Tequila's  Bar

Tequila's Bar

2006.01.12
XML
カテゴリ: カテゴリ未分類
今日は、小春日和の日中でした。

豪雪被害の地方の方々には申し訳ないけれど、私も久し振りにお買い物をすることが出来ました^^。
何かの拍子に、家にこもってしまうと中々動き出すのが億劫になります。
年が明けてから体調に不安があったのですが、それも今はなくなり、元気になったところに母から電話が・・・・・。
明日は亡き父の月命日でした。
父にお花を買って、母のところに出掛けました。
自転車で五分・・・・・。
実家が近いのは、幸せなことです。

母は、未亡人になって29年。。。

それから、母は激動の人生を乗り越えて、子供3人を育て上げ、60歳からは自分の人生を生きることを宣言しました。
母の世代は、第2次大戦を挟んで、日本の激動でもありました。
戦時中、日赤の看護婦をしていた母は、毎日を仲間と水杯をして患者さんを守りながら生きてきたそうです。
負傷して入院していた父と知り合った母は、決まっていた縁談をすっぽかして名古屋から千葉の父のところに逃げるように身を寄せました。
宮大工の棟梁の家に生まれて、女学校にあがったのは村で初めてだったとか・・・・・。
当時のモダン・ガールは、大農家とはいえ農業に従事することなど初めてで、おまけにご飯の炊き方も知らなかったとか。
おじい様が亡くなって、父と母だけの家庭になったときには、それまでのストレスで10年近くを入退院して過ごすことになりました。
幸い、父がマメな人であったことが、私たち子供には有り難いことでした。
運動会・遠足のお弁当は全部父が作ってくれました。
通いのお手伝いさんもいましたが、父は実によく母の面倒・私たち兄弟の面倒を見てくれました。
母が、健康を取り戻して家にいてくれるようになった頃、父が手がけていた不動産業が上手くいかなくなり、人のいい父は人様の連帯保証人にもなっていたので、莫大な借金を背負うことになりました。

母は、実に良く笑っていました。
困難に遭っても、笑っているように努めてくれました。
それが今でも有り難いことです。
60歳から、老人大学で学び始めた母は、79歳の今でもイキイキ大学に通っています。
膝から足をいためて、歩行に不自由はありますが、お友達がたくさんいるので死ぬまでは大学生をするそうです。

子供の私にとっては、幾つになっても親は親です。
未だに一番怖い存在です。
それに一番安らげる人です。
幾つになっても、親がいてくれるというのは嬉しいことです。
まだまだ、気力充実の母ですから、元気でいてくれると思っていますが、何かあったときにすぐに行ける所にいてくれることは有りがたいです。
今日はそんな母と、コロコロ笑ってお茶を飲んできました。
久し振りに、子供に戻った午後でした^^。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2006.01.12 19:17:19
コメント(3) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: