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Safariでは一年に一度か二度はブログページを見てた気がするけどアプリを開く事が無くて楽天ブログアプリが提供終了してた事を知りませんでした。何度もアプリ画面からログインするけど全く反応せずこれはブログアプリの更新が出来てないからかなぁ?とか一度削除してまた入れたら良いかなぁ?とか思って削除。App Storeでブログアプリを探すけど見つからず。Google先生にお伺いしてみたら昨年でアプリの提供は終了してたんですね。お知らせは来てたんだろうけどブログほとんど書いてなかったし読みにも行ってなかったので実感せずにログインできない事で月日の流れを感じる。まぁ月日の流れというか最後の辺りは家を新築する記事の途中でちょちょ切れてましたからほぼ浦島花子ですわ〜。さて、現在は老眼が進み過ぎて目が霞み、しかも年々歳々酷くなっている乱視がとても辛くてブログ書く気にもならなかったんですがギリギリ生きてます。家も既に5年過ごしてあちこちボロボロになってきた部分もありまして…やっぱり維持管理は難しい。仕事はストレス抱えながら二転三転しましたがとりあえずまだ働いています。来年、再来年辺りには今の職場のフルタイムパートから短時間パートに変更してもらってお小遣い程度は稼ぎつつもっと家のメンテナンスに時間を取りたいと思います。家の事はまた別に書こう。いつも延々と書き続けるからウザくなって全削除になるし。ではまだ読んでくださってるお友達がいたら時々更新するかも程度だけどよろしくお願いしますw
2022年12月15日
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飴風呂のワンコブログに細かく進捗状況をあげ続けているのでこちらにまで同じ事を書く気にならず〜ですが、地鎮祭が昨日終わりました。 まとまった雨が降るってことでいつもの様にかなり神経質になってましたがw 朝になってもうこれは無理って感じの大雨になったのでドタキャンも連絡したんだけど代わりの日程がもう取れそうに無いってことで決行。 マジ? この大雨の中で⁉︎ ってイーヤーダーと思ってたらだんだんに雨が止んで…地鎮祭はもう全然問題なく無事にしゅーりょー。 終わりよければ全て良し! すごいなー。 仏様も神様も大層な雨の中決行を譲らなかった担当者さんもありがとうございます! ドタキャンしてたら絶対に後悔してた。 しかも…地鎮祭の告知なんかしてなかったのに地鎮祭を知っていたかの様に隣近所がお出かけしてくれました! やっぱりなんか気恥ずかしいからねw 擁壁工事の際に既にご挨拶は終わっているので後は工事中の近隣の苦情をなるべく受けずに済む様に祈ってます。 路駐が一番迷惑になるので近くの駐車場を借りてますが昨日早速役に立ちました。 基本として私の車は仕事がバス通勤だから借りた駐車場に停めて、庭を作業員さんたちに解放。 っても1台かせいぜい2台だけしか停められないけどそれでもその分路駐は減る。 借りた駐車場は2台分だから私ともう一台のところには現場監督さんの車が停まることになる様です。 現場監督さんは基本として現場に居るので車を動かすことが少ないみたい。 あとは上手くやって欲しい。 頑張って〜と願うしか無いのでありましたw
2016年10月29日
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造成工事が終わって…雨でぬかるんでいる様子がありありと分かりますが明日は地盤調査です。 さっき足を踏み入れてみました。 一歩目からイボリましたw えーっと、地盤調査の結果はもうこれでわかった気がするわw 元々は水はけの良い土地だったんだけどかなりの広範囲にひっくり返した状態だから抜けてた水が抜け道を失ったんやろな。 いつかは同じ様に戻るかもしれんけど急いでいる工事には間に合わないと思う。 素人判断だけど。 造成工事ついでに上物の土も総入れ替えする方が早いな〜とそんなお金がかかりそうな予感。 ま、この工事で土の状態が変わったけどそれは元々の地面の持っている特性だから仕方ないよね。 赤土だからなー。 今まで排水が上手くいっていた方が不思議なくらい…素人判断では。 明日の地盤調査を辞めて杭打ちに決めてさっさと真砂土を手配した方が後の建築に支障が出ない気がする。 そんなこんな素人判断をしてますが、明日になれば建築会社の担当者も地盤調査の専門家も来るから専門家がなんと判断するのか楽しみにしていようw
2016年10月23日
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こんなの部屋にあったら楽しいw それにしても…そのまんまヤカンですわ~。 KAKUDAI(カクダイ)Da Reyaアイキャッチ水栓魔法の水711-031-13
2016年01月22日
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今日は父の一周忌です。 一昨日辺りから1年前のことを色々考えてました。 兄からの連絡は何もなし。 安定の兄である事よ。 今日の仕事は父の日関連商品が多くてなかなかに大変でした。 はぁ疲れた。 今から帰宅します。 帰宅してお仏間で手を合わせる前に寝ちゃいそうww
2015年06月18日
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これは昨日の夜暗い中で撮ってきたんだけど今のスマホのカメラってスゴイ。こんなに光は入ってなかったんだけど明るく撮れてますね。もう何年もほったらかしになっていた工具なんか埃を被って可哀想でしたが、他人に取ってはガラクタでも私には子供の頃からの思い出が鮮明です。このドリル盤もお手伝いに行ってた頃には「気を付けろ」と言われながら部品に穴を開ける手伝いで使いました。小学高学年から中学生の頃までは夏休みに良く手伝っていた。おかげで穴を開けるには下穴を開ける前にポンチを打ち、それから欲しい径にするまで細いドリルから少しずつ太くするって事も教わった。そういう昔の記憶が今住んでいるプレハブ小屋のロフト作りに役立ったと思いますですwwもちろん本業の金工でもけっこうチョコチョコ作れたりするのは親の作業を見てきたからだろうな~とは思う。もう本業と言える状態ではなくなってしまったが。兄が2年か3年は残すと言ったからその間に時間を見つけて溶接機でちょっとしたオブジェを作らせてもらおう。個人で買うには躊躇するような量の鉄板やら鉄棒が錆びくれるままに放置されている。少なくとも20年近く使っていない道具もあちこちにあるがまだ現役で動かそうと思えば動く。今の電子部品の様なものはすぐにダメになるけど昔のものはオイルを指してベルトを変えてやったらまだまだ50年100年は動くんだよ。そういう大らかな機械を使って工場を動かしていた時代を懐かしんでも取り残されて行くだけなんだけどね。ま、田舎の農地を貰ったらそこに使えそうなものを移設して私の老後の楽しみにさせてもらうのも良いか。山羊と羊と犬を飼って時々溶接して農地のあちこちに訳が分からないものをおったてて行くのも良いなwうん、もちろんそれを片付ける人のウンザリした顔が瞼の裏に浮かぶからただの妄想で終わらせると思うんですけどねwちなみに工場の二階にあった機械の材料、あれを全部きちんと仕上げたら何億円かの商品に化けてくれるのに…買い手がありません。作らないから宣伝もしない。父が「簡単にできるけど単価が安い」と言って作らなくなり、反対に最初から設計して作るのに数年かかるけど1台作ったら私の年収の何倍かの機械にしか興味が無くなり…。実際は設計が楽しい人で作るのは他の人に任せたかったんだよな。でも作る人が父だけになって兄がちょっと手伝うけどのんべんだらりとした仕事ぶりで設計だけに専心できなかったから最終的には仕掛かり材料も沢山残ってそれを作って売るのではなく「鉄くずの買い手があるから売る」と言う兄だけが残ったwまあそういう事です。終わって行く会社、終わって行く家系ってのはもう可哀想なもんです。父が「長男教」で「男だけがすごい」って考えを持ってなかったらもっと違う展開もあったんじゃないかと思うよ。何もかも父が選んで決めた末路なのでそれはそれでいいんだろうけれど。
2014年10月04日
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父の所の掃除、ほどほどにして帰宅しました。6時を回ってしまうと通勤の車が出始めて混んで来るので6時前に切り上げました。今日はネズミの巣の掃除と棚の上の何か判らないけど大事にしている感じのものを整理した。棚の一番上で埃だらけだけどとても大事そうにされていたのは…母が元気な時に作った「四葉のクローバーの押し花額」でした。アレは…私が中学生だったか小学6年だったかの頃に工場にシロツメクサがわんさか咲いてその中に山ほど四葉のクローバーがあったの。毎年シロツメクサは咲くんだけどあれほど四葉のクローバーが見つかったのは私の記憶には他にない。んで五つ葉のクローバーも沢山あって「なんか変やね~」と話しながら沢山摘んだ。母はそういう四葉のクローバーを探すようなことが好きな人だったから二人で夢中になって探したのを覚えています。んで、その年だったか翌年だったかの夏休み前に台風の大きいのが来て工場の近くの川が氾濫して工場一帯が水浸しになり「アレは不吉の前兆やったんや~」と私は普通じゃないことが起こったら碌なことにはならんと言う事を初めて認識しましたwwその時の水はなかなか引かなくて数日は仕事どころか片付け自体も出来ないありさまでした。その頃工場の周りは下水道が来てなかったから川が氾濫して洪水になればそこらじゅう「ポっちゃん便所」の中味も流れていく。それはうちの工場も隣近所の住人も皆そこに居る人たちは同じ環境で誰から苦情が出ると言う事もなかったけど、父は「男の腰まで水が来てるから女は危ないから来るな」と言って父だけが工場に行った。私も掃除を手伝おうと思っていたんだけど母と一緒に役立たずで家に居ました。今なら意味が良く分かるんだけど何で女は腰のあたりの水が危ないのかその頃は意味不明wそのあたりに住んでた女性たちはどうだったんでしょうかね。さて、そんな思い出のある四葉のクローバーですが母はその後も見つけては押し花にして昔よくあった「フエルアルバム」の台紙に並べて壁にピンセットで留めてたんですが、父はそれをきちんと額に入れて大事にしてたみたい。やっぱり母が亡くなって一番ダメージが大きかったのは父ですね~。当たり前か。ま、どれほどダメージが有ろうと恋しかろうと…26年後には埃だらけで発見されるんですから恋しさも干からびていくのかもなと薄情な娘は思うのであります。干からびた恋しさの残骸を掃除するのは私だからそれくらい思わせてもらおうw他に…きちんと短冊色紙に清書された父の短歌っちゅうか川柳っちゅうかそんなものが二首出て参りました。これは正式に頼んで書家に書いてもらったようなきちんとしたものでした。んで後からお手紙の下書きの様なものを見つけた。それは靖国神社宛で、その二首の短冊色紙を奉納すると言うような趣旨のものでした。「!? お父さんはこれを靖国に奉納するために清書してもらったんか」とビックリだけど笑ってしまったww だって靖国に奉納する割に…山笠に付いての歌でしたからね。これをどうしたもんか。父のやりたかったことは判った。んが…靖国神社ってこれ貰って嬉しいか??常に相手の立場になって考える癖は無いが、今回は靖国の宮司さんの気持ちを考えてみたい。…いや、貰ってもどうしたら良いんでしょうかねえ…と心の声が聞こえてくる気がするwwこりゃ保留だな。それにしても父は沢山の川柳を残しているので面白いなあと思います。もっと仕事仕事って言わないで趣味と家庭と仕事のバランスを取りながら生きてくれたらよかったのに。見事に仕事仕事仕事で90歳まで突っ走りましたからねえ…。若い頃には何日も何か月も考えてそれでも判らなかった仕組みが年を取ったらすぐに目の前に浮かぶようになったと言ってました。頭の中に考えるんじゃなくて目の前に設計図が浮かぶからそれを鉛筆で描き移したらそれですぐ人に見せられる設計図が出来上がるって言ってましたから年を取って仕事を辞める気にはならなかったんでしょうが…。まだ霊界に上がったばかりの父は母の所にも行けず自分の置かれている状況把握に精一杯で余裕もないでしょうから仕事の事も忘れているでしょうね。もうこの世の仕事は過去の遺物。父にとっての仕事は霊界の仕組みを知る事と自分の魂の浄化を実践する事ですから倦まず弛まず頑張ってくれ。寿命の無い世界の仕事は終わりがない永遠の謎に挑む様なものでしょうから父には楽しいかも知れません。その前に「自分さえよければ」ってところを直さないといけませんけどね。父の所の掃除の為に休んでる会社ですが父の所の掃除もだけど自分の所の片付けもやってます。うーーん、やっぱ一ヶ月じゃ終わらないから冬の繁忙期前まで二ヶ月休んで全部終わらせるかなあって方にかなり傾いてるw食べていくことさえできるなら二ヶ月休んで自分の所の模様替えも今年中に終わらせたいです~。
2014年09月02日
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父の満中陰はとっくに過ぎているんですが、折しもお中元シーズン。こんな配送業者がお中元で忙しい時の荷扱いは荒い。荒くしたくなくても同じ時間に流れる商品の量が2倍、3倍になれば当然1個の商品に掛れる時間は短くなる。住所をしっかり確認したくても再確認の時間が無くて全然違う営業所に間違って送ってしまったり、最近は包装紙が薄く破れやすくなっているので見栄えの悪い商品を届けたりすることになる。いくら頑張っても時間と捌ける物量はキャパがあるのである。だからこんなお中元真っ最中に香典返しなんて送るのは「ちょっと待て」なのであります。そもそも「満中陰志」なんですから満中陰が終わってからあまり遅くなり過ぎない程度の期間で送れば良いや。なんて自分に都合が良い事ばかり考えてどれを送ろうかと迷っているうちに「いくらなんでも遅すぎるだろ??」と自分で自分に突っ込みを入れたくなるほど遅くなってしまいました。カタログで自分がステキだと思っても「先様はこれが嬉しいだろうか??」と考えたらもう「???」の嵐で決まらないのである。んで、最終的にカタログギフトになりましたwこの香典返しが大変だから父と葬儀の話をした時「家族だけで見送る」と言う方向に決定したんですが…やはりお寺関係を除いてもある程度お返ししなくてはならない方々が…。兄に「家族葬にするから会社関係・友人関係は呼ぶなよ」と念を押しておきましたが、自分の店のガラス戸にでかでかと「父が亡くなりましたからしばらく休みます」って書くから仕事関係の方々も来てしまったおいでくださいました。ま、お葬式の当日に近所の方を中心にお寺関係の方々が来て下さったので兄からは「自分だけ知り合い呼んで…」と裏切り者扱いを受けましたwお寺関係の方々は指導の先生が「近い人は行ってあげなさい」と仰ってくださって、私には「香典返しはしないように、その分を供養に回せ」と言って下さってるのでお寺の方々には香典返しは特に焦って何かを用意する必要はないんですが、やはり一般の方にはきちんとしなくちゃ…大変だとか舐めた事言ってると後がもっと大変w自分が働いてる会社のカタログギフトにしようと思っていたんですが社員の応対が気に入らなかったので楽天でもなく他社のカタログギフト専門店の様なギフト屋さんで頼みました。いやあ、やっぱり大変wそれでもなんとか今月末には先様にお届け出来るので後はその方が何を選ぶかにお任せ。お父さんが亡くなった同僚が「葬儀も大変だけどその後の雑務が多くて大変だったよ」と言っていたけどホンマやわ。うちなんてほとんど人に知られないようにしても面倒だと思うんだから大々的に「葬儀するからお別れしてやってください」って執り行ったところはヒェーってなってるでしょうね。ま、葬儀会社に全部任せれば簡単なんですけどね…。とりあえず無事に注文出来てスッキリしました。金額も何を選ぶかも兄には相談せずに自分で決めちゃったwどうしても住所がわからない兄関係の方が3人おられてその分は兄の所に送るようにしました。今度父の部屋の掃除に行くときに忘れないように説明しておかないとな。さあ遅くなった。明日も仕事だから寝ますー…って3時間くらいしか寝れないけどw
2014年08月15日
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昨日、8月5日に七七日・満中陰を迎えました。仕事と納骨許可を頂いてからの書類を揃える事などでちょっとバタバタしちゃった。兄から本山へ納骨の確認書へ実印と印鑑証明書を貰う必要があったので連絡した時にもう一度「本山へ納めたらもうお骨を取り出すことは出来ないよ」と言うと「判った」と。印鑑証明書と実印を貰って書類の事は問題なし!!と思っていたら自分の印鑑証明書を取る時に発行機のカードの暗証番号を忘れてしまってカードが無効になり4日の月曜日に会社を1時間遅刻させてもらって取りました。ついでに住民票も取って会社に行く途中にある警察署で住所変更もしてもらいました。住民票を取ってなかったから住所も変えないままでほったらかしでしたが次の免許更新が28年だからそれまでは引き延ばせんだろうと言う事でw昨日の夜に父と母のお骨・白木位牌・本位牌やその他お寺の道具一式をどうやって運ぼうかと考え折り畳み式のクーラーボックスにIKEAの一番大きな青い袋を組み合わせることで試したら問題解決。今夜から1泊2日で本山に参ります。毎年7日の朝にお参りしていましたが今回はどうしても新幹線が押さえられなかったと言う事で前日からお寺に泊まらせていただいて、その代り7日のお施餓鬼供養が朝から行われて私たちは午後早くに帰宅できるという事に。夕方の混雑する時間帯に新幹線の駅に集合なのでこんなことゆっくり書いてる状態じゃなかろ私w先日大切なものを探している時に仕舞いこんでいた折り畳みのクーラーボックスを見つけて「邪魔だなあ…」と思っていたんです。これは自分で買ったものではなくてワンコ友達からの貰い物。ワンコ友達のお金持ち奥様グループの方が仲良くなった人に配っていた??モノでデカすぎてどうしたら良いの私??と思って仕舞っていた。引っ越しの時も邪魔だなあと思ったけれど捨てるのも大変だから持ってきてほったらかしになっていたんですがこの前発掘して車の中に置いといて冷凍食品(主にアイスクリームw)を買った時に使うか…と取り出してました。今回骨壺を父と母の2つにお位牌を3本傷まないように新幹線やらバスやらの移動に支障が無いように持って行くことを考えた時「このクーラーボックスなら入るか??」と閃きました。使ってないから骨壺入れても失礼には当たらないでしょうし、保冷のクッションが厚めに入っているので床に置かなくてはならなくなってもショックが無いでしょう。クーラーボックス自体に手提げできるストラップは付いてなかったんですがIKEAで買った大きな青い袋がピッタリサイズでした。IKEAの袋も未使用品があったのでこれも失礼には当たらないだろうからラッキー。新幹線でいかにも骨壺ですってものは他の人が嫌がるだろうけどこのIKEAの袋や銀色のクーラーボックスなら行楽客が見ても嫌に思う事は無いでしょう。私にとって両親の御骨でも他の方には「気味悪い」って思うでしょうしね。昨日お骨を持って行く準備をしながら両親ともにちっちゃくなったなあと思いましたです。最後はこんな小さな箱の中にちんまりと収まるしかないんやなあ。今後は本山で毎日お経を聞いて御仏様のおそばで修行に励んでください。父は満中陰を迎えたけど…お浄土の門は開かれたんやろか??せっかくいただいた大切な院号戒名を無駄にしないためにもご供養頑張らないとなあ…。ご先祖様も母も父を暖かく迎えて色々と指導してやってください。なんせ「坊主は拝むのが仕事。金を取るとは何事か!!」と言って坊さんを小馬鹿にしていた父ですからそこんとこよーーく言い聞かせて「仕事を頼めば金を払うのは当たり前!!」と魂に刷り込んでやって欲しいw生きてる時にどんだけ偉そうにしても死んだらその小馬鹿にしてきた坊さんに引導を渡してもらい関所を通る祈願をしてもらい成仏する道を拓いてもらうんだから。ま、酒と女にうつつを抜かす糞坊主を京都で沢山見てきた私だけれど、それでもスゴイ素晴らしいお坊さんが沢山いることもまた事実。すごいお坊さん、すごいお寺に巡り合えて本当に良かったです。これで父がちゃんと修行して母とまたお浄土で楽しくやってくれれば良いなと思います。さ、本山に行く準備をしよう。昨日までのあの大雨が上がって今日は倒れそうなほど暑い。やっぱり立場上喪服に準じた服装かとも思いますが、暑くて死んだらそのまま本山で葬式して下さるかしらw
2014年08月06日
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24日のお寺では父と母の納骨のご相談をさせていただいてお寺へお伺いを出してから割と早めに帰宅したんですよ。日勤になってからお休みは貰えるんだけど連休ってのがあまりなくて疲れが溜まっているのでなるべく早く帰るようにしています。深夜勤務の時は仕事出来る契約日数が少なくてその分連休が多かったりして深夜の激務で疲れた体を休ませる時間はちゃんとありました。ただ昼夜が逆転していたので体調不良が当たり前ってだけでww日勤になって深夜手当の25%増しのお給料が無くなり、時給単価も50円低いのでその穴埋めに出勤日数を増やして貰えたんですが5日働いて1日休みとか1日働いて1日休みの繰り返しとかイレギュラーなシフトばかりなので疲れが取れん。ま、父の葬儀以降ちょっと疲れっぽいなあってのは仕方ないですね。だって夏期繁忙期で忙しいのが当たり前なんだからな。んで熱中症で死んでもおかしくないほど暑い職場で肉体労働なんだから疲れてて当たり前であります。体の疲れは休めば取れるからね、大丈夫。さて、今日は本山から父と母の納骨のご許可の書類が届いたので大喜びしました。んでそのお伺いした時のお便りのご返事に「本山の納骨堂は御骨を捨てるところではありません。…(中略)…因縁浄化の御骨を納める納骨堂です…(後略)…。と書いてありました…orzいや、いくら私がやけっぱちな人生を送っていても地獄に行くような女でも本山の納骨堂に両親の御骨を捨てる感覚を持ったことは一度たりともありやせんぜwwもしも御骨をどこでもいいから手元じゃないところにやってしまいたいなら今は散骨と言う手もある。本当は認められてないかも知れないが「思い出の場所で~」とか「美しい景色の~」とか訳わから理由をくっつけて御骨をばら撒いて捨てたって誰も非難したりはしないご時世であります。それに、我が家には先祖代々の墓もある。鹿児島に毎年墓参りに行っているし、地元にも父と兄が購入した墓がある。だから御骨を捨てると言うのは本山に手順を踏んでお願いをして色々と心を砕いてするものではなく家族が持っている墓に墓石を建てて骨を入れる方が捨てるに値するwなんでこんな事が書いてあるんだろう??そんなに本山から私がやっていることは信用ならんと思われているのかしらん??ま、地獄に行くって今のうちから判っているような女の何一つ信用ならんと言われればそれまでなんですがねw本山からはそのようなご返事と共に納骨をさせていただくときの書類が送られてきました。そこに実印と印鑑証明書が要るんですがそのことで先生に電話をしましたら他のご用事で電話中とかで、しばらくしてつながった時には先生の娘さんが出てくれました。本山から納骨のご許可を頂いたので伺いたいことがあると言うと先日先生が倒れて云々と言う話になった。へ??それいつの事ですか??聞けば私が自分の用事を済ませたらさっさと帰宅した24日のお地蔵様のご相談を受けている時に具合が悪くなったらしい。その時のいきさつなど伺ってびっくりしましたです。全然知りませんでした…orz言ってくれれば良かったのに―。とはいっても私に言ってくれたからって何が出来たわけでもないですが、それでも先生の具合が良くなるように陀羅尼の1000巻でもあげましたでしょうに。そういえば管長猊下様が弱っておられたころはけっこう陀羅尼を上げたりしたなあ。今は特に誰かの為に陀羅尼を上げると言う事もしなくなりました。父は具合が悪くなってからあっという間に死んだから付き添いの時に思い出したように陀羅尼を上げはしたけれど延々と上げ続けると言う事は無かったな。ちょっと困った信者さんが居るんですよね。私も先生には随分手を焼かせた困った信者ですが、その私を差し置いてももっと酷いらしい。生霊ってあるからねー。私は身をもって知ってますから生霊は本当に怖い。そういう生霊が何人も近くに寄ってくると先生も周りの人も大変だわ…。ご高齢の先生の体調がこれ以上悪くならないように周りの守りを固めていただかないと。そういう時に私なんて屁のツッパリにもならんので申し訳ない。大抵25年も信仰してたら何か取り柄が出てくるものだろうけど、口が悪くて威勢が良いだけでそういう時に何ができる私ではなくてスマン。そういえば、お寺の信者さんでこの7月で倒産した会社があるんですよ。その奥さんが熱心な方なんだけど会社が倒産してしまって「今回の事で私の信仰心が試されてると思う」って言ってたのね。「いや、それは勘違いも甚だしいよ」と心では思ったが可哀想な気がして口には出さなかった。でも先生が倒れるほど具合が悪くなるのであればやっぱり可哀想とかくだらないことを思わずに「あんた間違っとう」と言ってあげるべきか。何が間違いだと思うかと言えば、信仰心を試すなんてことはうちのお寺に限ってありえません。信仰はするかしないかだけです。信仰したくないなら辞めたら良い。去る者追わず、来る者拒まず。「アンタがどれくらい信仰できるか試してやろう」と会社を潰したり病気にするようなケチな仏さんではございません。少なくとも私が信仰に入って26年ずっとやってきたのは先祖供養であり先祖供養以外の何かをやれと言われたことなんか一度もないよ。商売をしてたら商売繁盛を願いたいだろう。それは構わないと思います。星祭では現世利益を適えるために商売繁盛も学業成就も祈っていただく、これはある。でも毎日のお勤めとして商売繁盛が先祖供養よりも先に来るって事は無いわ~。先祖を供養してその追善供養の功徳が回向として帰ってくるから健康を頂き学業に身が入り商売にいそしめるという流れはあると思います。倒産するには倒産するだけの原因があるんだよ。その原因については私がちゃんと説明した時に気が付いたはずなんだけどなあ…。判ってくれてなかったんだろうな。そんなこんな色んな人が色んな悩みを抱えて色んな間違いに気付かずに先生を痛めつけてるね。私もそのうちの一人なんだろうけれど。とりあえず信用されてないなあというお手紙付きですが納骨はさせていただくべく初盆に本山に持って行くことが出来るようになりました。さっき兄に御骨を本山に入れることで問題ないか確認したら「問題ない」との返事だったから気が変わらないうちに書類にサインしてもらおう。本山に持って行っても実際に骨を納骨堂に入れられるかは別問題です。母の時も初盆に本山に持って行きましたがしばらくは本堂の中でお経を聞いて供養が進むのを待っていました。骨を持って行ったらそのまま納骨ってわけじゃないですからねえ。骨が納得するか否かが大事でそのためにも本山でご本尊様のお近くで毎日上がるお経を聞かせて貰いながら過ごす時間がありがたく大切なのだと思います。記憶違いでなければ母の時は2年か3年はそのままだった気がします。初盆の年にそのまま土に返したりはしなかったなあと思います。何はともあれ良かった。自分は良かったんだけど先生の具合は良くない。ちょっと手を合わせる時に先生の健康も合わせて祈りたいと思います。私が手を合わせたって何の足しにもならんでしょうが気は心ですからね。
2014年07月31日
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今日はお地蔵様の日。14日にあるはずのお寺が15日に変更になったので前回はご相談に行けず…納骨などのご相談をなんとか今日させていただくことが出来てホッと一安心。22日が父の五七日でした。世間的には亡くなってから喪中を二月以内に収めるとかで満中陰でしたが私的には最後の七七日まできちんとさせていただきます。兄とは葬儀や供養の考え方が大きく違いますが父のお骨は本山に入れることを了承してもらっているので出来れば今年が初盆だから本山にお骨を持って行かせていただきたい。本山では永代供養をさせていただいている方だけですが一基一基のお墓ではなくお骨をそのまま土に返す舎利堂があります。名称が違っているかもしれませんが骨壺から地面に出して文字通り土に還ります。そこに一度入れてしまえば他の方のお骨も混じってしまうので後から「骨を返せ」と言われてももう取り出すことが出来ません。今は兄がお骨を本山に入れていいと言っていますが、来年になったら誰から何の入れ知恵をされて「本山には持って行かせない」とならないとも限らない。本山に持って行くときにはもう手元に取り戻すことが出来ないことを了承のうえで納骨をお願いしますと念書を入れるのでそこまでした後なら私が完全に突っぱねることが出来るんですが、私の手元にあれば本山に入れないと言われれば入れることが出来ない可能性もあります。子供もいない私たちがお骨を地元の墓に入れたところで無縁墓を増やすだけですからね。永代供養をお願いしているお寺にお骨もお願いする。この幸せな状態を覆されないためになんとか今年本山に納めさせていただきたいと願っています。私の手元に無ければ何を言ってきても「本山にあるから無理」で突っぱねますよw兄が私より先に死んで供養をする人が私の他に居なければ兄のお骨も本山に入れさせていただくつもりですからそうそう変なことは言って来ないとは思いますが…アレは他人からなんか言われたら深く考えずにフラフラする奴だからな。油断できん。そこら辺、ご相談室で私がクドクド説明せずとも先生が「この人の家はちょっと難しいから今年持って行く方が良い」とあっさり言って下さったので通常なら2年か3年は手元でお骨を供養しながら機会をうかがうところを今年の初盆の時に持って行かせていただけるか本山へお伺いを出すことが出来ました。永代供養は既にお願いしていますしお位牌も出来ているそうです。母の分骨した残りのお骨もありますから今年母の27回忌と父の初盆と同時に納骨できれば本当に肩の荷が下りる気がする。その代り本山に持って行く荷物が多くなりますからそれはそれで大変になるんですが何でも出来る時に一気にやっておいた方が後になって悔やまなくて良い。ワンコのお骨は昨年3回忌の時にペット霊園に納めて気持ちも落ち着いたし生きていると言う事は死んでいく人たちの後をお世話しながら自分が死ぬ順番を待っているんやなあと言う気がします。話は全く変わりますが、今日のお寺で先生から皆さんに冷たいジュースが出たんですが食事のすぐ後だったので炭酸飲料が胃にもたれると思って持って帰って後から飲もうと思ったんですよ。「もったいないから家に持って帰っていただく」と言ったら私の高校の同級生が「せっかく今美味しく飲めるように冷やして出していただいたものを飲まないなんて失礼よね」と聞こえるように言ってそのお隣の方と缶ビールでも飲むようにグビッとやってたんですよ。以前なら注意したんですがもうバカらしくなって何も言わなかった。そしたら後になって「具合が悪い」とかで下を向いてました。あーーあ、言わんこっちゃない。他人様が何をどうしようとそれはその人の考えがあっての事。聞こえよがしに非難して自分の具合が悪くなったんならそれは自分の判断の方が間違っていると仏様から諭されたんでしょうが…判ってないやろな。私が今のお寺に縁を付けなかったらどこでどんな事件を起こしていても不思議ではない困った人なんですが…感謝してくれんなあ。むしろ私を見下す言動がひどくなるのは何でやろ??信頼・感謝・愛情はこの彼女には通用しないようです。私より1年遅れて得度を受けたから25年のキャリアが…人を妬み貶め逆恨みの25年…いやいや反面教師としてこれほど有り難い存在はいません。足を向けては寝られんわww
2014年07月24日
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父が亡くなってから一ヶ月経ちました。昨日は最愛のワンコの祥月命日で、今日は父の初めての月命日。明日は父のお祖母ちゃん…私にとって曾祖母の月命日です。明後日の20日は母方の大叔父さん、21日は母方の曽祖父、22日は母方の祖母の命日と続きます。毎日毎日命日があると言う事は、「今日はご先祖様に手を合わせなくて良いと言う日なんか無い」って事を教えてくれますね。さっきワンコ友達と電話で話したんですが、このワンコ友達のワンコちゃんが昨年ですがうちの子と同じ7月17日に亡くなったんですよ。その友達のお母さんの命日が私の母と同じ4月10日で「縁があるわねー」と話していたらワンコの命日も同じになってご縁ってのは本当に不思議だわねえといつも思います。あと30分したら父が亡くなった15時5分になります。だから何だって事は無いんだけど、一か月前は病室で呼吸が止まりかけてた父を見ていたと言うのが遠い昔の様で不思議な感覚です。きっとお葬式が終わってからいきなり夏季繁忙期でてんてこ舞いの職場で疲れ切ってるから時間の感覚がずれてるんだろう。お葬式も随分昔の事の様に感じます。こんなに遠い感覚になるって事は…初盆供養が過ぎたらもう何十年も過ぎた気になってしまうかもしれんw父が入院中から何枚か写真を撮って、死に顔も、お棺に入った時の写真も撮ってあるんですが、そういう写真は縁起が良くないから撮っちゃだめだと言われたんですよね。でも写真が縁起が良くないとか良いとか言われたところで私の行きている世界自体が父と縁がつながった因縁の世界なんですから縁起もクソも無いわww他人の死に顔なんかは絶対に撮りませんしそういう写真も見たくないと思いますが、自分の親の死んだ時の写真って自分の行く世界と同じなんだから良いよwそんな風に考えて時々眺めてます。死に顔が綺麗で良かったんですよ。苦しい、汚い顔で死んでたらそりゃ撮りたくも見たくもないですけどね。父の遺影には母と旅行に行ってドヤ顔をしている60代半ばの写真を選びました。その遺影はお骨の横で私を見ています。もう少ししたら閻魔さまのお裁きがある五七日を迎えます。世間的には三月に跨ったらイカンと言う事で満中陰にさせてもらいますが、実際の供養としては弥勒菩薩様の七七日の日まできちんとやらせていただきます。とにかく今は七日ごとの関所を無事に超えて閻魔さまのお裁きでお浄土への扉を開いていただきたいものだ…それだけが願いです。もう今のような供養を出来ることは今後ありませんからね。どんなに生まれ変わってももうあの法主猊下様にも管長猊下様にもお会いする事は出来ない。今回のチャンスを逃したら成仏はまた何刧年を待たなくてはいけませんから、絶対に閻魔さまに賄賂を渡してでもお浄土の扉を開いていただきたい。…ところが、賄賂を渡したくても持っているのは印刷された六文銭ですからww死んだら何も持って行けませんよ。生きてる時に何を考えどのように道を開いてきたかそれのみがお浄土への扉を開くんです。今お金があっても裸で閻魔さまの前に出た時、地獄で鬼に追い立てられた時、自分と言うものを恥ずかしくなく主張できるだけの行いをしてるんかなあと毎日が極楽で遊び暮らしている人が心配になりますw生きていくと言う事は死後の世界への旅路ですから。みんな平等に絶対に死んでいけるんですから準備はお早めに~。生きてる時の父の為に出来る事は何もなかったけどとにかく今は閻魔さまに私からもお願いしたいと思います。
2014年07月18日
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こんなもの買ってみた。通販生活のダニ取りマットを昨年使って良かったんだけど、今年は車の中で休憩中にダニに刺されたのでこの商品にしました。最初は車用のバルサンを焚こうかと思ったんですがシートの奥に潜り込んで逃れる可能性もあり、なんといっても炎天下で薬剤が後から後からモワっと来る可能性が怖い。これならダニの方から来てくれるであろうwwレビューの評価もそこそこ良さ気だったので取り敢えず試します。しかし…レビューの評価の内容で「まだ使ってないから星4つ」とか書く人何なの??使ってないならレビュー書くな。オマケ狙いでジャンクレビュー書くの意味ないからヤメレ。ダニ捕りシート(綿100%)10枚 ( ダニ退治 シート) レギュラーサイズ(12×17cm) メール便 送料無料【ダニ捕りマット ダニシート】【ダニ取りシート】置くだけ簡単!ダニ退治【RCP】02P05July14/05P05July14/【マラソン201407_送料込み】10P12Jul14
2014年07月13日
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昨日が三七日でした。もう21日経ったんですねえ…あっという間ですが疲れは溜まっている~。昨日はお寺の事務方をしてくださっている方にお世話を頂いてお位牌の注文をしました。母の位牌も父の位牌を作る時に新しくします。享年の意味が分からなくて26年前に作った時は満年齢で作ったんですよ。だから享年66歳ってしなくちゃならないところを亡くなったその時点の64歳で作ってもらったからこの際きちんと作り変えます。お仏壇にお位牌が一つだけあるのはよろしくないそうで、父と母のお位牌は一緒にせずにそれぞれ独立したものを作ります。春日位牌という形の位牌でも台に蓮が付くものと蓮が無いものとがあるそうで、蓮が付いたほうが見栄えはしますと言う事で蓮付春日位牌と言うものにしました。以前の母の位牌は蓮無しのシンプルなものでした。今度の大施餓鬼の開白の日にお骨を持って行って良いのか、永代供養はどうしたら良いのか、白木の位牌と黒塗りの位牌の芯抜きや芯入れをお願いしたいことなど色々と事務の方と話して、今度のお地蔵さまで先生に相談させていただくことになりました。父の院号戒名を頂いて浄められた宝の部屋に居るんやなあと思ったんですが、浄められた宝なのか、浄い宝なのかはわかりません。浄い宝って何やろなと思っていたら父の顔を見ながら浮かんだ「信頼」「感謝」「愛情」が出て来ました。そうかー父の宝は「信頼」「感謝」「愛情」やったか。宝と言えば私にとってはダイヤ・ルビー・エメラルドですが、何物にも代えがたいそもそも存在自体が清らかである宝は「信頼」「感謝」「愛情」やなあ…。一生働き続けて最後はゴミ溜めの中で死んでしまうところを最後の数日だけ病院での手厚い看護を受けて綺麗にして貰って逝きました。資産家と言っても恥ずかしくない資産を母と二人だけで作り上げた父ですが偏狭な考えが進路を狂わせて最後は兄が作った借金の支払いに母との思い出の屋敷を売り払い、それでも兄の借金払いが上手く行くことを願っていた父。ゴミ溜めの中でも仕事ばかり考えて兄が生活に困らないようにとばかり心配していたことが兄の独立を妨げてきたとは考えもしなかったであろう父。今は仏様の所に行かせてもらう道中ですが道に迷うことなくお浄土に行って欲しいと願っています。もうゴミ溜めじゃなくて綺麗なところで浄められた宝の部屋で浄まった宝だけを持って幸せに暮らしてほしいものです。もう寿命が無い世界だから。道に間違って地獄に行ったら鬼になるから。それだけは何とか避けられるように願っています。さあて、満中陰まで気を抜かず~。頑張ります!!
2014年07月09日
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早いものでもう7月。2014年も半分が終わりましたね。7月1日は父の誕生日でした。そして父の二・七日でした。昔の事ですから本当に7月1日に生まれたかは訝しい。6月終わりとか7月を数日過ぎてとかだとキリが良い7月1日に誕生日を設定してしまうのが昔は当たり前だったとか。父がもう少し長く生きられたら92歳のお誕生日を迎えられましたが、そうなると今年は初盆から外れたんじゃないかと思います。確かめてないけど。今年は母の27回忌ですから父の初盆と一緒に供養してあげられて良かった良かったって気持ちです。亡くなった18日は私の生まれた18日と被りました。病院の先生は17日の呼吸の状態から見ると18日の未明にかけて亡くなる可能性が高いからと仰ってましたが、確かに薬を入れ続けてなければ18日の夜明け前に亡くなった可能性もあります。たまたま「誤嚥性肺炎の疑い」で入院していなかったらもっと早い時期に自然に血圧が下がり「朝起きてこない→大往生でした」というパターンになっていたと思われます。そうしたら父のお祖父ちゃんと同じ日に亡くなっていたかも知れません。17日が危ないと言われて付き添いになったので17日に亡くなっていたらワンコと同じ17日で絶対に命日を忘れなかったでしょうwいや、私の誕生日の18日なんだからそれこそ忘れようがないわwしかも父の誕生日が二・七日に当たるなんてビックリです。1月に兄が父の体重が減ってだいぶ悪いと言ってきたけれど今になって考えたら2月18日の私の誕生日辺りが命日になりかけていたのかも。仏様がいくらなんでも誕生日と父親の祥月命日が同じではこれから先お目出度くない誕生日になってしまうからと4ヶ月引き延ばしてくれたのかも知れません。5か月引き延ばしても良かったけど今度は27回忌の母がせっかくなら自分の回忌と父の初盆を合わせたいと願ってこの6月18日という日を選んだのかも知れません。事の真相はわかりませんが色々な偶然が重なって父は自分の誕生日を霊界に向かう途中の二・七日の供養で祝ってもらった事になるかな??そして命日は忘れようがない18日で「なかなか首尾良くいったもんだ」と笑っているかも知れません。父が亡くなってから左膝が腫れて正座が難しくなったんですが全く曲がらないわけではなくて曲げるとひざ裏にタオルでも挟み込んでいるような厚ぼったい感じがしてしかも結構痛い。おかげで仕事がやり難くて困っています。しゃがむのが当たり前の仕事だから膝にきたのかなあ…。足裏も腫れているのがまた痛みが増したし左足…腐り始めてないか??仕事中も簡単な手順や物事を忘れる事が多くて…ボケですか??前回の脳ドックから3年くらいになるので今年は改めて梗塞が拡がってないか検査するかな。いつ死んでも惜しい命ではないんだけど、死ぬまでは元気にバリバリ働けないと困る。まだ父の供養が落ち着くまでは私がボケちゃあ困るのよwとりあえず二つ目の関所を無事に通過できていることを祈り、次の関所も何とか超えて欲しい。そうやって関所を一つづつ超えることが出来たら初盆には母と一緒にお浄土でお茶出来るでしょうか。そうそう、葬儀の終わりのお別れの時に葬儀会社の方が「92」の数字ロウソクを飾った15cm位のケーキをプレゼントしてくれたんです。お棺に入れさせてもらって「お母さんと誕生日にお祝いしてね~」と送り出したんですが、あのケーキはお盆にお浄土に上がる時の良い手土産になったでしょう。きっと母があのケーキを食べたくて父をお浄土に上げていただけるようにみ仏様にお願いしてると思いますwこんな妄想で和めるのも葬儀会社の方の気遣いあっての事。父の入院した病院も良かったし、葬儀を頼んだ会社もお葬式をしてくれたお坊さんも良かった。院号戒名は良かったどころかこれ以上は願えない素晴らしい美しい戒名で羨ましいwこういうことを総合して考えたら父は私には渋い人でしたがそういう何か徳を持った人だったんだなと思います。父の穏やかな可愛い死に顔を見ていて浮かんだ「信頼」「感謝」「愛情」を忘れないでまた次の三・七日に向けて頑張ります。三・七日は目の前です。
2014年07月03日
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具合が悪い→死んじゃったまでがアッと言う間だったのと入院中から兄がアテにならんのでバタバタしていて気が張っていたからあまり寂しさを感じませんでした。 さみしいよりあの父によくもまぁ本山からあのような素晴らしい院号戒名を戴けたものだと感激して通夜も葬儀も初七日もよろこび感がありました。 昨日が忌引きの最後の休みで部屋の掃除をしてましたがあまりのゴミの量と汚さに眩暈がしても目の前の事に気を取られていたからさみしい感じはありませんでした。 今日仕事に行って会社の上司と同僚に挨拶して、昼の休憩では同僚有志からのお供物料まで戴いて大変恐縮しましたが、数人の同僚に父の最後の様子を話しても淡々とした気分でした。 それが深夜になるにつれ、だんだんさみしい気持ちが大きくなって来ました。 兄は父の世話がいい加減だったとは言え毎日の食事や病院の付き添いなどはしてきたので今頃は父の世話をしないで済む事が父がもういない事を毎日再確認する事になるわけで、その事を考えてからさみしくなりました。 私は父のところに足繁く通ったりしていないから状況は遠くに住んでいるのと同じなんですけどね。 兄は寂しかろうなあと。 そんな気分が伝染して来た気がします。 実際、今の私のベッドの横に父のお骨もあるし、お仏壇もありますから私は父の身近にいるんですけどねww ま、このさみしさが通常運行に戻って気の張りが解けたと言う事なんでしょうね。 父の死が遠い過去になった頃、兄にさみしさを感じたのはいつ頃だったか聞いてみたいです。
2014年06月27日
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今日は一日早めて父の初七日のお参りをお願いしているのですが…兄に時間分かってるよね?と連絡したら「え?昨日じゃなかったの?」と返って来た。 は? 昨日? と言う事は、最初から初七日に来る気は無かったんだな…orz 相続は大事な事だし、父の一生をかけた仕事も大事な事だけど、兄にとって親の供養より大事な事なんだろうかと疑問。 一人だけ残った親が死んだら後は親と言う無条件に味方してくれる存在はいなくなるんだよ。 その親の最初で最後の初七日なのに、昨日じゃなかったの?って言えるって事は最初から来る気はなかったんだと分かったから「もう準備に入るから来なくていいよ」と断りました。 んでお寺に着いたら他の方の回忌法要がダブルブッキングで私は待機中。 マジか? 兄はこの待機時間で間に合うと思うけどさっきの「昨日じゃなかったの?」で連絡をやめた。 お骨を私の方で管理する代わりに写真を渡そうと写真まで持ってお寺に来たけどもう渡さんで持って帰る。 写真だって直ぐに要らないって言うはずだ。 いゃあビックリだよ。 このお寺はいつも通うお寺では無くてお葬式をして貰ったお坊さんにお願いして初七日は自宅じゃ無くてお寺の本堂にお骨と位牌を持って来た。 本山ではきちんと明日の正しい初七日に供養をお願いしています。 明日は私がいつも通っているお地蔵様での法要があるから明日の初七日を今日に早めてもらいました。 ビックリだけど、まぁ現世は驚きの世界なんだよww
2014年06月23日
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葬儀も無事に終わりまして、火葬も終わりまして、葬祭場の支払いも終わりまして、自宅に戻ってまいりました。私の自宅に。父の自宅はゴミ溜めでした。1年前よりもっとひどいゴミ溜めになっていました。もうね、兄に腹が立って火葬場で喧嘩になりましたよ。兄の頭の中は自分の金算段とメンツしかないです。もしかしたら兄もそろそろボケが始まってるんじゃないか??と思うほど。「父親が死んでその態度で良いのか??」と私はこの3日間を通して見た兄の「親の世話をする」という世話の基準の違いにビックリしています。父のお骨を持って帰る気でいたようですが、どこに持って帰るつもりだったの??母のお骨の半分も粗末に扱って埃を被っていても気にしてない何も知らないで通す兄が父のお骨を持って帰って何するの??当然「私が持って帰って供養を始めて、今年のお盆には本山に収める」と宣言して有無を言わさずすべて引き取ってまいりました。白木の位牌も大小の2本作ってくださったのを2本とも引き取ってきました。写真も引き取って、その他諸々と共に香典も引き取って、これは引き取ると言うより整理してお返し等々こちらでやるべきことがあるので一時預かりです。うちに引き取ると言っても、父の所よりゴミ溜めの度合いがマシである程度で同じゴミ溜めですがロフト上に位牌もお骨も写真もすべて上げて落ち着きました。父は「恨んでなーい。恨んだらイカーン」と言って「ちっちゃい綺麗な可愛い爺さん」で人生の最後の最後は御仏様に見守られて、本山からの有り難い御仏様、管長猊下様のみが唯一授けてくださる院号戒名を戴いて花に埋もれていきました。私が色々と考えたり思ったりしたこともあるけれど、本山からの院号戒名が戴けたと言うのはとりもなおさず私が供養し続けてきたご先祖様や母と同じ霊界に上がれるその入り口に立つことが許されたと言う事。それを本当に同じ霊界に進んで同じ仲間として修行に励めるかは判りませんが、私もこれからこの世で出来なかった父へのお世話の代わりだと思って頑張りたいと思います。なんせなあ…母が初盆の時には法主猊下様から初盆供養で素晴らしい院号が…特別なものを授けていただいたからなあ。父にそれを初盆までに…と言うのは今の私には無理。母は4月から4ヶ月供養の期間があってしかも法主様には大変に可愛がっていただいての事だったから、父をこれから1か月半でそこに押し上げるなんてまず不可能な欲の話。それでも本山から特別にいただけた院号戒名を台無しにしないために頑張って行かなきゃと思います。ホッとしたら気持ちが緩んでお腹が痛くなったw頑張らないとなあ~取り敢えず会社の忌引きの期間に少しでも掃除したいと…まず寝たいわw
2014年06月20日
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昨日いきなりの事だったので葬儀の細かい事をアレコレと決めなくちゃなりませんでした。 葬儀会社は私の家から近いところにしました。 兄のところの従業員さんのお母さんが紹介してくれた葬儀会社は私のところからは道順が悪くて兄は入院中からあちこち出てばかりで当てに出来ないので兄が便利な場所は私には意味がないww お寺の先生の紹介で真言宗のお坊さんもお願いできて、なおさら葬儀会社は私の家から近い所がお坊さんも近くて便利。 既に病院に向かってるという兄が頼んだ葬儀会社は私が電話で断りましたが、紹介したパートさんのお母さんも一緒にやって来てなんとか連れて行くつもりだったんでしょうが、今度は葬儀会社とそのお母さんと兄の揃った目の前で無難にしかしキッパリと今後の供養を頼む寺が紹介した葬儀会社に決めたからスマンと頭を深々と下げてお帰り願いました。 実際に昨日の病院を出てからも兄は父の元に寄り付かず私の便利な葬儀会社で良かったわ〜となりましたw 兄はまだ父が生きてるうちから相続したらマンションを云々と言って私から止められる状態で仮通夜にも入っていた予約が断れないからと来ませんでしたが、一昨日のうちに今週は店を閉めると言っていたくせに嘘だらけ。 孝行息子は当てにならんわ〜。 おかげで葬儀の諸々は私が自分で思う通りに決めて楽でしたw 棺桶は下から2番目の13万円でシンプルだけどそこで浮いたお金で湯灌を頼みました。 一人で色々やってた父が十分にお風呂に入っていたとは言えず、入院でまた寝たきりで臭くなり始めていましたから最後のお風呂はありがたい。 さっき父の身体に湯掛けさせてもらいました。 無精髭も病院であらかた整えてくれていましたがまた少し伸びていたのや鼻の穴から見えている鼻毛も綺麗にしてもらい、顔も髪も全身もシャンプーを使って汚れを落としてもらいました。 白装束に手甲脚絆、懐には六文銭。手には御本尊様のお守り。足元には草鞋。ついでに病院から出る時に綺麗にして貰って新しいパジャマに着替えたその下着やパジャマもあの世に送ります。 顔には少しお化粧で頬など色味を良くしてもらい枕元の飾りの花が薄化粧の父を可愛く見せています。 可愛いので写真を撮ったらマイケルに似てる?かんじww 昨日来てくれた方がこの葬儀屋さんは高いでしょう?と言ってましたが、いやいや実際にお世話になると私達遺族が分からない事や準備して無い所など細かいフォローがあり控え室や風呂、ドレッサー室、リビング、キッチンなども清潔で使いやすくて高いとは思いません。 もちろん私の懐状態からみたら高いですが、一生に一度しかない父親の葬儀にそこのところ10万円、20万円違う位ならそれは高いうちには入らんわ〜。 100万円、200万円の違いならもちろん無理ですけどね。 この湯灌を選んで棺桶は安いものって組み合わせは私の葬式が出るならお願いしたい。 ま、どこかで野垂れ死ぬ私ですから春なら桜の花びら、秋なら紅葉が湯灌代りと言う事になりましょうや。 そうなれば棺桶はフカフカの緑の絨毯か。 贅沢やなぁ〜、それも良いなぁ〜。 ま、これで通夜の時間まで自由自由です。 昼ごはんに同僚が付き合ってくれると言うので黒装束の独り身では入りにくいですが、ファミレスでも行って来ます。 少し仮眠するかな。 また報告します。
2014年06月19日
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遺影に使う写真選び大変です。 この23年以上写真撮ってないと兄の弁。 さっき倉庫の中から引っ張りだしてきたと埃だらけのアルバムを持ってきました。 懐かしい〜ww 両親が60歳を少し過ぎた頃ではないかしら? モクハンガと言うアプリで処理したものをアップします〜。 懐かしい〜、懐かしい〜ばかり連発して一人で楽しんでますww 父は別室で湯灌中です。 ではまた報告します。
2014年06月19日
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昨日の昼過ぎから病院に詰めてずっと様子を見て途中でいったん帰るつもりでしたが数値が悪いのでなかなか踏ん切りがつかないままに24時間付き添いました。 一晩中ちょっと寝ては起きてモニターを見るの繰り返し。 それに右足だけ攣りまくり。 完全看護でしょっちゅう看護師さんが様子を見てくれるんですが、血圧が低くて1時間半か2時間ごとに90台を切るのでそのたびに昇圧剤を増やし…昼間に3から始まったレベルが7で朝を迎えました。 明るいうちは血圧もけっこう低目だけど安定していたのに夜になると低くなったら戻らない事が多くて結局昇圧剤を増やしてはまた苦しい現世に引き留める…で朝になった感じ。 昇圧剤をもうこれ以上増やしても苦しみが続くだけだなと思い先生にそのことを確認して延命しているだけで元の生活に戻れる治療をしている状態ではないと答えをもらって昇圧剤を増やすのは止めてもらいました。 薬を切ってしまうのではなくて今以上に増やすのを止めると言う事で、それはそのまま続けても12時間以内に当然起こるマックスレベルの投与量をより少ない投与量で維持すると言う事。 現実問題としてその薬が上げ続けてきた血圧を次に下がったらもう父本人の生きる力だけに頼って薬に頼らないと言う選択をしたのですが、それはとりもなおさず父の命日を今日にするか明日にするかの決断をしたと言う事でありました。 これが70歳の時の父だったらまだまだ生きてもらえると思って積極的な治療をしてくださいとお願いしたと思いますが7月1日に92歳になる父で片方の肺は潰れて真っ白、残った肺の2/3が真っ白残った部分も白くかすんでいる状態ではこれ以上は苦しめるだけだと思いまして、私が決断して先生に現状から増やさない様にお願いしました。 そうなったら今度はあと何時間は問題なく生きていられるのか…と言う事になりますが、全身の機能が落ちているのでいつどうなるとは言えない様でした。 薬を増やさないで「看取りに入った」と言う事で2人部屋を無理して患者さんに移動してもらって個室状態にして長くはないはずの看取りの時間をゆっくり過ごさせてもらいました。 その部屋に落ち着いたら途端に90を切っていた血圧が95くらいになりましたから看護師さんが「お父さんもゆっくりできる部屋に来たのが判ったかな??」と。 術後のチェックをする大部屋では父自身も落ち着かなかったのか。 私は落ち着いたのを確認できたので昼過ぎになって兄と交代して家に帰り着替えと入浴、化粧のし直しですぐに病院に戻りました。 戻る時に本山から随分昔にいただいたご本尊様の木彫りのお守りをお仏壇から持って出ました。 木彫りの本尊と言ってもマカロンの様に丸いもので二つ合わせの内側にご本尊様が彫ってあります。 それをたった一度だけ本山が分けてくださる機会があった時に私と父と兄の3つ分を購入して父と兄の分は死んだらお棺に入れてあげようと思ってずっと持っていたのです。 かれこれ25年近くww ようやく当初の目的が…じゃなくて、父の為の星祭のお守りを申し込むことはなかったのでこうやって生きるか死ぬかの瀬戸際でも仏様のご加護を頂くものが無い。 なのでその父の為のお守りを枕元に置いてあげようと思って持って行きました。 私が戻ったら今度は兄が給料を渡さないといけないからと仕事に戻りました。 落ち着いているから今のうちに行ってくると。 私はお守りを枕元に置いて、モニターを見ると呼吸回数が1分間に4回とか5回しかないと表示されていたので驚いてナースコールをしました。 呼吸回数はその後すぐに自然に増えたのですが喉の奥がゴロゴロ言っていたので痰の吸引をしてもらい、吸引が終わる頃に体を拭きましょうと看護師さんが来て…そこらの辺りでモニターの数値が非常に弱くなりました。 こりゃ…いよいよか?? はい。 いよいよでした。 午後2時30分頃に帰り、兄と交代して、父の様子が変わり亡くなったのが午後3時5分でした。 兄は死に目に会えませんでしたが、今迄ずっと世話をし続けてきたので最期は私に父との交流の時間をくれたんでしょう。 その後は悲しむよりやることがいっぱい。 昨日もほとんど寝てないですが、今日は仮通夜で兄が自宅に戻ったのでまた父の近くで仮眠しています。 3時間寝れたらいいな。 とりあえず今日の報告はこの位で。 マジ寝ないと明日から無理ww
2014年06月19日
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昼の日替わり定食がミックスフライ定食だったので食欲が出ずパンとアイスを買って車に戻りパンを一口食べたところで携帯を見たら留守電が入っていた。 しかも兄から。 こういう留守電は良くない知らせ。 案の定、昨日わんぱくボケ老人で先が思いやられると思った父がイキナリ危篤だと。 兄は仕事で抜けられず、私は電話持ち込み不可で行かれなかった…が、とにかく直ぐに会社の責任者に断って午後から年休を取りました。 会社も病院も高速が近いので簡単に考えたんですが、高速が事故渋滞。 下道でも事故処理の渋滞。 朝の通勤途中でも曲がりきれないトラックに阻まれて渋滞。 不運な日なんであります。 幸い駐車場は近くに見つかり直ぐに停められ病室にいくと兄が先に来て先生と看護師さん勢揃いでした。 白い布が掛かってるかとヒヤヒヤしましたが全然大丈夫? 先生の話では呼吸の仕方と血圧その他が亡くなる前に顕著に見られる状態だったので連絡したと。 昨日私が帰った後に39度位の高熱を出したのでその点からも危なそうな気配だという事でした。 昨日兄に伝え下さいと言っていた延命治療の方針を直接話して、先生から今までの経過の説明を受けて、延命治療については挿管しない自発呼吸で酸素マスクで対応と決めて後は私が残り兄は仕事に戻りました。 今夜は兄が近くのビジネスホテルに泊まるそうです。 私は一旦帰って明け方が一番亡くなる時間って事だからその頃には動ける様に準備する予定。 今は安定しているので横の椅子でゲームしたり呼び掛けたり見守りしてます。 父はずっと酸素マスクして寝てます。 呼び掛けに反応はなし。 さっきから体温が上がって来た様だという事で氷枕をしてくれました。 会社には明日も休みたいと伝えて了承をもらいました。 明後日の事はまた明日連絡します。 こういう時に有休がある会社で助かります。 どうなるかな。
2014年06月17日
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今日は仕事が休みだから早い時間から行ってあげようと思っていたけど結局夕方近く4時前に家を出ました。昔行ってた宅配パートで回ってたテリトリーだったから何度も通った道で懐かしい感じ。30分くらいで着くから不便ではないですが駐車場が有料なのでお見舞いするたびにお金が掛かるのが玉に瑕だわ。もっとも有料にしなければ病院に関係のない車が止めてしまうから有料は仕方ないんですが…田舎の駐車場代が掛からない病院になれているので出費がキツイw今日の父は昨日までの父とは打って変わって元気いっぱいwたった数日間の点滴でこんなに元気になるものなの??とびっくり。4時半過ぎに病院に入って9時過ぎまで居たんですがずっと話をしていました。途中で何度か寝るように言ったんですが寝ないわ~。昨日までの寝たきり老人はどこに行ったの??んで、行ってすぐに気が付いたんですが、左手にミトンがハマっていました。手首の名前が書いてあるバンドやミトンにも血が付いている。怪我でもしたのかしらと思ったら元気になったら点滴のチューブが気になって引き抜いてしまうらしくミトンでチューブを触れないようにしていますとの事。血はチューブを引き抜いたときに付いたんだと思ったんですが、痰を吸引する時に口にチューブが入るのをストローみたいに口を閉じて吸うのでプラスチックの開口器を付けたらそれを強く噛んで下の前歯が4本折れたらしい。自前の歯が92歳で残ってるのもすごいけどもういつ折れてもおかしくないほどグラグラだったのも事実で看護師さんが非常に恐縮していたけれど「そりゃもう仕方ない事ですよー」と。それでも今後口から食べることを考えれば歯の治療も必要だから明日歯科医と相談するそうです。血はその時の歯茎からの出血をミトンで拭って付いたモノかも知れません。さてずっと元気になっておしゃべりが止まらない父。完全にボケてました。まだらボケと言う言葉は忘れてください。完ボケです。昨年はまだらボケの状態でしたがまだ話の脈絡はちゃんと繋がってたし主語と述語もテーマもしっかりしてました。今日は完全にあちらの世界とこっちの世界を行き来して話のテーマも私だから会話になってるんだなと言う程度。若い時からしっかりしすぎていた父がボケたら本当にドラマか漫画でしか見たことが無いボケ老人の世界を見せてくれました。年取って生きてたらイカン。自分の末路を見るようでさっさと死ねる幸せってあるよなあと思いましたです。お寺の事や先生の事を散々貶してきた父ですがこうなって何もかも別人になってもやっぱり先生の事を貶すだろうか??そう思ったので聞いてみました。「お父さんお寺とか先生の事覚えてる??」「いや、判らん」「〇〇先生の事スカンって言いよったやない」「〇〇先生?? 知らん」「そうね。〇〇先生の事恨んでたけどもう恨んでないの??」「うん、恨んでないよ。恨みとかどうでもいい」そんな会話。ナルホド。私の方が昨年まで父がお寺や先生に言われたことを根に持ってクソミソのカスの様に言うので先生にも「このまま死んだからハイ供養して成仏してくれ」と言う気にはなれませんとこだわってきたのですが、本人はこの1年で完全ボケに進んで恨みつらみも忘れてしまったようでした。そうか~。そうなって心のこだわりが無くなったら恨んでないって言えるなら私も思いを変えて死んでしまったら気持ちよく供養するか…と思ったりしたのです。ところが、右腕の点滴を外そうとするので何度も左手を握って止めると今度は足を使ってチューブをひっかけて外そうとする。それも止めようとすると私の右腕の手首と関節を持って足で折ろうとするではありませんか。死にかけ老人と思って油断したら大間違い。腕ほどには足の力が無かったし私も毎日のように30kgの荷物を抱える仕事なので力はあるしすぐに足から腕を外しましたが、握られた手首が外せない。しかも腕が折れないと判ると指を1本だけ握って関節の反対に曲げようとするから始末が悪い。その時に真正面から父の顔を見ましたが、「なんか憑いとるなあ…」と言う表情。仕方ないなあ…。「お父さん、今私の腕を折ろうとしたろ?? そんなことしたらイカンよ」と言うと顔を皺皺にして満面の笑みで「そうか、いかんかww」と。父は戦地に行く直前に終戦を迎えたという陸士最後の学生ですからいわば戦争のプロとして色んな敵を倒す方法も習ってきたはず。ボケ老人になって理性が飛んで自分がしたいことを阻止する敵とみなせば腕を折りにも来るし、指を骨折させて逃げると言う護身術も使う。ボケているから危ないんですよね。本能のままに好きなことをする知恵を持ったジャイアン。寝ていて反応が無く手を握っても寝息を立てているだけなら可愛い老人ですが、いったん自分のしたいことが出来ないとなった時は手が付けられんな。ずっと自営業で社長できたから好きなことを好きなだけ好きなようにやってきた。それが我慢と言う事が出来ないボケ老人になってしまったからイカンイカン。帰るタイミングを失したと言うより父がチューブを外すのを阻止したり体を起こそうとするのを阻止したりで帰れなかったですw老人ホームの問題として点滴や投薬で大人しくさせて人間らしさを失わせてるってニュースがあるけれど、今日の父の点滴には私が鎮静剤をぶち込みたかったわw一人のやせ細って歩けなくなったボケ老人にこれだけ手こずるならボケ老人ばかりの施設ではどんな阿鼻叫喚が繰り広げられている事か。徘徊老人の問題も起こりましたが、父も最後は布団をはがしてベッドから勝手に出ようとしてましたからね、いつ徘徊し始めてもおかしくない。それは怖い現実です。昨日まで誰かの家庭のボケ老人の問題だったことが今日は私自身の現実問題になりました。行ってほどなく主治医の先生とお話しする機会があり今後の方針と言う事で入院は2週間から3週間を予定して点滴を口からの栄養補給に変えられたらその後介護施設に転院できるように探しましょうとなりました。介護施設はロケーションや予算やその他の希望を専門家と相談してその意向に沿った施設を探してくれるようです。その話のあと「ちょっとこちらへ来てもらえますか」と言われて外に出て、もし不測の事態が起こった時どこまでの処置を求めるか家族で話し合って下さいと。心臓マッサージをする。酸素マスクを着ける。挿管して人工呼吸器につないで延命する。そう言った「延命処置をどこまで望まれるか決まった段階で教えて欲しい」と。それは聞いてもらって良かった。「人工呼吸器につないだらもうその呼吸器を外して生きていくことは出来ないですよね。繋ぎっぱなしでベッドに置いておくだけですよね」と聞くと「92歳という年齢を考えたら離脱は難しいと思います」との事。そして人工呼吸器を繋いだら今度はそのスイッチを切ることは殺人罪に問われる可能性がある事など。「兄がどういうかは判りませんが、心臓マッサージはしてください。酸素マスクもそれで自発呼吸できるなら生きていると言う事ですからマスクもお願いします。挿管はしないでください。外す決断が難しいし機械で生かされていrても生きてることにはなりませんから」兄には「妹はこのように言っている」と先生から伝えて貰い今後の処置を決めてもらう事にしました。さあて…とうとう老人介護の問題が目の前に大きな壁の様に立ちはだかってきました。起きている限りずっと話を続ける徘徊の可能性があるボケ老人。いやあ、現実って難しいですなあ。大人しいボケ老人ならまだしも今日の父の様子だとひと悶着もふた悶着もありそうな問題老人になりそうですwそれでも帰り際に父が言っていた「何度も女から電話が掛かってくる」「女は銀行の女」「切っても切っても色んな銀行からかかってくる」「電話は融資の話」「金は無い」その言葉が父がこの1年でいきなり完ボケになった原因がわかった気がしました。昨年の兄の事業の失敗のせいで実家を手放さなくちゃならなくなった事。アレが父には大きなショックだったのでしょう。実家は母と父が借金で苦しい中にそれでも学区が良いところに住んで高校・大学は良いところに行って欲しいと無理に無理を重ねてやっと払った屋敷でしたからいつかはあそこに家を建て直して住むのが父の理想でした。母が亡くなる前に住み替えの話があって母と一緒に考えた間取りの図面も出来ていてあの家を建てるってずっと思ってましたからね…。あの実家の土地を買い叩かれるようにして借金払いに使われたことで父の心の頑張りも利かなくなったんでしょう。それを考えたら何も現実世界の煩わしい事が判らないボケ老人になることは父の自衛手段としてもっともなことだと思います。兄が父の面倒を見て大変なのは自分が好き勝手をし続けたツケだなあ。ま、介護生活で私の生活もどう変化していくのか判りませんが、もう92歳ですからね。ゴールは見えている。母の最期を看取ることが出来なかった分せめて父の最後くらいはちゃんと看取ってあげられたら良いなと思います。まずは私が元気じゃないと。施設のお金も掛る事だし、9月の国体が終わったらいよいよダブルワーク探します。
2014年06月16日
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今日は仕事は残業なしだったんで急いで帰ってドラッグストアに寄って必要だと言われていたものを揃えて…と考えていたんですが、会社の駐車場で深夜勤の同僚が手を振ってくれたのでちょっと寄ったら延々と話し込んでしまいました。必要なもの自体は兄にメッセ送って買っておいてねと伝えているけど本当に用意できたか判らんので取り敢えず無駄になっても良いから持って行く。お買い物の時間とかガソリン入れなくちゃとか色々考えてたんですが、深夜勤の同僚に会う機会が無いから話し出すとお互いに話が尽きずに長いよw時間の事は話しながらも気になって時計をチラチラチェックしたんだけどなかなか話が終わらなくてねえwwんで、ようやく別れて車に戻ったら退職した同僚とのカラオケ会の連絡が入っていてそれで電話してまた長話。退職した同僚も母親が介護施設に入っているのでうちの父が入院した話をすると親身になって心配してくれてありがたい。ま、お互いに高齢の親をいつか見送る話は諦めと出来ることをやって行くしかないって事に終始する。カラオケはカラオケで楽しみなんですけどねwこの同僚は退職した後ハローワークに通って面接もいくつか受けているらしく、明日また面接があるって事でした。上手く仕事が見つかると良いなあ。さて、長話が連続して会社を出る頃には病院の面会時間はとっくに過ぎましたが昨日遅くまで居られることがわかったのでドラッグストアにもちゃんと寄って口の中を拭うスポンジとか飲み物にとろみをつける粉末とかそれを飲みやすい状態にする容器とか色々買いました。昨日見た時に口の中が乾燥していたので口の渇きがうるおせるジェルと言うのも買って…介護用品高いわ~。5,000円位あっという間に飛んでいきました。病院には8時半くらいに着いたら施錠されていて救急入口まで回りました。面会時間なんかぶっちぎってるんだから入れてくれないかもなあと思いましたが…警備の人に「面会ですか」と聞かれ「そうです」と答えると「名前と行先の病室と入院患者の名前を書いてください」って事でスンナリOK。けっこう沢山の名前が並んでいたので面会時間後にやってくる人はかなりの数に上るんだなあと安心しました。だって「面会時間を守ってください」と言われたら退院するまで早引けしなくちゃならなくなる。早引け出来ない時は面会出来ない可能性もあるわけで、やっぱり肺炎(気味)で入院しているとなれば会いに行っておくのが子供としては無難だろう…と。病室には私が買ってきた飲み物容器とトロミを付ける粉が置いてあって兄が連絡したとおりに買ったらしい。私「念のため」買ったものは無駄にはなったけどちゃんと用意してくれてて一安心。昨日と同じく口を開けてグースカ寝ている父の手を握って1時間半くらい居ました。行った時にちょうど看護師さんが氷枕をしてくれるところでした。熱があったのかしら??病室は昨日より暖かく感じましたから室温を上げて欲しいと希望した患者さんが居たのかも。昨日は看護師さんが薬を飲ませる時に体を起こしてくれて少し話もしましたが、今日はずっと寝てました。昨日カプセルの薬を上手く飲めなかったので「お薬は無しにしましょう」と言う事になりました。兄にそのことを伝えると高血圧の薬だそうで「あえて飲まなくても良いです」と言われていたとの事。高血圧で困る云々という状態はとっくに過ぎとるがなwおかげで気持ちよく寝続ける父を見守って帰ってまいりました。明日はまた1日お休みになっているのでコットンの夏用靴下でも編みながら病室でゆっくり過ごすことにします。物置の片付けも道路に覆いかぶさっている庭木の剪定もしなくちゃなあ。連休が無いから用事が終わらんよ。土地や財産があっても死ぬときにはちっちゃな老人になって何も持たずにただ寝るだけが楽しみの塊になるんだなあ。ベッドの横でちっちゃな老人を見てると何が幸せなのか、人生の最後の最後にしか判らんなあと思いました。とりあえず今の父はゆっくりと寝て体の疲れを回復している段階でしょうから私もゆっくりと見守ります。
2014年06月15日
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昨日はカヌーの県協会の総会で名ばかり理事の私も会費を払うために参加ww仕事は残業が一時間あって総会に遅刻しながら向かっていたんですがその最中に兄からのメッセに気がつきました。父が肺炎の疑いがあると言う事で入院したと。昨日は面会時間に間に合わないので今日の夕方に行けると思うと返事をして、今日はお寺を早々と切り上げて面会して来ました。ちっちゃくなってました。父が90歳過ぎても一人で東京や東北の陸士の同窓会に参加出来たのは子供の頃から苦労して足腰が鍛えられたからだと思ってましたが、そのふくらはぎも私の腕より細くなってました。ま、体重が30kgを切らないことが目標って感じでしたから食事もまともに出来て無かったようです。元気だと施設に入ってゆっくり養生して欲しいと願っても本人が頑として受け付けないので、今回の肺炎気味なのを利用して病院のプロの看護を受けて回復して欲しいものです。面会時間が過ぎても注意はされなかったので一時間ほど勝手に居座って様子を見てました。付き添いはお断りの病院なのですが年寄りの事でもあるし面会時間の延長は大目にみてくれるみたいです。あんなにしっかりしてたんだけど…「老いるって怖いわぁ」と実感しました。あと、10年以内に葬式があるなぁと思ってましたが今年?来年?って位に仕事にはもう復帰出来ないちっちゃな老人になってました。ずっと手を握ってたよ。肺炎気味で元々呼吸が苦しい様だったから寝ている間も何とか生きてるって感じでしたが、顔色は良かったし手足も温かでしたから点滴で身体に栄養が回れば復活かなぁと思いました。どんだけ顔色が良くても呼吸出来なきゃ死にますけどね。私自身が過去に激ヤセしたり高熱が出たり呼吸が苦しいのを経験して来たのでなんとなく父の苦しい状態が想像できます。母がガンに罹って痩せ衰えた時は私は痛みの経験しか無くて苦しさの経験が無かったので母の為に出来る事は何も無かったです。父の苦しい状態がわかるのは自分が似たような経験をしてきたからで、そういう意味では無駄な経験などなに一つないと言うのはホンマやなぁと思います。あと何年手を握れるかわかりませんが親の手を握るせっかくのチャンスですから時間の許す限り面会に行こうと思います。元気になったらまた口うるさいジジイになって会いたいと思わないかも知れませんからねww
2014年06月14日
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これはいつもお世話になってるナッツ屋さんで試しに買ってハマったナッツです。ミックスナッツも美味しいんだけどこの「健康の実」ってミックスはヨーグルトに入れたら病みつきになりました。ヨーグルト用のドライフルーツってのも買ってみたから合わせてヨーグルト三昧します。届いたものを見た感じは「イマイチだったかな…」と思ったんですがヨーグルトにこんなに相性がいいとは思わなかったです。クコもワイルドブルーベリーも入っているからナッツだけのぼそぼそ感じゃなくて美味しい。キャラメル掛けてお菓子にしても良いなって思いました。お試しお勧めです。健康の実《1kg》
2014年06月01日
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これ、良いかなあ?? 自分で買おうとは全く思っていませんがw でもくれるんだったら欲しい気もする~。 こんな調理器があるなんて知りませんでした。 ジュウジュウ焼きたい人や早く調理して早く食べたい人には不向きでもじっくり調理でゆっくり楽しみたい人にはイイかも。 熱源に油が落ちないから煙が出ないってのもナルホドでした。 焼き芋も美味しい、サンマも美味しいって事だけど電気代がどのくらいかかるか気になります。 新発売【ザイグルシンプル】 煙が出ない調理が出来る炭火を超える旨さで30万台突破の赤外線卓上調理器ザイグルの新ラインナップ 「ザイグルシンプル」正規販売元直営店/ZAIGLE-simple/赤外線サークルロースター/父の日
2014年06月01日
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今年に入ってがま口の本を数冊購入して、消費税アップの前にがま口金具とか工具とかアレコレ購入して…やっと作りました。編んで作るがま口バッグは既に作ってましたがボンドで張り付けるものは難しいと書いてあったので何となく敬遠してました。んが、仕事が日勤に変わって時給が単純に25%下がり(深夜手当が無くなるため)、時給単価も790円が740円になると言う予期してたけど現実感のなかった薄給が身に染みる…部分を補うべく出勤日数が4日増えたおかげでゆっくり休むことが出来なくなって編み物の時間が無くなった。ビニールコーティングの布が安かったので沢山買ってちょっとがま口の本を参考にしながらオリジナル型紙で作りましたです。最初はシンプルな小銭入れをがま口金具に付属の型紙で作り、それはとってもみっともない出来ですが仕事場でいつ失くしても壊しても惜しくない小銭入れとして便利に使っています。この写真のものはボンド系2作目であります。中は裏地も付けてなくて手縫いでボロボロ感がスゴイですが表を眺めてる限りはイイ感じw2色で胴とマチを色違いにしたのが良かったんだなあと思います。単色だとただババ臭いだけであります。ひょうたん型にしたかったんだけどそれはもう少し型紙の作り方を理解してからにしようww色々買った本の型紙はまだ使っていないので何のための本なんだ??と思ったけど、色んな本をアチコチ眺めたからこそ作り方が理解できたと言う事で…良しである。自分が思っているのと実際に作る形とは違ったのでなるほど手芸は奥が深い。やってみないと判らんことがいっぱいやあ~ww次はストラップを付ける部分が無いがま口金具を使ってストラップを付けるパーツ自作で何か作るかと。いや、お守り様を入れている袋がボロボロなのが気になっているので可愛いがま口でお守り様袋を作ろうか。何にしても沢山買った金具をきちんと活用できるようにまた興味が他に移る前に何か作りたいと思います。
2014年05月20日
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ポイント5倍を狙って購入したのはこの本。また「がま口バッグ」の本にしました。先日の「がま口がいっぱい」って本は大小色んなサイズのがま口が載っていました。今回のこれは主にバッグとして使えるような大きなものがメインです。ポシェットからカバンと呼べるサイズのものまでですね。「がま口がいっぱい」の方はコインケースや眼鏡ケースやポッシェットなど小物系が多いかな。同じような本ばかり沢山買ってどうすんの??と思われるでしょうが、編み物の本なんて同じようなセーターとかストールばかり載っている本を毎シーズン買い続けるんだからがま口初心者が3冊程度買うなんて当たり前ですww刺繍も編み物も10冊ではきかないほど持ってるんですからがま口にハマるとまたアレコレ欲しくなるんだろうなあ。でもがま口だけじゃなくてファスナーのバッグも可愛いんですよね。リンゴのポーチがファスナー仕様なのであれを完成させなくちゃ。母の丸帯でバッグを作れるようにせいぜい練習します。手作りしたい がま口バッグ
2014年04月12日
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楽天の期間限定ポイントを利用してこの本を買いました。この本の他に2冊買ったんだけどそれはまた別にご紹介します。3冊買ったので結局は期間限定ポイントだけではなくいつでも使えるポイントを足して全額をポイントで払いましたが…後でシマッタ!!と思ったことがあります。楽天カードで+1ポイントになるキャンペーンにエントリーしてたから楽天カードを使うべきだったか??ま、無駄遣いしすぎてるのでポイント払いが正解ですねwこの本が一番自分が作りたいものが載ってる気がしましたが、実際に手元に来たら印象が違うかもしれません。がま口…金具を沢山買った分なんとか上手に作れるようになりたいものです。がま口がいっぱい
2014年03月29日
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このビデオを見て踵の引き返し編みが簡単にできそうな気がしていたので編んでみました。踵がトマトのように丸く…って事でやってみると確かに丸く出来て見た目イマイチだと私的には思うんですが…でも履いてる時はとてもリラックスできます。編み方もこの動画の製作者の教えるつま先から編んでいくやり方にしました。あれもこれも初めてでどうなるかと思いましたが出来上がりました。靴下の片方ばかりこんなに編んでどうするんだって自分でも突っ込みたくなるほど片方ばかり編んでるんですが、最初は一足完成させるつもりで編むんです。でもペアの片割れを編んでいる時に配色違いに気が付いてとか、段の数え間違いでとか、本の間違いでとか、色んな理由で揃いませんww先に編んだ方と微妙に違うなあと思った段階で「それならこれを試してみよう」とか思ってデザインを変更するので靴下見本のように片方だけしか出来ないんです。それでも編むたびに少しづつ上達してるのでいつか達人になった時には靴下が溢れるように完成するはずですw踵なんですが、3回引き返しの踵を編みましたが実際には2回で編んだ方が良いと思いました。この作者のeBookにも2回にするか3回にするかは足の大きさによるとか好みとかって感じの表記があり2回目が終わった時に履いてみたら踵自体はおおわれる大きさだったのですが3回だとどうなるのかを知るには3回編んでみなくては判らないので3回編みました。結果として2回でベストだなと言う事がわかったww3回にすると踵が大きいと言ってもきっとアキレス腱の部分でブカブカすると思います。この靴下自体アキレス腱の所が浮いてます。サイズは女性のmidサイズで編みましたが私だとスモールで良かったです。と言う事はほとんどの日本人の女性ならスモールで良いだろうと思います。ま、相変わらずスウォッチを編まなくてぶっつけ本番で指定通りに編んでしまうのがいかんのです。糸はエブリディカラフルの316番です。内藤商事毛糸 エブリデイの段染めが出来ました!【新世代アクリル毛糸】エブリデイカラフル価格:718円(税込、送料別)5本針の3号で編みまして48目でヒールまで編んでそれから4目ゴム編みを少し、あまりのブカブカに4目表目3目裏目のゴムに変え、履き口で2目ゴムにしてあります。裏目で3目に変える時に2目1度で目数を減らしておりまして最終的に42目です。それで2目ゴムにすると4目表目になるところが1カ所出来るので次回改善いたします。減らし目のおかげでなおさら履き口がつぼまったように見える写真になりましたww次に編むのはこれの改善版なのでまた片足サンプルが増えましたです~w
2014年01月13日
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この前からボヤいている野呂英作の「虹」でありますが、この266番を10玉と258番を10玉死蔵しています。266はこのリンクにあるけど258はまた別のショップにあった。見るたびに「これどうしたもんかなあ…」と考えてしまうので靴下もちょっと飽きて…エブリディカラフルの糸割れにげんなりしてるところww…アンクルウォーマーも出来たしって事で袋から取り出してみました。買ってからイメージが違うか何かの原因でほったらかしだったから袋からも出していない。んで初めて触って見たらイキナリ「気に入った!!」となりましたですwwそうだよなあ…高くても変な糸でもやっぱり野呂英作の糸をチェックしてしまうのは手触りとか編んでいる時の感触が非常に良いからなんだよなあと思い出した。以前手芸店で大量買いの上得意状態だったときに「野呂英作なんだけど安くしてるからどう??」と言われてその時はあまり気に入らなかったけどお付き合いで買った糸がとても良かったんです。見た感じはダサい糸で編んでてもイマイチだなあと思ったんですが着てみるとすごく軽くて暖かい。こりゃいい糸だったなあと買い足ししたいと思った時にはすでに廃番でネットで検索してもどこからもヒットしませんでした。糸の名前は「藤」だったような気がするけど違うかも知れない。この「虹」も触ると軽くて「これは大きなものを編んでも肩凝らなくて良いわ」と期待しちょっと編み図を探しました。でも糸に特徴がある分シンプルで良さ気って編み図が無いんですよね。で、昨日の夜に少し編んでみて模様編みを入れたけど糸が絡まりやすくて編みにくく、でもその分糸が編み針から外れても勝手にほどけることは無いんだなと妙なところで感心したり。起きてから昨日の夜せっせと編んだ分をほどいてまた別の編み図でやり直しています。シンプルにゴム編みとメリヤスだけの方が簡単だし編地も綺麗。凝った編み込みはストレートヤーンできちんと模様が判るようなものの時にチャレンジします。もうこんな高い糸を買い足すことは出来ない生活水準だから10玉で上手く収まるものにするよ。カーディガンが良いかなと思ったけど足りなさそうならベストで。面倒になったらマーガレットにする。やっぱり「野呂英作」侮れんわ~。あんなに見るたびにウンザリしてたんですが触っただけでその気持ちが吹き飛んだわw手あみ 毛糸 野呂英作毛糸 虹
2014年01月04日
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みなさま明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。イキナリですが編み物話題であります。昨年末にカラオケで憂さ晴らしをしていたのがリリアンに目覚め靴下編みに移行して年明けいたしました。んで、靴下を1足と片方だけのものを3枚編んでちょっと飽きたので会社の同僚にプレゼントの約束をしていたアンクルウォーマーを編んでみました。アンクルなので足首だけ温めるやつね。もちろん手首でも良いんだけどレッグウォーマーのようには長くないもので今回は18cm位のものを編みました。ただ筒に編むだけで増し目も減らし目も無しのチューブですが2目ゴム編みなので伏目をどうするかが問題。2目ゴム編み止めってのを本と首っ引きでやっていたのは若い頃だったからできたのであって今は全然やる気なし。そこで、昨年末に見つけていた優れた伏目である「スーパーストレッチーバインドオフ」にトライしてみました。これをやるには2目ゴム編みの何かを作ってテストしなくては…と思っていたので今回のプレゼントはテストにピッタリでありますwwんで、まだ片方しか出来てないから写真は無いんですが自分の為の覚書としてすぐに探せるようにこのビデオをアップしておきます。これ、簡単なのに本当に綺麗に仕上がって良いです。おススメです♡若かりし頃の2目ゴム編み止めに苦労したあの苦い思い出なんか上書き消去であります。編み物が好きでも糸始末が苦手な私は伏せ止めも当然苦手。作りたいけど面倒な最後が嫌で作らなかったものが山ほどありますがコレを機に色んなものを作って毛糸の在庫減らしにいそしみたいです。ハッと振り返ればもう2年以上も前の野呂英作の「虹」が10玉づつの2袋打ち捨てられて埃を被っているんですが、これ1玉1,300円位するんだよな。新年セールで10玉12,000円ってのを見てしまって「ヒャー、なんともったいない」と思いましたです。ここに埃を被った24,000円が捨てられている…orzえー、欲しい毛糸があるんですが、この「虹」だけでも何かの作品を仕上げないうちは新しい毛糸に手を出すのはよそうと思いましたです。2年前…何でこの糸、この色を買ってしまったのか判りませんが、きっと糸が来てから「イメージが湧かん」と打ち捨てたと思われ…。楽天の毛糸屋さんが物々交換に応じてくれたらこの「虹」を渡して今興味がある糸に変えて欲しいと思うほど何を作ればいいのか全くわかりませんwwま、とにかくアンクルウォーマー完成させてプレゼントしたら何かまたこのクソ高い糸で編むもの決めます。おっと、新年と言う事はうかうかしてると確定申告でヒーヒー言うと言う事だな。あまり凝らないもので私にも出来るもので…そんなもの作るなら高い糸なんか要らんよねww
2014年01月03日
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もう何年も前に買ってそのまま死蔵していたものを昨年の冬に手慰みで編み始めたのが運の尽き…。いまだに完成せずしかも糸が足りず、今売っているものとは品番が違うから買い足しもできないと言ういつものパターンに陥っているのがこの「デリス」です。在庫処分の為値下げ!20%OFF☆え?これ1本の毛糸なの?!いろんな毛糸の寄せ集め?ではありま...価格:2,318円(税込、送料別)そしてリンクを開いてもらえば判る通り在庫もかなり薄くなっておりまして…。綺麗な緑系が人気の糸でその緑は早々に売り切れました。そしてその緑を私も買っていくつかあるはずなのにどこにあるか判らないと言うこれまたいつものパターン。もう予算が無いからこんなに高い糸は買えない。でもあと一玉、せめて半玉ないと今編んでいるものが中途半端な長さで終わってしまうというジレンマに陥っています。でも糸はもう買う気が無いので何をどう工夫すべきか悩むわ~。あと1時間半くらいで感謝祭が終わるからそしたら諦めがつく…か??何で私って高い変な糸が好きなんでしょう。定番でいつだって同じ色目の同じ品質の糸が大量に手に入るものに見向きもせず、高くて色が変わっていてしかも変な糸ばかりを好むのは何故なんだ―――――!!多分私と同じ悩みを持っている人は多いと思うけどwwさて、ぼやいてないで今編んでるものを取り敢えず糸がある分編み終わりましょう。それでどのくらい足りないかを見てから考えよう。
2013年12月03日
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これも買いました~wwこれは靴の中敷きなんですがガラスや釘を踏み抜いて怪我をしないためのステンレスの薄い板が入ってます。踏み抜き防止安全靴が安心なんですがいつ来るかわからない災害の為にその安全靴を持っていても古くなったらEVAの底なんかが劣化して使えないんですよね。だから今回はステンレスと皮革のものにしました。備えあれば災害なしでお願いしたいですね。【ミドリ安全 靴備品】靴備品 踏抜防止全敷
2013年11月30日
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今日はお地蔵さまに行って来ましたが一日中大雨でした。夜半から降っていたけれど明け方に土砂降りになり朝一でお寺の連絡網で大雨だから注意して来るようにとお知らせが回ったほど。あまりの大雨で中止も考えられたんですが来月4日がお休みになっているのでさすがに今日は中止できません。ずっと大雨状態でお寺に向かいどこかで崖崩れなんかしてないかしらとビクビクしながら行きましたがお寺のあるところは雨が上がってました。お、仏様に守っていただいているなーと感じながらお寺に入り、先生方の勤行が終わって庫裏に引き上げられたところでまた大雨。なるほど一般の人にはたまたまに思えるかもしれないけれどお寺ではこういうことがあるんだよなあとご加護を感じましたよ。お寺の事務も終わって売店で生のローヤルゼリーの小瓶を買って帰りました。父が痩せたとかで兄から電話があった後にどうなっているのか気になったので生ローヤルゼリーを手土産に父の所を訪問。ご飯が喉を通らないと言う話だったので先月作って冷凍保存しておいた生姜の黒糖佃煮も1パック持って行きました。父は骸骨のようにガリガリで37kgになったと細い声をしていました。一通りの挨拶をしてローヤルゼリーを3匙ほど口に入れさせて…そこでまた「お前には話したことが無いと思うが…」と陸軍士官学校に入る前の兵学校時代の話から始まりまして…記憶違いでなければこれで4回目wwウンザリするほど事細かに覚えているのを一つ一つ聞き直すのは結構な修行なんだけど楽しそうに昔話をするので「そりゃもう聞いた」とは言えず、ごみ溜めのようにゴミやら薬やらが散乱しているのを少しだけ片付けながらずっと聞き続けて居りましたよww父の住んでいるところは仕事場の大きな倉庫の横に作ってあった事務室を改装してトイレと風呂が付いたワンルームなんですが仕事が終わったらすぐに休むことが出来るから体調が悪い時でも大丈夫だと言って独り暮らしです。兄が隣で仕事をしているので問題ないっちゃあ問題ないんだけど…汚いんだよなあ。長々と話を聞く間に父の弟である叔父さんの話になりました。叔父さんと疎遠になった原因とか色々。父はいまだに陸士の士官心得を暗誦するほどですからまがったことが大嫌い。叔父は見事に父と正反対で曲がった事、他人を騙すことが好き。母も叔父に随分と泣かされていて母が亡くなった時に叔父がどこからか聞きつけて葬式に出るような話で電話してきたのを父が「お前が合わす顔がるのか??」と言ったら来ることが出来なかったと言ういわく因縁のあるダメおやじ。そんな話も出たのでこの際だからと父が亡くなった時の葬式や供養をどうしたら良いか確認しました。兄はそういうことを聞くのはタブーみたいに思って嫌がるので私がきちんと聞いておかないとイザ死なれた時に困るので。ダメな叔父に連絡をして葬儀には出て欲しいのかと聞くと「アレに連絡するとまた我が物顔で出入りするようになるから連絡するな」と言う事で一安心。葬儀に呼びたい人が居るならリストを作っておいてもらわなくてはならないよと言うと「いや、もう呼びたいような良い人たちは先に死んだから誰も呼ぶな。陸士の仲間ももうどっちが先に死ぬか判らんような年寄りだから死んだ後に葉書を出して知らせるだけで良い」とのこと。それなら取引先や会社関係で死に顔を見て欲しい人はいるかと聞くと「いやそれもみんな高齢で葬式に来てもらうほどの事は無いから家族だけで良い」と言う話になりました。もう一回確認して「それなら葬式は私と兄だけでお通夜と葬儀を終わらせて良いんだね。陸士の人たちにも会社関係の人たちにも葉書で死亡連絡だけで良いんだね」と聞くと「ああ、それが良い」とのこと。「あとは二人きりの兄弟だから喧嘩をせずに腹が立ってもその時は口に出さずに水に流せ。時間が経てばまた話す機会も来るから」と言うので「変な女を連れて来たら卓袱台でもテーブルでもひっくり返すよ私は」と言うとしばらく考えて「変な女が付けばそりゃその時は仕方ない」と言うww母のお骨の半分は大本山に収めてあるから「お父さんのお骨もお寺に収めたいがどうする??」と聞くと骨はうちの家の墓があるからそこに入れろと言う。が、しかし、私に子供がなく、兄にも子供がなく、これからどちらも子供を持つことは望んでいない…のは父には内緒だ。必然的にお墓に入れたって無縁墓が増えるだけなので父が亡くなったら兄を説き伏せて大本山に収めようと思っているが兄もへそ曲がりだから父の遺言がどうたらこうたら言いかねない。そこでどうしたものかと考えたんだけど「それならお骨は骨壺に2つ取るよ。喉仏が入っているのは大事だから本山で供養してもらう。喉仏が入ってないものは兄の手で墓に収めてもらうことにしたいが良いか」と聞くと「それなら構わない」とのこと。これであらかた決めておかなければならないことは父の口からどうしたいか希望を聞いたので安心しました。他にも色々話す中でやっぱりこのおっさんはわかっとらんな~と腹立たしく思うこともあったが同じ話を4回繰り返す状態の父に今更何を言ったところで仕方なし。それにしても若いころの話は事細かに良く覚えているものです。戦争中が青春真っただ中だったんだもんなあ…。航空隊の試験には落ちるだろうと思っていたらやっぱり落ちて、機関兵の試験で100点取るつもりで自信があったのに結果は50点で落ちておかしいなあと思っていたんだけど陸士に入って同期の人から機関兵で若いと75点で合格するから戦艦の一番下の底の所で働くから死ぬ確率が一番高いと言われ「お前は危ない橋を渡って陸士に入ったなあ」と言われたらしい。陸士の試験では数学の問題で一度全部の答えを書いてその後にご先祖様に「俺がこの世に必要ならこの試験に通るように力を貸してくれ」と祈ったら目の前に答えの式がズラズラと浮かんできたからそれをただ綺麗に写して移し終わったら間違えないようにきちんと計算して自分の一旦書いた答えは見ないで全部消して、その浮かんで見えた式と答えを一つ一つ綺麗に書き写してそれで合格した」そんな話もしてました。お祖父ちゃんが小学校の校長先生だったけれど父が小学4年生の時に喘息だか何かの肺の病気で亡くなって、数学を教えてくれることが出来る先祖はお祖父ちゃんだけだろうからきっと親子の情で助けてくれたんだろうってww他にもたくさん話を聞きましたがまあ長すぎるのでこのくらいで。来月は品川のどこかのホテルで同窓会らしいです。参加できるのかその状態で?? と思うけれど楽しみに頑張っているんだから参加できると良いなと思います。葬式はこの10年以内にあるだろうと思うけれど90歳と91歳では体の元気が全然違うと体力低下を自覚していましたから同窓会に出るのも今年が最後かな。何にしても聞くべきことを聞けて良かったです。
2013年08月24日
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お友達のマルチーズのお別れに行きました。午前中の涼しい間に業者さんに渡すと言うので仕事が終わってからシャワーを浴びて少しだけ食べて出かけましたが博多駅でシステム異常があったとかで車が溢れかえっていました。何も知らなかったけど都市高に乗ってなくて良かった。もし乗っていたらずっと渋滞のまま逃げ出せないところだったかも…。いつも通る駅の裏の通りに向かって渋滞していたので他の道に逃げたけどそこも渋滞。でもあそこら辺はいつだって渋滞だからなあ。お花くらいは買って行こうと思っていたけれどお花屋さんが判らず、スーパーのお花はパッとせず。いつも通る道ならお花屋さんもあったんだけど仕方ないから手ぶらで行きました。そして近くまで行ったら様変わりしていてどこから入って行くんだっけ?? とギブアップ。電話して道順を聞いてわかった気になって行ったら案の定迷ってグルグル回りましたがしまいには坂の上の家に行きたいのに坂を下りてしまったのでとうとう携帯ナビに頼りました。おかげで後はスンナリ到着しましたが、もうまったく覚えていない細い道を入って行くんですがナビが無かったらそこも素通りするようなところ。車の離合もやっとな細い道の山のてっぺんなんだけど中央区なんだよなあ…。と書けば地元の人なら「あそこか…」と判るようなところですww着いたら業者さんが到着した後で車を停めるのに場所がなくてまた電話。そうなんだよ、山の上だから車で行くのに随分苦労してその上停めるところがなかったから中々会いに行けなかったんだよ…と思い出しましたが後の祭り。お隣の駐車場に臨時で置かせてもらって会いに行ったワンコ君はガリガリの鶏ガラならぬ犬ガラになっていました。毛もごっそりと抜けていてマルチーズと言うよりチャイニーズクレステッドドッグの様でした。ママは業者の人とこれからの火葬の打ち合わせがあったのでその間ワンコ君を撫でてましたが、柔らかでした。ママが動転して話がなかなか理解できないようで、業者の人もビジネスライクには話さず回りくどい言い方をするのでいつまでたっても契約書の終わりが来ないww契約が終わって「お別れを存分に…」と言われてから本当に長い時間を掛けてお別れをしました。やってきたのは火葬車で大きな1BOXの中に火葬する設備が入ったものだったけれど結局は遺体を持ち帰って会社の敷地で焼いてもらうことにしたようです。暑いさ中だし焼けば臭いもするので街中では火葬車で焼くのは難しいとのことだったけれど、どうしても家から出られないけどお骨を拾いたいと言う人の為に火葬車で引き取って近くの空き地かコインパーキングで焼くこともあるそうな。業者さんの車に乗せた時に近所の奥さんの姿が見えて声を掛けたらお別れに来てくれてそれが最後のお見送りになりました。ゆっくりと車のドアを閉めて動き出したけれど、火葬車だからワンコ君が乗せられたのが火葬する設備の中なのよ。もうまるで火葬場にいる気分で防炎の分厚いドアを閉める段階でママが大泣き。人目も憚らない号泣。向かいはマンションだからバルコニーから何事かと観た人もあっただろうけどまあ、ご近所さんなら判ってるから良いか。その後しばらくはおしゃべりをして帰りました。ママの所には弟さんと40年来の親友という女性が昨日から泊りがけで来ていて、弟さんと話をしましたがこの方も変わった方でした。霊能者さんの話とか「パチパチ君」と呼んでいる自分にしか反応しない妖精のようなものの話とか…楽しんで話しましたよww彼が思っている「宇宙の仕組みはこんなんだがそれに付いてどう思うか」と聞かれたので「そんなんは自分の思う通りで良い」と答えました。「私も私が思う霊界の仕組みがあるがそれを見てきたわけでも証明できるわけでもないから貴方の思う宇宙がどんなものであっても否定はしない」「お釈迦様が目の前の事に集中しろと仰って、今自分に毒矢が刺さってそれを抜こうとするのに「ちょっと待て、その毒矢の毒の種類が知りたい。毒を塗っている矢の材質を知りたい。矢の先の羽根の材質を知りたい。矢を射た弓は何の素材なのか、弦は何の弦なのかその材質を知りたい。それがわかるまで毒矢を抜くのを待て」と言ったらそれらのすべてがわかる前に死んでしまう。ここで大事なのは毒矢を抜いて命が失われないようにすることで、それ以外の事はどうでもいいんですよ」「だから私の思う霊界の仕組みがどうあれ、貴方の思う宇宙の仕組みがどうあれそんな事より今目の前にある自分の問題に集中するべきで他の事はどうでもいいことなんですよ」そういうとなんだか嬉しそうな面白そうな顔をしたww他に「この宇宙が無くなるまでに何十億年、太陽が無くなるまでに何十億年、地球が無くなるまでに何十億年…と言うようなことを調べて考えている」と言うので「ああ、それは心配いりません。地球が無くなる前に貴方はもう死んでますから死んだ後の事は心配しなくて良いです」そういうとキッチンの裏からママのお友達の「プッ…」と噴出したような声がしたww弟さんは「それもそうですね」とまた他愛のない話を続け延々と止まりそうにないが私も眠い。ママも眠そうにしているので「ママ眠いんじゃない?」と水を向けると「昨日から全く寝てないから眠いわよ」と言うのでそれを機に退散することにしました。ワンコちゃんを会社に連れて帰って火葬しても冷えてお骨を取るまでに時間が掛かるからお骨が帰ってくるのを待つわけにもいかないし。またゆっくり落ち着いた頃に会いましょうと話して帰りましたが、帰りの運転はかなりヤバい居眠り状態。事故せずに帰れたのが不思議なくらいグロッキーでした。そのまま寝て夜中に柴ワンコちゃんから電話があったけれどその電話の内容もうろ覚えww もう無理が利かんわ~。太った分体力は付いて体が痛いことも少なくなったけれど無理が利かん。柴ワンコちゃんには長生きして欲しいです。
2013年07月18日
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さっきまでエアコン全開で寝てたんですが何気に時間が気になって携帯を見て、メールが入っていることに気が付いた。普段ならそのままメールは無視して寝続けるんだけど…だって私にとっては深夜だしww…メール見に行ったらワンコのお友達でした。普段はあまりメールのやり取りをしないお友達だけど1ヶ月くらい前だったか電話をもらってお互いの近況を話した。そのお友達のワンコちゃんが今朝亡くなったそうです。そうか…16歳だからいつどうなっても覚悟してるって言ってたけどよりによって今日亡くなったのか…。今日はうちのワンコが亡くなって2年。三回忌なんだよ。公園で仲良く遊んだあの子の事をちゃんと忘れずにお迎えしただろうか。うちの子も白い毛が綺麗だったけどその子も真っ白な毛が自慢のマルチーズだった。ロングのままにして随分毛の手入れにも気を使ってたけど足腰が立たなくなってからは残念だけど世話をしやすいようにカットしたって言ってた。うちの子もボルゾイだったからヒラヒラとしたお尻の飾り毛が豊かな綺麗な子だったけど足腰が立たなくなって私のベッドに寝た切り生活になってペットシーツでしか排泄できなくなった時に飾り毛をカットした。年を取ったらみんな同じだね~って話したんだけど、そうか、亡くなったのか。それも同じ日に。うちの子はお寺に頼んで三回忌の供養をしてもらいました。これからもう少し涼しくなったら私もあの子の為に三回忌の修法をします。朝しようと思っていたんだけどあまりの眠さに断念した。お経をあげながら居眠りしそうだったからww明日と明後日は仕事が休みだからそれであの子のお骨を納めに行く予定。10年添い寝してたワンコがいきなりいなくなって寂しくて一旦は焼き場に置いて帰ったあの子のお骨を1週間後引き取りに行きました。焼き場には個別の納骨堂もあったけれど集合墓に入れてもらうわ。一周忌で納めるつもりが踏ん切りがつかなくて三回忌の法要が終わってから納めようと決めて今日を待ってたんだけどそこに仲良しだったワンコちゃんの訃報が入るとは思わなかった。虹の橋のたもとにみんないるから寂しくないかな。これからはまた元気に走り回って楽しく過ごして欲しいと思います。
2013年07月17日
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今日はワンコの「月命日」です。「月命日」ってのは毎月毎月巡ってくるんだよ。「祥月命日」ってのは一年に一度、亡くなったと同じ月日の命日の事。あまりお寺とかお坊さんの話なんか聞かないで来た人はどっちがどっちか判らない人も居るのでちょっと書いときました。ワンコは去年の7月17日の午後10時半くらいに亡くなったのでもう9ヶ月経つんだね…。最初の頃はずっと悲しくて涙ばかり出てて写真を見ても思い出しても寂しくて仕方なかったです。んで、お寺でちゃんとした供養をできるようにして貰ったのにワンコの生前の思い出ばかり追かけていたからある日夢に出てきたんですが白い綺麗な被毛は何となく薄汚れた感じで…。でも可愛いお顔と仕草は変わらなかった。今は締切った様になってしまっているテラス窓から庭に出ていきたがって長い足を延ばしていたなぁ。でも起きた後に「しまった」って思ったんですよ。私がいつまでもワンコの生前の姿を思い出してはこんなに可愛かった、あんなに可愛かったってばかりだったから全然成仏してる気配が無い。ただの犬のままでいつまでも私と暮らした世界に幻のように居座ってる。これじゃね。せっかくの六道輪廻なんですから畜生道からもっとマシな世界に。私の願いはワンコが御仏様の足元の蓮の花の上に可愛い赤ん坊に生まれ変わってそのまま御仏様の下で成長してくれること。お寺では「犬畜生なんだから」って言う人もいるけれど、本当に「霊魂不滅」を信じているなら犬として生まれて来ざるを得なかった前世の因縁を浄化して次はお浄土に生まれ変わる魂にって願うはず。犬だから犬のままで終わるとかそんな事は魂が輪廻転生することを信じていない人が言うことで私は絶対に輪廻転生を信じているの。それも追善供養をすることで地獄に行くはずの魂も現世が畜生であった魂も必ずお浄土にまっすぐに行けるんだって私は信じてる。もしそんな事はありえないと言う人が居たらそれは輪廻転生や追善供養の力を認めていない人なんだって思うのね。私が思っているというか私が信じている事だからこの世界の私以外の全員が「そうじゃない」と言ってもそりゃそれで良い。私は信じる世界に居て、私以外が信じない世界に入るんだってだけの話だから構わんの。お寺で先祖供養をしていながら同じ魂に対して「犬畜生だから」とか言う人には「なにも判らんでよー言うわ」って腹の中で呆れかえっていれば言いだけの話だから。もちろん御仏様とか霊能者の人は「お前こそ厚かましい。よー言うわ」って思ってるかもしれないんだけれど…私には私の信じる道があるからそれでいいんだよ。さて、ワンコの夢を見てしまったと思ったのはそういう風に御仏様の前に生まれ変わって欲しいのにいつまでも私の未練がワンコを犬のままで幽界に引き留めているんだなぁって思ったから。その夢を見てからはワンコの写真を見てもビデオを見ても生きていた時のワンコを撫でるように心の中のワンコに話しかけるのはヤメタ。そうこうしているうちに段々とワンコの写真を見ても涙ばかり出て困るって事も少なくなってきました。まだまだだけどね。まだまだ寂しいけれどお母ちゃんは少しずつ元気になっているよ。ワンコが死んじゃった時に足繁く通ってくれて様子を見てくれていた友人も柴ワンコちゃんも今は余り連絡が無いなぁ。友人は自分の夢に向かってどんどん歩きだしているようで私は寂しいけど置いてきぼり。「置いてきぼり」なのか「置いてけぼり」なのか判んないけど私の語彙では「置いてきぼり」です。まぁ私の寂しさに何年も付き合わせるわけにはいかないし誰しも自分の夢を叶えたい時は脇目も振らずガツガツと目的を達成して行くことは大事だと思うので頑張って欲しいです。柴ワンコちゃんは2月に「リフレ」の光るマフラーを渡したきりで連絡なし。1ヶ月か1ヶ月半に一度はフードを届けに行くから会っていたんだけれどもうワンコフードを分け合う事もなくて会わなくなっちゃった。きっと電話すれば歓迎してくれると思うんだけど私もいい加減な女だからあんなに様子を心配してくれた柴ワンコちゃんに全然連絡取ってないよ。今度倉庫の改装が終わったら見に来てもらおうかな。柴ワンコちゃんは一級建築士だから「こんな事では危ないですよ」とかいろいろ注意されそうだwwいつかお金ができて家を建てるなんて事ができる日が来たら柴ワンコちゃんに設計と監修をお願いしたいと思っています。彼女はとても真面目な人だし元々が看護士だった人だから老後の生活も全部考えた良い家を設計してくれると思う。本当に苦労して建築士の資格を取ったけれど景気が悪くて苦戦中。お金が入ったら…なんてタヌキの皮算用ばかりだけど本当に建物を設計する必要がある人がいたら忘れずに紹介したいなぁと思っています。私も改装が終わって引っ越しが終わって色々と片付いたらまたパートナーを見つけなきゃ。今度はまたニャンコが良いかなぁと思ってみたり。もうワンコは今までのワンコだけで十分だって思うのね。飼うとしたら小型のどこにでも連れて行ける子にしようと思うけどやっぱり散歩なんかを考えたらニャンコの方が良いなーって思う。元々ニャンコばかり飼っていてアレルギーがひどくて飼えなくなったけれど…今はアレルギーの薬を毎日飲んでいるんだもの。もしかしたらニャンコ飼っても大丈夫なんじゃないの??なんて思い始めました。まぁ気道が詰まって呼吸が出来なくなるのはどうなんだって思うけれど今飲んでいる腫れを抑える方の薬があれば何とかなるんじゃないか??喘息発作の時に吸入するエアゾール薬も常時携帯しているし今なら大丈夫って思うんだけどなぁ。でももし飼ってしまった後に発作が収まらないからニャンコを手放してくださいって言われると困るからこれは先生と十分に話し合ってアレルギー薬があれば大丈夫ですよとお墨付きを貰ってからにしようと思います。ワンコが生きていた時はねー、体の傷みも心の傷みも全部ワンコが引き受けて「ヨシヨシ、お母ちゃん大丈夫だよ」って慰めてくれたんだよね。今は本当に辛いなーって思っても心の澱を受けとめてくれるところが無いんだよ。御仏様にも「お前はいい加減にせんか」と怒られるような事は何とかしてください~って泣きつくわけにもいかんしなぁ。そういう意味でワンコはお浄土に行くだけの資格がある本当に徳を積んだワンコだと私は思ってる。ワンコが居なかったら私はここに居らんわ。とりあえず今日はワンコの日。ゆっくり手を合わせたいと思います。
2012年04月17日
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早いもので…ワンコが死んで悲しい寂しいと思いながらも、今日で満中陰を迎えました。亡くなってから満中陰の49日が3ヶ月目に入る場合は35日目の五七忌を満中陰とする…場合もあるようです。でも多分それは忌明けを早くして長い期間喪に服さなくて良いようにするという利便性を考えてのことではないかと思っています。間違っているかもしれないけどね。ちなみに真言宗の仏事作法って言うサイトに詳しく解説されているところから四十九日に関するところを引っ張ってくるとこの様な感じです。----------------------------------人の死後49日の間を仏教では中陰の期間といって、六道輪廻の間をさまよう期間とされました。この期間に行なう供養を中陰供養といいます。『梵網経』には、例え生前中に、悪行を重ねた人でも、遺族が7日毎に追善供養をすれば、死者もその功徳を受けるとあります。49日目は、審判で死者の運命が決まるとされており、満中陰といわれています。また鎌倉時代から始まった十三仏信仰というものは、初七日から三十三回忌までの13回の重要な法要に、13の仏菩薩を本尊として配当するものです。法要にはこれら十三仏を描いた掛け軸を掛けることがあります。初七日 (不動明王) 二七日 (釈迦如来) 三七日 (文珠菩薩) 四七日 (普賢菩薩) 五七日 (地蔵菩薩) 六七日 (弥勒菩薩) 七七日 (薬師如来) 百カ日 (観音菩薩) 一周忌 (勢至菩薩) 三回忌 (阿弥陀如来) 七回忌 (阿しゅく如来) 十三回忌 (大日如来) 十七回忌(大日如来)二十三回忌(大日如来)二十七回忌(大日如来)三十三回忌 (虚空菩薩)五十回忌(大日如来)また「忌」明けとは、中陰の期間である死者の六道輪廻が終了して六道の何処かに生まれ変わることを意味し、それとともに忌の汚れが除かれたことを祝う行事です。そこでこの法要は盛大に行なわれることになります。----------------------------------こんな解説がされていて、それぞれの仏様が各忌日に見守ってくださっている事を考えれば3ヶ月目に入る場合は五七忌をもって満中陰とするってのは…お寺の方針でそれ以上の供養はしないって事なら仕方がないけれど、私自身はワンコの為にそれぞれの供養をして御仏様にお願いしたいと思うのよ。五七忌で満中陰とするってのは閻魔様がこの五七忌においでになるから?? ですかね。お地蔵様の守られている五七忌には閻魔様もおいでになって亡くなった魂を裁くからそれ以降は行くべきところが決まっちゃってるからやらなくても良いよって事なのかしら??でも裁判でも控訴審がある様に、一旦は五七忌で閻魔様が「地獄に行け」と言われた魂でも、こちらから「何とかお浄土にあげてください。お願いします」と祈り続けていれば情状酌量されて執行猶予つきでお浄土の端っこにでも置いてもらえるかもしれない。少なくとも地獄には落ちずにまた修行して出直してこいって戻されるかもしれない。五七忌で閻魔様に「お浄土に言ってよろしい」と言われた魂でもお浄土行きに浮かれていたら「やっぱまだ修行が足りんな」と出直しを言い渡されるかも知れない。それをダメ押しで確実にお浄土に送り届けるためにも残りの2週間は大事だと思うんですよ。本当にお浄土に文句なしで上がって何があっても戻される心配がない魂って言うのは無くなった時に阿弥陀様が観音菩薩様と勢至菩薩様と眷族を引き連れてお迎えに来られる方だけだと思っています。それ以外の魂はちゃんと49日間の祈念をして祈って祈って何とかお浄土に引き入れて頂ける様にこちらから援護射撃が欠かせない。私はそう思っているのね。他の人は知らん。私がそう思っているだけ。私はきっとお亡くなりになった法主様がお浄土から私たちの生活を見て、私がどんなにワンコを愛していたかを知っておられて、私がどれほどワンコの成仏を願っているかを知っておられて、私が49日間祈り続けるのを見ておられるだろうと思っています。だからあちらからワンコにきっと力を貸してくださるだろうと思うのです。だからこそ49日間ずっとちゃんと祈って満中陰は五七忌でって感覚にはならないのですけどね。と言っても、1日だけは疲れて寝てしまってアラームも止めて目が覚めたのが12時を回った後だったのでワンコには謝ってその一日だけは供養しなかったけれど。あの時は本当に毎日がめまぐるしい様なスローモーションで動いていた様ななんかよく記憶にないです。日記を付けるからこんな事があったよなって思い出せるし色んな事をちゃんとやっていたんだって思うけれどワンコが死んで1ヶ月はやっぱり慌ただしくて気持ちも落ち着かなかったなー。私がちゃんとできなくても1週間ごとの供養は本山にお願いしているので本当に安心していられました。今日の満中陰も本山でしっかりとワンコに言い聞かせてくださったと思います。頑張って修行して、綺麗な光の玉になって御仏様のところへ戻って行け。なんでか知りませんが、私は光の玉になって仏様のところに戻ってふんわりと安心していられる状態がとりあえずの目標だと思っています。その美しい光の玉になって御仏様の元に戻る事が第一段階で、その段階が来たらまた御仏様が何をするべきかを教えてくださるだろうと。だから母もお祖父ちゃんお祖母ちゃんも他のご先祖様もみんな美しい光のたまになって御仏様のところで悠々自適にお過ごしくださいって祈ります。ワンコがその仲間入りをして、次は私が仲間にならなくちゃ。ワンコがお浄土で修行を頑張ってくれていれば、私はどれだけ寂しくても自殺なんてしないでお浄土に上がってワンコともう一度一緒に暮らすのよと思える。ワンコが地獄に居るなら私が頑張って生きて行く必要はないよ。だけどきっとあの可愛いワンコはお浄土に置いて頂いて御仏様に可愛がって頂けると信じているので私も頑張らなきゃなぁと思うの。美しい光の玉って言うのは純粋なエネルギーだけの状態に戻ったら玉になってどこにでも行けるし何でも通り抜けられると思っています。肉体の状態を維持せずにそういう肉体があった頃のカルマを超えたらもう純粋な光のエネルギーになってしまうだろう。一度母が夢に出てきた時に、母の形はしていたんだけれど体の中から透明なまぶしい様な光が溢れて本当に光が母の皮を被っている感じの時がありました。すっごく綺麗になっていた。顔や形が美人とかグラマーとか若いとかそんなんじゃなくて、体の内側から光があふれる美しい姿でした。それは私のエネルギーの光の玉になるって妄想が夢の中で現れたのかもしれないけれど、この姿かたちを捨て去る所までいければ御仏様のもとに戻ってゆっくりと過ごせるんだろうなぁと思った。また、人間の姿のままでも良いとは思う。一旦はカルマを捨てて美しい魂となって、今度は私たちを助け導くために私たちに認識できる姿になって色んな事を教えてくれるのもアリかなと思います。その姿を保って色々と私たちを教え導く姿は本当に菩薩なんだよな。美しい光のエネルギーの玉になって仏様の中に戻るのも、私たちを助けるために菩薩として現れてくださるのも…ってまるで見てきた様な妄想ですね。ま、私がいつもお仏間で手を合わせる時にはそういうイメージで手を合わせています。母やご先祖様がそういう姿に早くなってカルマとは無縁になってもらうためにもっと頑張らなくちゃなぁと思うし、ワンコが満中陰を迎えて六道を超えてお浄土に仲間として迎えて頂けたら有難いなぁと思うのです。今日はお祖母ちゃんとおじちゃんの月命日だし、ワンコを一緒に連れて行って案内してくれたかしら。まだまだ友人と電話でワンコの話題が出ると涙が出るんだけれど、ずっと忘れないから頑張って修行して私を待ってて欲しいと思います。私が死んだら会える♪と今から楽しみです(笑)地獄に行ったらワンコに会えなくなるからとりあえず地獄に行くほどの悪行は起こさない方向でいようと思います(#^.^#)
2011年09月03日
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足が攣ってしょうがないんですよ。ここ最近っていうか…1週間ほどは寝ている時に足が攣ります。ネットで原因を調べても実際には電解質の問題でも疲れの問題でもない。いや、電解質や疲れが複合的に働いて足が攣るのかも知れません。色々と皆が原因となるものを教えてくれるけれど、研究の結果としてはコレといった原因が特定できないらしいですね。私は体重があった時から…つまり太っていた時から…足が攣るので痩せすぎでって事はなさそう。ただ、足の静脈は異常なほど浮き出てきたので血行の悪さと脚の使い過ぎと栄養バランスの悪さが原因にはなっているだろうとは思う。あまりの静脈の汚さにあわてて黒酢を飲みました。クエン酸は時々飲みますが、お酢とかクエン酸を飲むと痩せちゃうんだよね。なので以前はがぶ飲みしていたけれど今は時々しか飲まないようにしていたんですが…血液がドロドロだと思うのでちゃんと飲もう。睡眠時間は2時間ずつを重ねて4時間とか6時間とか寝ています。2時間くらいすると目が覚める。んで、昨日も今日もワンコの事が気になって泣きながら寝て泣きながら起きる生活。やっぱり何らかのバランスが悪いんだと思います。ワンコが寂しがってるのかなぁ。ワンコの事が気になっているのは死に方。あの10日か1週間前には日記でワンコが腕の中で息を引き取って仏様のところに言ってくれれば良いなとか書いていた。実際にそうなったんだけど。んで、死んでしまった当日の昼にはお勉強の先生から何故かメールが来てワンコの様子を聞いてくれたんですが、「もう死にそうなくらい悪い」と返信していた。実際に食事をしなくなっていたし、ガリガリだったし、呼吸もきつそうだったんだけれど…あんなにあっけなく死んでしまうとは思ってませんでした。だから仕事に行く前にオシッコを漏らして乾かす時にワンコが苦しいのに体を反対に引っくり返したのがワンコの心臓にはショックだったのかしらとか、時間がないから急いで乾かしていたんだけれど、その時にワンコには背中を向けてお尻の方にだけ集中していたのよね。あらかた乾いた段階で辞めてワンコの様子を見てあげればワンコは死ななかったんじゃないかとか思う。ワンコがもう息が苦しくて声も出ない時に私はオシッコを乾かしていて気が付かなかったなんてさ…。お母ちゃんはアンタを死なせるつもりはなかったんだよって話しかけるんだけどね。「あの時にもう少し」とか「なんであの時は」とか、考えても後悔してもどうしようもないんだけれどこの数日は何故かものすごくフラッシュバックしたような悲しさが押し寄せる感じです。腕の中で死んでいって欲しいと願って、実際に腕の中で死んでしまったんだけれど、仕事に行く前のあわただしさの中で乱暴に扱ったのかなーとか、あの体の向きを変えた時の力加減がワンコの脊椎を傷めてそれが原因で死ななくて良かったのに死なせたのかなぁとか色々と考える。ワンコがこの世を離れてしまう日が近づいていて私に伝えたい事が何かあるのかしら。成仏して仏様のところで悠々自適に修行してねと思う反面、いつまでも私のそばで腕枕で寝てたら良いよと思ったり。ああ、そう言えば…ワンコに「もう頑張らなくて良いよ」とも言ったんだ。たしかあの亡くなる日は昼間もずっと私の横で私の体の上に顎を載せて寝ていた。横になると肺が潰れて苦しいんだって柴ワンコちゃんが後から教えてくれたけれど、いつもは暑がって私から離れたがるワンコがずっと私の横に居て私の体を支えにしてなんとか動く上半身を立てていた。体の位置をずらして私のお腹とか胸とか肩とかベストポジションを探しながら顎を載せていた。んで、ワンコの息が私の顔に掛るんだけれど…ワンコの息がハァハァしているのに全く臭いがしなかったんです。まだ元気で居た頃や食欲がなくなった頃はワンコの息が臭かったの。歯槽膿漏なのかなー、胃が悪いのかなーって感じで生臭くて老犬だから仕方ないよねって思っていました。それが、ワンコが私の肩の上に顎を載せてハアハアするから私はワンコの吐いた息をそのまま吸って呼吸するって感じだったのに、全く臭いがしなかったのよ。食べてなかったからなのかなぁ。と言うことは、歯槽膿漏ではなくて胃が荒れていて息が臭かったのかなぁ。確かに元気な時に息が臭いと思って口の中の鼻を突っ込むようにして臭いを嗅いでも特に臭い感じはしなかったのに、息は臭かった。あのころから胃が悪かったのね。胃癌だったのか、胃潰瘍だったのか、そんなストレスいっぱいの生活を強いていたんだろうかなぁ。まぁ、私と一緒にいたいワンコをほったらかして毎晩毎晩…暑いからって室内に閉じ込めるような生活をさせていたんだからストレスだったんだろうなぁ。お寺の法主様が生前に仰っていた事で、「病人の手が綺麗になったら危ない」ってのがあるんです。病気で何時亡くなってもおかしくないような重病人でも手が汚い人は生きながらえるが、死にそうにもないような人の手が「綺麗になったなー」と思ったら危ないって仰った事があった。元々がすごく綺麗な人はいるからそんなことではなくて、手が荒れているとか綺麗とかの基準ではなくて、普段と違って見違えるほど綺麗な印象になったら危ないって事だと思う。これは聞いた時にうちの母の手がすごく綺麗になっていてびっくりした時の事を思い出したので記憶していたんです。うちの母はずっと仕事をしていて休みなく仕事をしていて、本当に手が荒れていました。指先なんてひび割れて汚れが入って黒い筋になって、触られると痛いほど手が汚かった。ずっと私の覚えている母の手は汚い手なんです。それが亡くなる前に母の手を見たら「えっ??」とびっくりするほど細くて綺麗でひび割れ一つない素敵な手になっていました。癌で寝た切りでしたから仕事もしていなかったし、手を使わなかったらこんなに綺麗な手の人だったのか??と本当にびっくりした。後から法主様の手の話を聞いて、「あれは亡くなっていく人のサインだったんだなー」と、母の本当に白魚の指のようになった別人のような手を思い出しました。んで、数年前の拒食症の時、私の手がとても綺麗になりました。ちょっとの間だったんだけれど母の手ほどには綺麗にはならなかったけれど、自分でも自慢できるほど綺麗な手になった事があって、ワンコを置いて行くのはちょっと可哀想だなーと思った事があった。今はもうどこに出すのも恥ずかしいような汚らしい手になっていますから…残念な事に殺しても死なないと思います。ワンコの息が全く臭くなくて、その息をずっと吸っていても何の違和感も感じないで呼吸出来た時に、その手の話がチラッと脳裏をかすめた。んで、死んでしまった後にはワンコの手は判らなかったけれど、死ぬ前は体が綺麗になっていくモノなんだなーと感じました。ま、それはさておき、ワンコが私の体の上に顎を載せるのが楽だとしても私は仕事に行くために起きなくちゃならない。褥創も出来ていたし、呼吸も苦しそうだし、全く食べていないし…ワンコの体を抱いて、頭を撫でながら「苦しかったらもう頑張らなくて良いからね」と言った。そしてシャワーを浴びて、お化粧をして、お仏間に入って、出てきたらオシッコを漏らしていて、そのオシッコを乾かしている間にキャンとも何とも言わず死んでしまいました。オシッコで濡れた下側を乾かすために体の向きを反対にした時にすごく慌てたように体を起こして嫌がっていたのは、呼吸が出来なくなったからなのか…。でも一度は体のポジションが良いところに持って行ってしゃーねーなーって顔をしたんだよな。だから急いで乾かして早く元の体勢にしてあげようとしてワンコの様子は見ないで夢中になってドライヤーを当てていたの。その間にウンチが出て、「ウンチも出たの。良かったねー」と声を掛けてワンコの顔を見たらもう目が引っくり返って、白目を剥いて、舌をだらんと出してこと切れていました。いまだにその時の情景が一つ一つ思い出せるよ。あの時になぁ…。一つ一つの私のした事がワンコの体にはショックになったんだろうかなぁって思う。言葉の意味は判らなくても魂は聞いているからなぁ。「頑張らなくていよ」って言った事や、先生に「もう何時死んでもおかしくないほど悪い」って言った事をワンコの魂は聞いていて、「それならもう良いですよね」って逝ってしまったんだろうか。本当にワンコが苦しんで私が安楽死を選択しなくちゃならない日も来たかもしれないからそれを考えればワンコが自然に死んでくれたことは喜ばしい事なんだけれど、それでもワンコがあんな風にあんなにあっけなく死んでしまうなんて思っていなかったよ。きっと虐待で子供を叩いて死なせてしまう親たちも、自分が今当たり前のように叩いていても食事をさせなくても本当に死んでしまうまでは死ぬなんて思っていないんじゃないだろうか。実際に死んでしまってから「なんで??」って、やっと死ぬって事の意味に気が付いたり、魂のない肉体の崩れ落ちる姿に愕然とするんじゃなかろうか。ワンコがねぇ…死ぬ時になんて思いながら死んだかなぁって考える。体の向きを変えたから「お母さん苦しいよ」だったかなぁ。それとも濡れた体を乾かしていたから「気持ち良いなぁ」と思って死んだだろうか。乾かしながら顔を見てあげていれば良かったなぁ。もっと注意深く、ワンコの様子を観察しながら少しずつ乾かしてあげればよかったなぁって後悔しています。もちろん、当日は仕事に行く前で、大急ぎで乾かして出掛けても5分か10分遅刻するって電話しなくちゃならないような切羽詰まった状況だったので顔を見ながら、様子を見ながら、なんてできるはずもなかったんですけれどね。今日死んでしまうんだと判っていれば会社にはあらかじめ有給休暇を申請してゆっくり世話をしてあげられたかも知れないけれど、「オシッコしてないか休憩時間に戻ってくればいいな」なんて考えながら出掛ける用意をしていたんだから…何を考えても後の祭りなんですけどね。何でこんなにワンコの死んだ時の事が脳裏を駆け巡るのか判りません。全然忘れられない。ちょっと前まではワンコが死んで悲しいのに次のワンコとか小動物の事を考えたりしていたのに、もう全然他のワンコや小動物には興味が無くなって、ワンコが死んだ時の状況だけがグルグルグルグルと回っています。もともと記憶は良い方なので忘れるはずはないんですけどね。でも記憶の引き出しにそっとしまっておきたいのにもう目の前に中身を全部ぶちまけた様に次から次にワンコの事が思い出されてくるんだよ。ま、私の手も汚いままだからワンコの事がショックで死ぬほどにはデリケートな人間ではないようですが。綺麗になるどころか足も手も静脈が浮きまくりで汚らしいし、足なんて汚い上に攣ってるし。何なのかなぁ。この前の若い犬が腕の中で死んで行く夢や蜘蛛とか蛇の夢なんかを考えてもあまりいい状況ではないって事だけは判るんですけれどね。人類滅亡の時に死ぬかしら。ダウジングすると地球は滅亡しないって出るんですよ。でも人類は滅亡と言っても良いほど死んで行く。でもそれでも全滅じゃないらしい。会社の先輩パートは滅亡の時に行きぬいてこの世界がどうなっていくのか最後を見届けたいって言うんですが…私は滅亡の兆しがある時にまず真っ先に死んで、あれが人類滅亡の始まりだったと言われたい。え??私が原因で皆が死ぬの??へへへ、すごく迷惑な女ですなー。何にしても、死んだ後はワンコと一緒にまた極楽お浄土をお散歩したいですwww
2011年08月25日
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全然気にもしていませんでしたが…昨日はワンコの月命日でした。7月17日に亡くなって、昨日が初めての月命日だったんだけど…ワンコの命日を覚えていないっていうよりも、昨日が17日だって事自体が頭に入っていませんでした。あ、もちろんワンコの供養はしています。現状として、ワンコが49日を迎えるまでは毎日手を合わせているし、毎日お浄土に行けますようにと祈っているので月命日だからとか普通の日だからとかいう区別は何もありません。なのでなおさら日にちに関しては頭の中になかったです。言ってみれば、9月3日の49日を終えるまでは毎日が命日のような状態なので特に何の違いもないって事なんですが。ワンコの写真を見て「可愛かったなー」と思いながら涙が出てしばらくは見る事ができませんでしたが、今はワンコの写真を眺めながら「この時はこんな状況だった」「この時はお留守番だった」「この写真は仕事場で仕事してるのを見ててくれた」とか思い出とともに眺める事ができるようになりました。でもあんまり色々と思い出すとやっぱり涙が出るので時々見る程度にしています。そんな私でも、先日歯医者さんに行った帰りにはヨドバシに行ってデジタルフォトフレームを買おうと思って色々と物色しました。動画も写真も両方見れるってのがあったのでそれを買おうとしたのですが…人気商品なんでしょうね、在庫切れでした。まぁ…こういう時は楽天で金額を比較しろって事なんだと思うのでとりあえずお取り寄せもしないで帰りました。こうやって段々と悲しみが薄れて良い思い出になって行くんだろうなーと期待。いつまでも悲しいばかりだとお友達ともワンコの話ができません。公園で良く会っていたマルチーズのお友達の家にケーキを持って遊びに行く約束はしたのですが、まだ思い出話をすると落ち込む方が強いと思うので行けてない。柴ワンコちゃんは時々電話をくれます。明日は歯医者さんの後に美容室の予約をしたのでまたワンコの話も出るでしょうし…でも美容師さんもワンコを亡くしたばかりだからお互いに心の傷には触れないかな。このところ小動物を色々と写真とか動画で観ていますが、可愛いですね。そうそう、ヨドバシではフォトフレームは買えなかったのですが駐車場代を浮かすために本を買いました。【メール便もOK!!】 ザ・ウサギ 「うさぎの書籍」 【あす楽対応_関東】【あす楽対応_甲信越...価格:2,100円(税込、送料別)フクロモモンガとかハリネズミとかカメレオンとかの本もあったけれど、買ったのはウサギの本。ちょっとウサギのピンバッヂを作る予定でウサギの写真が沢山載っている本が必要だったのと、ワンコの次のペットとしてどうかしら…の両方の理由でウサギの本を買った。この本にしたのはもしもペットとして飼うなら必要となる飼育情報とか病気の情報が詳しく載っていたからなんですけれどね。他の本は写真は可愛かったし安かったけれど…やっぱりこの本で正解かなと。お陰でウサギをペットにするのも他の小動物をペットにするのも同じくらい大変だと良く判りました。以前だと可愛いと思ったらすぐに飼い始めたと思うんですが、ワンコの死に際して色々と体験したことできちんと世話が出来ないなら辞めた方が無難だなと思えるようになりました。まぁ…小動物にコレだけの手間と気を使うなら、ワンコを飼う方がはるかに楽。小動物をきちんと診察できる病院が身近にあるのかと言えば…また以前の高速を飛ばして行く病院まで行くことになるだろうなーって考えるし。今までの病院はボルゾイに対して良い病院って言うよりもボルゾイって言う犬の経験があって、治療が上手な病院と言う基準で選びました。特に足が細くて骨折すると後が大変だと言うことで、その骨折治療にも定評があるところを選んだので高速を飛ばして出掛けるのも苦になりませんでした。次のワンコはもうボルゾイは飼わないと決めていて、飼うとしたらきっと毛が飛び散らないプードルになるだろうと思うので近所の病院でそこそこ評判が良いところを選ぼうかと。最初にワンコを飼った時もスタンダードプードルかボルゾイかのどちらかにしようと決めていてその時のブローカーがボルゾイを連れてきたのであの子がうちの子になったんだけれど、私のカヌーの友人はスタンダードプードルを養子にした。最近パートから帰る途中で見かけるプードルがいるのですが、ちょっと小さめのスタンダードプードルが2頭お散歩しています。親子かしら兄弟かしらと思いながら可愛い姿を見ています。あの大きさならメスだろうなー。ワンコがまだ元気で7km歩いて平気だった頃は、次に飼うのはスタンダードプードルかいっそのことティーカッププードルにしようと思っていたのですが、世話の大変さとか遊んで楽しかろうと思う丈夫さとか色々と考えるとミニチュアくらいが良いな。ちょっと柴犬よりは体高が高いかな程度の、スタンダードよりは小さくて倒れた時の世話は楽だよなって感じの、もう普通の犬って感じのが良いなぁ。へへへ、こんな事を性懲りもなく書いているけれど…やっぱり犬を迎えたら後の生活が大変だってのは判っているのでただ書いて自分の気を紛らわせているだけなんですけれどね。ワンコとの生活が楽しくて仕方がなかったのはワンコを迎えた頃の私はまだ呼吸器疾患も無かったし、仕事もある程度順調だったし、お金も持っていたし、運気も良い時期だったから躾に掛ける時間が十分取れた結果なんですよ。毎日公園にお散歩に行って何時間も費やす事が出来て、1週間のうちに3日とか4日は海岸に走らせに行けた。そこで潮を被ったら毎日でも洗って何時間も一緒に過ごしてお互いに少しずつ馴れて行ったんですよ。今新しいワンコを迎えてもそんな躾の時間を取る事なんて出来ないですからね。きっとストレスになって飼わなきゃよかったって思う日が来るでしょうね。だから室内だけで飼える小動物をって思ったんだけど、気温とか湿度とかは犬を飼う以上に管理する必要がある。それならいっその犬を飼う方が楽だわって…そこで話しが堂々巡りで本や動画を見て楽しむ日々になっているのです。ま、こういう風に私が他の犬や小動物に関心を持つ事をワンコがどう思っているかは判りませんが…きっと「お母さんもう私を忘れたの??」って思うはず。「忘れてないよーww」ちゃんと毎日毎日、いつもいつもワンコの事を考えてますよ。でもワンコが死んでしまって1ヶ月になるのか…早いなー。今でも仕事している最中に雷が鳴るとワンコが怖がっていた事を思い出して「こんなに雷が鳴るならワンコが死んでいて良かったなぁ」と思ったりします。雷がゴロゴロ鳴っていてもワンコが動けなければ怖い思いをさせるだけだものね。ちょっとした障害物があるとその場所を通れなかったワンコが、雷が鳴った時は何があってもキッチンのマットの上にうずくまってましたからね…。よくもまあこの隙間を通ったもんだって言うほど私に怒られた時と雷が鳴って怖かった時は本当に信じられないほど狭いところに入りこんでいました。だから寝た切りになった後は仕事や外出中の雷が一番の心配ごとでした。その他には停電が怖かった。そういう意味ではワンコはもう何も怖くない、何も負担のない世界に行っているから私は安心しています。次のワンコを飼っても同じ心配をするだけだろうなー。小動物でもエアコンとかに関しては同じように心配だろうなぁ。それを考えたらやっぱり飼えないよね。ま、また金魚の水槽を出してお祭りの金魚すくいの金魚でも飼うかしら。でもあの子たちでも死んでしまった時は悲しかったしなぁ。いずれ時が解決するんでしょうけれど、今はワンコの思い出と寂しさと色んなものから解放された解放感とが混じり合って複雑。とりあえずあともうちょっとになった49日目指して頑張ります。49日が終わったら百箇日、一周忌、三回忌って次の目標を立てるんだろうwwwま、ご供養している時が一番ホッとしますwww変な奴ですね私。
2011年08月18日
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さて、昨日はワンコが2つ目の関所を通り抜けて次の段階へ進んでくれた事を祈っています。49日までに7つの関所を通って最後の49日が閻魔様のところで審判が下りお浄土に行けるのか、六道に舞い戻ってまた訳のわからん事態に巻き込まれて行くのかが決まる…そうです。六道ってのはお浄土に行くための魂の修行の場って事なんだと解釈していますが、地獄も六道なら人間界も六道。ワンコは六道の中の畜生道に生れてしまいましたが、体は健康でしかも非常に美しいワンコでしたから満業は良かったと思います。しかし、人間界に生まれる事が出来ただろうに畜生道に生まれたと言うことで引業が悪かった。人間界に生れれば引業が良いと思いますが、例えば老人症に生れついたり何らかの先天的な問題を抱えていたり、ことさらに容姿が劣っていて非常なコンプレックスを抱えたりする場合は満業が悪いと言う事になりますか。ま、人間界では引業よく生まれて来て、しかも満業も良く立派に育ちあがってもなお自殺したり自分を卑下して鬱になったりするのですから…本当に人間ってのは業が深いモノだなぁと思います。地獄に生まれ変わるって事は引業は最低最悪ですね。そして地獄の中でどれほど美しいと自画自賛したとしても所詮は仇花の美しさでしょうから満業も悪いと言う事でしょう。所詮、六道ってのは業の切れない世界ですからワンコにはもう業のない世界に行って欲しい。業のない世界はお浄土です。業を穢れに読み替えればハッキリします。穢れのない世界がお浄土。でも自分の修行とか心の浄化とか言ったところで限界がありますよね。限界があるからこそ六道の住人なんですから。だからこそお浄土に居られる方にお願いしてこの自力では越えられない壁を越えさせていただく事が祈りの力だったりご加護ってモノなのだと思っています。ワンコは人間にすら生まれてこなかったけれど、ワンコが私のそばに居続けてくれたことで私が10年間なんとか生き抜いてきた事を御仏様はご存じだろうと思います。なので、私はワンコこそお浄土にあげて頂きたいと願っているのです。私には私の業があって人間界に出させていただき、多少足が太いとか胸が小さすぎるとかのコンプレックスはあれど、引業も満業も非常に良いところで生まれてくる事が出来ました。引業も満業も良いところで生まれて来ながら気管支炎をほっといて気管支喘息になったり事故が多くて神経を傷めて肩コリや頭痛がひどくなったり、色々と自分の理想からかけ離れた生活をする事に心が疲れて鬱になったりするのは…コレはこの世で私自身が新たに積み重ねている業ですね。これらの業は満業に対して負の遺産として閻魔様のところまで持って行くことになるでしょう。では私の正の遺産となるものが何かあるかと言えば、全く先祖の供養など考えた事も無かったようなわが家系にご先祖供養をさせて頂いてきた事でしょうか。ご先祖供養をさせていただくと言ってもそのご縁を頂けた事だけが唯一の功績であって、実際にはご先祖供養がデキタって状態には程遠いですが。私がご先祖供養のご縁を頂いたって事は満業に対しての良い遺産ってわけではないと思いますが、色々と抱え続けて色々と作り続けているこの業の軽重を閻魔様がきちんと酌量して来世行く場所が決まるのでしょう。ワンコには是非御仏様の特別なご加護を頂いてお浄土に、御仏様のそばで修行させていただいて立派な魂にしていただきたいと思っています。なので、可愛いワンコの写真を。こんなに可愛い瞳で見つめられたら「ヨシヨシ♪」と御仏様でも手元に置きたくならない…かしら??可愛いお顔で随分と私を待ってくれていました。手が届かない所へ行ってしまってからどれほど懐かしんだところで後の祭りですね。大事な人が手の届かない所へ行く前にみなさんもお互いを大事にしてくださいね。
2011年07月31日
