた来た日本人固有の祟りを恐れ、汚れを忌み嫌う文化を正しく理解しているとは思えません。さて前書きが長くなりました。「蕎麦考」(永友 大 著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんはさぞかし驚かれることでしょう。その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない・・ってなことにきっとなるんでしょう。では、どう呼んだか?幸いそばの葉の形が葵の葉に似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、う~んと唸ったきり、言葉を失います。ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。さて、果たして本当に "お上" は、「みは葵粥を所望じゃ・・・」などとおっしゃたのでしょうか?一方、今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めといいますから、江戸は将軍の街、町人は誰にはばかることなく気軽に「おぉ~ぅ!そば食っていきなっ!!」「そいつはありがてぇ~!ごちになっていくぜぃ~!!」なんて言ったんでしょうね。下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を上げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。 ◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年09月10日
皆さん、「生そば」と書けば、何とお読みになられますか?なまそば・・・・正解!きそば・・・・こちらも正解!そばに限らず、麺は茹でて食べる食品ですから、その麺の加工された状態で大きく分けて、A 生(なま)麺、B 乾麺(かんめん)、C ゆで麺に分類されます。Cは、便利です。もう茹でてあるのですから、うどんにしてもそばにしても、さっと湯がいて熱いだしがあれば、直ぐ食べれます。そしてAを乾燥したものがBということになります。当然ながらA・Bを茹でたものがCということになりますね。ですから、「生(なま)そば」といえば打って切り出した状態のそばを指すことになります。では、「生(き)そば」こちらの方は、いろいろ諸説あるところなのですが、一般にはそば粉100%のそばを指すということです。つなぎの小麦粉を用いないとどうしてもつながりが悪く、ぼそぼそと切れやすい麺になります。このため江戸時代の初めごろの「生(き)そば」は、蒸籠(せいろ)でいったん蒸してから茹でたといいます。これが蒸籠もりとして今も残っているのです。ところでお蕎麦屋さんの暖簾の定番というと、提供されるそばがそば粉100%であるかないかに関わらず、「生(き)そば」という文字と決まっているようです。これは上野池之端の蕎麦屋さん蓮玉庵さんの暖簾。老舗の名店ともなると暖簾のはためき方からして違うような気がします。つなぎ粉を吟味し、加え方を工夫して、手ごねの仕方などに独特の技術を駆使して、おいしいお蕎麦を提供なさっている手打のお蕎麦屋さんも多くいらっしゃいますね。今日では、小麦粉のつなぎも改良され、そば粉自体もはるかにいいものが出ておりますので、必ずしもそば粉100%だからおいしいとは言えないかも知れません。しかし、10割そばにこだわっている手打の蕎麦屋さんは多くいらっしゃることでしょうし、それはそれで立派なおそばを出していらっしゃるのでしょうが、蒸籠で蒸してから茹でるという調理法を伝承しておられるところは、私の知る限り見受けられないようです。まぁ、蒸すよりはるかに簡単な調理法が茹でるということですし、麺が打ちたて茹でたてであれば、切れることもないでしょうから、昔の調理法にこだわる必要もないのかもしれません。蒸し暑い日本の夏は、どうしてもサッパリとしたものが食べたくなりますね。蕎麦を見ると、私も日本に生まれてきてよかったと思わずにはいられません。お昼には、よく蕎麦屋さんの暖簾をくぐられる方多いと思いますが、一度その暖簾に何と書いてあるかご注目いただくのも、なかなかおつなものではないかと思うのです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年07月31日
そばとうどんはどこが違うのか?そんなもの、そばはそば粉で、うどんは小麦粉(うどん粉)で作るにきまっているじゃないか。ではそば粉と小麦粉は、どう違うか?・・・色が違うでしょう。じゃあ、色以外でどこが違っているのだろう?そば屋ではそば湯を出してくれるが、うどん屋で"うどん湯"を出してくれるということないでしょ。だんだん怪しげな答えになってきましたね。というわけで、そば粉の栄養成分のうち特にタンパク組成について、小麦粉のそれと比較した資料が手許に入りましたので、これを基にしてご説明したいと思います。〔日穀製粉(株)研究室の資料です]タンパク成分 そば粉小麦粉 備 考 アルブミン 12.1%11.1%水 溶 性グロブリン 53.8% 3.4%塩可溶性グルテニン 21.6%13.6%○ プロラミン 11.3% - - 低分子 - 5.3% - グリアジン - 33.3% ○ 残渣タンパク質 - 33.4% - 小麦粉の主たるタンパク質は分子が大きく、これを水と練り合わせると、○印のグリアジンとグルテニンが水和することにより、グルテンを形成してさらに大きな分子になるのです。このグルテンは麩質と呼ばれ、うどんやラーメンのおいしい食感にはなくてはならないものなのです。そう!うどんのコシはこのグルテンが決め手になるのです。一方そば粉に含まれるタンパク質は比較的低分子で、表からも分かるとおり水に溶けやすいのです。また、グリアジンが含まれないので、水と捏ね上げてもグルテンが形成されないので生地がつながりにくい。それでつなぎに小麦粉を使って、そばを打つということがあみ出されたのです。これが、二八そばとか五割そばとかいわれる所以なのです。十割そばというのは、この水溶性のタンパク質とでんぷん質をうまく糊状にまとめて捏ね上げて打つ方法で、余程の職人さんの打ちたて、茹でたてを食べない限り、やはり細かく切れやすいのです。話をそば湯に戻します。もう、お分かりですね。せっかくの良質のタンパク質や栄養成分が、ゆで湯の中に溶け出すので、蕎麦を食べたあとに、だし汁をそば湯で割っていただくという知恵です。そば通の中には、蕎麦よりこのそば湯がお目当てという方がいらっしゃるというのですからね。昔の人は、エライですね。このようなことを理屈抜きで経験で感じ取って、生活の中に取り入れていたのですから。しかもそれが面々と今日まで受け継がれて来ているのですから、この文化を継承せずば、昔の人に叱られようというものです。◆酒そば本舗トップページへ◆
2015年06月14日
そば屋にとってはそば粉が命。そば粉が無くては商売になりません。ところがそのそば粉の流通価格が高騰し、そば屋を困らせています。その原因は日本国内での流通量の約65%~70%を占める中国産玄そば(そばの実)の輸入量の減少にあります。元々そばの原産地は中国内陸部で、それがシルクロードを通じて西はヨーロッパへ、東は朝鮮半島を通じて日本へもたらされた。そばは米や麦など他の農作物が育たない痩せた荒れた土地でもしっかり根付き、実をつけます。古来よりわが国でも凶作の年、どれだけそばが窮した農民の命を救ったか、古文書をひも解くまでもありません。そばの原産国である中国の経済発展は目覚しいものがあり、農業技術の進歩もまた例外ではありません。灌漑技術が飛躍的に進んだことにより、今まで作付けが難しかった農地にも、アワ、キビ、高粱といったそばよりはるかに収量の良い農作物を作付けできるようになった。その結果中国におけるそばの生産量が激減しているのです。日本の大手そば粉製粉メーカーの資料によれば、中国での玄そばの生産量は最大43万トンあったものが、2012年23万トン、2013年9.5万トンと毎年半減していることが、それをよく表しています。中国から日本への玄そばの輸入量が年8~10万トンで推移してきたことを勘案すると、近い将来原料の玄そばの確保すら危ぶまれるという状況といえます。ウナギの養殖に使われるシラスウナギが激減し、うなぎの蒲焼が食べれなくなる時代が来ると騒がれたのはついこの間のこと。マグロの刺身にしてもしかり。幸ウナギやマグロと違ってそばの場合は栽培すればいいのですから、食べれなくなるということはないと思いますが、問題はコストです。残念ながら気軽に立ち食いそばで軽く腹ごしらえというようなことは、もしかしたら難しくなるのではないか。中国がそばを栽培しないというのなら、日本国内で栽培すればいいじゃないか。米が余っているのだから、減反した農地にそばを植えたらどうか?・・・ごもっともなご意見ですね。私もそれを望むものですが、玄そばの反収は米の1/10にも満たないと聞きますから、安定した収量にはつながりません。そば通に言わせると蒸篭もりのそばは三すすり半で食べるものといいますが、そうすれば蒸篭もり1枚3500円というようなことになる。果たしてそんな時代が遠からずやって来るのでしょうか?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年03月09日
そば屋のキツネとたぬきの違いについて、昨日は落語の稀代の名人の話をご披露したのでした。「たぬきそばのたぬきは、キツネ・たぬきのたぬきじゃなくて、衣ばかりのカスだから"たね・ぬき"っていう意味で、これを縮めた江戸弁でして・・・」と。実のところ私は、てっきり甘辛く煮てあるうす揚げが入っていると「キツネ」と称し、天ぷらを揚げた時にでる天かす(揚げ玉)が入っていると、「たぬき」というものとばかり思っておりました。つまり東京に限らず、うどんでもそばでも「キツネ」もあれば「たぬき」もあると思っていたのです。私自身いまだに少々混乱しておりますので、整理させていただきたいと思います。つまり東京ではこうですね。[うどん] [そば] (いなり) キツネうどんキツネそば(天かす) たぬきうどんたぬきそばところが、大阪へ行くと、「キツネ」といえば、きつねうどん。「たぬき」といえば、いなりの入ったそば。天かすが入ると、うどんでもそばでも「ハイカラ」と頭につく。[うどん] [そば] (いなり) キツネたぬき(天かす) ハイカラうどんハイカラそば私は富山県の高岡市に住んでいるのですが、地理的には北に寄っているとはいうものの丁度関東・関西の真ん中あたりになります。東京へも京都・大阪へもJRを利用して3時間余りで行くことができますね。そうしますと、キツネとたぬきの名前の化かし合いの件は、当地は東にくみすることになるのでしょうか?だしもどちらかというと濃い口の関東風になりますが、同じ富山県の中でも高岡市のようにやや西寄りに位置するところは、だしの色も富山市と比べるとはっきりと薄いです。これがお隣の金沢へ参りますと、極端に薄口の京風を思わせるだしになってしまいます。さらにだしのとり方では、「東の鰹節、西の昆布」といいますが、当地では鰹節と昆布両方混ぜただしのとり方をします。中間ということになるのでしょうか?皆さんのお住まいの地方では、どんな具をのせてそばやうどんを食べますか?そしてそれを何と呼んでいますか?だしは何でとるでしょう?◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年01月08日
商売敵のことを書くのは少々しゃくなのですが、そばやうどんがそれだけ広く食べられて麺好きが多くなれば、私どもにもおこぼれが回ろうというもの。商売敵とは「マ○ちゃん」で有名な某大手食品メーカーのこと。武田鉄也のコマーシャルをご覧になった方いらっしゃるでしょう。武田鉄也はコマーシャルでこう歌っていますね。「赤~いキツネに、緑のたぬき♪」と。赤いキツネはお揚げが入ったうどん。緑のたぬきはかき揚げが入ったそば。私なんかは単純に不思議に思ってしまうのです。何色になるのかは分かりませんが、「どうしてお揚げが入ったそばがないのか?」「かき揚げが入ったうどんが食いたいときはどうする?」と。さて、このキツネとたぬきの二匹の動物とうどんとそばにのせるネタについて、落語家の林家木久蔵(当時、今は木久扇)さんがお書きになった『昭和下町人情ばなし』(日本放送出版協会)に、おもしろいことが書かれておりました。木久蔵さんのお師匠さん・先代の林家正蔵さん(今の正蔵さんは、林家三平さんのご長男のこぶ平さんがお継ぎになられましたね)が、天ぷらの揚げカスの噺だけで20分くらいしゃべったという思い出話。「たぬきそばってものがありますが、蕎麦の上にのってる天カスも、いいネタを揚げた油カスだったら、なんとも言えなく旨いですが・・・。ついでに申し上げますが、たぬきそばのたぬきは、キツネ・たぬきのたぬきじゃなくて、衣ばかりのカスだから"たね・ぬき"っていう意味で、これを縮めた江戸弁でして・・・」ほ~、中身の入っていない衣だけの「たねぬき」が元で、それが変じて「たぬき」になったと。『蕎麦屋のしきたり』(藤村和夫著 日本放送出版協会)には、昭和25年ごろのこと、「室町の砂場」さんで、「仕舞い蕎麦(看板にしてから、従業員が皆で食べるそばのこと)の時に、もり汁の中に「揚げかす」を入れており、これはこれでおいしいのですが、まさかお客様に「天かす」を差し上げるわけにはいかない。(まだその頃には、「ばくだん」とか「たぬき」はあちこちで売り出されていませんでした。そこで「砂場」さんでは、天ぷらをかき揚げにして、天もりと称してお出ししたと・・・・云々。このように書かれておりました。そうすると、たぬきは昭和になってから、現れたのでしょうか?大正、明治もさることながら、天ぷらが食べられるようになったのは、そばと同じ江戸時代の初めころですからね。家康の死因は、鷹狩の合い間に当時上方で流行だした天ぷら、しかも鯛の天ぷらを食べ過ぎたのが、原因と言われておりますね。もっとも、家康は消化器系のがんを患って、その頃にはもう末期であったから、天ぷらが直接の原因ではないという書物もあり、どうもこちらの方が真実のようですが。何事も無駄にせず、万事リサイクルを徹底していた江戸人は、天ぷらを揚げるときにでる天かすは捨てていたのでしょうか?とっておいてそばやうどんに入れて食べたのでしょうか?私の想像するに、あくまで蕎麦屋は蕎麦屋、天ぷら屋は天ぷら屋で、横のつながりはなかったと思われます。それもどちらも屋台を担いでの出店が主流で、店を構えての蕎麦屋は、江戸時代の終わりころになって、ようやく出現したといいますから、そば屋にたぬきも出ようがなかったのかも知れません。さて、ここまで書いてくればもうお気づきでしょうが、今まで書いてきたことは先代の正蔵師匠にしろ砂場さんにしろ東京の話ですね。大阪へ行くとキツネとたぬきの事情が少々違ってきます。これについては、またの機会に話題にしたいと思っています。・・・お楽しみに♪◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年01月07日
皆さん、「生そば」と書けば、何とお読みになられますか?なまそば・・・・正解!きそば・・・・こちらも正解!そばに限らず、麺は、茹でて食べる食品ですから、その麺の状態で大きく分けて、A 生(なま)麺、B 乾麺(かんめん)、C ゆで麺に分類されますね。A・Bを茹でたものがCということになります。Cは、便利ですね。もう茹でてあるのですから、うどんにしてもそばにしても、さっと湯がいて熱いだしがあれば、直ぐ食べれますから。そして、Aを乾燥したものがBということになりますね。ですから、「生(なま)そば」といえば打って切り出した状態の文字どおり生のそばを指すことになります。ゆでてもいない、乾してもいないそばということです。では、「生(き)そば」こちらの方は、いろいろ諸説あるところなのですが、一般にはそば粉100%のそばを指すということです。つなぎの小麦粉を用いないとどうしてもつながりが悪く、ぼそぼそと切れやすい麺になります。このため江戸時代の初めごろの「生(き)そば」は、蒸籠(せいろ)でいったん蒸してから茹でたといいます。これが蒸籠もりとして今も残っているのです。お蕎麦屋さんの暖簾の定番というと、この「生(き)そば」と言う文字と決まっておりますね。つなぎ粉を吟味し、加え方を工夫して、手ごねの仕方などに独特の技術を駆使して、おいしいお蕎麦を提供なさっている手打のお蕎麦屋さんも多くいらっしゃいますね。今日では、小麦粉のつなぎも改良され、そば粉自体もはるかにいいものが出ておりますので、必ずしもそば粉100%だからおいしいとは言えないかも知れません。しかし、10割そばにこだわっている手打の蕎麦屋さんは多くいらっしゃることでしょうし、それはそれで立派なおそばを出していらっしゃるのでしょうが、蒸籠で蒸してから茹でるという調理法を伝承しておられるところは、私の知る限り見受けられないようです。まぁ、蒸すよりはるかに簡単な調理法が茹でるということですし、麺が打ちたて茹でたてであれば、切れることもないでしょうから、昔の調理法にこだわる必要もないのかもしれません。蒸し暑い日本の夏は、どうしてもサッパリとしたものが食べたくなりますね。蕎麦を見ると、私も日本に生まれてきてよかったと思わずにはいられません。お昼には、よく蕎麦屋さんの暖簾をくぐられる方多いと思いますが、一度その暖簾に何と書いてあるかご注目いただくのも、なかなかおつなものではないかと思うのです。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2015年01月04日
大晦日にどうしてそばを食べるようになったかと言いますと、いろいろ諸説があるようですが・・・そばのように、長く(永く)健康でありますようにという意味を込めて食べるようになったとか金座の金粉や細工かすを集めるのに、練ったそばを用いたことから、そばは金を集めるという意味で、縁起を担いだのだという節文字通り何かと気ぜわしい年の瀬で、体調を崩しそうになっても、そばは消化もよく、食べやすく、しかもそばの薬効成分が体調を整えてくれるからだとかいろいろありますがね。みんなそれぞれ一理ある節ではありますよ。否定はしませんよ。酒そば本舗店長の節は、いたってシンプル!そばってうまいからいつでも食べたいだけなんです!今日はそばの宣伝でした。お許しください。(笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2014年12月27日
皆さんは、忌み言葉ということをご存知でしょうか。私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。分かりやすい例をあげれば、歴代の天皇のことを当時の人はどのように呼んだのか?その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのです。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであったと井沢さんは言っておられます。・・・ナルホド、NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。また憤死など非業の死を余儀なくされた人物の祟りを非常に恐れたゆえに、社(やしろ)を造り神と崇め、その人物の霊を鎮めようとしたと。菅原道真を祀る北野天満宮しかり、古くは出雲大社の巨大な社殿しかり。靖国問題をヒステリックなほどに騒ぎ立てる中国と韓国の指導者は、2000年もの昔から培ってきた来た日本人固有の祟りを恐れ、汚れを忌み嫌う文化を正しく理解しているとは思えません。さて前書きが長くなりました。「蕎麦考」(永友 大 著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんはさぞかし驚かれることでしょう。その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない・・ってなことにきっとなるんでしょう。では、どう呼んだか?幸いそばの葉の形が葵の葉に似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、う~んと唸ったきり、言葉を失います。ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。さて、果たして本当に "お上" は、「みは葵粥を所望じゃ・・・」などとおっしゃたのでしょうか?一方、今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めといいますから、江戸は将軍の街、町人は誰にはばかることなく気軽に「おぉ~ぅ!そば食っていきなっ!!」「ありがとうよっ!ごちになっていくぜぃ~!!」なんて言ったんでしょうね。下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を上げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。 ◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2014年02月02日
毎週日曜日の日本経済新聞は、さまざまな特集が組まれており読み応えがあります。私は日曜日の午前中は、日経を広げて2~3時間過ごすこともあるくらいです。本日の日経13面「日曜に考える」の「熱風の日本史」は、明治の初期に行われた暦の改革について。千年以上用いてきた太陰暦から現在の太陽暦(グレゴリオ暦)に変えたのが、明治5年のこと。1872年(明治5年)11月9日、当時の明治政府は、この年の12月3日を1873(明治6)年1月1日とすることを発表し、闇雲ともいえるほどに改暦を急いだ経緯について書かれています。近代国家の建設と世界から文明国家と認知されるには、太陽暦の採用は必然だったことは言うまでもありませんが、当時鉄道の開業、学制や徴兵令発布などさまざまな改革の実施により、明治政府の財政は破綻寸前に追い込まれており、このことが改暦までの期間が僅か23日という突然の実施につながったというのは、耳に新しいことです。旧暦では明治6年は閏の年(閏月を間に挟み、1年を13ヶ月とする)にあたり、改暦することによりこの1ヶ月と明治5年の12月の1ヶ月、都合2か月分の人件費をはじめとする政府予算を節約できると、当時の参議大蔵卿であった大隈重信が考えたことがそもそもの発端だというのです。月の満ち欠けを基準とした太陰暦で生活してきた庶民は、突然の太陽暦採用により大混乱したのは言わずもがな。大陰暦だと毎月1日と月末は新月、15日が満月、その間を月が満ち欠けすると決まっていた。「晦日(30日)に月が出る」とは、当時絶対にありえないことを例えて言ったものですが、太陽暦になればそれがありうることになり、庶民は「30日に月がいづれば、玉子の四角もあるべし」と嘆いたということです。その旧暦と新暦のズレは、現代の我々の生活にも及んでいるのは、皆さんご承知のことですね。未だに旧暦で正月を祝う地方もあるようですが、毎年帰省客で交通が混乱する8月15日を挟むお盆休暇は、依然旧暦のままです。年賀状に「初春のお慶びを申し上げます」と書いたりするのも、考えれば不自然と言えそうです。ところで昨日12月14日は、赤穂浪士が吉良邸に討ち入って、主君浅野内匠頭の無念を果たした日といわれていますね。赤穂藩があった地元兵庫県赤穂市では、毎年12月14日には義士祭が執り行われて、師走の風物詩にもなっているそうですが、1702年(元禄15年)12月14日は、現代の暦に換算すると、翌年1703年1月30日となるそうです。赤穂浪士の討ち入りが、正月気分も抜けた30日に行われたなんて言われても,、何だかピンと来ませんね。昨日私は、赤穂の義士を偲んで討ち入りそばをすすったのでありましたが、これでは年が明けての来月30日にもそばを食べなきゃなりませんね。もちろんその間に年越そばも食べなければならないのは、言わずもがなですが・・・。・・・って、結局そばの宣伝かよ!? と言われそうですね。(大爆笑!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**にほんブログ村
2013年12月15日
日本では、そばは「そば」または「蕎麦」と書けば、それが何であるか分からぬ人はいないでしょう。これが、そばの原産地である中国ともなると、ご案内のとおりかの国は漢字の国ですから、土地土地によりいろいろな文字の表し方があるのだそうです。それがまた、土地土地のそばの品種ともからみ合って複雑ったらありゃしない。蕎、蕎麦、烏麦、花蕎、伏蕎、華麦、落麦、省麦・・・・・そばはタデ科の植物であり麦とは違うのに、麦と表現しているところが面白いですね。また、内陸部のチベットやヒマラヤでは古くから苦蕎麦(今、日本でも話題になっている韃靼〈ダッタン〉そば)が栽培されており、このそばと区別するために普通のそばを「甜蕎(てんきょう)」「甜蕎麦(てんきょうばく)」とよんで区別しているのは、興味をひかれます。「甜」は甘いという意味なのですね。日本で広く栽培されているそばが、甘蕎麦と呼ばれる所以です。突然ですが、話はフランスに飛びます。日本テレビ系列「世界マル見え特捜部」のファンの方多くいらっしゃることと思います。当地では毎週月曜夜8時から入ります。ずいぶん前に放映されたものなんですが、フランス人シェフがスタジオに来てクレープを焼いていました。ゲストが旨い旨いと盛んに食べていましたが、このクレープの生地にそば粉が入っていると楠田さんが言っていたのでちょっと驚きました。何という名前のクレープなのか忘れましたが、フランスのある地方の伝統料理だといっていましたから、昔からあるのでしょうね。ということは、フランスでもそばが栽培されているのだろうか?・・・と思ったのです。早速調べてみました。「蕎麦考」(永友 大著)より引用いたします。やはりフランスでもそばは栽培されているのです。「 Bre Sarrasin 」日本語読みで「ブレ サラザン」と発音するのでしょうか?「ブレ」は最終的には「ブレッド」に行き着きたくなりますね。そうすると「 Bre 」は小麦を意味することになるのでしょうか。「サラザン」は「サラセン」でしょう。しからば、サラセンの小麦ということになりますね。原産国中国からヨーロッパへそばを伝えたのは、サラセンの商人だったのでしょうか。同じヨーロッパでもドイツ語では、「Buchweizen」、「Buch」はドイツ語で「Buche」のことで、ブナの実のことを指すのだそうです。さすれば、ブナ小麦ということでしょう。では英語ではどうかというと、これが「Buck Wheat」。後半の「w」で始まる言葉はいづれも小麦を意味しますね。 そばの原産地である中国でもやはり「麦」と表現していることを思えば、洋の東西を問わず、人間の思いつきや発想は同じなのかなと感心してしまいます。これは、世界の主食は何といっても小麦で、小麦は粉にして食されるものですから、同様にそばもやはり挽いて粉にして食べるということから、 ○○麦と表現するようになったのだと思いますが、読者はいかにお考えになりますか。日本では、そばは大陸より伝播してこの方、粒のまま煮てお粥のようにして食べていたそうで、粉に挽いても蕎麦掻き(そばがき)のように団子状にして、やはり煮るようにして食した。 今のそばのように細く切って食べるようになったのは、江戸時代になってからというのですから、ちょっと驚きです。文字こそ中国から伝わったそのまま「蕎麦」と表しますが、長年にわたり粒のまま食していたというのは、これは何といっても日本は瑞穂の国、お米は粉になどせず粒のまま食べますからね、米の影響が大きいのでしょう。粒食と粉食の文化の違いは、こんなところにも影響しているのですね。そばっておもしろい!!◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2012年11月03日
子供のころ、親に連れられて初めておそば屋さんに入った日のことを今でもはっきり覚えています。おそば屋さんといっても、定食・丼・麺類一式取扱っている・・・そう食堂なんです。懐かしいですね。暖簾をくぐって中に入ると、だしの匂いがぷ~んと鼻をつく。お品書きを見て、何を注文しようか?天ぷらうどんも食べたいな、ラーメンも食べたいし、・・・カツ丼も・・・ってなことになる。幼かった私にもラーメン、うどん、そばは、どういう食べ物かは分かっておりました。でも、ざるそば?・・・いったいどういう食い物だろう?・・・そばには違いないだろう?・・・と思ったものです。「ざ・る・そ・ば・・・?」自問自答を小声で発した時、店員さんが大きな声で言ったのでした。「はぁ~い!ざるそば一丁!!」それが、私とざるそばの最初の出会いだったのです。四角い蒸籠(せいろ)に盛られたそばを見た時、やったぁ~!ざるそばにして良かったと内心にんまりしたものでした。てっきり二段になっていて、竹で編んだスノコをめくれば、蒸籠(せいろ)の底までそばが盛られていると思ったのです。食い意地がはっていたんですね・・・お許しください。今でもハッキリ覚えています。おいしかった!!そして、ちょっとガッカリしたことも・・・これが、私とざるそばの運命的(・・!?)な出会いであったのですが、・・・でも私だけでしょうか?子供のころ、私のように食い意地がはっていたいないは別にして、蒸籠(せいろ)に敷いてあるスノコをめくってみた記憶のある人は、ずいぶんいらっしゃるのではありませんか?ところで蒸籠(せいろ)といえば、皆さん不思議に思われたことありませんか?もりそば、ざるそば、せいろもり・・・こういったそばは、どうして蒸籠(せいろ)にもられて出されるのでしょうか?そばが今のように細く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めころなのだそうです。当時は「そば切り」と呼ばれて、大変人気があったそうです。当時のそばは、今と違ってつなぎに小麦粉を用いることを知らなかったために、めんが短く切れやすかったのです。ですから、いったん切ったそばを蒸籠(せいろ)にもって、しばらく蒸した後にゆでたというわけです。後に小麦粉をつなぎに使用する打ち方が一般に普及しても、蒸籠(せいろ)にもることは、そのまま残ったのでしょう。先人が苦労の末に生み出した知恵の名残り・・・それが今日の蒸籠(せいろ)もりに息づいているのですね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2012年10月29日
本日の日経最終面の文化欄、「駅そば巡礼 旅情すする」という見出しが目にとまりました。なんと全国1700軒の駅そばを食べ歩き、だしやネギの「境界線」も調査されたというフリーライター鈴木弘毅さんの投稿です。何しろ子どものころからのそば好き、しかもそばは決まって駅のそばの「そば」と、ダジャレではないとことわりながらも冒頭から軽快なペンさばきで読者を笑わせてくれます。鈴木さんのこだわりは、鈴木さんの定める「駅そば」の定義からもうかがい知ることができます。駅の構内に限らず駅から徒歩5分以内に店を構えていること。提供時間が1分から5分であること。一番シンプルなものが400円以内であること。店の作りが調理場が中央にあって、それを囲むように客席が作ってあるシンプルな構造であること等々。並々ならぬ「駅そば」へのこだわり、ただただ恐れ入るばかりです。さらに駅そばの「だし」と薬味に使用する「ネギ」についての記述は、日本の地域による食文化の違いを教えてくれるもので、ひじょうに興味深いものがあります。東のかつお、西の昆布というだしについての東西の線引きは、東海道線では岐阜大垣駅までがかつお、滋賀県米原駅まで行くと完全に昆布ということでした。北陸線での境界は富山駅。構内に2軒ある店のうち1軒はかつお、もう1軒は昆布だということです。ネギについては、東は白ネギ、西は青ネギと言われていますが、その境界はというと、静岡県の熱海駅までが白ネギ、三島駅から西は青ネギだということです。だしは東の静岡県でありながら、ネギはその静岡県でも西と東に分かれているというのは、ひじょうに 興味深いですね。私は富山県でも西部に位置する高岡市に住んでいますので、鈴木さんのいう駅そばのだしの境界線やや西側圏になりますか。当地では、かつおも昆布も使ってだしをとっているようですが、富山のだしと比べると確かに色はずいぶん薄いです。しかしお隣石川県金沢で食べる駅そばは、高岡のものよりずっと京風のだしで、富山のだしと比べるとまるで色がついていないようにさえ思えるほどの薄い色です。ちなみにネギは完璧に白ネギですから、富山県では静岡県とは逆で、ネギは東であるのに、だしが東西混在していることになりますね。富山駅の構内でも駅そばを食べた経験はありますが、さすがに駅そばのはしごはしませんので、鈴木さんのような東西のだしの違いに気づくようなことはありませんでした。今度富山駅へ行って検証してみようと思っていますが、現在富山駅は北陸新幹線開通に伴う大改修工事を行っている最中なので、構内の駅そばはどうなっているか分かりません。新幹線が開通し装い新たになった富山駅でもかの駅そばが2軒とも店を開いていますように・・・。そのときは、薬味のネギはともに白ネギでも、東西の違っただしの「駅そば」を必ずはしごして、鈴木さんのように「旅情をすすりたい」と思っています。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2012年03月16日
皆さんは、『忌み言葉』ということをご存知でしょうか。私も、井沢元彦さんの逆説の日本史を読んではじめて知ったことですが、日本人は無意識のうちにこの忌み言葉の文化にどっぷりはまっているというのです。分かりやすい例を挙げれば、歴代の天皇のことを当時の人々はどのように呼んだのか?その答えは、声に発するのさえ恐れ多くて○○天皇などとは決して呼ばなかったと言うのであります。呼ぶことさえ忌み嫌うべきことであったのです。後に書物などで○○天皇と著してあるのは、必ずその天皇が崩御してからのことであると井沢さんは言っておられます。・・・ナルホド!NHK大河ドラマなどを見ると、ごくごくお側の者だけが「お上」と袖で口をふさぐように発し、それに対して、「みは~であるぞ」などと自分のことを「み」と言わせているのは、時代考証に合致したものなのかなと思います。前書きが長くなりました。「蕎麦考」(永友 大著)よりそばと忌み言葉に関連することをご紹介しましょう。かって宮中では「そば」も忌み言葉であったと言ったら、読者の皆さんは、さぞかし驚かれることでしょう。その理由は、そばの実の形にあります。そばの実はエジプトのピラミッドを目一杯に小さくした形、そう三角錐の形状をしているのです。その三稜をもった三角(みかど)が帝(みかど)に通じるために、「今宵の夕餉はそば粥なぞを・・・」などと女官が言おうものなら一大事で、神社仏閣に帝の安泰を願って祈祷をしなくてはならない・・・ってなことにきっとなったのでしょう。では、どう呼んだか?幸いそばの葉の形が葵のそれに似ていることから、「そば」を「あおい」と呼んだというのですから、エライというかナントいうか・・・!!ひょっとすると、葵の紋(徳川幕府)を食べちゃうと言う隠れた意味もあるのかなと思ったりもするのです。さて、果たして本当に”お上”は、「みは葵粥を所望じゃ・・・」などとおっしゃたのでしょうか?一方、今のようにそばを細く切って食べるようになったのは、江戸時代の初めころといいますから、江戸は将軍公方様の街、町人は誰にはばかることなく気軽に「おぉ~ぅ!そば食ってきなっ!!」「そいつはありがてぇ~、ごちになるぜぇ~・・・」なんて言ったんでしょうね。下々の身の上といたしましては、江戸の庶民に軍配を挙げたくなるのは、仕方のないところでありましょうか。◆酒そば本舗トップページへ◆
2009年04月02日
[PART1]そばが今のように細長く切られて食べられるようになったのは、以外に新しくて、江戸時代のはじめごろ。新しい食べ物"そば切り"が、当時の江戸で大流行したそうです。これに関連して江戸っ子気質をよく表しているたとえ話を本で読みました。これが大変面白い!!威勢よく暖簾をかきわけて入ってきた男が、「もりを一枚、急いどくれっ!」って注文する。蕎麦屋の主(あるじ)も心得たもので、さっと出す。ずるずる、ずるずる、ずるずるっ、ずるっと三口半でそばをすすり終えると、「勘定はここに置いとくぜぃ!」って言葉を残してさっと表へ飛び出していった。当時の江戸っ子はせっかちで、見てくれのかっこよさ、気風のよさが身上で、ゆっくりしたのが性に合わない。でもそれがために痛い目に合うってこともずいぶんあったようです。長屋のご隠居さんが、最後に本音を言って愚痴ったという落語の噺、ご存知ですよね。これも負けず劣らず面白い!臨終まぎわのご隠居に何か言い残しておくことはないか、と問いただしたら「最後に一度でいいから、つゆをたっぷりつけて蕎麦を食いたかった・・・」そばの食べ方は人それぞれ、その人がおいしいと思う食べ方が一番おいしいのではないでしょうか。ちなみに私は、たっぷりとつゆをつけて食べる派です。[PART2]そばにたっぷりとつゆをつけて食べる派をハッキリと宣言した私としましては、甘んじてご批判を受ける覚悟はできております。しかも、つゆは甘めの濃いめが好きなのでございますよ。(うっ!・・・言っちゃった!!)なんてヤツだ!そんなやぼったいそばの食い方あるものか!?そんなにたっぷりつゆをつけたら、そばの香りが死んじまわぁ~!!俺なんざぁ~、最初のひとすすりはつゆなしでぇ~!!そばは噛むもんじゃねぇ!呑み込むもんだ!のどで味わうものですよ!!・・・たいそうキビシイお声が聞こえてまいりますなぁ~。。。確かにPART1で話題にした江戸っ子のいなせなお兄さん、かっこいいですよねぇ~。「勘定ここに置いとくぜぃ!」・・って、一度は言ってみたいセリフですよね。でも、わたしの場合には、「あっ!お客さん!お客さん!!これじゃ勘定足りませよん!!」・・ってなことになりそうで、二の足を踏んでしまうのです。[PART3] PART2で話題にしたごとく、ご批判がかくもあまたにあると言うことは、やはりそばの先にほんの少しつけてすする派が、正統派と言えるのでしょうか?つゆをたっぷりつけて食べる派をハッキリ宣言してはみたものの、雲行きの悪さに、少なからず不安にかられるのであります。しかし、忽然と思い出したのであります。強い見方がいらっしゃったことを!将棋を指さない人でも、大山康晴十五世名人のお名前だけは、お聞きになったことはあるでしょう。そう!この不世不出の大名人が、実はつゆをたっぷりつけて食べる派だったという逸話を かって将棋雑誌で読んだことがありました。もう30数年ぐらいも前のことになろうかと思います。大名人にもようやく陰りが忍び寄ってきて、中原さんにその地位を明け渡さんとしていた頃に書かれた記事であったと記憶しています。話はこうです。そこから更にさかのぼること10数年、名人の全盛期のころの逸話のひとつ。名人と当時A級八段(確か後の将棋連盟会長丸田祐三九段であったと記憶しているのですが・・・)が、若い記者と連れ立って蕎麦屋に立ち寄った。そばを注文して注文のそばが出されるまで、丸田八段がそばの正統派の食べ方について、若い記者に講釈をしたというのです。名人は目を細めてその話に聞き入っていたそうですが、そばが来て食べる段になると、これ見よがしに丸田八段の目の前で、そばにたっぷりとつゆをつけて口に運んだ・・・というのです。棋士は商売柄自己主張が大変に強く、相手に迎合することを嫌う。盤上はもちろんのこと盤外でもいったん言い出したらあとに退かない・・・こういった棋士気質について書かれた記事だったと記憶しているのですが、さすがは大名人、並の人には真似のできないことですよね。はたして本当に大山名人は、たっぷりとつゆをつけて食べる派だったのでしょうか?残念なことに故人になられて久しいので、お聞きすることもかないません。これもまた私ごときにはかなわぬことですが、森内名人と羽生四冠にもお聞きしてみたいですね。でも結果は分かっています。一方がすする派なら、もう一方はたっぷり派に違いありません。ちなみに私も将棋を指しますが、悲しいことに・・・・頭に金を置かれるまで自玉の詰みに気がつかない・・・といったレベルなのですよ。金底の歩は岩よりも固いそうですが、玉頭の金は岩よりも重かったのであります・・・(涙![PART4] 日本を代表する明治の文豪といえば、漱石と鴎外ということになりましょう。今回はその漱石より題材をとってみたいと思うのです。PART3では、大名人を無理やり引っ張り出して、つゆをたっぷりつけて食べる派にしてしまった手前、つゆをほんの少しつけてすする派にも著名人を紹介しなければ、片手落ちというものでしょう。そこで漱石の登場となります。いや正確には漱石の著した「猫」、そう「我輩は猫である」の迷亭先生にご登場いただこうと思うのです。高校生の頃は、漱石と鴎外の作品を意味もよく分からないままに無理やり読まされたものです。・・・そのわりには、よく覚えていたものですなぁ~。迷亭先生だったかクシャミ先生だったか記憶が定かでなっかたので、図書館へ出向いて調べてまいりました。ありました!ありました!!迷亭先生がナントそばの食い方の講釈をしているではありませんか。「この長いやつへツユを三分一つけて、一口に飲んでしまうんだね。噛んじゃいけない。噛んじゃ蕎麦の味がなくなる。つるつると咽喉を滑り込むところがねうちだよ。」「奥さん、ざるは大抵三口半か四口で食うんですね。それより手数をかけちゃ旨くくえませんよ。」(仮名づかいは読みやすいように変えてあります)はたして漱石は、すする派だったのでしょうか?それともたっぷり派だったのでしょうか?・・・そして鴎外は?でも漱石は、若い時から胃潰瘍の持病持ちであったというではありませんか。さすれば、たっぷりとつゆをつけて食べる派の私としましては、そばといえどもよく噛んで食するにこしたことはないと思うのであります。[PART5]我ながらよくもまぁ~取るに足らないことを話題にして、4回(今回も入れると5回)もつまらぬことを書いたものだと思います。読者の皆さんは、そばの食い方なんぞどうでもいいだろうよ・・・と、さぞかしあきれかえっておられることでしょうね。この調子だと、とどまるところを知らないまま際限なくこのテーマで書き続けそうな気がしますので、いったんこのテーマに関しては筆をおくことに致しましょう。ただ、そば切りとしてそばが一般大衆に広く食べられるようになった江戸時代の初めより今日にいたるまで、結論が得られぬまま論じられてきたという一点だけは、間違いのないことであります。さしずめ、うまいものはうまく食いたいという、我がまま極まりない人間のなせる業・・・とでも言葉を濁して、たっぷりとつゆをつけて食べる派の私としましての結論とさせていただきましょう。◆酒そば本舗トップページへ◆
2009年03月28日
当店のそばは、呼んで字のごとく「酒そば」、そこでお酒にまつわることも話題にしたいと思うのです。李白、杜甫、白楽天と言えば中国唐代の三大詩人。今さら言うに及びません。読者の皆さんは、この三大詩人がいずれ劣らぬ大酒飲みであったということをご存知でしたでしょうか。確か高校生の時漢文の時間に、先生が授業もそっちのけで話してくれたことをいまだによく覚えています。当の漢文の先生もきっと酒好きだったのに違いないと、先生のことを懐かしく思い出だすのです。内容については、歴史と文学としての解釈に関係することなので、正確をきして読者にご案内しなければと思い、図書館へ行って調べ直してまいりました。どう読んで、どう解釈したらいいのか分からない漢字ばかり並べられた文をうんうん唸って読むつらさったら、二日酔いの朝なんて、つらさのうちに入りませんよ。そこで、「中国古典詩聚花 美酒と宴遊」(山之内正彦、成瀬哲生共著)に、三人の飲みっぷりについて詳しく書いてありましたので、しっかり勉強してまいりました。しかし、エライ先生がいらっしゃるものですね。三人の残した酒の歌から、飲みっぷりまで分かっちゃうなんて・・・私の好きな白楽天は、自ら酔吟先生と称して酒をこよなく愛した。比較的少量の酒で陶然と酔うことができたといいます。(私の場合は、当然と酔ってしまいますがね・・・!?!?)酔うことに心の平安を求めたのが白楽天。理性派といえましょう。杜甫はどちらかと言えば、分かりやすく言うところのヤケ酒派。飲めば飲むほど心の平安は向こうに追いやられてしまう。ヤケ酒を飲んでもなお酔いきれない。酔っぱらってもあくまでこの世の人であろうとしたのが、杜甫の飲み方。苦悩派とでも言うのでしょうか。これはこれで、また凡人にはまねのできない飲み方ですよね。李白は、杜甫がその飲みっぷりを仙人だと言ったぐらいですから、飲めば飲むほど世俗を忘れ、酔郷をさまようことができたというではありませんか。超越派というのでしょうね。(うらやましい・・・)李白の飲みっぷりを仙人のようだと杜甫が詠んだ詩「飲中八仙歌」より、李白の部分を抜粋してお届けします。 李 白 一 斗 詩 百 篇 長 安 市 上 酒 家 眠 天 子 呼 来 不 上 船 自 称 臣 是 酒 中 仙酒を一斗飲む間に詩を百篇作っちゃうというのもスゴイですけど、天子の招きがあっても、「酒中の仙人に何の御用でしょうか、もう少し酔っぱらっていたいのです。またにしてください。」ってカッコ良すぎますよね~!◆酒そば本舗トップページへ◆
2009年03月26日
今日は、私の好きな漢詩を紹介させてください。 月 独 村 霜 明 出 南 草 蕎 門 村 蒼 村 麦 前 北 蒼 花 望 行 蟲 夜 如 野 人 切 雪 田 絶 切 最後の節は、「月明らかにして蕎麦(きょうばく)花雪の如し」と読むんだそうです。「きょうばく」の響きが、何とも心地よいですね。この詩は、唐代の白楽天が長安より故郷に帰ったとき(811年)の作と伝えられています。白楽天といえども人の子、郷里に帰った安心感・安堵感が行間にうかがえますね。その一方で、都での志が叶わぬままに郷里にもどった失望感が、詠わせた詩だともとれます。今をさかのぼること1200年、白楽天は月明に照らされた蕎麦の花をどのような気持ちで眺めたのでしょうか?◆酒そば本舗トップページへ◆
