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看取る、つまり死にいく人を看取ること。これまでに何人の人を送ってきたかしら・・・・・。まだ、生きれると思っていたはずの人が急変したことも、朝、急に訃報が入ったことも。「死」という、通常の概念に捉われている方だとは思わないけれど。この間、スキルス性の胃癌で余命三ヶ月と宣告された青年の話を、TVで観た。潔く死を迎えたい本人と、チューブ人間になってもいいから生きていて欲しいと願う両親。どちらの気持ちも良く分かる。在宅医療は、今、こういった週末を家で迎えたい人を看取ることが多いそうだ。本人の気持ちと親の気持ち、また本人と子供の気持ち。送られる側と送る側。内科医は、ここまで看なくてはいけないのか。実際にはそうなっている。で、私は何か役に立てることは無いのかと探した。看護士免許・介護士免許・心理カウンセラーの免許・・・・・。私のカウンセラーは、免許の数を羅列してくれた。「でも、止めてほしい。重すぎることだから・・・・・。」と。重すぎることだから、手分けしなくちゃいけないんじゃないの?在った。山谷に、「終いの家」。身寄りの無い人のための「死を待つ家」。マザー・テレサがインドに作った家のように、山谷の中に在った。ボランティアで支えられている家だとか。以前は日雇い労働者の町だった山谷。岡林信康が歌った「山谷ブルース」の山谷。周囲の皆が反対する。のめり込む性質だから。通うことが出来ても、住み込んでしまうのが目に見えているから。全てを打ち込んでしまうから。そして、逝ってしまった人たちを思い続けてしまうだろうから、と。何かの役に立ちたい。誰かのためになりたい。そんな価値も無いのかなあ・・・・・。すみません、今日は元気がありません。
2008.03.30
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毎年恒例の「桜情報」がニュースで流れている。街のあちこちに花が色づき始めた。新しい分譲住宅などの一角は、さながら競い合うかのようにガーデニングの成果を発表したがっているようだ。うん、とても綺麗な花や可愛い花が沢山見られる♪でも私は、野辺や山野に咲く花が好き。誰が意図したものでもなく、咲くべき時を知り咲いている花。町の中にも、ほんの少しの路地の脇にそんな花が咲いていたりする。誰が肥料をやり、水をやっていたかなんて考えることも無い。それがその花の自然の有り様だから、ただそれだけで咲いている。雑木林の山は「緑」という色の多様さを見せてくれる。本当に人の概念なんて、ただの枠でしかない。そんな山の中の誰の目にも触れそうに無いところでも、花は咲く。神の芸術は、植栽計画なんて詰まらないものじゃない。在りて在るように、お創りになられる。自然とは、神が「至善」と思われた状態を指すらしい。随分と人は神の「至善」を、まるで丸ごと与えられたかのように勝手気ままにしてきてしまった。花が咲く時期を知り咲いているように、私達人も在るべくして存在している。神にとって花と私達とどちらが大事か?それは神様にしか分からない。でも、神様の「至善」を我が物顔で勝手に扱ってきた私達は、いずれその対価を払わなければならないだろう。今は、花を愛でよう。その生き方を習おう。せめて、身を付ける花になりたかった。身を付ける花は、可憐で儚げで人の美の基順には入らないものも在るかもしれない。でも、いい実を付けられる花になりたかった。
2008.03.29
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今日も、ハワイのharelaさんから、非常に興味深い内容のメッセージを受け取りました。私自身も感動していますが、是非、皆さんにシェアしたくて、以下に貼り付けます。宜しかったら、感想をお聞かせください。今日は、予期せぬ 脳梗塞を体験し生死を超えたアメリカの脳神経解剖医(Neuroanotomist)の体験談のビデオを通じ、 私たち人間の脳が果たしている本当の機能と役割を一緒に学んでみましょう。 ジル・テイラー(Jill Bolt Taylor)さんは、ある日脳梗塞のために、脳の左側の機能にダメージがおきました。そのため、体を動かすこと、状況を理解すること、言語機能がうしなわれました。その結果、右脳の方がより強力に働くため、右脳が実際に果たしているこれまで明らかにされていなかったスピリチュアルで宇宙的な機能と役割を全身・全霊で受け取るチャンスに恵まれたのです。以下、彼女のお話の要旨です。 コンピュータで言うと、右脳は巨大なパラレル・プロセッサー(超高速並列演算処理のできる高性能CHIP)で全ての対象を瞬時につかむことができる。そして、右脳は、全意識と繋がって「今、現在、ここにある」という状況を認識します。右脳は、自分と外部(他の存在)との差別感がない、あらゆる存在と自分とが渾然一体となった超意識存在感(ワンネス意識)または、全意識の感覚をもたらすものです。 