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今日は昨日のプラン通りにワンコを連れて帰ってきました。朝4時近くに寝たんだけれど7時半には目が覚めた。んでも8時までグズグズして、お仏間に入る準備をして9時になってからペット霊園に電話を入れました。霊園のスタッフの方は葬儀の時と変わらず良い感じで、快く引き取りを承諾してくれました。そして昼前に到着すると、やっぱり土日は多いと言っていた通りに前回ガラガラだった駐車場は何台かの車が停まっていて、聞くと葬儀の方も2軒入っていました。すぐにお経をあげてくださった若い僧侶の方に本堂で待つように言われて、しばらくして化粧袋にワンコの名前を入れて持って来てくれました。もともとがそのまま供養塔に入れて貰う予定だったので引き取り用の化粧袋は用意されてなかったの。もちろん在庫は沢山あるだろうからその中から白地に銀箔の菊柄の化粧袋を選んでくれたようです。私は大きなワンコなのに骨壷は思ったより小さいと感じていましたが、本堂に並んでいる新仏のペットたちの骨壷はもっとずっと小さかったです。まぁ、セントバーナードとかグレートデーン辺りになるとうちの子よりももう一回り大きなモノになるのかしら。本堂に骨壷だけの状態で安置して貰っていたのを化粧袋に入れて、本堂でご本尊様に手を合わせて帰ってきました。引き取りの費用の袋代などは用意して行きましたが、1週間の御花代を用意しておくのを忘れたので裸だったけれどちょっとだけお渡ししてきました。私が本堂に行った時にも、私が手を合わせている時にも他の供養のために来られた方々が待っておられたので、本当に土日はみなさん亡くなったペットたちの為に時間を取ってきているんだなぁ。また変に念入りに拝んで必要のない子たちを連れて帰るといけないし、他にも待っておられたので急いで本堂を離れました。帰宅途中はちょっと肩や首が痛かったけれど…今もなんか肩が変に凝っていますが、基本としてホッとした。運転している間も、帰宅途中にいつものスーパーによってお花とかお弁当を買う時も今までワンコに話しかけてきたのと同じように話しかけながら帰りました。スーパーの駐車場で「お留守番よ」と言うのも同じなら、車の中に置いてけぼりになるワンコも同じww違うのは生きていた時は後ろの席を倒して荷台を広く作ってそこに寝かせていたけれど、今日は助手席のバッグの横で頭を撫でられるように化粧袋の上を撫でられるって事くらいかしら。ちゃんと車に戻れば「良い子だったねー」と声を掛けるし、出発する時は「さあ行くよ」と声を掛けます。部屋に戻って、どこに安置したものかと考えて私のパソコンの後ろの机を片付けようかと思ったけれど、ハッと目に入ったのはいつもワンコが食事していた私の手作りの台。ああ、ワンコはいつもココよねと台の上に白いペットシーツをとりあえず拡げて、そこに買って来たお花とお水をお供えして真ん中にワンコを安置しました。んで、私は食事をしたんだけれど…何とも言えずホッとする。もう全然不安じゃなくて、寂しい感じもなくて、今まで通りにワンコが室内で寛いでいるそのままの雰囲気です。元々が騒いだり吠えたり走り回ったりって事が無いワンコで、日中は大人しく寝ていたので今もワンコが自分のマットの上でスヤスヤと寝ている気がします。きっとワンコの魂もここに戻ってきたんだな。ちょっと自分のスペースにキッチン用品なんかが置いてあるのが気に入らないかもしれないし、いつものベッドカバーが無いのも不満かもしれないけれど、今までどおりの気だるい昼下がりになりました。ああ、良かった。これからどのくらいの期間手放せないでいるかは知らないけれど…とにかくこの夏はワンコと過ごします。8月の大施餓鬼が終わるころにはワンコも自分の置かれた状況や行くべき場所についてのおおよその知識が入っているでしょう。私も多分そのころにはワンコがいない部屋でも呼吸がおかしくなったり食事が出来なくなるって事がなくなるだろう。あるべきものがあるべき場所に。居るべきものが居るべき場所に。離れていたからこそ、離れちゃいけないって判ったんだなー。とりあえず、今日の私は心安らかで居ます。明日はどうなっているか判らないけれど、少なくとも今の私は元気ですww
2011年07月23日
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さっき、ワンコの為に手を合わせていたんですが…明日は初七日なんですよね。んで、私は以前飼っていた猫もどれほど可愛がっていても骨が手元にあったら将来絶対に手放せなくて骨が負担になったり私が死んでしまった後に粗末になったりしてイカンという持論でずっとやって来ていて、ペット霊園で焼いてもらっても手元に骨は絶対に持って帰らない方が良いと思っていたのです。なので焼いてもらって拾骨した後は霊園の本堂で安置して貰い、初七日と49日に法要して貰ったら後は合同祭祀で合同供養塔に入れてもらうようにしてきたのです。基本、それで良いと思っているのですが…。どうも、あの霊園にワンコをお願いするのが嫌なのです。スタッフも良かったし、ちゃんと供養をしてくれるとは思う。んが、どうしてもあの供養塔に入れてしまって「ハイ終わり」って感じにはしたくない気がします。49日までどこか供養のよい所を探して…と思いましたが、いやいや、とりあえず49日まで待たず、もう手元に連れて帰ろうと思いましたです。何が引っかかっているかと言えば、美容師さんが言った「オーブ」だとか、私が見たキツネの様な顔なんですよね。うーーん、アレだけ供養不足が溜まっているところにワンコを置いて来ても…こりゃ夜な夜な「お母さん、帰りたい」って出てくるなと。49日が過ぎると骨壷から出して土に返してしまうのでもう取り返す事ができません。うん、コレはもう連れて帰って私が死ぬまでにきちんと供養できるところを探そう。そのように考えたら気持ちがすっきりとしました。何となく気分が悪くて吐き気のような胃の不快感が取れなかったのが嘘のようにスッキリといたしました。んで、重ねてダウジングをやってみたのですが、やっぱり明日行ってワンコを引き取ってくる方で正しいとクルクル回るのです。こりゃワンコが何で私と離れなくちゃならないのかまだ全然納得できてないなと思う。ワンコにきちんと引導が渡されていないからワンコが納得できないんだよな。こちらからは御仏様にお願いしているんだけれど、ワンコ自身はまだまだ納得できていないんだと勝手に解釈しています。私のそばに10年いたワンコも、ワンコを10年そばに置き続けてきた私もお互いがそばに居ない事に納得できないから私の心も安定しないし、胃も不調、呼吸もおかしくなってくるんでしょう。そんなことなら将来ワンコの骨が粗末になる事なんか考えず、今のお互いの引き合う気持ちを大事にして49日まで一緒に今までの10年間を振り返りながら手元で供養してあげる方が良いなと思います。49日が過ぎても、ワンコが納得できないようならワンコが納得できるまで手元で供養してあげよう。もし将来本山で院号戒名をお願いできるチャンスがあったら授けて頂いてちゃんと供養したいと思うのです。ま、院号戒名自体は骨が手元になくても時間を掛けて供養した後には一度お伺いしてみようとは思っていたんですが。以前、私の不注意で病気にしてしまった猫に院号戒名を授けてくださるとご返事を頂いたのでお願いしたら、そりゃあもう素晴らしい院号戒名を頂けたのです。本当に未だに忘れる事が出来ない素晴らしい戒名です。なるほど、供養をするというのはこういう風に御仏様に通じると言う事なんだなと心から感謝いたしました。そういう供養が今度のワンコにもさせていただけるかは分からないけれど、とにかくそういう日が来る事を念じて、ワンコをまずは安心させて、そして段階を追って院号戒名をお願いできる日を待ちたいと思います。ワンコの骨がそれまでに納得すればそれで良いのかもしれないし、骨が納得し、魂が納得して御仏様のところで修行に入らせていただければと思う。うん、拾骨してからすぐに連れて帰ったら返って49日過ぎたらすぐに合同祭祀の方に持って行って永遠のお別れになってしまったでしょうが、むしろ骨になって4日間を離れ離れで暮らして別れが早すぎた事に気付けて良かった。明日連れて帰って、お花を一杯にしてしばらくは一緒に昔話をしたいと思います。そうやってお互いに肉体がなくなっても魂の交歓を喜べるように少しずつあの子にあちらの世界での修業を教えておこう。今はまだ純然たるワンコなのでいきなり御仏様にお願いしますと言ってもそりゃ無責任だわねWW少しずつ少しずつ、霊界でどんなことをして行くのか、今日はうちの母にもワンコの事を自分の孫と思って連れて行って世話をしてねとお願いしたので母もワンコに霊界の仕組みを教えてくれるでしょう。ヨシヨシ♪私の気分もすごく良くなったし、連れて帰ると言う結論は絶対に間違っていないはず。明日が楽しみになりました。問題は…あそこに行けば供養不足が頼ってついてくるだろうからそれを遮断する事だな。自宅に戻る前に一度美容師さんに払って貰うかしら…。何にしても玄関前にはお塩を置いて連れ込まないようにしたいと思います。さて、明日に備えて…休みましょう。
2011年07月22日
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もういい加減読みたくはないと思うけれど、ワンコの事を思い出せるだけ書いておこうと思う。ワンコが死んだ時は私が仕事に行く直前でこういう時間が無い時に限ってオシッコを漏らしたりして手間を掛けさせるんだよなーと思いながらリビングに入って行ったら案の定ワンコがオシッコを漏らしていた。ワンコがその日に亡くなるとは思っていなかった私にとって本当に幸いだったのは、元気な時なら一番忙しい時に手を取らせるワンコに怒っていたんだけれど…それは手をあげて叩くとかではなくても気持ちとしてイライラしたりする事も含めて…この寝た切りのままで私が仕事中にオシッコを漏らして帰宅するまで体を濡らしたままでは可哀想だと思っていたのでどれほど時間がなくてもオシッコが出た事を喜ぶ事が出来た。「オシッコ出て良かったねー」「綺麗にしとこうねー」ってワンコの体を反対に向けてドライヤーとペットシーツとスリッカーブラシで乾かしていた最初はワンコはまだ意識があった。そして体の向きを変えられたのが本当に苦痛なようだったが、自分で上半身を起こして楽なポジションを取ったので「待ってねー」と言ってそのまま乾燥させる作業に没頭した。なんせ時間がなくて急いで乾かしてワンコが寝たままでも気持ち悪くないように少しでも乾かしたかったから。もう随分乾いて大丈夫かなと思った矢先にウンチが出て来て「ちょっと待つんだよ」と言ってそのままティッシュと新しいペットシーツを取ってウンチを絞った。そして「ウンチも出て良かったねー」とワンコを振り返ったら、ワンコはもう白目を剥いて舌がダラッと力なく口の端から出ていて、「エーー??」ってワンコの体を抱き起こすと首もクタクタに曲がって力なく折れるだけだった。そしてすぐに人工呼吸をしたのだ。少なくとも肋骨のすぐわきの心臓と思しき所を何度も押したのだ。ワンコの肋骨を折ってしまわないようにと気をつけながらワンコの顔を見ながら心臓と思しきあたりをグッグッと押した。んが、ピンクだったはずのワンコの舌が赤黒く変化していくにつれ、ワンコの表情が変わらずにもう目があらぬ方向を向いている事を事実として受け入れてそのまま逝かせる事にした。逝かせる事にしたってより、私にできることは何もないと自分の無力を実感しただけなんだけれど。光線治療器の治療実話集の方に死んだ後の肛門が開いて医者が臨終の宣言をしてしまった後の死体の肛門に光線を掛けて30分、1時間ほど掛け続けたら生き返ったと言うのがあって、私も今なら「肛門に光線を掛ければ取り戻せるかも」と考えたんだけれど…それで生き返ったところでワンコはまたイモ虫の状態でただ苦しい呼吸でベッドの上に転がっているだけなんだよな…と、私の手元に取り返した後のワンコの苦しみを考えるとそのまま何もしない事が最上の様な気がしました。ウンチとオシッコで汚れた肛門あたりを綺麗にして、ベッドから絨毯の上に降ろして、仕事に行きました。翌日は柴ワンコちゃんがお別れに来てくれて綺麗なままのワンコに会ってもらえて、翌々日は仕事から帰ったら前の日とは打って変わってゾンビのようになったワンコと会わなくてはなりませんでした。そしてペット霊園にお迎えの時間を早めてもらい、ゆっくりと最後のお別れをする暇もなくバタバタと準備してきちんと悲しむ余裕なく火葬のボイラーのスイッチを押した。火葬して柴ワンコちゃんに拾骨に来てもらって一緒にワンコの骨をみたけれど、全身が綺麗な骨でしたが、肋骨だけが茶色で崩れていました。柴ワンコちゃんは細い骨だから余計に焦げて茶色になったのよと言ってくれたけれど…いや違う。細い骨や小さい骨が余計に焦げるのなら尻尾の先や爪や歯がもっと崩れて跡形も無くなっていても良いはずだ。尻尾の先から爪の先から犬歯まで本当に綺麗な白い骨でした。肋骨だけが大きな肋骨をしている犬種なのに細くてもろくて茶色だった。ああ、ワンコは私と同じで肺病病みだったのか。具合が悪くなる前に「ゲホッ」と喉の奥に何か絡んだ様な咳をする事があったけれど、ワンコも私も同じように気管支か肺が悪かったのかもなぁ。フィラリアの検査のたびにして貰う生化学検査は5月19日にやってもらったばかりで数値の異常なんて何もなかったけれど…どこかに病気が隠れていたのかしらねぇ。私はアレルギーがあるからワンコと一緒に寝るベッドだけは掃除機を掛けていたけれど、ワンコが寛いでいる時はワンコのいつも寝ているキッチン横のスペースにはあまり掃除機を掛けていなかったし…。ワンコがいつも顔を乗せていたマットは毛足の長いマットだったからそのマットにゴミやダニの死骸や埃やカビが沢山残っていて、ちょっと掃除機を掛ける程度では取れていなかったのかもしれない。そのごみとか埃なんかが高齢になって免疫力が落ちたワンコの肺を蝕んでしまったかしらねぇと思うと、もっと掃除してやっておけば良かったなぁと思う。後悔先に立たずって言うけれど、本当にああしておけば良かった、こうしてやればよかったってのは尽きないものですねぇ。私がパートに出て疲れて散歩したくなかった時でもほんの10分ずつでもお散歩してあげていれば足の筋肉が衰えず元気で居られたかもしれないって思うし、庭付きの家で庭でトイレを済ませられる事が無ければお散歩に行ってトイレをさせられたから私は大変でもワンコにとっては楽しかったかもしれないとか…お散歩の残念無念も沢山あります。10分しか散歩しなかったら20分散歩していたら良かったかもと思うだろうし、1時間散歩していたらもっと体力を維持できたろうとも思うし…でもお散歩をちゃんとしていたら、お散歩させ過ぎで疲れさせちゃったのかもしれないと後悔するんだろうな、私の場合は。今はあれもこれも全部残念で無念です。私なりの方法で仏様にワンコの気持ちを聞いてみるんだけれど、ワンコが「幸せでしたか」と聞くと「No」と出る。ワンコは幸せじゃなかったですかと聞いても「NO」と出る。ああ、ワンコには幸せとか幸せじゃないっていう概念が無いんだなと思って、ワンコは「私といて嬉しかったですか」と聞くと「嬉しかった」と出る。ワンコは「私といて楽しかったですか」と聞くと「楽しかった」と出る。ああ、それなら良いわ。ワンコが私と一緒に暮らした日々を楽しくて嬉しく過ごしてくれていたんなら良かった。ワンコが食事をしなくなった頃私が癇癪を起してワンコを叩いた事があったけれど、ワンコは「私が叩いた事を怒っていますか」と聞くと「怒ってない」と出る。どうやら私の癇癪とバチンとひっぱたくのはワンコにとっては躾けの一部と捉えられていたようで、ワンコ自身はその時非常に怖がっているんだけれどその後私の態度が軟化すればもうそれで事はなしという…何ともお気楽平気なワンコちゃんで良かった。ワンコが神経質だったのは食事だけで、食事は好き嫌いがあって食べないとなれば絶対に食べないって子だったけれど、他のモノに関しては従順でした。寝るところだって何だって、私が床を叩いて「ここよ」と言えばそこが自分の定位置だとそれだけで理解していました。だからお友達のワンコが車が変わったらもう絶対に乗らなかったとかでてこずった話を聞いたけれど、うちのワンコは私の車が修理でしょっちゅう入れ変わっていても私が「ハウス」と言ってゲートを開ければすぐに飛び乗っていました。マットを新しくしても、自分の臭いが付いていなくても、他の犬の臭いが付いていても、私が「はい、ここ」と言ってトントンと叩くとそこに大人しく座る子でした。ボルゾイだったけれどシェパードのように言う事を聞いてお座りと言えばその場で座れる子でした。うちに来た当日は私が引っ越しをしている真っ最中だったので来たばかりで本当に心細かっただろうに数時間ほったらかして出掛けていたら自分の好きな場所を見つけてそこに横になっていましたっけ。私が帰ると「なにしてたん??」とちょっとムッとした顔で文句を言っていた。目が文句を言うワンコでしたwwこれはワンコがうちに来た翌日2001年5月14日の写真。まだ以前の借家で、敷いている絨毯はワンコが死んだ後に寝かせていた絨毯と同じ。この前日の2001年5月13日に飛行機でやって来て、ペンギンのぬいぐるみを抱かせてお留守番させていたけれど、まだまだ心を許しておらず顔が緊張して口が引き締まっています。1歳で来たけれど成長途中でまだ胸が広くなっていなかった頃。ウエストと肋骨の幅がほぼ同じなのが判る??この写真は2001年の5月31日の写真。この写真は2001年9月4日の写真。胸が少しずつ出来上がってきて、肋骨が広く下がってきているのが判るでしょう??あの当時はまだネットでボルゾイの情報を探しても本当に出ていなくて、育て方の本もないし、下痢ばかりしているし、ブローカーは8ヶ月のボルゾイだって言っていたのに実際は1歳になっていたって判って随分とトラブルが多い犬でした。ワンコ自身には問題なかったけれど周りの人的環境が整っていなかったわね。だからこそこの10年間が本当にワンコといつも一緒のかけがえのない10年になっているんだけれど。本当にあの子が来てくれて良かったなぁ…。また、少しずつワンコの写真をご紹介します。
2011年07月22日
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今、ワンコを火葬して送りだしてきました。ペットシッターさんのお奨めのペット霊園です。17日は午後10時半に亡くなって、体を拭いたり柔らかいマットに寝かせたままで死後硬直すると納棺の時にてこずるかもしれないと思って床の絨毯の上にフェザーケットと新しい布を敷いてそちらに寝かせ直したり、気持ちを切り替えるためにこの日記で皆さんにご報告したり…その後で急いで仕事に出掛け、45分の遅刻でガッツリと働きました。職場の全体の責任者の方は最初は気を使って私の顔を見ないようにしていましたが、元気付けるためかわざと「犬が死んだとや??」と聞いて来て、「聞かんでよ、泣くけん」と返したら重ねて「なんや、犬が死んだとや」って聞いてくるんですよ。お陰で色々と死ぬ時の状況なんかも話して心が少し落ち着いた。悲しい時は話す事が大事ですね。自分の中で抱え込むと本当にイカン。同じ時間帯で働く社員の人は私が遅刻した状況を聞いていたらしくものすごく気を使ってくれました。またパートの同僚たちは遅刻ってことだけを知っていて普段通りに接してくれたのでまたそれも要らぬ気を回さずに済んで良かったです。でも瞼は腫れているし、目の下も腫れあがっているので少しでも顔を隠すべく、呼吸困難になりそうなほど暑かったですが大きなマスクをしていました。ま、婆が泣いてもみっともないだけですからね。そんなこんなで翌、18日の朝、シッターさんにワンコが死んでしまった報告と良いペット霊園を紹介して欲しいと頼んで、警察犬訓練所などの犬も全頭供養しているという霊園に連絡を入れました。が、昨日の18日は10件の火葬予約が入っていて時間が取れないが、今日だったらいつでも構わないと言うことだったので今日の仕事が終わってゆっくりとお別れをした後に送りだそうと思って今日の午後一番の予約にしました。昨日は美容師さんにも連絡をして、柴ワンコちゃんにも連絡をして、柴ワンコちゃんが最後のお別れにわざわざ来てくれると言うので少しだけ片付けて散らかったままの部屋でワンコにお別れをしてくれました。いつもワンコの事を「キレイ、キレイ」と褒めてくれる柴ワンコちゃんなんですが、死んでしまったワンコの事も「全然変わらないでキレイねー」と、この10年間の昔話を沢山しました。そしてまた昨日の夜は仕事だったのですが、今朝帰宅して玄関を開けると異様な臭いがしていました。ワンコのいるリビングのドアを開けてびっくりしたのは、ワンコの体が3倍にも4倍にも膨れ上がって、口からも鼻からも目からも血の混ざった体液が出ていて、ワンコの体の下に置いていたクール保冷剤の辺りからも血が出ていて、ガリガリに細かった足もプックリと膨らんで、そりゃぁもうゾッとする様なゾンビィな光景でした。昨日、霊園に問い合わせた時に「1日長く放置しておいて大丈夫だろうか」と聞き合わせてはいたのですが、「お腹の下と頭の所に氷をしておけば1日くらいなら大丈夫ですよ」ということだったのです。だから帰宅した時に変わり果てた姿になったワンコを見た時に本当に悲しかったです。エアコンの温度をもっと下げておけば良かったと思ったし、ワンコが冷たすぎるのもイカンなーとアイス漬けにはしなかったのもいけませんでした。きっと霊園の人は氷が溶けたら新しい氷に取り替えるだろうと思っていたんでしょうが、私は1人暮らしだから溶けてしまえばもうただの室温の水ですものね。室温も湿度も長時間発酵にはもってこいだったのでしょう。一晩かけて本当に発酵して膨らんだパン種のようになっていました。ちょっとどころかかなりショックで洗面所では咳が止まらず吐き気がするほど咳き込んで、本当に最後の最後に可哀想な姿にしてしまってどれほど悔やんだことか知れません。とりあえず霊園が開く時間を待って電話して、ワンコの体の状態と昼からの予定を朝からに変更できるかと聞くと幸いな事に朝からの予約は入っていなかったのですぐにお迎えに来てくれる事になりました。その間に私はシャワーを浴びてお化粧をし直して、髪も洗ってさっぱりして少し落ち着いてきました。ワンコの生前の写真が「用意するモノ」の中にあったので私と一緒に写っている写真と、ワンコが私の枕に顎を載せて私を見つめている写真と、ワンコが階段をのぼりながら振り向いて私を待っている写真の3枚を選びましたが、それをカラーでプリントしようとするとインクが切れたのか汚い写真になったのでブラックインクだけの印刷にしましたが、遺影としてはグレー調の写真が本当にピッタリでした。ドッグフードとオヤツのジャーキーを2種類とワンコの為に私が手縫いした皮の首輪を用意。首輪にいつも付けていた迷子札は私の車のキーホルダーと一緒にずっと持っておく事にしました。それから忘れてはいけないのが夏の大施餓鬼の時に撒かれる天女が印刷された散華と色紙。昔、この散華を皆が集めて持って帰るのは何の意味があるのですかと聞いたら、お棺に入れてあげるとお浄土のハスの花びらに変わるんだよと言われたので大施餓鬼の度に少しずつでも集めてワンコちゃんたちが亡くなるたびにお棺に入れてもらっていたのです。今度は自分のワンコの為に、集め持っていた散華を全部霊園に持って行きました。昨日お棺に入れようと買っておいた花も柴ワンコちゃんが持って来てくれた花束も枕元にお線香と水とともに供えていた菊の花も全部持って行きました。霊園が用意してくれた白い段ボール箱にはワンコは到底入らない大きさだっので私が寝かせていたフェザーケットごと霊園のワゴン車の荷台に移して、後ろを付いて行きました。到着した霊園は何ともいえずみすぼらしい霊園だったのですが、スタッフの若い男性2人は膨らんで臭くて飼い主の私でもゾッとするワンコを抱え上げてくれて恐縮しました。仕事とは言っても本当に生きているモノと死んでしまったモノと死んで変形したモノとはモノが全然違います。あげてくれたお経は聞いた事が無い宗派の聞いた事が無いお経でしたが、動物の供養に使われるお経だと言うことで…そりゃ聞いた事が無い筈です。その後お別れの時間を取ってくれて最後の時間をゆっくり過ごしてくださいと言われたので、昨日の夜ワンコの枕元で私のお寺の聖典であげた枕経代わりのものとほぼ同じものをまた改めてあげて来ました。そしてワンコはまたスタッフの2人に抱えてもらって焼き台の上に横たえられ、その周りに用意していたお花とか首輪とか写真などを供えて、体の周りを散華で取り巻いて、体の上にも撒きました。それで全ての準備が終わり、時間が来てゲートが閉まり、ボイラーの点火スイッチを私が押してワンコは永遠に手が届かないところに行きました。焼き終わって拾骨できるようになるまで3時間ほど掛ると言うので一反外に出る事にして、柴ワンコちゃんに連絡を取って拾骨に来てもらいました。近くの駅まで電車で来てもらい、柴ワンコちゃんの霊園が必要になった時の為に見学を兼ねて拾骨して貰いました。色々とお喋りをして、本当に気持ちが楽になった。それにワンコの綺麗だった姿を見ていた時はワンコが戻ってこないと判っていてもまだ未練があったのですが、ワンコの変わり果てた姿と臭いを嗅いでやっとワンコがもう別世界の住人になって戻ることはないんだとビジュアルで実感した。綺麗なままのワンコを送りだしていたらまだまだ未練が残り続けたでしょう。でも本当に腐乱死体となったワンコを見て、ワンコの魂ももうこの肉体に戻りたいとは思わないよなと納得した。柴ワンコちゃんは元々が看護師の人なので腐ると言うより体液が細胞から出てきてしまうからどんなに管理を良くしておいてもいずれはプクプクに膨らんで体液を垂らしながら亡くなるのよと言ってくれたので、氷をもっと沢山置いていたからって綺麗なままで維持し続ける事はできないと判って慰められました。発酵しているとか腐乱死体って言うよりも細胞の中の水分が肉体という風船の内側に溜まっている状態なのだそうだ。そうなる前の綺麗な時にお棺に入れてしまって要所要所をドライアイスで冷やし続ければ綺麗なままで1日伸ばす事はできるけれど、どの道みんな同じ状態にはなってしまうのだと聞いて慰められたよ。お棺じゃなくて布の上に置いていただけだものね。氷を少し置いてちょっと冷やしただけだったんだものね。でも自殺したいなんて思っている人はあの姿を一度見ておいた方が良い。本当に自分の綺麗なままの姿で発見されて綺麗なままで火葬して貰えると期待しているなら、タイミングが悪くプヨプヨの水風船になったらどんな肌でどんな表情でどんな風に体液を垂れ流しているのかを一度自分の目で確認するといいなーと思う。きっと考え方が変わるだろう。ああ、今振り返ってベッドで寝ているはずのワンコの姿を探してしまった。こんな事が続きながらも少しずつ少しずつ段々と心の痛みも癒えて行くだろうと思います。ワンコが居なくなった部屋は本当に怖いくらい広いです。今までは悲しみが一杯で、昨日の休憩時間にワンコの写真を携帯で眺めると涙が出てしまって「まだ写真を眺めるのは早い」と思ってしまいましたが、これからは悲しみよりも寂しさとの戦いだな。10年間添い寝をし続けてくれた愛しいワンコですからね。涼しい季節になると私と同じベッドで腕枕で寝ていたワンコ。ひとつの枕を分け合って親子や姉妹のように寝ていたワンコ。悲しい時や体が痛い時に抱き締めると不思議に痛みを忘れる事ができたワンコ。私がパソコン画面ばかり見てワンコを無視し続けるのでしたから睨むような眼で見ていたワンコ。本当にありがとう。まだまだ全然平気じゃないけれど、こうやってワンコの事を書いて行くと本当に素晴らしいワンコと出会っていたんだなぁと感謝です。だってお付き合いした人で10年間ピッタリと私に寄り添ってくれた人なんていないよ。我がまま言っても癇癪を出しても怒鳴っても蹴散らしてもずっと変わらずに私を愛し続けくれたワンコ。最後の日は私の体の上に顎を乗せて私を枕代わりにして寝ていたワンコ。死ぬ間際まで私と一緒に居てくれたワンコ。最後の最後まで私の腕の中にいてくれたワンコ。ただ一つ心配しているのは、私が一緒じゃないと絶対にお散歩に行かなかったワンコが、私じゃなくて御仏様のお迎えにちゃんと付いて行ってくれるのかどうか…本当に心配です。私もどうせすぐにワンコに会いに行くんだろうけれど、まずはワンコの供養をしてからね。来年の母の25回忌ができれば有難いなぁと思っている。ちゃんと御仏様のところに1人でも行くんだよ。母ちゃんはちゃんと御仏様にお願いしているんだから。さて、今日は全く寝ていないんだけれど…今夜も仕事です。食事は今さっきやっとパンを食べました。また今後しばらくはこんなワンコとの思い出の事ばかり書くだろうからスルーしておいてください。この広い部屋で一人ぽっちで寝るのは辛いなぁと思うのでできるだけ早くパート先に着いて車の中で仮眠しよう。1時間か2時間くらいは寝れるだろうし、寝ないと今夜の仕事が出来ないよ。今日行くはずだった歯医者さんには事情を話して明日にして貰いました。また歯医者さんで口を開けたまま寝ちゃうんだろうな…。明日の夜は仕事が無いので本当に辛い夜になるでしょう。本業のほったらかしの作品をやる時がいよいよ来たって事ですね。運気は悪いんですが…引っ越しもしなくちゃな。この部屋は辛すぎます。できるだけ早くお引っ越しを…その前に夏の供養でお金を使い果たすのでお引っ越し費用も貯めなくちゃなりませんが。さて、準備してきますね。
2011年07月19日
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2011年7月17日 午後10時30分ワンコが息を引き取りました。仕事前にお仏間に入って出てきたらオシッコを漏らしていたのでシーツを変えて濡れた体を拭いてドライヤーで乾かしている最中に、ウンチが漏れてきたので「ウンチも出来て良かったね」とワンコを振り向いたらもう息をしていませんでした。体を拭く時にワンコが嫌がる向きに変えたのが早く死なせてしまった原因なのかなぁと後悔しましたが…死んでしまった後でアレが原因か、コレが原因かと言ったところで後の祭りですね。本当に残念です。取りあえず職場には遅れると連絡を入れました。いまワンコの体をベッドから下におろして新しい布の上に寝かせています。暑がりのワンコの為にエアコンはこのまま入れて行きましょう。息をしてないと判った時には私の心臓の方が止まりそうだったよ。とりあえずですが、般若心経を3回唱えている間に涙が出て来て止まらないんだけれど、そんな顔で仕事に行くわけにはいかないのでここに書いて悲しみはワンコのそばに置いて行く。明日は…きちんとしてあげたいと思います。ワンコのトイレシーツもまだ350枚以上残っていると言うのに…。何で使いきって死のうと思ってくれなかったのか。でも本当にこれ以上痛みとか苦しみとかを長引かせたいとは思っていなかったので私が仕事に出てしまった後じゃなくて良かった。オシッコをしていなかったらそのまま「良い子にしてるんだよ」って言って出掛けたはずだ。体も綺麗にしてちゃんと寝かせる事が出来て、皆にも報告が出来て良かった。11歳と2ヶ月と7日。本当に良い子で、綺麗な子で、可愛いおきゃんな子で、私の子供以上に子供だったわ。この子がいたから何度も何度も生き抜いてきたのに。ワンコありがとうね。ちょっとの間先に行って待ってて欲しい。読みに来てくれているみなさんもありがとうございました。そろそろ顔を洗って仕事に行かなくちゃ。じゃまたね。
2011年07月17日
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昨日、夕方に褥創が出来ないようにずっと動かないで同じ体勢のままの下半身をマッサージしたら思いがけずオシッコを漏らしました。昨日はオシッコが朝出ていなかったのでお勉強に行くのを中止して様子を見ていたんですが、仕事に行く前になってやっと出た。それでオシッコで汚れた体を拭こうと体位を変えて発見したのが、既に褥創が出来て直径2cmほどに開いた傷口。ちょっと遅かったか…。すぐに光線治療器を掛けて傷口を乾かしながら20分か30分くらいは掛けたでしょうか。光線治療器の赤外線は皮膚の内部から肉芽の発生を促すので切ったり膿んだりして皮膚が傷ついた時には傷の奥深くから皮膚が出来るので早く痛くなくなるし治りが早いと言うのです。治療集の口絵写真で人間にできた広範囲の褥創が素早く直って行く経過写真を見ていたので褥創ができたらまず光線治療器と決めていました。暑がるので最近は余りかけていなかったんですけれどね。褥創ができるって事はその傷をまた下側にして寝るってことだから暑いの何のと苦情を言っても聞き入れる余地はなし。ま、ワンコの場合はその傷がある方を下側にしないと痛みがあるのか寝苦しいのか落ち着かないので治療が終わればまた傷を下にせざるを得ません。日に日に脂肪が薄くなって骨が出てくるのですが、今日は昨日と同じように足の運動とマッサージをしようとして持ちあげたらコキンと関節の音がしてワンコが「痛いじゃないの!!」と苦情を言いました。ごめんごめん。何も食べずに体の脂肪と筋肉を消費しながら生きながらえているんだったね。もう手荒に扱ってはいないんだけれど、ガラス細工を触るかのような繊細なマッサージが必要なのかしら…。って言っても、結構ごしごしと毛皮と筋肉を一緒に回す感じで手のひらでモミモミしていますが。さて、昨日の褥創の光線治療で随分と傷の表面は固まって柔らかい細胞はとりあえずカバー出来たのですが、念の為に生ローヤルゼリーを付けておきました。生のローヤルゼリーも細胞の賦活に有効で綺麗な皮膚が出来る。んで、ローヤルゼリーが乾くまでの間にカバーがなくてまだ使っていなかった耐圧分散マットに貰いモノのジャージ素材の布をチクチクと縫い合わせてカバーにしました。マットとカバーを別にすれば汚れた時に洗うのが簡単なんですが、今のワンコだときっとずれた後の修正が大変になるので布をマットに直に縫いつけた。仕事に行く前の40分。見えなくなった目で細かい針仕事をさせるなよ…てか、ちゃんと準備しておけって事なんですけどね。もう褥創が出来たって事はこれからあちこちにできる可能性があるのでなるべく全身マッサージをしてあげなくては。一昨日まで動かす事が出来ていた前足が昨日は全く動かなくなっていて、今日マッサージをしたら伸びなくなっていました。本当に廃用性委縮ってのはこわいなぁと。あんなに使ってあんなに動いていた足なのにほんの数日で固まったように伸びません。何とか少しずつ伸ばして80%くらいまで戻しましたが…老化ってこういう事なんだな。老人がゲートボールに行ったりお散歩したりラジオ体操とかちょっとしたことでも良いから体を動かすのは本当に大切なことですね。たとえ車いすの生活になったとしても介助して貰いながらでも関節を動かして行くことは大事なんだなと思います。関節を固めてしまわないように、筋肉の稼働域を狭めてしまわないように、そして血行を良くする為にも動かす事が大事ですね。ワンコが体勢を変えるのを嫌がるのは私も経験済みなので良く判るんです。拒食症の時に急激に痩せて脂肪がいきなり無くなったので体全体のクッション性が無くなったって言うか、体の向きを変えて骨のねじれが変わると痛いんですよね。その部分だけの捻じれじゃなくてもっと広範囲にねじれが起こる感じで、快適な体の向きってのがやっぱりある。ワンコは今、以前の私なので判ってはいるんですが…甘やかすと体中褥創ですからね。今日はもうマッサージする以外にワンコにしてあげられる事は何もないのでマッサージしながら添い寝したんですが、そう言えばと気が付いて首輪に付けていた御守りを外して御守り様でマッサージしました。首輪はもう苦しかろうと思って御守り様を付けたまま仕舞っていたんですが、首輪を見ても以前だったら飛び上がってお散歩をねだっていたのに今は何も感じないのか視線を外します。散歩に行けないって判ってるんだろうな。んで、御守り様を外して、ワンコの体のあちこちを撫でていました。頭とか頸とかお腹とか傷の周りとかそれこそ全身を御守り様で撫でた。今御守り様はワンコのお腹の下にあります。日中は暑かったのでエアコンの風が体に当たる様にしていたんですが、それでも体を動かせないので熱気がこもるんですね。ずっとハアハアと落ち着きませんでした。夕方私の足が攣って起きたんですが、午後5時半の時点で室温が27℃を超えていました。そりゃ暑いだろうなぁ。25℃でも暑がるんだから、27℃を超えた上に私が真横で添い寝していたら暑かったろう。私が添い寝していたおかげでハアハア言う度に水を持って行って飲ませるからまだマシなはずなんですが。水もあんまり欲しがらないのですが、しばらく待っておくと少しずつペチャペチャやり始めて段々飲む量が増えるのでやっぱり水だけは必要です。ローヤルゼリーも何となく口に入れるまでを嫌がるようになりました。口に入れたら美味しそうに舐めるんですが。今まで鳥や猫を飼っていましたが、いまのワンコのようにピッタリと一緒に親子のように暮らしたペットは居ないので私にとって初めての介護になります。母の介護は父と兄がしていたので私は門外漢で何もわからない。昨日まで元気だったのにいきなり足が立たなくなって、欲しいものも嫌な事も意思の疎通が図れない介護って言う意味では脳溢血とかで脳に障害が残って寝た切りになってしまった家族の介護に近いんでしょうか。人間だと保険も利くし色んなサービスがあるんですが、ペットはねぇ。飼い主の懐具合が即介護レベルに反映されますね。せめて水が欲しいとかどこかが痛いとか痒いとか、オシッコだけでも時間を決めてでしてくれれば良いのだけれど。今日はまだオシッコせず。何度かマッサージするけれど兆候なし。右目のしつこい目ヤニは昨日と今日目薬をさして良くなった感じです。やっぱり薬って効くわ♪口の中の血の様なものは薄いですがやっぱり出ています。かなり少なくなったので口の中の腫瘍ではないと思う。口を開けてパッと眺めた感じでは特に大きなおでき様のものは見当たらず。気が付いたのは口臭がしなくなった事。歯槽膿漏かって思う時があるほど口臭がしていたんだけれど、今日添い寝してワンコの吐く息を顔に真正面から浴びて吸い込んでいても臭くない。だから口の中の問題じゃなかったんだなと思いましたです。食べてないから胃の中も空っぽで…胃が悪かったのかな、あの口臭は。ま、今となっては判りません。食べてないから口の中が綺麗になって口臭がしなくなっただけかもしれないし、明日になったらまた口が臭いって思うかもしれません。ボルゾイの老犬介護をやっている人の経験談がどこかに無いかなとググったら同じ11歳のボルゾイでいきなり立てなくなってなくなったって日記がありました。今年の3月25日にいきなり立てなくなって、5月30日に亡くなった。11歳と5ヶ月だったって書いてありました。私の日記を読み返すと5月19日にフィラリアの薬を貰いに行って血液検査もして貰った後に街中の大きな公園をお散歩したんですが、その時に一度暑さでバテて立てなくなっているんですよね。思えば足腰が弱ったと実感したのはアレが最初かも。そして6月18日はキッチン横のワンコスペースで後ろ足が踏ん張れなくて立てなくなっていたのでした。6月20日に後ろ足のゴージャスな飾り毛をカットしてお散歩に出たら団地内を半分行かないうちにダウンして家に戻る時もずっと休み休みのお散歩になったんだった。7月1日はずっと食欲がなかったものの、お肉屋さんでスライスして貰った生肉を200gペロッと食べて安心したのでした。そしてもう今は何も食べず、生のローヤルゼリーを一日に3回程度ちょっと舐めるだけ。まぁ…こんなつまらない日記でも付けておけば何時どんな事があったか判って良いなwwwこの日記を書きながらも何度かワンコの腹部をマッサージするけれど、オシッコの気配なし。こりゃ水分もあまり取っていないし出ないかもしれませんね。元々ワンコは動くと排泄中枢を刺激されるのですって。だから室内でチョロチョロと動き回る犬は排泄が多いし、うちのワンコのように室内ではほとんど動かない犬だと1日2回程度しかオシッコしなかったりすると言いますから…動かない上に飲んでいないのだからオシッコでなくても気にしない方が良いか。体を冷やすのも良くないって思って扇風機を止めていたけれど、ヒャンヒャンと何かを訴えるのでとりあえずマッサージして扇風機を付けたら大人しくなりました。体の下側に籠る熱気が耐えられないだろうなとは思う。もう全身の飾り毛はカットして短くしてしまおうかなぁ。ま、とりあえず今日はこんな感じで…これからシャワーを浴びて仕事に行きます。ワンコが明日の朝まで無事に生きていますように。
2011年07月17日
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ワンコ…口から赤い液体が出てるのは判っていたんですよね。最近ペットシーツにもベッドカバーにもなんとなく赤っぽい様な茶色っぽいような薄い色がポタポタ付いているので口の中が切れたのかしらとか歯茎から血が出ているのかしらとか口の中に癌が出来ているのかしらとか色々と考えたんですが…。「血が出てる」とは言えない様な薄い赤っぽいシミってだけなので。んですが、今口の中を無理やりこじ開けてみると、下の先から2cmから3cmほどが縮んだ様になっています。舌の色もピンクだったのが赤黒く見えるし、縮んだ様に見える部分はもっと色が濃い。もしかして、フードとかオヤツを食べられなくなったのは舌に原因があったの??歯は確かに虫歯がちょこっとあったり口臭がしたりで歯槽膿漏気味に思っていた事もあったけれど、でもお医者さんでのチェックでは問題なし。年齢の割に綺麗にしていると太鼓判でした。つい先日も歯磨きをしてとりあえずどこにも以上はなかったんだけれど…舌も今チェックするまで色だって変わっていなかったし縮んでもいなかったのに。気が付いていないだけで、舌のどこかに不具合がずっと隠れていてそれで食欲を無くしていたのかもしれません。私は歯が悪いのかもって思っていたのですが。それとも、食事を取っていないと舌も廃用性委縮で縮んでしまうものなのでしょうか。水もあまり欲しがらなくなったしなぁ。今日はペットボトルにノズルを付けて口の端から流し込む飲ませ方をすごく嫌ったので久しぶりにポールに水を入れて飲ませました。最初は沢山飲んだけれど、2回目はちょっと口を付けただけ。ペットボトルからの水は最初だけはペチャペチャ飲みこむんですが、すぐに体を起こして嫌がるんですよね。気管に入って肺炎になっても困るから無理強いはしていません。この状態なら普通の飼い主さんは病院に駆け込んでいるとは思うんですが、私は食欲が無くなった時点から全く病院には行かずです。病院に行かない理由の一つは暑すぎる事。もう車の荷台に乗せることすら1人では無理な上に、私の車のエアコンの能力では荷台の方まできちんと冷えないのでワンコを乗せて高速を飛ばして病院まで行けません。コレは近くの病院でも同じことで、近くの病院だとリヤカーに乗せて行けるだろうけれど炎天下の暑さで駄目だし、近くには信頼できるボルゾイを知っている先生がいない。ボルゾイ特有の繊細さが判ってもらえる先生でないとなぁ。理由の2つ目は私自身の病院通いでワンコの病院に行く時間を取れません。歯医者さんが長引いています。長引く理由は私の疲れらしい。今日は「睡眠はちゃんと取れてますか??」と聞かれたんですが、睡眠時間はあんまりきちんとは取れてないよね。睡眠は細切れには取ってトータルでは6時間から8時間取れている日もあるし、ぐったりと寝込んだ日は10時間以上倒れている日もあるんだけれど、平均4時間くらいでしょうか。少し治って膿が出なくなってきたと思っていたのに、今日はまた様子が悪くなっているらしいです。膿は少なくなったけれど、多分腫れていたんでしょう。なので歯医者さんの治療もなかなか終わらず、ワンコだけに時間を割く事ができません。理由の3つ目はお金です。一番厄介で、一番大きな問題がお金。治療ってやり始めたら辞めるきっかけが掴めません。人間の尊厳死にも関わるような問題と同じなんですが、延命治療をやり始めたら、延命治療をどこで辞めるのかの判断が難しいです。点滴に毎日来いと言われてワンコの為にと思ってしまえばやっぱり毎日行くと思うんですよね。睡眠時間を削って、借金してても点滴とか色んな検査とか治療に通うと思うんです。でもそれで何年かの命を延ばしても限界まで引っ張っても15歳の寿命の犬種なのであと4年しか伸ばせないんですよ。4年間伸ばせたとして…死んだ時に「やっと死んだ」とホッとする様な最後にはなって欲しくない。うちの遠縁が癌にかかってそれこそ40年以上前の事なので治療方法もない状態だったのですが、それで財産全部を治療費につぎ込んで家族も病人に掛りっきりになって、死んだ後には「死んで良かったなぁ」と母が言っていました。本当にゼネコン系の大財閥だったそうなのですが、死んだ後にはスッカラカン。そんな治療を望んだのかしら??人間とワンコでは違うと思うけれど、ワンコの為に病院に行けばきっとスッカラカンになってどうしようもなくなるまでカードでお金を融通してしまうと思うんです。だから保険の利かない治療費天井知らずのワンコ病院には掛っていません。骨折とか下痢とかならね。来たばかりの頃は毎日病院通いをしていましたから、そういう原因と結果がハッキリと判って治療すれば何年間も元気でいられるなら行くと思うんですよね。もう調子が悪いなと気が付いた時には下半身が動かなくなって、それから数日で前足も体を支えられなくなったワンコに延命治療で延々と病院通いはしない私です。多分私が病院に連れて行く時は、もうこれ以上の無理はさせたくないって安楽死をさせる時かなと思います。私がワンコにしてあげられるのはエアコンを切らない事と、生のローヤルゼリーしか口に入れたがらなくなったからローヤルゼリーを切らさない事と、添い寝をしてあげて体をなでてあげる事くらいですね。口に癌が出来たゴールデンが近所にいましたが、口に癌が出来て血がボタボタと流れ落ちる状態でも食欲があったんです。食欲があって食べられる間は本当に生きる気力があるんだと思います。うちのワンコは何よりもまず食欲がなくなってしまいました。もともとが偏食の強い贅沢ワンコってお友達が言っていたくらいなので病気になって食欲が落ちたらそれも自業自得って事なんでしょうか。足腰は立たなくなっても毛吹きも良いし、艶もあるし、目も輝いていて、知らない人が見たらただ寝ているだけって思うでしょう。白い毛皮の綺麗なイモ虫がベッドの上に転がっている。いや、イモ虫だとたとえが悪い。白いアザラシのゴマちゃんの顔がひょろ長くなって、ベッドの上で寛いでいるって感じでしょうか。アザラシなら同じ哺乳類だしねww舌が縮んだのは室内が乾燥しすぎなのかも知れないですし、食べていないからなのかも知れません。口の中からポタポタ落ちてくる薄い赤いよだれは舌からなのかも歯茎からなのかも知れないけれど、あまり詮索してもどうしようもないから無理に口をこじ開けていじくるのは止めておこう。ウンチはまともな固形物を食べなくなってから2回出しました。とりあえず絞ってかなりまとまった量のウンチが出た。オシッコは昨日、今日と朝起きたら垂れ流している状態なのでもう無理に絞らなくても自然に朝しかぶってくれるので楽です。まぁ、毛に付いたオシッコを吹いたり乾かしたりが大変と言えば大変ですが、いやがるワンコを抱き起こして膀胱を押さえるより、ワンコがしたい時に無理なくしてくれればいいよ。排泄は絞らないと出ない状況ならまだまだ生きる力があって、体に力が無くなると垂れ流すようになるからそれから1ヶ月くらいはまだ大丈夫って言われたんですけれどね。ウンチはまだ垂れ流す状態じゃないからまだまだ大丈夫かな。昨日?? 一昨日?? 絞った時は出ないので諦めて体を元の位置に戻してあげようとした時にいきなり漏らしました。油断して漏れたのかな??ウンチを垂れ流すようになったらいよいよ覚悟かしら??ま、いつかは来る別れなので最後までお世話できたらいいなと思います。やっぱり死に別れが良いわね。最後までちゃんとお互いを認め合って死に別れて行くのは悪くない。なんて言いながら、私が事故でいきなり死んじゃったりしてwwwまぁ…私が死んじゃったらワンコもすぐに来るでしょう。ワンコがなかなか娑婆から離れられなくても私が迎えに行っちゃうからなぁwww去年見た夢で、ワンコと私が一緒の布団で今のように添い寝しているところに腕枕をしてくれる人が後から「やっと見つけた」とか「遅くなって」とかそんな感じでやってきて、その場所は仏様の別荘だった…ってのがあったけれど。いいねー。死んでしまってもワンコと仏様のところでまた一緒に暮らせたら幸せだなあwwwさて、そろそろ寝ましょうかね。ワンコが私を待っています♪
2011年07月15日
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