2009年03月24日
2009年3月21日の日記より子供のころ、親に連れられて初めておそば屋さんに入った日のことを今でもはっきり覚えています。おそば屋さんといっても、定食・丼・麺類一式取扱っている・・・そう食堂なんです。懐かしいですね。暖簾をくぐって中に入ると、だしの匂いがぷ~んと鼻をつく。お品書きを見て、何を注文しようか?天ぷらうどんも食べたいな、ラーメンも食べたいし、・・・カツ丼も・・・ってなことになる。幼かった私にもラーメン、うどん、そばは、どういう食べ物かは分かっておりました。でも、ざるそば?・・・いったいどういう食い物だろう?・・・そばには違いないだろう?・・・と思ったものです。「ざ・る・そ・ば・・・?」自問自答を小声で発した時、店員さんが大きな声で言ったのでした。「はぁ~い!ざるそば一丁!!」それが、私とざるそばの最初の出会いだったのです。四角い蒸籠(せいろ)に盛られたそばを見た時、やったぁ~!ざるそばにして良かったと内心にんまりしたものでした。てっきり二段になっていて、竹で編んだスノコをめくれば、蒸籠(せいろ)の底までそばが盛られていると思ったのです。食い意地がはっていたんですね・・・お許しください。今でもハッキリ覚えています。おいしかった!!そして、ちょっとガッカリしたことも・・・これが、私とざるそばの運命的(・・!?)な出会いであったのですが、・・・でも私だけでしょうか?子供のころ、私のように食い意地がはっていたいないは別にして、蒸籠(せいろ)に敷いてあるスノコをめくってみた記憶のある人は、ずいぶんいらっしゃるのではありませんか?ところで蒸籠(せいろ)といえば、皆さん不思議に思われたことありませんか?もりそば、ざるそば、せいろもり・・・こういったそばは、どうして蒸籠(せいろ)にもられて出されるのでしょうか?そばが今のように細く切られて食べられるようになったのは、江戸時代の初めころなのだそうです。当時は「そば切り」と呼ばれて、大変人気があったそうです。当時のそばは、今と違ってつなぎに小麦粉を用いることを知らなかったために、めんが短く切れやすかったのです。ですから、いったん切ったそばを蒸籠(せいろ)にもって、しばらく蒸した後にゆでたというわけです。後に小麦粉をつなぎに使用する打ち方が一般に普及しても、蒸籠(せいろ)にもることは、そのまま残ったのでしょう。先人が苦労の末に生み出した知恵の名残り・・・それが今日の蒸籠(せいろ)もりに息づいているのですね。◆酒そば本舗トップページへ◆**貴方の共感できる生き方がきっとある**
2009年03月21日
日本では、そばは「そば」または「蕎麦」と書けば、それが何であるか分からぬ人はいないでしょう。これが、そばの原産地である中国ともなると、ご案内のとおりかの国は漢字の国ですから、土地土地によりいろいろな文字の表し方があるのだそうです。それがまた、土地土地のそばの品種ともからみ合って複雑ったらありゃしない。蕎、蕎麦、烏麦、花蕎、伏蕎、華麦、落麦、省麦・・・・・そばはタデ科の植物であり麦とは違うのに、麦と表現しているところが面白いですね。また、内陸部のチベットやヒマラヤでは古くから苦蕎麦(今、日本でも話題になっている韃靼〈ダッタン〉そば)が栽培されており、このそばと区別するために普通のそばを「甜蕎(てんきょう)」「甜蕎麦(てんきょうばく)」とよんで区別しているのは、興味をひかれます。「甜」は甘いという意味なのですね。日本で広く栽培されているそばが、甘蕎麦と呼ばれる所以です。突然ですが、話はフランスに飛びます。日本テレビ系列「世界マル見え特捜部」のファンの方多くいらっしゃることと思います。楠田さんに所さん、それにビートたけしのズッコケがおもしろいですよね。当地では毎週月曜夜8時から入ります。ずいぶん前に放映されたものなんですが、フランス人シェフがスタジオに来てクレープを焼いていました。ゲストが旨い旨いと盛んに食べていましたが、このクレープの生地にそば粉が入っていると楠田さんが言っていたのでちょっと驚きました。何という名前のクレープなのか忘れましたが、フランスのある地方の伝統料理だといっていましたから、昔からあるのでしょうね。ということは、フランスでもそばが栽培されているのだろうか?・・・と思ったのです。早速調べてみました。「蕎麦考」(永友 大著)より引用いたします。やはりフランスでもそばは栽培されているのです。「 Bre Sarrasin 」日本語読みで「ブレ サラザン」と発音するのでしょうか?「ブレ」は最終的には「ブレッド」に行き着きたくなりますね。そうすると「 Bre 」は小麦を意味することになるのでしょうか。「サラザン」は「サラセン」でしょう。しからば、サラセンの小麦ということになりますね。原産国中国からヨーロッパへそばを伝えたのは、サラセンの商人だったのでしょうか。同じヨーロッパでもドイツ語では、「Buchweizen」、「Buch」はドイツ語で「Buche」のことで、ブナの実のことを指すのだそうです。さすれば、ブナ小麦ということでしょう。では英語ではどうかというと、これが「Buck Wheat」。後半の「w」で始まる言葉はいづれも小麦を意味しますね。そばの原産地である中国でもやはり「麦」と表現していることを思えば、洋の東西を問わず、人間の思いつきや発想は同じなのかなと感心してしまいます。これは、世界の主食は何といっても小麦で、小麦は粉にして食されるものですから、同様にそばもやはり挽いて粉にして食べるということから、○○麦と表現するようになったのだと思いますが、読者はいかにお考えになりますか。日本では、そばは大陸より伝播してこの方、粒のまま煮てお粥のようにして食べていたそうで、粉に挽いても蕎麦掻き(そばがき)のように団子状にして、やはり煮るようにして食した。今のそばのように細く切って食べるようになったのは、江戸時代になってからというのですから、ちょっと驚きです。文字こそ中国から伝わったそのまま「蕎麦」と表しますが、長年にわたり粒のまま食していたというのは、これは何といっても日本は瑞穂の国、お米は粉になどせず粒のまま食べますからね、米の影響が大きいのでしょう。粒食と粉食の文化の違いは、こんなところにも影響しているのですね。そばっておもしろい!!◆酒そば本舗トップページへ◆
2009年03月20日
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