一方の左脳は、シリアル・プロセッサーのような機能で、右脳が受けたすべての情報を事細かく判断し、事細かく分析し、また、60兆の細胞から感じとり右脳から送られてきた個々の認知情報を処理するよう命令するリニアなシステムです。そして、左脳は過去の記録を思いだし、将来のことを考えたり、全ての可能性を予測するするというような役割をになっているようです。また、自分と他人とを差別し(自我意識)、目先の事を詳細に考える固有の性質を持っているのです。 ジル・テイラーさんは、病院に担ぎ込まれ、脳腫瘍の手術を受けたのですが、その時に、生死を超えた巨大な意識の光の中に本当の自分の存在であることを体験し、その宇宙とつながる美しく輝く愛のエネルギー生命体=真実の自分(Nirvana)から、一個の小さな自分に戻れるかどうかが不安であったという体験を感無量で語っています。彼女の体験話は、医学を志し学ぶ方達をはじめ、あらゆる年齢や職業の方に、魂レベルで訴えるすごいパワーを感じました。 今日のビデオは英語ですが、いずれの機会にジル・テイラーさんの語っている内容を日本語に要約して、halera日記でご紹介したいと思いますが、ひとまず、彼女の劇的な体験談をビデオでご覧ください。語っている言葉をハートで感じとってみてください。最後のジルさんの言葉は、とっても感動的です。人間の実際の脳みそがでてきますので、びっくりしないでください。 「すべてのものと一体となった真善美の世界を司る右脳を優先した意識で生きていきたいか、それとも、差別感のある左脳を優先して生きていきたいですか?」という問いで、この講演会が終わっています。。。。
2008.03.23
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尊敬するハワイ在住のHarelaさんのメッセージです。いつも心をあたたかくしてくれる素敵なメッセージを頂きます。 心を広くもつためには、心の持ち方が大事。下記のような心の持ち方を すると、心がゴムまりのように丸く楽になるような気がする。 今日もまた、神様から、新しい時と命を授かった。 今、住む家といただける食事に気持ちを入れて感謝する。 物事を、あるがままに受け入れる。 心にブレーキがかかったらすぐにやめる。 執着をもたず必要な時に、喜んで手放すこと。 クヨクヨする気持ちは現実ではなくただの幻想だと知る。 全てを祝福の心をもって、魂の学習のための糧とする。 すべてに対し、ありがたいと感謝する。 あらゆる現象を、一つの成長過程としてみる。 毎日が魂の収穫の日であると、宣言する。 狭い心で、相手のことを決して裁かない。 今日も、良い一日になると堅く信じる。 寝る前に地球の上にいる68億の人々の健康と幸せを祈る。
2008.03.16
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歳がばれるけれど、そんなのは関係ない。今の家族関係はどうなっているんだろう?確かに人のことは言えない、私は家族に守られて生きているから。でも、家庭でも学校でも子供に「イイコ」を押し付けすぎだろう。その子達はTVゲームだけが唯一の趣味だったり、ストレスの捌け口だったりするんだろうな。ウチの近くは都内に通勤する人たちの独身寮がいっぱいある。嘗ては、そんな独身寮の周りには定食やさんやスナックが軒を並べていた。でも今は閑古鳥。会社帰りにコンビニでお弁当を買って缶ビールを買って、量の自分の部屋から出ないらしい。家庭にあってもそうらしい。仕事のストレスを話すでもなく、会話自体が少ないらしい。詰まらなくないのかなあ?私は嫌だ!思っていることを話せない家族関係なんて真っ平ゴメン!嫌がられても、何が嫌なのか追及する。改められるところは改めるべく努力をするつもり。。。。でも大抵のことは、我侭を通させてもらう。だって一番の年長者だもん。この頃思う。嘗ては大家族だった。おじいちゃまがいたり、出戻りのおば様がいたり、母の弟が就職で東京に出てきたときはウチから通っていた。おじいちゃまは、二ヶ月くらい寝込んでウチで亡くなった。私は初めて死んだ人を見た。何処のうちも似たような家族構成だった。年長者は敬われ、嫁姑の確執があっても似たような状況の嫁さんが多かったから、お互い愚痴を言い合い仕方が無いね、と言いながら姑に仕えていた。子供の面倒を見るのは姑の役割だった。若い夫婦は揃って働いていたことが多かった。でもウッカリ、夜遊び疲れた私がオバア様のお布団で寝てしまうと、母が取り戻しに来たらしい。私たち子供は玉投げで遊んでいれば、夕方暗くなっても玉が見える限り遊んでいた。遊び仲間や喧嘩仲間で、ヤッサモッサされて人との付き合い方を学べたんだと思う。父は、宿題を出す教師は教師としての職務をマットウできないから宿題を出すんだ。と言って、決してウチでは宿題は出来なかった。だから学校の休み時間で済ませてから帰った。だって、学校から帰る時間になると門の前で立って待っていたから。父は、悪がきの悪戯が度を漉すと何処の子供でも叱り飛ばしていた。みんなウチの門の前は走って通った。若い奥さんが泣きじゃくる子供の手を引っ張っていこうものなら、これも怒った。何故、泣いている子の言い分を聞いてやらないんだ。というわけである。「子供をてめえの勝手に育てるな」と、言うわけである。毎日が楽しかった。でもそんな私にも、怖いカミナリオヤジがいた。そこんちの前は走って通った。大人になってからそのカミナリオヤジの息子さんと飲む機会があった。「お兄さんちの親父さんは怖かったよね」と私が言うと、「おめえの親父には俺もブルッたぜ」と、お兄さん。「でも知っているか、どこんちの子供でも怒鳴りつけたり、張り倒していたのは、俺んちのオヤジとおめえんちのオヤジだけだったんだよ。今から思えば、いい親父たちだったよね」う~~~ん、なんか和んだ晩だったな。今は高層マンションがいっぱい建っている。隣の人がどういう人かしら無いこともあるかもしれない。プライバシーと言うんだろうけど、要するに「無関心」なんだ。この「無関心」は本当はプライバシーの尊重でもなければなんでもない。無関心ほど怖いものは無いと思っている。人に関わりたくない、面倒に巻き込まれたくない。だから人間性が失われてきているんだ。無関心はもちろん向上心も奪ってしまう。コンパクトな視野も心も狭い、詰まらない人間ばかりが増えてくる。子供がりスト・カットしていても、同居の親が気付けないはずが無い。様子や血のついたティッシュ、ハンカチなどで必ず気づく。それが気付かない。剃刀が滑って、太い血管でも傷つけたら、一人部屋の子供は朝になるまでに死んでしまうだろう。「どうしてうちの子が!学校にも塾にも真面目に通って、ウチでも乱暴な口を利いたことも無いんです」そんなに周りに気を使う子だから、ストレスの吐き出し口が見つからないで、自分を追い詰めちゃっていたんですよ、と言ってあげたい。大家族の中では、こんなことは起きない、誰かが気付く。お年寄りも病院のたらい回しなんてしないで済んだ。みんな順繰りに生まれて生きて歳を重ねて、死んでいく。このサイクルがキチンとしていた。昔の日本に帰りたい・・・・・。季節の漬物を漬ける暮らし。風の温みで塩加減を調節したり、そんなことが大事で当たり前の暮らし。あっちのうちにもこっちのうちにもお裾分けして、何処のうちも似たような夕飯になったりして。それが楽しかったなあ。ジャガイモのコロッケが大好きだったなあ。
2008.03.13
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今日、何ヶ月ぶりだったか?ある人を見かけた。奥様を亡くし、子供たちは巣立ち、本来気難しい論客で人付き合いの多くなかった人。私は彼の論議の相手の一人だった。でも、悪意の醜聞がたって、彼は私を気遣い、会うことをリクエストしなくなった。その悪意の出所を私は知っていた。相手にもしたくないような人たち。でも、まるで夏の湿気のように纏わり付いてくる執拗さを持っていた。それからの年月・・・・・。久しぶりに彼を見かけた。反射的に声をかけた。無表情がならいとなっている彼の顔に変化があった。「今度、駅まで出てくることがあったら電話して」そういうことはないだろう。そういう人ではないから。一緒にいた娘さんが追ってきた。「父を誘ってあげてください。私はもうすぐ自分の所に帰るから、また、父は必要最低限の言葉しか交わさない日常になってしまう」彼女の気持ちは、痛いほど分かる。でも、孤独の檻に自分から入ってしまう人には、どうすればいいのか?どうして独身の娘さんは傍にいるようにしないのか。人には人の事情がある。悪意の醜聞は、そんなことを気にしない私の耳に入らないように巧妙に彼の耳に注がれた。彼がそれを気にしている間は、私からは誘えない。あの後何度電話をかけただろう。彼の愛した奥さんは、私の愛した友人でもあった。彼女は今の夫を見て、その孤独を見て、どう思っているのか?今は老人でなくても、どんな年代でも、簡単に人をシャット・アウトできる。難しいのは、檻から出るタイミングだ。そのときが来たら、どうか躊躇わないで内側からでいい、合図をして欲しい。
2008.03.09
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今日は満開の白梅を見てきました。風はそれほど強くもなく、穏やかな気候でした。お花屋さんの店先はとてもカラフルになり、通りにまで溢れかえっています。季節の変わりつつあることを感じていますか?風の変化・気温の変化・樹木や草花の変化・街を歩く人たちの装いの変化・・・・・。時間は間違いなく過ぎていっています。地球は間違いなく回転してくれています。自分の心の中から、外の世界に目を移してみましょう。昨日と同じものは何も無い。一日分の変化は必ず起きています。目に見えるか見えないか、あなたに見えるか見えないか。でも変化しているんです。自分にとって都合が良いことも悪いことも、嫌なことも素敵なことも、その変化の中にある。全てを受け入れることは出来なくても、自分も共に変化していることを忘れないでください。明日起きる変化の元は今日にあります。心の中に思ったことは、いつか現実のことになります。そのあなたは、笑っていますか?悲しんでいますか?怒っていますか?どんな自分になりたいですか?
2008.03.07
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誰にでもコンプレックスはある。わたしの友達は、お母様がとても綺麗なひとだったらしい。で、「お母様に似ていないのね」と小さい頃に言われて、それが根強いコンプレックスになっている。充分愛らしい人なのに(自分はブス)と思っている。容貌なんてものは、不自由なく生活していられればそれで良いと、ブスな私は居直っている。綺麗だからモテるっていうわけでもないし・・・・・。問題なことは、それが心の底にたまってシコリになって、他のコンプレックスとも絡み合い、しつこく硬いシコリになってしまっていること。これを解していくのは、自分しかいない。粘り強くひたすら根気の世界だ。そのコンプレックスを持ってしまったときの自分に戻って、幼い心をほぐしていかないといけない。聞き分けがない強情な自分に会ってしまったりする。まあ、聞き分けがよければコンプレックスにはならないのだから、仕方がない。これを滑らかな心になるまで続ける。どのくらいかかるのやら・・・・・?でも、これは手を抜けない。人を責める気持ち・人を裁く気持ちは、このコンプレックスが大いに作用するからである。理屈でわかっても感情で分かりたくない。こういうこともコンプレックスの作用だと思っている。人を責めたり、裁いたりする前に、自分の心に尋ねてみよう。「私のコンプレックスさん、あなたはこのことに関係ない?」
2008.03.06
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誰の心の中にも「愛されたい」「理解されたい」という願望は眠っている。「愛されている実感」愛している人に愛されているときほど、満たされる瞬間は無い。満天の星を手に入れることよりも価値のある実感がそこにある。でも、いま誰ともそういう感情の交流が無いとしても寂しがってはいけない。愛していた人は、あなた自身の本当の全ての全てを無条件に受け入れてくれて愛してくれていたのか?どうも、恋愛に終わりが来てしまうのは、その辺りの勘違いが大きいようだ。では自分を完璧に理解して愛してくれる人はこの世に存在しないのか?ちゃんと存在している。そう自分自身。神の愛と祈りによって、この世に生み出された自分。いままで育てはぐくんでくれた人たちや環境は、神様が設定してくださっていたもの。その中には、未だに強く思いの残ってしまうような辛い体験もあったと思う。でも、私たちは今も神によって生かされている。この世に存在いする唯一無二な自分は、神と自分が一番良く知っている。記憶が始まったときからずっと、嬉しかったこと哀しかったこと苦しかったこと辛かったこと、全ての全てを知り尽くしているのは、神と自分だけ。自分の欠点も良い所も汚いところもズルイところも見栄っ張りなところも、全部認めて、自分を改めて愛してあげよう。決して、「こんな自分の欠点が、私我慢できないのよね」などと蔑んではいけない。神がお許しにならなければ、この世に存在することすら出来ないのだから。神がお許しになっていることを、自分の都合で勝手なことを言ってはいけない。恋愛では、錯覚と真実が入り交ざって始まり、現実と勘違いに気付くことで終わっていく。でも愛された真実はそこに、ちゃんと在る。そして愛した真実もちゃんとある。自分を本当に理解し、赦し、愛することが出来たならば、またこの次誰かを愛したときに、今までよりも深く、今までよりも錯覚も少なく、また、正確に愛を受け入れることも出来るだろう。そう、想う。
2008.03.04
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心に波風は立っていないだろうか?生きていると、穏やかな日ばかりではない。強い風や雨・嵐にも遭ってしまう。心の底に沈殿していた澱や腐りかけのゴミまでかき回されて、表面に上がってきてしまうこともある。でも、時間が経てば、やがて雨も風も嵐も過ぎる。風によって浮いてでたゴミや澱は、心の外側に吐き出されていることもある。そして、太陽に照らされて、心が嬉しくその光をさざ波で煌かすことも出来る。心には天気がある。いつも晴ればかりじゃないけれど、だから掃除が出来ることもある。心の環境が良ければ、周りには季節ごとに美しく咲く花や樹木や可愛らしい動物も集まってくるかもしれない。そんな心になりたい、と思う。
2008.03.03
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